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デビルジャムで君と
しおりを挟むおそらくそれは、アイデンティティの喪失というやつだった。
俺は暗い店内で、同じ男と思えないほど輝いているホストたちを見つめ、その神々しさにぐっと目を細める。
まさか、25歳にして初めてホストクラブに来ることになろうとは。隣では友人である哀子が、氷が溶けてうすくなっていそうなシャンパンを一気飲みしている。俺は不思議な気分の高揚と共に、自分の中で積み上げてきたなにかが壊れていくのを感じていた。
「だいたいさぁ、水商売の女イコール底辺、みたいな考え方がそもそもクソなんらよねぇ。優也もそう思うれしょ!」
「わかったわかった、哀子、お前、いいからもう水飲めよ」
「うるはい!」
「いや、呂律まわってねえから……」
俺たちのやりとりを見ていた夕陽と名乗ったホストが、気を利かせて烏龍茶を持ってきてくれた。彼は哀子ご指名の若いイケメンだ。せっかくの好意にろくろく感謝もせず、哀子はグラスを奪い取るようにして一口飲むと、そのまま卓に突っ伏してしまった。
「今夜の愛衣さんは荒れてますねぇ。相川さんも大変ですね」
夕陽くんが憐れみを込めた目で俺のことを見るので、なるべくやわらかい声音で反論してみた。
「まぁ。どうやらその原因、君にもあるらしいけどね」
「え? 僕ですか?」
「うん、まぁ」
『飲み行きたいから付き合ってよ』
金曜日の夜、仕事が終わってスマホを確認すると、幼馴染の哀子から連絡が来ていた。
愛衣という源氏名でキャバクラに勤める彼女は女のくせにかなりの酒豪で、朝まで付き合える相手は俺くらいしかいない。よって、こうしてたまに連絡がくる。
いいよ、と返すと、何時にあそこで待ち合わせ。という簡単な返事がきた。いつものごとくそのままずるずると飲んでしまい、朝方このホストクラブ【デビルジャム】にたどり着いたというわけだ。
泥酔した哀子から聞き出したところによると、「そういうんじゃない」のに、ホストに入り浸っていることが彼氏にばれて破局に至ったらしい。ちなみに彼氏もホストである。
「ホストにろくなやついねーってよ、お前もホストだろーがよ! ばぁか! おい、夕陽、あたしと付き合えよ!」
「愛衣さん、まず烏龍茶をもっと飲んで落ち着いて……」
酔った哀子は隣でぎゃあぎゃあ叫んでいるが、俺には何が何だかわからないのですべて夕陽くんに任せるとする。ため息をついて自分の酒をちびちび飲んでいると、俺と哀子の卓にもうひとりホストが現れた。
「はじめまして、碧スバル(あおい すばる)です」
なにを隠そうその瞬間こそが俺とスバルとの、出会いだった。
◆
「ねぇねぇ優也くん、僕と連絡先交換しよ」
「は、なんで?」
素っ頓狂な声が出た。いかにも少女漫画から出てきましたというような美形の青年は、にこにこしながらこっちを見ている。その美しさがかえって不気味だ。
悪気はない。悪気はないが、男に営業かけるわけでもなし、俺とのつながりを持つことに一体なんの意味があるのか。
「俺、哀子と一緒の時くらいしか来ないし、むしろもう二度と来ないかもしれないし、男だし、必要ないだろ?」
「そう言わないでよ。これもなにかの縁じゃない」
縁っつったって……。そう呟き、彼が手渡してきた名刺を何気なくひっくり返すと、IDと思わしき英数字の羅列と、連絡してね! の一言があった。
意外にも達筆だ。……失礼か。
「てか名刺の裏にID書いてあるじゃん。いいよ、これ貰っていくから」
「あとから名刺見て連絡なんか絶対してくれないだろー。いまじゃないと! ほら! ね!」
「なんでそんなグイグイ来るんだよ……」
彼の謎の強引さで、普段なら絶対拒否を貫くところなのに、ついつい交換してしまった。
不必要だと思ったから渋っただけで、特に嫌な理由があるわけではなかったから、別にいいといえばいいのだが。
「ありがとう」
美青年が満足げに笑っているから、まあよしとするか。
「あ。優也くん、苗字、相川って言うんだね」
「ああ、そうだけど」
にっこり笑い、碧スバルは俺の眼前に自分のスマートフォンを突き出してくる。見れば、アプリのおともだち一覧の画面のようだ。
「みてみて。僕の友だち、一番上が相川くんになったよ」
見ればその通り、ずらっと並んだ名前のてっぺんに俺の名前があった。すぐ下がアカネ、明菜と続く。友だちの人数が958人となっていて驚いた。
「958人って。お客さん、随分たくさんいるんだな」
「まあでも、この全員といまでも親しいわけじゃないよ」
アプリの友達数が多いと言うだけで、ひとつ年下の彼が、人間として、男として、ひとまわりもふたまわりも大きく感じてしまう。彼は俺のようなしがないサラリーマンとはまったく違う、価値がある男なのだ。その微笑みに、言葉に、存在そのものに。
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