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~ 第一章 売られた喧嘩 ~
暮雲春樹④
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「今から久我がこちらに参りますので、少しお待ち頂いてもよろしいですか。具体的なお話を聞かせて頂きたくて」
玲旺は滑らかに口からでまかせを吐き出した。信じて疑わない湯月の顔が、パッと明るくなる。
「それは、もう承諾して頂いたと捉えても構いませんか?」
「そうですね。我々にとって有難い話ですし、私は是非お願いしたいと思っております。でも、やはり現場をよく知る久我の意見も参考にしたいので、最終的な判断は今はまだ控えますね。そうだ、久我を待っている間に表紙に使う服も選んでいかれます? あの最新作などどうでしょう」
自分はもしかしたら詐欺師の才能があるかもしれないと思いつつ、先ほど湯月がうっとり眺めていたカットソーを玲旺が指さす。話が良い方向に進みそうなので、湯月はホッとしたように大きくうなずいた。
「凄く良いと思います。氷雨さんらしい服ですよね。ここにある商品全て、氷雨さんから放たれた熱を感じます」
頬を上気させた湯月が緩やかに視線を移動し、ラックにかかるシャツを愛おしそうに見つめた。そのままシャツを抱きしめてしまうのではないかと思うほど、目には恍惚とした光が宿っている。
――なんだか、これじゃ、まるで。
玲旺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。「恋をしているみたいですね」などと言うのは、さすがに不躾だろうか。
少しばかり動揺している玲旺には気付いていないようで、湯月は久しぶりに会う恋人と対面しているかのように、服に魅了されていた。
単純に服が好きなのか、それとも。
玲旺は、あれこれ夢中で服を手に取る湯月を不可解そうに眺めた。湯月の名前を聞いた途端、突然こちらに来ると言い出した氷雨の反応も気になる。
やがて商品を選び終えた早川が、湯月に向かって呼びかけた。
「湯月くん。お借りする服や小物が決まったから、奥のブースで伝票にサインしてくるね」
「あ、ハイ。お願いします」
我に返った湯月が名残惜しそうに服から手を離す。
――氷雨さん、まだかな。
ソワソワしながら入り口を窺う玲旺につられるように、湯月もそちらに目を向けながら玲旺に近づいた。
「そろそろいらっしゃいますかね」
「えっ。あ、はい。そうですね、もうそろそろ来る頃かと」
ドキリとして玲旺の肩が跳ねる。「絶対に捕まえといて」と言った氷雨の声が脳裏に蘇り、玲旺はその言葉通り思わず湯月の手を掴んでしまった。
驚いたように湯月が目を瞠る。
「桐ケ谷さん? どうされました」
「えっと。あの……ブレイバーさんには、いつも感謝してるんです。誌面で凄く素敵に商品を取り扱ってくださいますから、我々もそれに恥じないようにと、益々気合が入ります」
掴んでしまったのだから、もう仕方ない。開き直った玲旺は、握手を装って湯月の手のひらを両手で包むように握り締める。咄嗟に感謝の言葉を口にしたが、本心であることに間違いなかった。
「いえ、こちらこそ。フローズンレインさんの商品には、世に発信したくなる魅力が溢れていますから……」
恐縮したように湯月が肩をすくめた同じタイミングで、ショールームのドアが勢いよく開く音がした。
久我が来ると思い込んでいた湯月は、首を捻って入り口を見た瞬間、反射的に身を反らせる。玲旺が手を握っていなかったら、駆け出していたかもしれない。
氷雨が威圧するようにヒールの踵を鳴らしながら、ゆっくりと一直線にこちらに向かってくる。ここまで走ってきたせいか、息が少し乱れていた。しかし刺すような視線は一秒も逸らされず、湯月を捉え続けている。
「なんで」
小さく呟いた湯月が、騙されたと気づいて玲旺を悲し気に見た。何だか申し訳ない気がしてきて、玲旺は眉を八の字に下げる。
目の前にまで来た氷雨は肩で息をしながら手を伸ばし、湯月の頭を力強く両手で掴んだ。
「今までどこにいたの」
ここまで来た勢いに比べたら、氷雨の口調は低く落ち着いたものだった。
氷雨より拳二つ分ほど背の低い湯月は、頭を掴まれ固定されていて、見上げるような格好になる。氷雨の問いに答えられないまま、目は今にも涙があふれそうなほど潤んでいた。
「快晴と一緒に、ニューヨークに行ってたんじゃなかったの」
答えを待たずに、氷雨が二つ目の質問を放つ。湯月の首が、僅かに横に振られた。
「ずっと、日本にいた」
耳を澄ましてやっと聞き取れる程度の、消え入りそうな弱々しい声だった。
酷く傷ついたような顔で、氷雨が息を飲む。眉間に皺を寄せて湯月の目を覗き込みながら、もどかしそうに言葉を絞り出した。
「じゃあどうして、今まで姿を消していたの。答えてよ、永遠」
玲旺は滑らかに口からでまかせを吐き出した。信じて疑わない湯月の顔が、パッと明るくなる。
「それは、もう承諾して頂いたと捉えても構いませんか?」
「そうですね。我々にとって有難い話ですし、私は是非お願いしたいと思っております。でも、やはり現場をよく知る久我の意見も参考にしたいので、最終的な判断は今はまだ控えますね。そうだ、久我を待っている間に表紙に使う服も選んでいかれます? あの最新作などどうでしょう」
自分はもしかしたら詐欺師の才能があるかもしれないと思いつつ、先ほど湯月がうっとり眺めていたカットソーを玲旺が指さす。話が良い方向に進みそうなので、湯月はホッとしたように大きくうなずいた。
「凄く良いと思います。氷雨さんらしい服ですよね。ここにある商品全て、氷雨さんから放たれた熱を感じます」
頬を上気させた湯月が緩やかに視線を移動し、ラックにかかるシャツを愛おしそうに見つめた。そのままシャツを抱きしめてしまうのではないかと思うほど、目には恍惚とした光が宿っている。
――なんだか、これじゃ、まるで。
玲旺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。「恋をしているみたいですね」などと言うのは、さすがに不躾だろうか。
少しばかり動揺している玲旺には気付いていないようで、湯月は久しぶりに会う恋人と対面しているかのように、服に魅了されていた。
単純に服が好きなのか、それとも。
玲旺は、あれこれ夢中で服を手に取る湯月を不可解そうに眺めた。湯月の名前を聞いた途端、突然こちらに来ると言い出した氷雨の反応も気になる。
やがて商品を選び終えた早川が、湯月に向かって呼びかけた。
「湯月くん。お借りする服や小物が決まったから、奥のブースで伝票にサインしてくるね」
「あ、ハイ。お願いします」
我に返った湯月が名残惜しそうに服から手を離す。
――氷雨さん、まだかな。
ソワソワしながら入り口を窺う玲旺につられるように、湯月もそちらに目を向けながら玲旺に近づいた。
「そろそろいらっしゃいますかね」
「えっ。あ、はい。そうですね、もうそろそろ来る頃かと」
ドキリとして玲旺の肩が跳ねる。「絶対に捕まえといて」と言った氷雨の声が脳裏に蘇り、玲旺はその言葉通り思わず湯月の手を掴んでしまった。
驚いたように湯月が目を瞠る。
「桐ケ谷さん? どうされました」
「えっと。あの……ブレイバーさんには、いつも感謝してるんです。誌面で凄く素敵に商品を取り扱ってくださいますから、我々もそれに恥じないようにと、益々気合が入ります」
掴んでしまったのだから、もう仕方ない。開き直った玲旺は、握手を装って湯月の手のひらを両手で包むように握り締める。咄嗟に感謝の言葉を口にしたが、本心であることに間違いなかった。
「いえ、こちらこそ。フローズンレインさんの商品には、世に発信したくなる魅力が溢れていますから……」
恐縮したように湯月が肩をすくめた同じタイミングで、ショールームのドアが勢いよく開く音がした。
久我が来ると思い込んでいた湯月は、首を捻って入り口を見た瞬間、反射的に身を反らせる。玲旺が手を握っていなかったら、駆け出していたかもしれない。
氷雨が威圧するようにヒールの踵を鳴らしながら、ゆっくりと一直線にこちらに向かってくる。ここまで走ってきたせいか、息が少し乱れていた。しかし刺すような視線は一秒も逸らされず、湯月を捉え続けている。
「なんで」
小さく呟いた湯月が、騙されたと気づいて玲旺を悲し気に見た。何だか申し訳ない気がしてきて、玲旺は眉を八の字に下げる。
目の前にまで来た氷雨は肩で息をしながら手を伸ばし、湯月の頭を力強く両手で掴んだ。
「今までどこにいたの」
ここまで来た勢いに比べたら、氷雨の口調は低く落ち着いたものだった。
氷雨より拳二つ分ほど背の低い湯月は、頭を掴まれ固定されていて、見上げるような格好になる。氷雨の問いに答えられないまま、目は今にも涙があふれそうなほど潤んでいた。
「快晴と一緒に、ニューヨークに行ってたんじゃなかったの」
答えを待たずに、氷雨が二つ目の質問を放つ。湯月の首が、僅かに横に振られた。
「ずっと、日本にいた」
耳を澄ましてやっと聞き取れる程度の、消え入りそうな弱々しい声だった。
酷く傷ついたような顔で、氷雨が息を飲む。眉間に皺を寄せて湯月の目を覗き込みながら、もどかしそうに言葉を絞り出した。
「じゃあどうして、今まで姿を消していたの。答えてよ、永遠」
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