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天国からソリャンカをどうぞ

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 その女性は重い足取りで、懐かしくも忌まわしい我が家への道を歩いていた。故郷である、ウクライナの黒土地帯からは、短い夏に生命を謳歌する緑の匂いが漂い、長く厳しい戦争の傷跡と、それより前の悍ましき冬の記憶を振り払う様に農地では人々が立ち働いていた。



 彼女、赤軍曹長であるマルーシャ・パウレーンコが、休暇を利用し、故郷の村に戻って来たは、楽しい理由で無いのは、その足取りからも明らかだ。



 よもや戻って来る事が出来るとは思っていなかった。だが、何の因果か、無理矢理徴兵された若者が、次々と戦死していく中、自分に贖罪の機会は訪れなかったのだ。



 ウクライナに住む、若者の多くが仕方がなく徴兵に応じたか引っ張られた中で、自分が喜んで国の求めに応じたのは、罪を償う為であった。父母そして幼い弟があの飢餓の中で、次々と倒れて行ったのにも関わらず自分が生き残れたは罪を犯したから、その罪は死ぬことでしか拭う事は出来ないだろうと思ったのだ。



 信仰信の厚い純朴な農夫を父に持つ彼女には、自殺する事など、思いも依らなかった。だから戦争に身を投じ、そこで死ぬことが彼女に取っての贖罪だったのだ。



 今は少し違う考えが彼女を支配している。ファシスト共との、地獄と言う言葉でしか表現できない戦争を、男女の別なく、固い絆で結ばれた同志たちと乗り越えてきた今、これからの人生を、模範的ソ連人として社会主義の戦士として生きる事が、自分に出来る贖罪なのではないかと思っている。



 いや、贖罪と言う言葉も捨てなければいけない。この世に神など無く、有るのは冷徹で残酷な唯物世界が有るだけのだ。だからこそ社会主義の名のもと、偉大なる国を作らなければいけない。二度と自分や家族を襲った悲劇を繰り返さない為に。



 故郷に戻ったのは、区切りを付ける為だ。重く今なお自分を縛り続ける鎖を断ち切り、過去の自分を捨てる為に戻って来たのだ。



 そう思いながら、実家の近くまで来た時、奇妙な事に気づいた。幸いと言っては何だが、忌まわしき生家は戦火に晒されず残っていた。其れは良い。だが誰も住んでいない筈の実家から炊事の煙が立ち上っているのだ。



 自分が軍に志願してより、誰も住む者はいないはず。勝手に住んでいる奴がいるのだ。忌まわしき家と言っても生家は生家、勝手に住まれて気分が良いはずも無い。



 舐めて貰っては困る。これでも自分は栄光の赤軍、その曹長様なのだ。肩身を狭くして暮らしていた昔とは違う、ベルリンにだって、偉大なる同志の名前が付いた戦車に乗って突入したのだ。



 「叩きだしてやる!」そう思い家の扉を叩き壊す勢いで開けて中の狼藉者に怒鳴りつけてやろうとした時、、、



 「お帰りマルーシャ」



 世界が止まった。凍り付いたと言ってもよい。だって自分の前に居るのは確かに死んだ父なのだ。あり得ない!そんなわけない!父は家族の為に食べ物を隠して殺されたのだ!その父が薄暗い家の中に、あの頃の様に揺り椅子に座って自分を見ている。



 「どうしたのあなた?あら?早いわねぇマルーシャったらもう帰ってきたの?御免なさいね、まだお夕飯はできてないのよ」



 何が夕飯だ!そんな事どうでもよい!なんで貴方がいるのだ!お母さん、貴方は骨と皮だけになって死んだんだろ?私は貴方を埋めるのに血豆だらけになりながら穴を掘ったんだ!



 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!こんな事あり得て良いはずがない!非科学的極まる!社会主義とは非合理と迷信から人民を解放するのだ!そう中隊付の政治党員さんも言ってた!



 嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!自分はやっとの事で忌まわしい記憶に区切りを付けられるはずだったんだ!今頃になって貴方たち、なんで化けて出てくるんだ!出てくるのら、なんであの時、あの時、自分をあの世に連れていってくれなかった!私の手は、、手は、、弟の弟の、、、、



 「あ!姉ちゃんお帰り!」

 

 「ひぃ!」



 今度こそ、彼女は悲鳴を上げた。これまで耐えられたのが不思議なくらいだったのだ。何時もの様に、あの飢餓地獄の前の時の様に、可愛い弟が自分の足に抱き付いてきたのだ!



 助けて!誰か助けて!同志レーニン!スターリン!嘘だと言って神様!嘘よ!これは夢よ!だって弟は、私の可愛い弟は、、、飢えに耐え兼ねた私が、、、私が、、、「私が殺して食べたんだから!」



 人に取って何が恐ろしい事だろうか?それは過去が、過ぎ去り葬った過去が、追いかけて来る事ではないだろうか?余りの事態に脳が理解を拒んだマルーシャは、その場で崩れ落ちる様に失神した。



 意識を取り戻すしたのは夕闇が辺りを覆い、暖炉に火が入れられた頃だった、夏と言ってもこの辺りは夜になれば寒くなる。



 粗末なベットから身を起こしたマルーシャの鼻に、香しき香が漂ってくる。これは母の料理の匂い、記憶の彼方に消えた、もう口にする事は出来ないと思っていた料理の匂いだ。



 もう良いや、諦めよう。もしかしたら自分は、当の昔に戦死していて、此処は天国だか地獄だかかもしれない。それなら何れ、罰だが救いだかが、非科学的で非社会主義的な存在から下されるだろう。



 諦めと恐怖、そして何より、絶対に再開出来ない筈の存在と、また会えた歓喜をお供に食卓に着くと、死した筈の家族は待ったいてくれた。



 「起きたかマルーシャ。さあ飯にしようか?父さん久しぶりに腹が減った所なんだ」



 父。記憶の中にある、やせ細った姿と違いふくよかと言って良い姿の男がそういった。夢ではない、自分が狂っているのでもない、確かに彼はそこに居る。



 「どうしたの?まだ調子が良くないのかしら?」



 母が声を掛けて来る。覚悟を決めよう。もし、魔女の婆さんだったら、直ぐに頭から齧られてあの世に行けるはずだ、そうしたら、地獄で家族に謝ろう。



 席に着きお祈りが始まる。神などクソを食らえ!悪魔もだ!こんな事して楽しいか?純朴で純情な私の心を弄んで楽しいのか?そう思うが、大人しくしておく。



 「さあどうぞ、今日の料理は取っておきよ!なにせ天国の食材を使っていますからね」



 「ああ、こっちに来る時、持たしてくれたのは食い物だってのか、叩きだされた時は、どうなるかと思ったが、意外と悪魔も親切な奴だったな。しかし、悪魔と天使に平謝りで出て行ってくれと言われるとはなぁ」



 「俺もう少しあっちに居たかった。チョコレートとコンデンスミルクの湖、、、今度こそ泳ぐつもりだったのに、、、」



 「お止め!馬鹿な子ね。洗濯がどれだけ大変かわかってないの?アナスタシアちゃんでしょ、そんな馬鹿な事しようと言ってるの?困った子ねぇ、女の子なのに腕白で」



 天国?悪魔?天使?チョコレートの湖?私頭が沸騰しそう。止めよう考えるのは、このソリャンカ美味しい。母さんお代わり。



 「ハイどうぞ。黒パンもっとどう?あっちは白パンばかりでどうも合わないのよね」



 「ああだから、裏の庭の木に幾らも実ってるのに、母さんは自分で焼いてたのか。俺は白パンの方が好きだがなぁ」

 

 父さん?酸素が欠乏してるの?パンは木に実らないよ?あっ!このパン、チーズ入りだ。



 突拍子もない家族の会話に付いていけない。世界はどうなっているのだろう?黙っているしかない。何より、自分の横にいる弟、その顔を真面に見れない。怖い、ここは実は地獄で自分は罰を受けているのか知らん。



 「姉ちゃん」



 弟は話かけてきた。間違えた返答をしたら地が割れて地獄に真っ逆さまに落ちるのかしら。



 「俺、姉ちゃんを恨んでないよ?あれは仕方なかったんだ」



 その言葉は私が何より聞きたかった、そして聞きたくなかった言葉だ。責めて欲しい、詰って欲しい、恨んで欲しい、それだけの事を自分はしたのだ。



 「俺は、父ちゃんも母ちゃんもずっと姉ちゃんが苦しんでいるのを見てたよ。もう良いよ、自分を許して良いんだよ。誰も恨んで何かいない。俺は姉ちゃんが生きていてくれて嬉しかった」



 可笑しいな?このソリャンカ随分としょっぱい。母さん味付けを間違えた?夢でも良い、此処が地獄でも良い、でも夢なら覚めないで。





 その後、随分と彼女は泣きながら家族と話した。許しと愛がそこにはあった。ヘンテコになった世界の中にも、こんな事があっても良いのだ。それは現在、デスマーチを走り抜けている、上位存在の尻を叩く、天使だか悪魔だかの粋な計らいかもしれない。





 「そう言えば、同志スターリンはどうしてるのかしら?彼も息子を亡くしていると聞いてるわ、父さん知らない?」



 「ああ彼か。そうだな、俺が聞いた所だと随分と、会いたい連中が多いらしいから、今頃大変なんじゃないかな」



 そうなのか、さすがは偉大なる同志だ。多くの尊敬を集める彼だ、今頃クレムリンは大忙しなんだろう。彼も息子に会えるといいのだが。マルーシャは社会主義者の信念を一時曲げ、偉大なる同志の幸福を少し祈った。







 





 ????

 「お~や~じ~。出~てこ~い!か~く~れ~ても無~駄ーだ~ぞ~!よくも見捨てやがったな~!俺が本当に銃を真面に撃てないかどうか見せてやる!」



 「同志スターリン!御届け物があるんだ!ピッケルと言うのだが、頭に刺すのが流行りらしいぞ!」



 「あなた!出て来なさい!話があるのよ!」

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