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54.終わりよければ、でして。
しおりを挟む「いつから見てたの!?」
「ちょっと前……いや、たった今からだよ!!」
真っ赤になって取り乱すフィアナと、同じく赤面して目を逸らすマルス。
来たばかり。それならいいだろうか。一瞬そう考えたが、ちっとも良くない。さっきだろうが今だろうが、いちゃいちゃしてるのはバッチリ見られてしまっている。
幼馴染二人が互いに慌てる中、エリアスだけは平常運転で唇を尖らせる。
「駄目ですよ、マルスくん。フィアナさんの可愛いキス顔を堪能していいのは私だけです。横から盗み見るなど言語道断ですよ」
「あんたは(エリアスさんは)ちょっとは恥じらえ!」
フィアナとマルスは、息ぴったりに同時に突っ込みを入れた。
「みんなには俺から簡単に事情を話しといたから。けど、おっさんからも説明しろよ」
「痛み入ります」
店に戻る傍、マルスがふんと鼻を鳴らしてそんなことを言う。さも当たり前のように繰り広げられる二人のやりとりに、フィアナは首を傾げた。
「マルスはエリアスさんの記憶が戻ってること知ってたの?」
「まあな。って、睨むなって! 俺が聞いたのもつい最近だよ!」
むすりと顔をしかめたフィアナを見て、途端にマルスが慌てる。しかし、最近というのが昨日だろうが今朝だろうが、フィアナより先にマルスが知らされていたのなら同じである。
「ふーん。私には言ってくれなくても、マルスにはいうんですね」
じとりとフィアナがエリアスに視線を移せば、エリアスはあからさまにびくりと肩を震わせて小さくなる。そんな彼を見かねたのであろう。やれやれと顔をしかめたマルスは、珍しくエリアスの肩を持った。
「お前のためだよ、フィアナ。おっさんはいざというときお前を守らせたくて、俺にネタばらしをしたんだ」
「いざというとき?」
じぃっとフィアナは、エリアスは強く見つめる。エリアスは観念したようにちらりとマルスを見てから、口を開いた。
「先ほどもお話しした通り、私とフィアナさんの溝を深めるため、アリスさんは再びメディックの男たちに店を襲わせる可能性がありました。その時、記憶喪失である私が、フィアナさんの傍に必ずいられるとも限らなかった。
ですので保険として、マルス君にはすべてをお話ししたんです。マルス君ならフィアナさんの近くにいても不自然ではありませんし、必ず貴女を守ってくれる。そう信頼できる方ですから」
エリアスは警備隊を使い、アリスやメディックを監視する。彼らに不穏な動きがあれば密かにマルスに連絡を取り、フィアナに危険がないよう、マルスが店で待ち構える。そんな手筈になっていたそうだ。実際、今夜アリスたちに動きがあることも、日中のうちにマルスに知らせていたらしい。
そこまで話したところで、エリアスは不意に苦笑した。
「とまあ、メインの理由は以上ですが。……もう一つ、私自身が限界だったんです。マルス君なら秘密を守ってくれるでしょうし、私が血迷ってフィアナさんに全てをぶちまけようとしたら、きっと止めてくれる。そんな期待もしてました」
「ったく。人をうまく使いやがって。手帳を渡してきた時点で、そんなとこだろうと思ったよ」
やれやれと肩を竦めるマルスの隣で、フィアナは口をへの字にした。つまり、ここにいる三人の中で、フィアナのひとりだけが蚊帳の外ではないか。
むすりと頬を膨らませるフィアナを、エリアスがおろおろと覗き込んだ。
「あの、フィアナさん? 怒ってます?? 私また、何かやらかしました?」
「やらかしてますよ。おおやらかしです」
ふんと鼻を鳴らし、フィアナはエリアスを睨んだ。
「私を守ろうとした。その気持ちは嬉しいです。けど、次からはひとりで抱え込むの禁止です。ふたりの問題は、ふたりで解決しましょう」
フィアナの指摘が意外だったのだろう。エリアスがぽかんと口を開けて、まじまじとフィアナを見る。そんな顔すらも憎らしいほど美しく、ますますフィアナは顔をしかめる。
――そうだ。エリアスは、自分の事情にフィアナたちを巻き込んでしまったなどと話していたが、その認識自体が大間違い。悪いのはすべてアリスである。
それなのにひとりで全てをしょい込んで、記憶が戻らないなど嘘までついて。大事に大事にフィアナを問題から遠ざけておきながら、マルスにはうっかり打ち明けてしまうほど弱り切って傷ついたりして。
そんな自己犠牲、ちっとも望んでいない。
「信じて、一緒に飛び込んで欲しい。エリアスさんがそう言ってくれたから、今の私たちがあるんです。おんなじセリフを、そっくりそのままお返ししますよ」
まっすぐそう告げると、エリアスの切れ長の目が大きく見開かれた。
――頼ってくれ、とは言えない。エリアスの方が伝手もあるし、能もある。街の酒場の娘に、出来ることなど限られている。
けれども支えあうことなら。共に背負い、前を目指すことなら。
「……まあ。エリアスさんから見たら、私なんて頼りないの極みでしょうけど」
「それは違います。私の天使さま」
ぷいとそっぽを向いたフィアナの手を、エリアスが包み込む。彼は、そこにフィアナがいるのを確かめるように指を絡めると、そっと唇を添えた。
「貴女は私の太陽です。貴女がいないと私は、凍り付き、息をすることすらままなりません。そのことを、私は深く思い知りました。……約束します、フィアナさん。二度と貴女を遠ざけません。どんなときも共に歩むと、今度こそ貴女に誓います」
穏やかなアイスブルーの瞳が、まっすぐにフィアナを見下ろす。家の灯りがきらきらと反射する瞳はまるで小さな夜空のようで、はっとするほど美しい。
「貴女が今、ここにいる。それだけで、世界に色が咲くんです」
魔法にかけられたように動けずにいるフィアナに、エリアスが呟き、身を屈めた――。
だが、しかし。
「おい。俺、いるんだけど」
「みぎゃっ!」
咳払いと共に、不機嫌そうにマルスが一言。我に返ったフィアナは慌ててエリアスから離れようと、それよりも早く、素早くエリアスがフィアナを長い腕に閉じ込める。そうやって拘束しておきながら、エリアスは不服そうに唇を尖らせた。
「一か月振りのふれあいなんです。彼女のいないマルス君が嫉妬するのも無理ありませんが、大目に見てくれてもいいじゃありませんか」
「……いうじゃねえか。なんなら、もっかい記憶なくさせてやろうか?」
「遠慮します。悪しからず」
ばちばちと、なぜか二人の視線がぶつかり合う。フィアナが戸惑いつつ静観していると、ふいに何かを思い出したようにエリアスがぽんと手を打った。
「そうです、手帳! 預かっていただきありがとうございました。マルス君、今日持っていますか? フィアナさん誕生日プランのリベンジのため、お持ちであれば受け取りたいのですが」
――その時、マルスは夜闇に紛れて、ニヤリと笑った。それには気づかず、フィアナはいそいそとスカートのポケットから手帳を取り出し、エリアスに差し出す。
「どうぞ、エリアスさん。手帳って、これのことですよね?」
「……あ、れ?」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔。まさしくそんな表情を、エリアスは麗しく整った顔いっぱいに浮かべていた。
何やら不穏な流れにフィアナがぱちくりと瞬きをするなか、エリアスはふるふると肩を震わせながら、知らんぷりを決め込むマルスに恐る恐る尋ねた。
「あの、マルスくん……? なぜ、フィアナさんが私の手帳をお持ちで……?」
「ああ。それな。さっきフィアナに預けた」
「預けた!?!?」
悲鳴のような声をあげて、ぐりんとエリアスが勢いよくフィアナを向く。彼はさっきよりも激しく、かたかたと震えながら、真っ青な顔でフィアナの手を両手で掴んだ。
「ふぃ、フィアナさん、これは持っていただけですよね……? まさか中身なんて、見ちゃったりしてないですよね……?」
「見たよな、フィアナ。ゆっくり、じっくりと」
フィアナが答えるより先に、なんてことのないような口ぶりでマルスが言う。
すると、夜の闇のなかでもはっきりとわかってしまうくらい、エリアスの白い肌がみるみる羞恥に染まっていく。耳まで真っ赤になった彼は、見たこともないほど取り乱してマルスに詰め寄った。
「マルスくん!! これはどういうことですか!?」
「何慌ててるんだよ。俺には中身を見ても構わないって言っただろ?」
「マルスくんは、です! フィアナさんに見られてしまうなんて……! ああ、もう! 恥ずかしくて死ねる!! 墓はどこですか!?」
両手で顔を隠して悶えるエリアスを、フィアナは呆気に取られて眺めた。どうにも羞恥心に欠けた彼であるが、愛情たっぷりの作戦ノートを本人にじっくり読まれることは、さすがの彼も耐えられなかったらしい。
(いつももっと、こっぱずかしいことたくさんしているくせに)
悪いと思いつつ、フィアナはくすりと笑った。これまでになく慌てる彼を見ていたら、ここ一か月分の溜飲が下がる心地がするから不思議だ。
なにより、また、こんな騒がしい日々が戻ってきた。そのことが嬉しく、幸福感に包まれてフィアナはエリアスの服の裾を摘まんだ。
「エリアスさん、エリアスさん」
「……なんですか?」
指の隙間からちらりとフィアナを見下ろし、消え入りそうな声でエリアスが答える。そんな彼に、フィアナは小悪魔のように微笑んだ。
「エリアスさんが帰ってきて、今日の私は、『世界で一番幸せ』です」
「~~~~っ」
ぐるぐると二重丸で囲まれて書かれていたフレーズをそらんじてみせれば、エリアスは声にならない悲鳴を上げる。ややあって彼は、天を仰いだまま呟いた。
「貴女が幸せなら、私も幸せですよ」
そのあとも、店に戻った三人を両親たちが出迎えてくれたり。ニースの作ってくれたアップルパイにクリームを添えて、即興でフィアナの誕生日会を開催してくれたりと色々あったのだが。
なんにせよ。終わり良ければ総て良し。そんな言葉の通り、ちょっぴりセンチメタルな誕生日は、溢れる笑顔で塗り替えられたのだった。
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