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魔界列島

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 勝負にならない。



 1938年の1月初旬。南京を放棄したあとの中国軍は敗走を続け、勢いに乗る日本軍は武漢を制圧、重慶を包囲する寸前に到達した。



 包囲である。



 マジで包囲だ。湊川どころではない、陸が三分に骨が七分の勢いで死者は地面を埋めている。



 続々と集まる、死の大河は、何も戦場だけに向かっているわけではない。



 その白いか臭い支流は遠く満州、そして、日本軍制圧下にある上海より、船に積まれ、日本本土にも向かっている。



 汚れた大地は耕す奴隷をまっている。文明の機械化で一歩どころではなく、列強に置いて行かれている帝国は、機械力その物を、民間では投げ捨てる事にしたのだから。



 死体を動かすのには、石炭は要らない、石油も電力も要らない。



 永劫の労働に必要なのは魂だけ。その出どころは無尽蔵だ。魔力を持ち合わせる者が見れば、大陸では、毎日、毎時間、毎分、悲鳴を上げて東の空へ吸い込まれて行く魂の列が見えるだろう。 



 24時間オートで動く物言わぬ奴隷たちは、簡単な指示でどんな辛い仕事でも、文句を言わずに働いてくれる。



 資源だ。無尽蔵で、何にでも利用できる資源を帝国は手に入れた。



 この事実を知れば、科学に立脚する国家は悲鳴を上げ、恐怖と嫌悪を覚えるだろうが……悲しいかな、理解できる者は存在しない。



 魔法と迷信で動く国家が、現代に殴り込みをかけてきたなど、誰が認められるだろう。



 彼らに分かるのは、理解不能な現実だけである。



 帝都を訪れた者は見るだろう。時代遅れの鉄道馬車が復活し、交通の主力は、巨大な骨の馬が担っているのを。 夕闇に、怪しい影が跋扈し、道に遊ぶ子供に交じり異形の存在が混じっている姿を見る事になる。



 地方都市も例外ではない。



 政府が、戦争中だと言うにぶち上げた、列島改造計画には、生者に交じり死体が働き、農村には鞭打たれながら働く死者の影。



 市場に並ぶは、見知った物とは似ても似つかない歪んだ作物。肉屋も魚屋も、捻じれた怪物から切り出した悍ましい何かを売っている。



 それでいて味は良い。既存の食品とは比べ物にならない程だ。そうだろう、それらは、苦悶と恐怖がたっぷりと入った堕落の世界の品々だ。



 国民が、よく暴動も起こさないで馴染んでるな?



 諦めているのだ。四六時中、ご先祖様が家に居ついている様になれば、誰だって諦める。



 それに、隣人に角が生えたり、嫁の後ろ頭に、口が出来たりしてるのだ。一々驚いていたら身が持たない。



 純度百%で列島を包む、腐敗の魔力は、確実に国民を蝕んでいる。今年の新生児には、フサフサした子が少なからずいる。目が三つある子も、足がヤギだったり、牙のある子もだ。



 「産婆の、お金婆さん、今朝方生まれた熊さんの子に、嚙みつかれたそうだよ。元気な子だねぇ」



 「聞いてる。あれ、婆さんが悪いんだよ。産湯で捻ろうとなんかするからだ」



 帝都の裏町では、そんな会話さえされている。



 良い事もある。皆健康で、病気もほとんどしなくなった。神を信心をすると、気分が悪くなってくる異常に悩まされているようだが。



 まあ、良いじゃないか。現代医療では治せなかった、病も治ってるんだ。代わりに毛皮が生えて来たり、瞳孔が四角になる位コラテラル、コラテラル。



 捨て子や孤児も少なくなった。下手に死なれると、永遠に家に居つかれるのだ。「次は捨てないでね」と言われる事が、確実の社会が到来している。



 犯罪?ヤル奴はヤルが命がけだ。高貴なハンターが、霧の中でウズウズしている。近ごろは他国のスパイも獲物にし出したらしいので、防諜も完璧だ。



 こうして、現実世界の爛れた傷跡である帝国は、世界に膿を吐き出し続けている。

 



 

 



 1938年 旧正月に湧く南京にて



 「干杯!」



 南京国民政府首班、汪兆銘は高々と杯を掲げて飲み干した。



 もうすぐ、もうすぐ、中華の地は自分の物になる。



 「しかし、北京を奪われたのは痛かったですな」

 

 そんな、汪に同席していた部下は呼びかけた。



 「仕方ないさ、溥儀にも褒美を与えろと、帝国はお言いなんだ」



 腹は立つ、中華の地は自分の物だ、誰かに分け与えたりしたくない。それが「永遠」であれば猶の事。



 だが逆らいようはない。逆らったところで、骨の海に放り込まれて、ズタズタにされるのが関の山だ。もしかしたら、もっと酷い目に会うかもしれないし、恐らく会うだろう。



 「良いさ、千年でも待つ。俺たちは、死ぬ事は無いんだ。溥儀の奴が下手をこけば、何時かは中華全てが俺の物だ」



 はて?汪兆銘と言う男は、ここまで剥き出しの野心を持つ人物だったろうか?日本の寝首を掻こうと考えるくらいの、それなりの愛国者だった筈だが?



 「閣下も変わりましたな?あの、、、何と言いましたか?道士?妖怪仙人?尸解仙?の影響ですかな?」



 「死霊術師だそうだ。ピッタリの名前じゃないか?死体で中華を埋め尽くす奴の、呼び名としては」



 永山だ!永山の奴、彼が押し込めていた、暗い欲望を引きずり出したのだ。



 「ああそうでした。不老不死を、ポンとくれたお人の肩書を忘れるとは。私もいけませんな」



 「不老不死か、、なってみると、良い物だ。今まで、せかせかと生きて来たのが、馬鹿らしくなる。始皇帝が死ぬまで探し続けていたのも頷ける。」



 「ですなぁ、その上お楽しみもある。しかし、何と言うか、、、これ随分と脂っぽいですな、口に合わないと言うか、、失礼、祝いの酒にケチをつけまして」



 ああ、彼らは人間ではないのだ。人の魂と生き血を啜る、偽りの不死者になり果てている。嘗てあった理想も決意も腐り果てた、生ける死人。それが彼らの正体だ。それにしても脂っぽい?なに飲んでんだ?

  

 「お前もそう思うか?実は俺もなんだ。あと何か辛いよな、四川で長く暮らすと、体中に辛子が回るのかねぇ。オイ!毛!お前、不健康だぞ!少しは摂生しろ!聞いとるのか!ん?」



 分かった。禄でもない物だ。彼らが座っている卓には、酷い物が乗っかっているのが見える。悪趣味だ。



 「これに比べ、周恩来は美味かった。味にも人間性がでるもんですなぁ。となるとアイツはどんな味なんでしょうなぁ、閣下?」



 「蒋か?どうせ酒臭い、上海ガニみたいな味さ。きっと」



 「ククっ、それは言える。誰か!こいつを下げてくれ!次は江とか言う女を持って来てくれ!」



 その言葉に、物言わぬ従者たちは、卓上に並ぶ悍ましい物、物言わぬ「毛沢東の首」と、彼から搾り取られた、赤いフルコースを片付け始める。



 そして、遠く、厨房の方から、女の叫び声が小さく響いた。

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