47 / 56
第16話「帽子」②
しおりを挟む
初めて海へ連れて行ったときだった。
志保はまだ三つか四つくらいで、さすがに船に乗せるわけにはいかず、波止場で釣りを楽しんだ。釣りなどはたまの休みに暇つぶしがてらやる程度で、お世辞にも達者とはいえなかったが、何故かその日は面白いほどよく釣れた。
孫娘へいい格好をしたいと密かに思っていただけに、内心とても気分が良かった。そんな様子を目を丸くしながら見ていたあの子が、嬉しそうに言ったのだ。
「じいちゃ!すごい!たいよーだね!たいよー!」
まだうまく話せないながらも、感動を一生懸命に伝えようとしているその姿が、とても愛おしかった。
「そうだろう。大漁大漁」にかっと笑ってそう返すと、志保も同じように笑った。
夕飯には食卓へ並んだその魚たちを見て、志保はますます上機嫌だった。まるで自分が釣ってきたかのように、身振り手振りで今日の釣りの様子を再現して見せる。
終いには、息子の貴志に魚の役をやらせ、私が魚と格闘する様子を演じてみせた。多佳子さんは、泣きながらお腹を抱えて笑っていた。
家中に笑い声があふれた。
「じいちゃすごいんだよ!おさかないっぱいとってね、ぼうしがね、とってもかっこいいの」
そう言って、私に帽子を被せテーブルの周りをぐるぐる走り回っていた。そんなこともあってか、愛着が湧いたこの帽子を、ずっと捨てることができずに持っている。
志保が療養のために帰ってきてからしばらくして、突然、外出の許可を求めにやってきた。それまでは外へ出たがることなどなかったので、心境の変化にまず驚いた。だが、真夏の炎天下で外を出歩くなどもってのほかだと、はじめこそ、その願いを聞き入れはしなかった。
しかし、切に訴えかけるその様子と、「帽子もかぶって行くって。それ貸してよ。おじいちゃんの。お守り代わりにさ」と言われてしまい、根負けする形で受け入れた。
私は少し後悔していた。やはり体へかかる負担はそれなりのもので、少し出かけては次の日に寝込むあの子に、「もう外出は禁じる」と何度言ったことだろうか。それでも、私の目を盗んでは抜け出して、帰ってきては寝込むの繰り返し。情けないことだとは思いながら、実の母親へ説得を頼んでも、あの子は聞く耳を持たなかった。
何があの子をそこまでさせるのかと訝しんでいたが、何のことはない、あの子も年頃の娘だということだった。
樹といったか、志保の選んだあの少年はとても澄んだ眼をしていた。貴志が...息子が命を投げ打ってまで救った命は、今、志保の命を救ってくれた。大げさかもしれないが、あの男の子との再会が無ければ、志保の手術を受けるという決断は遅れていたかもしれない。もし、それで手遅れになっていたらと思うと...。
何年かぶりに帽子をかぶってみた。志保の頭のサイズに調整されていて、少しだけ窮屈だったが、なんとなくそのままにしておくことにした。
「あなた」振り返ると千鶴が立っていた。
「千鶴か。どうした」なるべく、なんでもない風を装う。
「大丈夫。大丈夫ですからね」千鶴はそっと私に歩み寄り、そう言って私の手を握った。
全てお見通しということだろう。昔から妻だけは、騙し切れたことはなかった。
「ああ...わかっとる...」それだけ言って、帽子を深く被り直した。
志保はまだ三つか四つくらいで、さすがに船に乗せるわけにはいかず、波止場で釣りを楽しんだ。釣りなどはたまの休みに暇つぶしがてらやる程度で、お世辞にも達者とはいえなかったが、何故かその日は面白いほどよく釣れた。
孫娘へいい格好をしたいと密かに思っていただけに、内心とても気分が良かった。そんな様子を目を丸くしながら見ていたあの子が、嬉しそうに言ったのだ。
「じいちゃ!すごい!たいよーだね!たいよー!」
まだうまく話せないながらも、感動を一生懸命に伝えようとしているその姿が、とても愛おしかった。
「そうだろう。大漁大漁」にかっと笑ってそう返すと、志保も同じように笑った。
夕飯には食卓へ並んだその魚たちを見て、志保はますます上機嫌だった。まるで自分が釣ってきたかのように、身振り手振りで今日の釣りの様子を再現して見せる。
終いには、息子の貴志に魚の役をやらせ、私が魚と格闘する様子を演じてみせた。多佳子さんは、泣きながらお腹を抱えて笑っていた。
家中に笑い声があふれた。
「じいちゃすごいんだよ!おさかないっぱいとってね、ぼうしがね、とってもかっこいいの」
そう言って、私に帽子を被せテーブルの周りをぐるぐる走り回っていた。そんなこともあってか、愛着が湧いたこの帽子を、ずっと捨てることができずに持っている。
志保が療養のために帰ってきてからしばらくして、突然、外出の許可を求めにやってきた。それまでは外へ出たがることなどなかったので、心境の変化にまず驚いた。だが、真夏の炎天下で外を出歩くなどもってのほかだと、はじめこそ、その願いを聞き入れはしなかった。
しかし、切に訴えかけるその様子と、「帽子もかぶって行くって。それ貸してよ。おじいちゃんの。お守り代わりにさ」と言われてしまい、根負けする形で受け入れた。
私は少し後悔していた。やはり体へかかる負担はそれなりのもので、少し出かけては次の日に寝込むあの子に、「もう外出は禁じる」と何度言ったことだろうか。それでも、私の目を盗んでは抜け出して、帰ってきては寝込むの繰り返し。情けないことだとは思いながら、実の母親へ説得を頼んでも、あの子は聞く耳を持たなかった。
何があの子をそこまでさせるのかと訝しんでいたが、何のことはない、あの子も年頃の娘だということだった。
樹といったか、志保の選んだあの少年はとても澄んだ眼をしていた。貴志が...息子が命を投げ打ってまで救った命は、今、志保の命を救ってくれた。大げさかもしれないが、あの男の子との再会が無ければ、志保の手術を受けるという決断は遅れていたかもしれない。もし、それで手遅れになっていたらと思うと...。
何年かぶりに帽子をかぶってみた。志保の頭のサイズに調整されていて、少しだけ窮屈だったが、なんとなくそのままにしておくことにした。
「あなた」振り返ると千鶴が立っていた。
「千鶴か。どうした」なるべく、なんでもない風を装う。
「大丈夫。大丈夫ですからね」千鶴はそっと私に歩み寄り、そう言って私の手を握った。
全てお見通しということだろう。昔から妻だけは、騙し切れたことはなかった。
「ああ...わかっとる...」それだけ言って、帽子を深く被り直した。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】夫もメイドも嘘ばかり
横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。
サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。
そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。
夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる