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~ 第一章 売られた喧嘩 ~
小さな不安②
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「そう言えばそうね。僕のコト、いつから呼び捨ててたんだろう。ブランド立ち上げの準備中は、ホント人の形を保ってらんないくらい忙しかったから、全然記憶に無いや」
氷雨は視線を斜め上に向け、その当時を思い出したのか少しうんざりした表情を浮かべた。
「じゃあ、呼び捨てするのに何かきっかけがあったわけじゃないんだ」
「うん、無いねぇ。多分お互い這いつくばって徹夜してたから、『さん』とか付けるのも面倒臭くなったんじゃない? そもそも、疲労と睡眠不足で限界突破状態の時に散々お世話になってんだもん、呼び捨てられたくらいで怒れないわよ」
今も充分忙しいと思っていたが、準備期間中はそれ以上に壮絶だったのかと、玲旺は気の毒そうに氷雨を見た。
それからふと気づいた疑問を口にする。
「そう言えば、氷雨さんって快晴さんのことだけは呼び捨にしてるよね。それは何で?」
「うーん」
玲旺の質問を不思議そうに聞きながら人差し指を顎に当て、氷雨は考え込む仕草をした。
「何でって言われてもね。昔から知ってるからかしら? まぁ、僕が名前で呼んでるのは別に快晴だけじゃないけど」
「そっか。高校生の頃からの仕事仲間だっけ。……やっぱり対等なんだろうなぁ」
難しい顔で独り言を呟いた玲旺が腕を組む。氷雨はにんまり笑って机の上に身を乗り出した。
「なになに、質問攻めじゃん。やっと僕に興味持ってくれた?」
「え? いや、違くて……。あ、そうそう、友達が悩んでるんだ。恋人から名前で呼んで欲しいってお願いされてるんだけど、自分がその人に相応しいって自信持てなくて、だからまだ名前で呼ぶことに躊躇いがあるんだよね。って相談を受けてさ」
「へぇ、そう。お友達がねぇ」
頬杖をついた氷雨が玲旺の顔を眺めながら、愉快そうに口の端を上げる。
「名前くらい呼んじゃえばいいのにって思うけどね。相応しいとかあんま意味わかんない。だって恋人なんでしょ? 既に自分を選んでもらえてるのに」
「うん。でもさ、なんか自分の中でケジメが欲しくて。……って友達が言ってた」
「ふーん。そんなの、久我クンは気にしないんじゃないの」
「まぁ、そうなんだけどさぁ。って、違うよ! 何で久我さんが出てくるんだよ、友達の話だってば」
慌てて否定する玲旺に、氷雨は笑いを堪えるようにクッと喉を鳴らした。
「そうね、お友達の話しよね。ごめんごめん。そのコに言っといてよ『応援してる』って」
確かに「友達の話し」など、いかにも嘘っぽいよなと、玲旺はバツが悪そうに書類に目を落とす。
視界の端に氷雨がペンを握ったのが映ったが、指先が震えているので笑いを噛み殺しているに違いない。
余計なことを喋ってしまったなぁと反省していると、ノックと同時にガチャリと扉が開く音がした。
姿を見せたのはスリムタイトな白い七分袖のシャツを着た久我で、まるで一緒に初夏の風を連れてきたような清々しさだった。
「お疲れ様。はい、これ差し入れ。表参道店だけの期間限定メニューだって。桐ケ谷好きそうだから、買ってみた」
有名カフェチェーンのロゴの入った紙袋から取り出したのは、フルーツフラペチーノだった。バナナとキウイの爽やかで甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「ありがとう」
自分の好みを把握してくれていたことが嬉しくて、自然と顔がほころぶ。
久我は氷雨にアイスティーを手渡したあと、机の真ん中に一冊の雑誌を置いた。それを目にした氷雨が、ストローを咥えたまま眉をしかめる。
「クリアデイのムック本?」
「ああ。付録付きで、新商品の情報をまとめたカタログに快晴のインタビュー記事も載ってる。先月ウチが出したものによく似た構成だ」
久我の返答を聞きながら、玲旺は付録のポーチを手に取り、しげしげと眺めた。雑誌の価格が千円なので、品質もそれなりだ。
「それから、銀座に二号店を出すらしいよ」
「銀座に?」
驚いた玲旺が手元のポーチから顔を上げた。久我はパラパラ雑誌のページをめくり、目を伏せたまま大きくうなずく。
「クリアデイはジョリーの売り場にも商品を置いてるからな。表参道店の話題性のお陰で、全体的に売り上げが伸びているらしい。銀座店を出して、追い風に乗りたいんじゃないかな」
氷雨は視線を斜め上に向け、その当時を思い出したのか少しうんざりした表情を浮かべた。
「じゃあ、呼び捨てするのに何かきっかけがあったわけじゃないんだ」
「うん、無いねぇ。多分お互い這いつくばって徹夜してたから、『さん』とか付けるのも面倒臭くなったんじゃない? そもそも、疲労と睡眠不足で限界突破状態の時に散々お世話になってんだもん、呼び捨てられたくらいで怒れないわよ」
今も充分忙しいと思っていたが、準備期間中はそれ以上に壮絶だったのかと、玲旺は気の毒そうに氷雨を見た。
それからふと気づいた疑問を口にする。
「そう言えば、氷雨さんって快晴さんのことだけは呼び捨にしてるよね。それは何で?」
「うーん」
玲旺の質問を不思議そうに聞きながら人差し指を顎に当て、氷雨は考え込む仕草をした。
「何でって言われてもね。昔から知ってるからかしら? まぁ、僕が名前で呼んでるのは別に快晴だけじゃないけど」
「そっか。高校生の頃からの仕事仲間だっけ。……やっぱり対等なんだろうなぁ」
難しい顔で独り言を呟いた玲旺が腕を組む。氷雨はにんまり笑って机の上に身を乗り出した。
「なになに、質問攻めじゃん。やっと僕に興味持ってくれた?」
「え? いや、違くて……。あ、そうそう、友達が悩んでるんだ。恋人から名前で呼んで欲しいってお願いされてるんだけど、自分がその人に相応しいって自信持てなくて、だからまだ名前で呼ぶことに躊躇いがあるんだよね。って相談を受けてさ」
「へぇ、そう。お友達がねぇ」
頬杖をついた氷雨が玲旺の顔を眺めながら、愉快そうに口の端を上げる。
「名前くらい呼んじゃえばいいのにって思うけどね。相応しいとかあんま意味わかんない。だって恋人なんでしょ? 既に自分を選んでもらえてるのに」
「うん。でもさ、なんか自分の中でケジメが欲しくて。……って友達が言ってた」
「ふーん。そんなの、久我クンは気にしないんじゃないの」
「まぁ、そうなんだけどさぁ。って、違うよ! 何で久我さんが出てくるんだよ、友達の話だってば」
慌てて否定する玲旺に、氷雨は笑いを堪えるようにクッと喉を鳴らした。
「そうね、お友達の話しよね。ごめんごめん。そのコに言っといてよ『応援してる』って」
確かに「友達の話し」など、いかにも嘘っぽいよなと、玲旺はバツが悪そうに書類に目を落とす。
視界の端に氷雨がペンを握ったのが映ったが、指先が震えているので笑いを噛み殺しているに違いない。
余計なことを喋ってしまったなぁと反省していると、ノックと同時にガチャリと扉が開く音がした。
姿を見せたのはスリムタイトな白い七分袖のシャツを着た久我で、まるで一緒に初夏の風を連れてきたような清々しさだった。
「お疲れ様。はい、これ差し入れ。表参道店だけの期間限定メニューだって。桐ケ谷好きそうだから、買ってみた」
有名カフェチェーンのロゴの入った紙袋から取り出したのは、フルーツフラペチーノだった。バナナとキウイの爽やかで甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「ありがとう」
自分の好みを把握してくれていたことが嬉しくて、自然と顔がほころぶ。
久我は氷雨にアイスティーを手渡したあと、机の真ん中に一冊の雑誌を置いた。それを目にした氷雨が、ストローを咥えたまま眉をしかめる。
「クリアデイのムック本?」
「ああ。付録付きで、新商品の情報をまとめたカタログに快晴のインタビュー記事も載ってる。先月ウチが出したものによく似た構成だ」
久我の返答を聞きながら、玲旺は付録のポーチを手に取り、しげしげと眺めた。雑誌の価格が千円なので、品質もそれなりだ。
「それから、銀座に二号店を出すらしいよ」
「銀座に?」
驚いた玲旺が手元のポーチから顔を上げた。久我はパラパラ雑誌のページをめくり、目を伏せたまま大きくうなずく。
「クリアデイはジョリーの売り場にも商品を置いてるからな。表参道店の話題性のお陰で、全体的に売り上げが伸びているらしい。銀座店を出して、追い風に乗りたいんじゃないかな」
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