脳内殺人

ふくまめ

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陰れ、太陽②

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壁は早々に立ちはだかった。

「本当に、申し訳ないです!」
「いいって。大丈夫だよ、中村。」
「そうよ、中村君。早く行ってあげなさい。」
「はい、ありがとうございます!」

デジタル時計は10:36を表示している。中村は上着とカバンを抱えてオフィスを出ていった。

「心配ねー。娘ちゃん、熱繰り返すわねぇ。」
「病院の受付、間に合うかしら?」

中村のご息女は、最近頻繁に熱が出ているようだ。その対応のため、必然的に中村も早退が増えていた。

「大変だとは思うけどさ…。奥さんもいるだろ?中村が帰ってどうにかなるのか?」
「安田さん!まーそんなんだから奥さんに怒られるんですよ!」
「ぐあぁぁ!」
「そうですねぇ…。確かに純粋に看病するだけだったら二人じゃなくてもいい部分はあるかもしれないけど、生活ってそれだけじゃないじゃないですか。看病している間、食事の準備に掃除洗濯。なーにも手につきませんよ。こんな小さい子なら特に。何より、自分一人で対応しなきゃならないってかなり不安です。誰かが一緒に頑張ってくれるって思うだけで、全然違うものです。」
「そ、そう…?」
「そうです!高橋さん、旦那さんはこんな風にならないように、最初が肝心よ!」
「はい!絶対安田さんみたいな対応しないように、ちゃんと伝えます!」
「俺はそんなにまずいの…?」

そりゃそうだろ。

「早く良くなるといいわねー。」

ねー、と顔を見合わせている女性陣を尻目に、私はひたすらにパソコンを叩く作業を続ける。中村が抱えていた分の仕事は、独り身で何の予定もない私に振り分けられているのだから。



「先日はありがとうございました、早上がりさせてもらって…!」
「いいのいいの!娘ちゃん大丈夫だった?奥さんは?」
「娘の熱は順調に下がって、妻も安心していました。むしろ、職場の方に迷惑かかってないかって。」
「何も心配しなくていいのよ!」
「そうですよ!子供のことは、母親とか父親とか、そんなこと関係なく関わっていく時代ですから!家庭より優先する仕事なんてありませんよ!」
「うーん、でも多少は気にしてほしいぞー中村ー。」
「安田さんはそんなだから奥さんに…。」
「はぁぁぁ…!」

このくだりもう何回目だ。
幸いにもご息女の熱は快方に向かい、中村も職場へと出勤することができるようになった。奥様がいるとはいえ、初めての子育て。出産後の体で何でもかんでもできるわけではないだろうし、まだまだ中村が家庭での主力選手として家事をこなす日々が続くはず。…すべては聞き及んだ話なので、私の想像が及ばない部分が多いとは思うが、『男は外に働きに出て、女は家庭を支える』みたいな固定観念はすでに古い、どころの話ではないのだろうな。

「…それで、ご相談があるのですが。」
「え?何、どうかしたのか?」
「実は、時短勤務ができないかと思っていまして。」
「…ん?」

時短勤務、とな?

「今まで考えたことなかったんですけど、俺今しかない家族との時間を大事にしたいなって。体調崩した時だけじゃなく、いつでも家族のそばにいてあげたいなって思ったんです。」
「あぁ、うん…大事だよな、うん。」
「はい!今後のことも考えると、子供を保育園に預けて妻も職場復帰して…そうなると送り迎えも出てくるわけじゃないですか。共働きなんだったらそこも参加していきたいし、ゆくゆくは学校の授業参観とかPTAとかも…。」
「ちょ、ちょちょちょっと待ってくれるか?…うーんそこまでになると、そのーもっと上の判断が必要になるかなー、なんて…。」
「あ、そうですよね。お話通してみてもらっていいですか?」
「あ、うん…。」

妙な空気がオフィスに漂っていた。
家族思いな中村は、働き方改革も辞さない考えのようだ。素晴らしい。
ただそれは、一歩間違えれば私たちを危機に追いやりかねないことを理解しているのだろうか。
私はすでに、嫌な予感がしていた。
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