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第3話「三日月のデ・アール」①
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『パタン』
扉の閉まる音で、クルルはまた目を覚ましました。窓から差し込むまぶしい陽の光が、部屋の中を優しく色付けます。どうやらあかねは仕事へ出かけたようです。
じんわり暖まっていくノートの端っこで、クルルは少しだけ驚いたようすを見せました。といっても、クルルはただの絵ですから、誰も気づかないくらいに、ほんの少しだけ。
しかし、クルルが驚くのも無理のないことでした。なぜなら、これまでクルルはどこかの端っこに描かれては、しばらくすれば消しゴムで消されていたのですから。
(あかねちゃん、どこかへ出かけたのかな)
そんなことを考えながら、クルルは昨夜あかねが言ったことを思い出してしまいました。
『たいくつな絵』
そして少し悲しくなりました。いつも浮かない顔でどこかの端っこに自分を描くあかねを、クルルはずっと応援していたからです。
(たいくつな絵かぁ…それもそうだよね。妖精っていっても、ぼくには不思議な力もないし、ましてや…色もついてないんだもの)
今度こそ泣いてしまうかも、と思いましたが、もちろん涙なんて出やしません。クルルは昨日と同じ姿勢で天井の一点をただ見つめたまま、静かに悲しみが過ぎ去るのを待つことにしました。
すると、どこからともなく声が聞こえてきました。
「そこの坊や!」
「君のことだよ。そこの【色なし】の坊や!」
老紳士を思わせる口調に、低く深みのある声です。突然部屋の中で声がしたことにびっくりしながらも、クルルは声の主を探して部屋の中を見回しました。
「ここだ。我輩はここである!」
机の向かい側、ベッド脇にある、あかねの胸の高さほどのキャビネット。そこにはブリキ缶でできた花柄の貯金箱や、写真立てなどが置かれていましたが、その少し上、壁にかけられた額縁から声がします。そこに〈いた〉のは、片眼鏡をつけ、口ひげをたくわえ、気むずかしそうに眉をひそめる三日月の絵でした。三日月は横顔をこちらに向け、片方の目でクルルを見つめています。
「やあ坊や。ごきげんいかがかな?」
クルルは小さな目をパチクリしながら、三日月を見つめ返しました。
「急に声をかけられた君の驚きも理解はするが、なにか返事のひとつでもしてくれまいか。これでは我輩がトンマみたいではないか」
そう言われてクルルは困りました。なぜなら、絵である自分がなにをどうすればあの三日月のように話すことができるのか、まったくわからなかったからです。三日月はなおもクルルへ話しかけます。
「ああ失礼、挨拶がまだであった。我輩はデ・アール。【端(たん)の三日月】アーシャット・レヴ・デ・アール…で、あーる!」
自己紹介を終えた三日月はそう言ってクルルの返事を待ちましたが、うんともすんとも言わないそのようすを見てようやく気がつきました。
「まさかではあるが、君は誰かと話したことがない。そうなのかな?」
クルルはあいかわらずデ・アールを見つめたまま。心の中では(そうだ)と返事をしました。デ・アールはなにか納得がいったようで、「ふむ」と小さくため息をつきました。
「なるほどなるほど。やはりそうであるか」
デ・アールは口ひげをひくひくと動かして、少し考え込んでから、次はこう言いました。
「では…君の名前がなんであるか。なおさら我輩は教えてもらわねばなるまい」
(だから、どうすればいいのかわからないんだってば!)
クルルはまた心の中でそう答えながら、どうすればそれがうまく伝わるかを考えていました。するとまるでそれを見透かしたかのように、デ・アールは言いました。
「どうすればいいのかわからないのだろう。簡単なことだ。『君の知る君の名前』を、心から我輩に伝えようとすればいい。いいかな?『心から』である」
(心から…?)
不思議に思いながらも、自然とクルルは自分の心へ耳を傾けました。言われたとおり、いつかもらった自分の名前をデ・アールへ伝えるために。
(ぼくの名前…ぼくの名前は…)
「ぼくの名前は…クルル」
「よろしい!」
デ・アールがそう言い終わるのが早いか、クルルに異変が起こりました。ノートに描かれたクルルの体が、その線に沿ってゆっくり膨らんだかと思うと、まるでポップコーンが弾けるように《ぽんっ》と飛び出したのです。色のないままそのままに、真っ白な姿で。
扉の閉まる音で、クルルはまた目を覚ましました。窓から差し込むまぶしい陽の光が、部屋の中を優しく色付けます。どうやらあかねは仕事へ出かけたようです。
じんわり暖まっていくノートの端っこで、クルルは少しだけ驚いたようすを見せました。といっても、クルルはただの絵ですから、誰も気づかないくらいに、ほんの少しだけ。
しかし、クルルが驚くのも無理のないことでした。なぜなら、これまでクルルはどこかの端っこに描かれては、しばらくすれば消しゴムで消されていたのですから。
(あかねちゃん、どこかへ出かけたのかな)
そんなことを考えながら、クルルは昨夜あかねが言ったことを思い出してしまいました。
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そして少し悲しくなりました。いつも浮かない顔でどこかの端っこに自分を描くあかねを、クルルはずっと応援していたからです。
(たいくつな絵かぁ…それもそうだよね。妖精っていっても、ぼくには不思議な力もないし、ましてや…色もついてないんだもの)
今度こそ泣いてしまうかも、と思いましたが、もちろん涙なんて出やしません。クルルは昨日と同じ姿勢で天井の一点をただ見つめたまま、静かに悲しみが過ぎ去るのを待つことにしました。
すると、どこからともなく声が聞こえてきました。
「そこの坊や!」
「君のことだよ。そこの【色なし】の坊や!」
老紳士を思わせる口調に、低く深みのある声です。突然部屋の中で声がしたことにびっくりしながらも、クルルは声の主を探して部屋の中を見回しました。
「ここだ。我輩はここである!」
机の向かい側、ベッド脇にある、あかねの胸の高さほどのキャビネット。そこにはブリキ缶でできた花柄の貯金箱や、写真立てなどが置かれていましたが、その少し上、壁にかけられた額縁から声がします。そこに〈いた〉のは、片眼鏡をつけ、口ひげをたくわえ、気むずかしそうに眉をひそめる三日月の絵でした。三日月は横顔をこちらに向け、片方の目でクルルを見つめています。
「やあ坊や。ごきげんいかがかな?」
クルルは小さな目をパチクリしながら、三日月を見つめ返しました。
「急に声をかけられた君の驚きも理解はするが、なにか返事のひとつでもしてくれまいか。これでは我輩がトンマみたいではないか」
そう言われてクルルは困りました。なぜなら、絵である自分がなにをどうすればあの三日月のように話すことができるのか、まったくわからなかったからです。三日月はなおもクルルへ話しかけます。
「ああ失礼、挨拶がまだであった。我輩はデ・アール。【端(たん)の三日月】アーシャット・レヴ・デ・アール…で、あーる!」
自己紹介を終えた三日月はそう言ってクルルの返事を待ちましたが、うんともすんとも言わないそのようすを見てようやく気がつきました。
「まさかではあるが、君は誰かと話したことがない。そうなのかな?」
クルルはあいかわらずデ・アールを見つめたまま。心の中では(そうだ)と返事をしました。デ・アールはなにか納得がいったようで、「ふむ」と小さくため息をつきました。
「なるほどなるほど。やはりそうであるか」
デ・アールは口ひげをひくひくと動かして、少し考え込んでから、次はこう言いました。
「では…君の名前がなんであるか。なおさら我輩は教えてもらわねばなるまい」
(だから、どうすればいいのかわからないんだってば!)
クルルはまた心の中でそう答えながら、どうすればそれがうまく伝わるかを考えていました。するとまるでそれを見透かしたかのように、デ・アールは言いました。
「どうすればいいのかわからないのだろう。簡単なことだ。『君の知る君の名前』を、心から我輩に伝えようとすればいい。いいかな?『心から』である」
(心から…?)
不思議に思いながらも、自然とクルルは自分の心へ耳を傾けました。言われたとおり、いつかもらった自分の名前をデ・アールへ伝えるために。
(ぼくの名前…ぼくの名前は…)
「ぼくの名前は…クルル」
「よろしい!」
デ・アールがそう言い終わるのが早いか、クルルに異変が起こりました。ノートに描かれたクルルの体が、その線に沿ってゆっくり膨らんだかと思うと、まるでポップコーンが弾けるように《ぽんっ》と飛び出したのです。色のないままそのままに、真っ白な姿で。
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