その令嬢、危険にて

ペン銀太郎

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第一部:10-1章:祭と友と恋と戦と(準備編)

97話:諦めは弱気、託すは勇気

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その日の夜、とある家の屋根上の、孤児院がよく見える位置にラルシュは座っていた。この商業地区はかつての事業計画により、夜でも明るくなっている。しかし、孤児院はそんな街中でも一際目立って明るい。

この明るさは――ヤマモト連合の団結の結晶だ。

孤児院一軒だけでも大きな施設が必要になるため、実用化は未だにできてこそいないが、それでも製作にはラルシュも深くかかわっている。あの日はまさか自身が魔道具師として働くようになるとは思っていなかった。

彼は手に持った安酒をしばらく眺めると、ヤケクソと言わんばかりにグビグビと飲み始めた。しかしながら、背後に人の気配がすると一旦止めて、恐る恐る振り返った。

そこには赤髪の女が立っていた。

「うらやましいわ…学生はお酒、飲んじゃいけないのよ。」

「ケッ! よりによって貴族様かよ。最悪の人選じゃねぇか。」

「あら、マリじゃなくて残念ね。でも、これはマリからよ。」

「ふんっ!」

ネルカは手に何かを持っており、ラルシュがよく見ると料理用の保存パックだった。それはマリアンネが「料理の持ち帰りって絶対に流行る!」と言い、(周囲が振り回されながらも)作った蓋付き木製保存パック。今でこそ当然の商品として出回ってこそいるが、当時はそれはそれは驚かれたものだった。

彼女が保存パックを開くとそこには――野菜と穀物を炒め、卵を平べったくして焼いたものを乗せ、そこに甘辛いソースをかけた――ラルシュの一番好きな料理が入っていた。

「チッ!」

彼は強引に奪い取ると、付随の木スプーンを使って口の中へと掻き込み、そして酒で喉奥へと流し込む。するとネルカはラルシュの隣へと移動すると、何も言わずにドカリと座り込んだ。

「なんで横に座んだよ!」

「まぁまぁ、気にしない気にしない。」

「ほんっっっと、最悪だな、オマエ。」

「だいたいアナタ、人のことを『貴族様』だなんて呼ぶ割に、まったく私を敬わないわね。普通だったら怒られちゃうわよ。」

「ハッ、それを怒るような奴が、マリを気に入るわけねぇだろ。」

その一言だけでネルカは嬉しくなってニヤリと笑う。
そして、ラルシュも同じくニヤリと笑ったが、ふと孤児院の方角へと顔を向けるとその表情は堅くなってしまい、キッとネルカを睨みつけた。

「アンタ、強いんだってな…。俺は武闘大会を見てねぇが、町の金持ち連中はアンタのことで話題持ちきりだし、ガキどもも憧れてるやつ多いよ。」

「あら、嬉しいわね。」

「アンタになら…アイツを…任せてもいいのかもしれないな…。俺の勘だけどさ、アイツの前世のこと、どうせ聞かされてんだろ?」

「あら、あなたも知ってたのね。」

「………まぁ…な…。」

ネルカからしてみればマリアンネの前世の知識に関しては、異なった文化や価値観を持ち、なぜかこの世界のことが書かれた物語が存在している程度のものでしかない。

しかしながら、商品や魔道具を作るものからしてみれば話は別である。生活水準が向上するだとか、金になる人間として認識されるだとかならまだしも、戦争兵器へと発展してしまうことを非常に恐れているのだ。

国王一派が平和志向が強いからこそ触れられないだけで、もしも側妃サイドに知られていたら無警戒だったために危ないところだったのである。

「俺は…怖いんだよ。アイツを異端だと思うやつがいるかもしれん、アイツを利用しようとするやつがいるかもしれん、アイツを不自由にさせるやつがいるかもしれん。特に…貴族の世界には…行かせたくなかった。先生…俺らの親代わりの人は…元貴族らしいが、あくまで貴族親族ってだけの、なんの権力もない人だ。誰も守れやしねぇんだ。」

「なによ、ただの過保護お兄ちゃんってだけだったのね。」

「いくら腹が立とうが…俺にとっちゃ妹だ。気に掛けるし、気にするし、気を配りてぇよ。だけど、あっちの認識が違うってんなら、俺から言っても無駄なんだよ…。だが…今日でわかったよ…たぶん、今、アイツに近しいのはアンタだ。だから……………アイツを頼む。」

感情の話であるのに、ネルカには理屈でしか理解できない。
しかしながら、ラルシュが持っているマリアンネを大事に思う気持ちは、ネルカが持っているものより遥かに大きく、彼女がエルスターに対して抱く気持ちとは方向性が違うのであった。

(とは言え…この人…うらやましいわ。)

彼女は生まれて初めて、他者が家族に向ける愛情に嫉妬を抱いた。
自分もいつかはそんな愛情を誰かに注ぎたいと羨望してしまった。

だからこそ、彼女は拗ねたように口を開いた。

「頼まれなくたってやるわよ。だってあの子のこと大好きだもの。」

「……改めて……あいつを頼んだ。」

「はいはい、頼まれたわ。アナタもあの子と話しなさいよね。」

もう心配する必要はなくなったと感じたネルカは、黒魔法でスプーンを作り上げると、ラルシュの手に持っている料理を奪い取って口に運ぶ。彼が「あっ」と声を上げている間に、彼女は立ち上がり背を向けて立ち去ろうとした。

ラルシュはそんな背中に声をかけた。

「アンタのことを調べようとすると、どっかでストップがかけられちまって胡散臭さを感じていたが…まぁ…いざ会ってみると…あれだったわ。」

「あれってどれよ。」

「人間臭いのに…どこか理解不能で、掴み所のねぇやつだったわ。」

「何言ってんのよ。私は普通よ。」

ネルカはチラリとだけ振り返る。まるで妙案を思いついて笑いたいけど、我慢しているから口角が上がってしまうかのような表情をし、それを見られたくないのか慌てて前を向いた。

そして、黒衣を生成するとバサリとたなびかせる。
少しカッコつけ、笑いを堪えた震え声で――

「元狩人ってだけの…普通の令嬢、普通の親友よ。」

屋根から屋根を飛んでいくその姿は、孤児院の屋根奥へと消えていった。
しばらく茫然と見るだけだったラルシュであったが、ふと我に返ると下を向いてクックックッと笑い始めた。そして、顔を上げると深呼吸を一つ入れて、酒を最後の一滴まで飲み干した。




「ぜってぇ普通じゃねぇだろ。」


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