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◆最終幕 依依恋恋◆
終わらない旅
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十月最後の日の朝。
良く晴れた空の下を、二人は劇場に向かって歩いていた。
「本当に忘れ物はない?」
スーツケースを転がす清虎に向かって、陸は最終確認をする。
「大丈夫やで。そもそも忘れるほど荷物もないしな」
清虎の口数が少なく機嫌が悪そうに見えるのは、寝起きだからか、それとも別れが寂しいからか。あるいは、両方かもしれないなぁと、陸は清虎の横顔を眺めた。
「鷹雄さん、おはようございます」
劇場の裏手で清虎の祖父の姿を見つけ、陸は頭を下げる。
「ああ、二人ともおはようさん。なんだ清虎、仏頂面して」
「別に。いっつもこんな顔やろ」
清虎は素っ気なく答え、階段の下にスーツケースを置いた。
「トラックはもう来んの?」
「ああ、八時には到着する予定だよ。しかし、あれだねぇ。こうしてると前回の時を思い出すね。あん時ァ清虎が泣いて泣いて大変だった。移動中ずっと泣き続けたもんだから目が腫れちまってさァ。舞台に穴開けたのは、後にも先にもあの日だけだったな」
「前回?」
陸が驚いて問い返す。それはつまり、運動会の日のことだろうか。
「じぃちゃん余計なこと言うなや。陸、聞かんでええで」
顔を真っ赤にさせた清虎が陸の耳を塞いだ。鷹雄は「ハイハイ」と清虎の文句を聞き流し、劇場の中に消えていく。
「そんなことがあったんだ。……ごめん」
「もうええねん。いつの話しとんねんな。今回はちゃんと陸に見送って貰えるんやから、全然平気やで。二度と会えんわけでもないしな。ほら、さっさと上から荷物降ろしてまお。手伝ってや」
清虎が外階段に足を掛けたところで「あれぇ?」と上から茶々を入れるような声がした。見上げると、清虎によく似た男性が段ボールを抱えて笑っている。
「その感じだと、まだ清虎は知らなそうだね」
「なんやねん、兄貴まで。俺が何を知らん言うねんな」
憤慨する清虎の後ろから、陸がぺこりと頭を下げた。
「獅凰さん、おはようございます」
「うん。おはよう、新人さん」
「新人? 誰が」
清虎がキョトンとしている姿を可笑しそうに見ながら、獅凰が階段を降りてくる。
「お前の後ろにいる、その子だよ。今日からウチの団員だ」
清虎は驚き過ぎて声が出ないようだった。目を大きく見開いて、陸の顔をまじまじと見つめる。
「ご、ごめん。本当はもっと早く言いたかったんだけど、座長さんに口止めされてて」
「親父に? 何でまた。兄貴、どういうこっちゃ」
理解が追い付かず、苛立ったように清虎が獅凰を睨んだ。
獅凰はそれを無視して重たそうな段ボールを地面に置き、「秘密を守れて良い子だねぇ」と陸の頭を撫でる。清虎が舌打ちしながらその手を払った。
「気安く触んなや」
「お前、この子と役者を天秤にかけただろう」
突然、獅凰に鋭い視線を向けられて、清虎が息を呑んだ。
「お前の変化に気づいてないとでも思ってた? お前がどんな答えを出すのか興味があってね。この子が劇団に入るって先に知っちまったら、お前は葛藤しないだろう。だから黙ってて貰ったんだ。もし役者を捨ててこの子を選んだら、お前も一緒にここに置いてくつもりだったよ」
声の調子は厳しいが、獅凰は満面の笑みを浮かべている。清虎を三倍くらい手強くした感じだなぁと、陸は首をすくめた。
「え。ホンマに? ホンマに陸、うちの劇団員になったん? 今勤めてる会社はどないすんねん」
「もう辞表は出してあるよ。引継ぎがあるから、あと半月は通うけど。深澤さんに『今からでも遅くない』って言って貰えて、決心したんだ。清虎について行くって打ち明けた時は驚いてたけどね」
清虎はポカンとしていたが、徐々に実感が沸いてきたらしい。頬が紅潮し、目が潤んでいる。
「い、家の人は? こんな不安定な暮らし、反対されたんとちゃう」
「ううん。大衆演劇の裏方をしたいって言ったら、すんなり『いってらっしゃい』って。特に兄ちゃんは、やりたいこと見つけられて良かったって応援してくれた。まぁ、ちょっと寂しそうではあったけど」
はにかむ陸を見ながら、清虎が自分の頬を思い切りパチンと叩いた。驚いた陸が、慌てて清虎の頬をさする。
「ちょっと清虎。役者の顔に何してんの」
「だって、夢かも知れんやんか」
「夢じゃないよ。ほら」
陸にぎゅっと腕をつねられて、「痛ッ!」と清虎が声を上げた。
「ホンマや、めっちゃ痛い。夢やないねんな。ちょっと嬉し過ぎて、どないしよ」
「お前達、遊んでないでさっさと運べよ」
呆れ顔の獅凰が、声を掛けながら階段を上って行った。
良く晴れた空の下を、二人は劇場に向かって歩いていた。
「本当に忘れ物はない?」
スーツケースを転がす清虎に向かって、陸は最終確認をする。
「大丈夫やで。そもそも忘れるほど荷物もないしな」
清虎の口数が少なく機嫌が悪そうに見えるのは、寝起きだからか、それとも別れが寂しいからか。あるいは、両方かもしれないなぁと、陸は清虎の横顔を眺めた。
「鷹雄さん、おはようございます」
劇場の裏手で清虎の祖父の姿を見つけ、陸は頭を下げる。
「ああ、二人ともおはようさん。なんだ清虎、仏頂面して」
「別に。いっつもこんな顔やろ」
清虎は素っ気なく答え、階段の下にスーツケースを置いた。
「トラックはもう来んの?」
「ああ、八時には到着する予定だよ。しかし、あれだねぇ。こうしてると前回の時を思い出すね。あん時ァ清虎が泣いて泣いて大変だった。移動中ずっと泣き続けたもんだから目が腫れちまってさァ。舞台に穴開けたのは、後にも先にもあの日だけだったな」
「前回?」
陸が驚いて問い返す。それはつまり、運動会の日のことだろうか。
「じぃちゃん余計なこと言うなや。陸、聞かんでええで」
顔を真っ赤にさせた清虎が陸の耳を塞いだ。鷹雄は「ハイハイ」と清虎の文句を聞き流し、劇場の中に消えていく。
「そんなことがあったんだ。……ごめん」
「もうええねん。いつの話しとんねんな。今回はちゃんと陸に見送って貰えるんやから、全然平気やで。二度と会えんわけでもないしな。ほら、さっさと上から荷物降ろしてまお。手伝ってや」
清虎が外階段に足を掛けたところで「あれぇ?」と上から茶々を入れるような声がした。見上げると、清虎によく似た男性が段ボールを抱えて笑っている。
「その感じだと、まだ清虎は知らなそうだね」
「なんやねん、兄貴まで。俺が何を知らん言うねんな」
憤慨する清虎の後ろから、陸がぺこりと頭を下げた。
「獅凰さん、おはようございます」
「うん。おはよう、新人さん」
「新人? 誰が」
清虎がキョトンとしている姿を可笑しそうに見ながら、獅凰が階段を降りてくる。
「お前の後ろにいる、その子だよ。今日からウチの団員だ」
清虎は驚き過ぎて声が出ないようだった。目を大きく見開いて、陸の顔をまじまじと見つめる。
「ご、ごめん。本当はもっと早く言いたかったんだけど、座長さんに口止めされてて」
「親父に? 何でまた。兄貴、どういうこっちゃ」
理解が追い付かず、苛立ったように清虎が獅凰を睨んだ。
獅凰はそれを無視して重たそうな段ボールを地面に置き、「秘密を守れて良い子だねぇ」と陸の頭を撫でる。清虎が舌打ちしながらその手を払った。
「気安く触んなや」
「お前、この子と役者を天秤にかけただろう」
突然、獅凰に鋭い視線を向けられて、清虎が息を呑んだ。
「お前の変化に気づいてないとでも思ってた? お前がどんな答えを出すのか興味があってね。この子が劇団に入るって先に知っちまったら、お前は葛藤しないだろう。だから黙ってて貰ったんだ。もし役者を捨ててこの子を選んだら、お前も一緒にここに置いてくつもりだったよ」
声の調子は厳しいが、獅凰は満面の笑みを浮かべている。清虎を三倍くらい手強くした感じだなぁと、陸は首をすくめた。
「え。ホンマに? ホンマに陸、うちの劇団員になったん? 今勤めてる会社はどないすんねん」
「もう辞表は出してあるよ。引継ぎがあるから、あと半月は通うけど。深澤さんに『今からでも遅くない』って言って貰えて、決心したんだ。清虎について行くって打ち明けた時は驚いてたけどね」
清虎はポカンとしていたが、徐々に実感が沸いてきたらしい。頬が紅潮し、目が潤んでいる。
「い、家の人は? こんな不安定な暮らし、反対されたんとちゃう」
「ううん。大衆演劇の裏方をしたいって言ったら、すんなり『いってらっしゃい』って。特に兄ちゃんは、やりたいこと見つけられて良かったって応援してくれた。まぁ、ちょっと寂しそうではあったけど」
はにかむ陸を見ながら、清虎が自分の頬を思い切りパチンと叩いた。驚いた陸が、慌てて清虎の頬をさする。
「ちょっと清虎。役者の顔に何してんの」
「だって、夢かも知れんやんか」
「夢じゃないよ。ほら」
陸にぎゅっと腕をつねられて、「痛ッ!」と清虎が声を上げた。
「ホンマや、めっちゃ痛い。夢やないねんな。ちょっと嬉し過ぎて、どないしよ」
「お前達、遊んでないでさっさと運べよ」
呆れ顔の獅凰が、声を掛けながら階段を上って行った。
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