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◆第二幕 月に叢雲、花に風◆
穏やかな独裁者①
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「陸!」
翌日、塾に着くなり、待ち構えていたように哲治に声を掛けられた。昨日の電話が頭をかすめ、少しだけ体が強張る。
「陸、テストの勉強ちゃんとした? あ、また寝癖ついたままだよ」
笑顔の哲治を見て「機嫌が良さそうだ」と、ホッとしている自分に気が付いた。いつから哲治の顔色を伺うようになってしまったのだろう。
「宿題で手いっぱいで、テスト勉強まで出来なかった」
「そっか。昨日は成海にぃの手伝いもしてたみたいだしね。新作はどうだった?」
「新作?」
試すような哲治の目を見てハッとする。昨日「新作の試食」と嘘を吐いたことを思い出し、慌てて取り繕った。
「ああ、うん。まだ内緒。完成したら、哲治も食べにおいでよ」
「そう。じゃあ、楽しみにしておく」
いつもと変わらない他愛のない会話のはずなのに、何もかも見透かされているような気がして目を逸らしたくなる。
「陸くん、哲治、おはよー。なんか模擬テスト多くて嫌になるね。いよいよ受験生ってカンジ」
「あ。遠藤さん、おはよ。うん、テスト多くて嫌だよね」
哲治の背後から現れた遠藤の明るい声に、張り詰めた空気が緩むのを感じた。塾まで一緒でたまにうんざりすることもあったが、こんな時は救われる。
「いよいよ来週は運動会だね。清虎くん、次はいつ来れるんだろう。二人とも聞いてない? 本番の前に、もう一回応援練習したいなぁ」
さぁ。と興味無さそうに哲治はそっぽを向いたが、陸は清虎との別れ際に聞いた言葉を思い出す。
「清虎、水曜日には学校来るって言ってたよ」
「水曜日来れるんだ、良かったぁ。陸くんありがと。じゃ、またね。テスト頑張ろうね!」
必要な情報を得られて満足したのか、遠藤はまた別の友人の元へ移動して行った。陸は離れていく遠藤から視線を戻し、哲治を見上げてギクリとする。目には明らかに不満の色が滲んでいた。
「陸、それいつ聞いたの」
「昨日、一緒に帰った時だよ。何で?」
「だって、清虎ダッシュで帰ったじゃん。だから俺も安心してすぐ家に入ったのに。そんな会話出来る時間あった?」
「あったよ、劇場裏で清虎見送ったし。その時に、『水曜も学校に行ける』って聞いたんだけど」
話しながら、だんだん怒りがこみ上げてくる。なぜ自分が責められているのかわからない。友達と一緒に帰って「じゃあまたね」と会話したどこに、咎められなければいけない要素があるのだろう。
ふつふつ沸き上がる反発心を抑えるために、陸は唇を噛む。そんな陸にはお構いなしで、哲治は更に追い打ちをかけた。
「陸、清虎に執着し過ぎだぞ。いなくなる奴にあんま深入りすんなって。仲良くしたって無駄だろ、友達になんてなれっこない。どうせすぐに忘れるんだから」
陸は信じられない気持ちで哲治を見上げる。耳から直接ドロッとした汚水を流し込まれたような、この上ない嫌悪感に襲われた。今すぐ全て洗い流してなかったことにしたい。
「……酷い。俺は清虎と友達になりたいって真剣に思ってるよ。すぐに忘れたりなんかしない。哲治は違ったの? じゃあ、なんで清虎を応援団長に推薦したんだよ」
「それは……」
「もういい」
言い淀んだ哲治を置き去りにして、陸は鞄を掴むと哲治から一番離れた席についた。頬杖をつき、何も書かれていないまっさらのホワイトボードを睨み続ける。腹が立って仕方なかった。
『いなくなる奴』
そんなの言われなくたって解っている。運動会の翌日にはもう、清虎はこの街からいなくなる。それはどうやっても変わらない未来。
そこまで考えて、思考をシャットアウトしたくなった。自分でも驚くほど大きな溜め息が出る。哲治の言葉に怒りを覚えたのも事実だが、それ以上に傷ついている自分がいた。
清虎に、どこにも行ってほしくないと願ってしまっている。深入りするなと言われても、もう手遅れなのだ。だからこそ、哲治の言葉のひとつひとつが許せなかった。
やがて試験監督が入室してきて問題用紙が配られる。
頭に血が上ったままの状態で、陸はテスト開始の合図を聞いた。
志望校を書き込む欄を見て、陸は一瞬動きを止める。少し考え込んだ後、いつもは書かない校名ばかりを記入した。それは「同じ高校へ行こう」と提案した哲治への最上級の反抗になるだろう。
幼稚園に入る前からずっと一緒にいたのに、初めて見た残忍な部分。「仲良くしたって無駄」と言い捨てた哲治の、冷たい表情を思い出す。ここ最近の言動も含めて、まるで知らない人のように思える瞬間が幾度かあった。
今まで何の疑問も持たず哲治の言う通りに過ごしてきたが、本当にそれで良いのだろうか。思考停止は楽だが、危ういような気がしてくる。
翌日、塾に着くなり、待ち構えていたように哲治に声を掛けられた。昨日の電話が頭をかすめ、少しだけ体が強張る。
「陸、テストの勉強ちゃんとした? あ、また寝癖ついたままだよ」
笑顔の哲治を見て「機嫌が良さそうだ」と、ホッとしている自分に気が付いた。いつから哲治の顔色を伺うようになってしまったのだろう。
「宿題で手いっぱいで、テスト勉強まで出来なかった」
「そっか。昨日は成海にぃの手伝いもしてたみたいだしね。新作はどうだった?」
「新作?」
試すような哲治の目を見てハッとする。昨日「新作の試食」と嘘を吐いたことを思い出し、慌てて取り繕った。
「ああ、うん。まだ内緒。完成したら、哲治も食べにおいでよ」
「そう。じゃあ、楽しみにしておく」
いつもと変わらない他愛のない会話のはずなのに、何もかも見透かされているような気がして目を逸らしたくなる。
「陸くん、哲治、おはよー。なんか模擬テスト多くて嫌になるね。いよいよ受験生ってカンジ」
「あ。遠藤さん、おはよ。うん、テスト多くて嫌だよね」
哲治の背後から現れた遠藤の明るい声に、張り詰めた空気が緩むのを感じた。塾まで一緒でたまにうんざりすることもあったが、こんな時は救われる。
「いよいよ来週は運動会だね。清虎くん、次はいつ来れるんだろう。二人とも聞いてない? 本番の前に、もう一回応援練習したいなぁ」
さぁ。と興味無さそうに哲治はそっぽを向いたが、陸は清虎との別れ際に聞いた言葉を思い出す。
「清虎、水曜日には学校来るって言ってたよ」
「水曜日来れるんだ、良かったぁ。陸くんありがと。じゃ、またね。テスト頑張ろうね!」
必要な情報を得られて満足したのか、遠藤はまた別の友人の元へ移動して行った。陸は離れていく遠藤から視線を戻し、哲治を見上げてギクリとする。目には明らかに不満の色が滲んでいた。
「陸、それいつ聞いたの」
「昨日、一緒に帰った時だよ。何で?」
「だって、清虎ダッシュで帰ったじゃん。だから俺も安心してすぐ家に入ったのに。そんな会話出来る時間あった?」
「あったよ、劇場裏で清虎見送ったし。その時に、『水曜も学校に行ける』って聞いたんだけど」
話しながら、だんだん怒りがこみ上げてくる。なぜ自分が責められているのかわからない。友達と一緒に帰って「じゃあまたね」と会話したどこに、咎められなければいけない要素があるのだろう。
ふつふつ沸き上がる反発心を抑えるために、陸は唇を噛む。そんな陸にはお構いなしで、哲治は更に追い打ちをかけた。
「陸、清虎に執着し過ぎだぞ。いなくなる奴にあんま深入りすんなって。仲良くしたって無駄だろ、友達になんてなれっこない。どうせすぐに忘れるんだから」
陸は信じられない気持ちで哲治を見上げる。耳から直接ドロッとした汚水を流し込まれたような、この上ない嫌悪感に襲われた。今すぐ全て洗い流してなかったことにしたい。
「……酷い。俺は清虎と友達になりたいって真剣に思ってるよ。すぐに忘れたりなんかしない。哲治は違ったの? じゃあ、なんで清虎を応援団長に推薦したんだよ」
「それは……」
「もういい」
言い淀んだ哲治を置き去りにして、陸は鞄を掴むと哲治から一番離れた席についた。頬杖をつき、何も書かれていないまっさらのホワイトボードを睨み続ける。腹が立って仕方なかった。
『いなくなる奴』
そんなの言われなくたって解っている。運動会の翌日にはもう、清虎はこの街からいなくなる。それはどうやっても変わらない未来。
そこまで考えて、思考をシャットアウトしたくなった。自分でも驚くほど大きな溜め息が出る。哲治の言葉に怒りを覚えたのも事実だが、それ以上に傷ついている自分がいた。
清虎に、どこにも行ってほしくないと願ってしまっている。深入りするなと言われても、もう手遅れなのだ。だからこそ、哲治の言葉のひとつひとつが許せなかった。
やがて試験監督が入室してきて問題用紙が配られる。
頭に血が上ったままの状態で、陸はテスト開始の合図を聞いた。
志望校を書き込む欄を見て、陸は一瞬動きを止める。少し考え込んだ後、いつもは書かない校名ばかりを記入した。それは「同じ高校へ行こう」と提案した哲治への最上級の反抗になるだろう。
幼稚園に入る前からずっと一緒にいたのに、初めて見た残忍な部分。「仲良くしたって無駄」と言い捨てた哲治の、冷たい表情を思い出す。ここ最近の言動も含めて、まるで知らない人のように思える瞬間が幾度かあった。
今まで何の疑問も持たず哲治の言う通りに過ごしてきたが、本当にそれで良いのだろうか。思考停止は楽だが、危ういような気がしてくる。
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