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3章 ひとつ目の狐
2.
しおりを挟む「「あ!」」
藍玉の側仕えの従者二人、玉と宗は、同時に声をあげて香に火をつける手を止めた。
鏡に映したようにそっくりな双子は、大きな瞳で互いをじっと見つめあった。
「感じましたね、宗。いま、あの方が動きました」
「感じたね、玉。あの方が、誰かを喰ったんだ」
しばらく双子は、じっと耳を澄ませる。けれどもしばらくして、再び主人の寝床を整える作業に戻った。
「まあ、起きてしまったことは仕方がないですね」
「そうだね。死んだ人間はどうにもできないし、そもそも人間の生き死になんて僕たちにはどうでもいいものね」
「言い過ぎですよ」
「「姫さま!」」
室内から響いた第三者の声に、双子の従者は立ち上がって礼の姿勢を取る。それを鏡越しに薄水色の瞳で見遣ってから、藍玉は絹のように美しい黒髪を櫛でとかすのに戻った。
「人間は私たちと違い、ほとんどが呪いや怨霊に無力なのです。なすすべもなく異形に喰われる恐怖を、少しは慮ってやってもいいと思いますよ」
「ごめんなさい、姫さま」
「人間にも、たまにはいい奴もいますしね。たとえば、姫さまの旦那さまとか」
藍玉の手が再びぴたりと止まる。それに気づくことはなく、幼い従者二人は嬉しそうに目配せしあった。
「そうですね、宗。たしかにあの人間は、ちょっとは見どころがありますよね」
「だよね、玉。人間の王なんて、どうせしょうもない奴だと思ってたけど、あの人間はちょっとだけ好きになれそうだよね」
「さすが、姫さまの旦那さまです」
「さすが、姫さまが選んだ旦那さまだね」
「それは違います」
ことりと櫛を置いて、藍玉は椅子に座ったまま振り返る。蝋燭の灯りが白い肌を淡く照らし、神秘的な美しさを彼女に与える。純粋無垢な二人の視線を受け止めて、藍玉はきっぱりと首を振った。
「私と旦那さまはあくまで契約上の夫婦です。旦那さまは香家の娘を無碍にできず、私は安陽に留まる理由が必要だった。たまたま互いの利益が一致し、関係を続けているだけです。私が選ばれたのでも、選んだのでもありません」
「ですが姫さまは、あの人間を気に入ってますよね?」
「だけど姫さまは、あの人間を好んでますよね?」
「私が?」
二人に同時に問われ、藍玉はぱちくりと瞬きした。――しかし、しばらく考えたのち、藍玉は確かに思い当たる節があることに気づく。
(あの時、私はなぜ、旦那さまにあんなことを……)
“私の探し人は、とうの昔に死んでいるのですよ”
薄水色の澄んだ瞳を伏せ、藍玉は無意識に己の唇に触れた。
それを聞いたとき、若き皇帝の秀麗な顔が戸惑いに染まったのを思い出す。けれども彼以上に、藍玉は驚いていた。
彼は仮初の夫で、この先、彼と関係を深めるつもりはさらさらない。なのに自分は、何を正直にこんなことまで口走っているのだろう、と。
ああ、けれども。あの時――昼下がりの柔らかな光の中、誠実に、不器用に。自分に刻むように大切に言葉を紡いでいた紅焔を見た時に、彼にならば、少しだけ自分を知られても良いのではないかと思ったのだ。
むしろ、話してしまいたいという衝動にすら駆られた。自分が少しづつ彼を知っていくように、彼にも自分を――
(……などと。私も、愚かですね)
胸に芽吹いた淡い気持ちに蓋をするように、藍玉はそっと瞼を瞑る。次に目を開いた時、彼女の瞳は、いつものように喜びも悲しみもない平坦な光を宿していた。
「これ以上、あの方に深入りするつもりはありません」
静かな湖面のような藍玉の視線は、自ずと右手薬指の指輪へと吸い寄せられる。もう随分と長い付き合いとなる明るい翠色の宝石を指の先で撫でつつ、藍玉は重くその言葉を吐き出した。
「人間の王など、信じるだけ無駄なのですから」
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