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2章 霊憑きの髪飾り
3.
しおりを挟む紅焔が妃を迎えたのは、もうひと月も前だ。その間、紅焔が春陽宮に泊まったのは最初の一夜だけ。そのあと、紅焔が奇病に倒れた中で何度か顔を合わせる機会もあったようだが、それだけだ。
(焔翔様の供養塚に二人で行ってきたって聞いたときは、もしかしたら、もしかするかもと思ったんだけど……。やっぱり、コウ様に奥さんは早かったのかな)
ちぇーと内心で唇を尖らせつつ、永倫は胡伯にひらひらと手を振る。
「せっかくの品ですが、生憎です。我が王は妃様への贈り物を求めてなく。今後、必要となる日があれば、こちらからお声がけしますので……って、ええええええ!? めっちゃ見てる!?」
同意を求めるために振り返った永倫は、ギンギンに目を見開き、妃への贈り物候補の品々を一心不乱に検分する紅焔を目にし、素っ頓狂な悲鳴をあげた。
さらに驚くことに、紅焔はいつの間にか玉座を抜け出し、装飾具たちを乗せる台座の近くに移動している。近衛武官としてひとの気配には敏い永倫ですら、紅焔の素早い移動には気づかなかった。
驚く永倫を放置したまま、紅焔はトルコ石の首飾りを手に、難しい顔で呟く。
「こういうのは、彼女の趣味に合うか……? いや。香家の出のくせに、春陽宮はそう華美に飾り付けていなかった。とすると、むしろこっちか……?」
「いやいやいや、すごく見るじゃん!? 自分の買い物より、全然興味津々じゃん!!」
我慢できなくなった永倫が、うっかり素の顔に戻って叫ぶ。その永倫に、侍従長が嬉しそうにコソコソと近づいた。
「それは、まあ。これがあの、お妃様へのお贈り物ですから」
「え、なに? あの二人って、最後に会ってから二十日以上たってるよね。どうして、そんな進んだ仲になってんの?」
「直接顔を合わせる時間だけが、愛を育むのではございませんよ。現に、ここ最近の陛下は朝夜とお寛ぎの時間に物思いにふけられることが増えまして。そういう時の陛下の瞼の裏には、お妃様のお姿がきっと……」
「へえええー!」
「待て待て、待て。本人抜きに、勝手に盛り上がるな。そんなんじゃないから」
こそこそと恋バナ――しかも他人の――で盛り上がる二人の家臣に、紅焔は目を吊り上げる。侍従長め。最近、妙に生暖かい目を向けてくるとは思っていたが、まさかそんな勘違いをしていたなんて。
紅焔は溜息と吐くが、永倫が不服そうに食い下がる。
「そんなんじゃないって、じゃあ、どんなんなわけ?」
「は?」
「コウ様って、休憩のときだって意味もなくボケっとするタイプじゃないじゃん。侍従長が気になるくらいぼんやりして、コウ様は誰のことを考えていたわけ?」
「そ、それは……」
思いのほか鋭いところを突かれ、真面目な紅焔はつい視線を泳がせてしまった。
――実のところ、このところ藍玉のことを考えていたというのは図星だ。だが、その理由は、永倫や侍従長が期待するようなものでは決してない。
何か答えるまでは決して満足しなそうな永倫を前に、紅焔はそろりと首の後ろを撫でながら、仕方なく口を開いた。
「……訳あって、藍玉に何を贈るか悩んでいたんだ」
「へええええ?」
「陛下が、お妃様に、贈り物を?」
「訳あってだ、訳あって! お前たちが想像するような理由じゃないぞ」
途端に色めき立つ永倫と侍従長に、紅焔はしかめ面をする。
藍玉が不思議な術を用いて自分を救ってくれたことを、目の前の二人を含めて、紅焔は誰にも話していない。自分が倒れたのは病いのためということになっているし、藍玉が永倫に父を呼ばせたのも、あくまで紅焔の状態が良くなかったからと説明してある。
(藍玉が、なぜあんな術を身に着けたのかはわからないままだし……。あの術は、実際に目にしてみないと、なかなか信じがたいものだしな)
占術の類と無縁なはずの香家の娘に、なぜ悪霊を祓う力があるのか。なぜ彼女は、その力を一族にも隠してきたのか。――彼女は一体、この都で何を成そうとしているのか。
あの天女のように美しい娘には、秘密がたくさんある。彼女があの力で、都に害をなそうとしている可能性もゼロではない。だが同時に、彼女は恩人だ。皇帝として藍玉を見極める必要はあるが、そのせいで必要以上に彼女に嫌疑がかけられてしまうのは、紅焔の本意ではない。
(多くを語るべきは、今ではないな)
短く嘆息をしてから、紅焔は深く艶のある紅色の瞳をふたりの家臣に向けた。
「つまり、だ。詳細は省くが、私は彼女に恩義がある。ゆえに、その対価に何を贈るかを悩んでいるのであって……って、おい。話を聞け。その生暖かい目をやめろ。おい!」
「微笑ましいですよねえ、侍従長さん。陛下ってば、恥ずかしがっちゃって」
「ええ、ええ。あの陛下がひとりの女性に心を向ける日がくるなんて、私、泣けてしまいそうで……」
「だから違うと言っている!」
紅焔がどんなに必死に否定しても、二人はまるで五歳児に向けるような目をするばかりだ。……というか、なんだ、五歳児に向けるような目って。大国の皇帝相手に、二人とも不敬すぎやしないだろうか。
びきりとこめかみを引き攣らせ、紅焔はトルコ石の髪飾りを台座に戻そうとする。けれどもその前に、それまで成り行きを見守っていたやり手の商人が、「商機はここだ!」とでも言わんばかりのにんまりとした笑みを張り付けて、ずいと顔を覗き込んできた。
「さて、さて、陛下! そのお話、ぜひ私にお手伝いをさせていただきたく!」
「手伝い、だと?」
「ええ、そう! この胡伯、あなた様のためならば火の中、水の中、たとえ地の果てまでだって駆けずり回り、お妃様にふさわしき品を探してまいりましょう。此度お持ちしました品がお気に召さねば、ぜひお聞かせください。一体、お妃様様は、どのようなモノを好まれるのでしょう!」
「藍玉が好むもの……?」
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