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~ 最終章 されど御曹司は ~
春の夜の夢のごとし⑨
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ずっとぼんやりしていた紅林は、玲旺が何を言っているのか初めは理解できていないようだった。
虚ろな表情で玲旺の指先を辿り、自分の足元に目線を落とす。綺麗に磨かれた革靴が白い紙を半分踏んでいるのを見つけ、ハッと小さく息を呑んだ。
紅林は一度顔を上げ、無言のまま玲旺を見る。声は発していなくても「これを拾うのか」という戸惑いが、その表情にありありと浮かんでいた。しかしそこに怒りの色はない。
紅林とて、そこまで馬鹿ではないということだ。「拾え」と告げた言葉の真意くらいは理解できたのだろう。
今、この瞬間に自分を変えるため、行動で示せ。玲旺は紅林と目を合わせたまま静かにうなずく。
きっとこれが最後のチャンスだ。
元々は忠誠心の高かったであろう秘書の心までもが、離れつつあるように見える。こんな求心力ではクリアデイはおろか、ジョリーすら沈む日は近い。
本当にそれでいいのかと心の中で問いかけながら、玲旺は紅林をジッと見守った。
紅林の額に汗が滲む。右手が迷うように、開いたり閉じたりを繰り返していた。
恐らく何も知らない者が傍から見ていたら、「さっさと拾ってしまえばいいものを」と思うだろう。それでも玲旺には、紅林の葛藤が良く理解できた。
久我と出会う前の自分なら、同じように間違いなく躊躇していたはずだ。
今まで自分を守ってくれていた、頑丈だと思い込んでいる鎧を脱がなければいけないのは恐ろしい。本当は、それはただの枷でしかないのに。
紅林は足元の小さな紙切れに、まるで怯えているようだった。
大のおとなが紙屑一つ拾えずに狼狽えている様は滑稽だが、同時に胸が締め付けられる。
やがて床の一点を見つめていた紅林が、嫌気がさしたように大きな舌打ちを一つした。
ああ、コイツもここまでかと玲旺が見限って目線を外そうとした瞬間、紅林は体を真っ二つに折り曲げるようにして、勢いよく紙の欠片を掴み取る。
拾うと言うよりは地面から毟り取るような荒々しさだったが、紅林の手には確かに紙片が握られていた。
「これでいいんだろ」
ぶっきらぼうに玲旺に告げると、紙屑を秘書に押し付けて紅林は踵を返す。そのままこちらを振り返ることなく、ズンズンと大股で進み、バックステージを後にした。
相変わらずの横暴ぶりだが、心なしか紅林の表情から曇りが吹き払われているように感じられた。
「あ、あ、ありがとうございました!」
紅林の行動に口を開きっぱなしにしていた秘書が、我に返って玲旺に頭を下げる。それから慌てて紅林の後を追いかけていった。
「ジョリーは生まれ変われるかしらね」
氷雨が腕組みしながら、紅林たちが消えていった廊下の先に目を向ける。
「桐ケ谷さん、敵に塩送っちゃっていいの? あれで覚醒して強力なライバルになったらどうすんの」
呆れつつも面白がる快晴に、玲旺は迎え撃つように口の端を上げた。
「その時は、俺が更にその上を行くぐらい成長してるから問題ないよ。ってゆーか、業界全体のこと考えたらそっちの方が盛り上がって面白いよね。出る杭打って現状維持なんて、それは緩やかな衰退だ」
玲旺の強気な回答に、快晴は感心した様子でひゅぅっと口笛を吹く。
「いいな、その心意気。ねぇ。フォーチュンでもう一つサブブランド作る気ない? 俺を呼んでよ。悪いようにはしないからさ」
どこまで本気か解らない快晴が、ぐいっと玲旺の方へ身を乗り出した。急に距離を詰めてきた快晴に、久我は片眉を上げて一歩前に進み出る。
「では、そろそろ俺たちも控室に戻りましょうか」
玲旺と快晴の間に立ち、壁になった久我がにっこりと笑顔で提案した。
虚ろな表情で玲旺の指先を辿り、自分の足元に目線を落とす。綺麗に磨かれた革靴が白い紙を半分踏んでいるのを見つけ、ハッと小さく息を呑んだ。
紅林は一度顔を上げ、無言のまま玲旺を見る。声は発していなくても「これを拾うのか」という戸惑いが、その表情にありありと浮かんでいた。しかしそこに怒りの色はない。
紅林とて、そこまで馬鹿ではないということだ。「拾え」と告げた言葉の真意くらいは理解できたのだろう。
今、この瞬間に自分を変えるため、行動で示せ。玲旺は紅林と目を合わせたまま静かにうなずく。
きっとこれが最後のチャンスだ。
元々は忠誠心の高かったであろう秘書の心までもが、離れつつあるように見える。こんな求心力ではクリアデイはおろか、ジョリーすら沈む日は近い。
本当にそれでいいのかと心の中で問いかけながら、玲旺は紅林をジッと見守った。
紅林の額に汗が滲む。右手が迷うように、開いたり閉じたりを繰り返していた。
恐らく何も知らない者が傍から見ていたら、「さっさと拾ってしまえばいいものを」と思うだろう。それでも玲旺には、紅林の葛藤が良く理解できた。
久我と出会う前の自分なら、同じように間違いなく躊躇していたはずだ。
今まで自分を守ってくれていた、頑丈だと思い込んでいる鎧を脱がなければいけないのは恐ろしい。本当は、それはただの枷でしかないのに。
紅林は足元の小さな紙切れに、まるで怯えているようだった。
大のおとなが紙屑一つ拾えずに狼狽えている様は滑稽だが、同時に胸が締め付けられる。
やがて床の一点を見つめていた紅林が、嫌気がさしたように大きな舌打ちを一つした。
ああ、コイツもここまでかと玲旺が見限って目線を外そうとした瞬間、紅林は体を真っ二つに折り曲げるようにして、勢いよく紙の欠片を掴み取る。
拾うと言うよりは地面から毟り取るような荒々しさだったが、紅林の手には確かに紙片が握られていた。
「これでいいんだろ」
ぶっきらぼうに玲旺に告げると、紙屑を秘書に押し付けて紅林は踵を返す。そのままこちらを振り返ることなく、ズンズンと大股で進み、バックステージを後にした。
相変わらずの横暴ぶりだが、心なしか紅林の表情から曇りが吹き払われているように感じられた。
「あ、あ、ありがとうございました!」
紅林の行動に口を開きっぱなしにしていた秘書が、我に返って玲旺に頭を下げる。それから慌てて紅林の後を追いかけていった。
「ジョリーは生まれ変われるかしらね」
氷雨が腕組みしながら、紅林たちが消えていった廊下の先に目を向ける。
「桐ケ谷さん、敵に塩送っちゃっていいの? あれで覚醒して強力なライバルになったらどうすんの」
呆れつつも面白がる快晴に、玲旺は迎え撃つように口の端を上げた。
「その時は、俺が更にその上を行くぐらい成長してるから問題ないよ。ってゆーか、業界全体のこと考えたらそっちの方が盛り上がって面白いよね。出る杭打って現状維持なんて、それは緩やかな衰退だ」
玲旺の強気な回答に、快晴は感心した様子でひゅぅっと口笛を吹く。
「いいな、その心意気。ねぇ。フォーチュンでもう一つサブブランド作る気ない? 俺を呼んでよ。悪いようにはしないからさ」
どこまで本気か解らない快晴が、ぐいっと玲旺の方へ身を乗り出した。急に距離を詰めてきた快晴に、久我は片眉を上げて一歩前に進み出る。
「では、そろそろ俺たちも控室に戻りましょうか」
玲旺と快晴の間に立ち、壁になった久我がにっこりと笑顔で提案した。
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