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2.宰相閣下は通いまして。(前半)
しおりを挟むメイス国が宰相、エリアス・ルーヴェルト。その名は、この国において天才の代名詞とまで言われている。
彼はシャルツ王の乳兄弟であり、まだ自身も幼い時分からシャルツに仕え、盛り立ててきた。それはシャルツが王になってからも変わらず、王国最年少で宰相の座に上り詰め、王の右腕として敏腕をふるっている。
そんなエリアス・ルーヴェルトには、一方で『氷の宰相』と裏では呼ばれている。冷たく心は凍え、決して情に流されない。彼の前に立つ者は、その美しくも冷えた眼差しに射抜かれただけで、怖れでその場に凍り付いてしまうとまで言われている――。
そんな宰相閣下の働きぶりを、いち庶民に過ぎないフィアナは当然見たことはない。けれども、そうも噂される彼が、春に満開咲く花のような笑みを浮かべて、しがない町の酒場のカウンターに陣取っているのは、もはや事件と言っても過言ではないだろう。
「フィアナさん!! よかった。今日もお店にいらしたのですね」
きらきらと無駄にイケメンオーラをまき散らして手を振るエリアスに、フィアナは内心舌打ちをする。いらしたも何も、ここは親の店であり、自分の家だ。
このままシカトをすれば、後が面倒くさい。仕方がなく、フィアナはつかつかとエリアスのカウンター越しの向かいに立つと、ドン!と新たなエールを置いてやった。
「どうもこんばんは。何しに来たんですか」
「ふふふ。それはもちろん、フィアナさんの顔が見たくて、こうしてお店に飛んできてしまいました。はい、どうぞ。今日の一輪です。オレンジの薔薇、可愛らしいでしょう?」
「あ、どうも、ありがとうございます……。じゃ、なくて! あなた忙しいんでしょ? こんなに毎日店に顔を出していて、大丈夫なんですか?」
「フィアナさん……っ! 日夜仕事に明け暮れている私を案じてくださるのですか……!?」
「いや、酒場ばかりに入り浸ってないで、仕事しろって言ったつもりですし、ここにいる時点で明け暮れてませんよね!?」
フィアナの声が聞こえているだろうに、エリアスは勝手に感激して瞳を潤ませている。こんなのがこの国の宰相だというのだから、世の中心配である。
冷めた顔で見守っていると、エリアスは「大丈夫ですよ」と笑った。
「貴女に早く会いたい。そう思ったら、以前よりも仕事が捗るようになってしまいまして。もう限界だなどと思っておりましたが、貴女に出会い、私の中にまだ眠っていた力が引き出されてしまったようです。やはりフィアナさんは、私の救いの女神さまですね」
にこっとほほ笑んだ顔に、不覚にも見惚れてしまう。
だが、注意をしてほしい。イケメンだからと気を許してしまいそうになるが、相手は宰相。それ以上に、出会って数分で「女神だ!」などと愛を囁きだす残念イケメンさんだ。うっかりほだされてしまうには、面倒くさい相手すぎる。
さて、この男、エリアスを拾ってしまってから早7日が経とうとしている。その間、なんと彼は毎日、贈り物である一輪の薔薇とともにグレダの酒場を訪れていた。
最初に来たのは、フィアナの家で目覚め、衝撃の愛の誓いを口にしたその日の夜。
いつも通り店を開け、常連が入って賑わい、最初の波が終わりかけたちょうどその頃。上から下までばっちりと『宰相』といういで立ちに固めたエリアスが、ばばんと正面扉から来襲したのである。
〝エリアス・ルーヴェルトと申します。昨夜、お嬢様にこの身を救っていただいた者です。その御礼といっては何ですが、お嬢様にはこちらを、ご家族の皆様にはこちらをお持ちさせていただきました〟
こちらが呆気に取られているうちに、フィアナには一輪の赤い薔薇を、両親には菓子折りを、特上の笑みを添えて差し出すエリアス。菓子に至っては、お貴族さまですら入手困難であるという王室御用達の店のものを提げてきたのだから、本気度が違う。
お礼ひとつするために、どんなエゲツない手を使ったのだろうこの男は。そんな風にドン引きするフィアナをよそに、両親は突如現れた菓子とイケメンに骨抜きにされてしまった。
あれよあれよとカウンター席へと通されたエリアスに、フィアナは詰め寄った。
〝何しに来たんですか!? ていうか、何ですかその恰好!?〟
〝もちろん御礼のご挨拶ですよ! そしてこれは仕事着です。公的立場を私生活に持ち込むことは好まないのですが、私が得体の知れない妙な男ではなく、本物の宰相エリアス・ルーヴェルトだと信頼していただくためには、一度この姿でお目にかかった方がよろしいかと思いまして〟
〝別に疑ってませんでしたし、むしろ宰相なんて立場のひとでも得体が知れないんだなって、そっちの信頼がガタ落ちしてるのですが〟
〝あぁ……っ。あの状況で、私の言葉を信じてくださるとは。私を信頼してくださったのは嬉しいですが、フィアナさんが怪しい輩に騙されてしまわないかが心配です……!〟
あんたが言うなというセリフをフィアナが間一髪で飲み込むことになったのは、あえて言うまでもないことであろう。
そんな、フィアナが知る限りいま最もこの町で怪しい男、エリアス・ルーヴェルト。何が困るって、彼は本当に、フィアナを目的にグレダの酒場に通っているらしい。
その証拠に、もはや定位置となりつつあるカウンターの左端の席に座り、エリアスはうっとりとした眼差しをフィアナに向け続けていた。
「フィアナさん……。今日の貴女も、なんとお可愛い……」
頬を染め、色気を漂わせながら、エリアスが呟く。男も女も関わりなく、ほかの客の目がエリアスに釘付けとなるなか、フィアナだけは心底呆れた様子で頬杖をついた。
「あのですね。昨日も同じ場所で、同じように私を見ていたじゃないですか。毎日、毎日、私の顔ばかり眺めていて飽きないんですか?」
「飽きるなど、とんでもない! 昨日のフィアナさんは、昨日のフィアナさん。今日のフィアナさんは、今日のフィアナさんです! 明日も明後日もその先も、毎日新しい貴女の表情を瞼の奥に刻み込んでいきたいのです!」
「意味が分からない上に、若干気持ち悪いです」
「フィアナさんが虫けらを見るような目で私を……! しかし! そんな、新しい表情も、いい……っ!!」
「本格的に気持ち悪いですからね!? ……あーもう、好きにしてください。なにか注文あったら呼んでくださいね」
フィアナはくるりと背中を向け、無情にもすたすたと歩き去る。フィアナさーん、と情けない声が後ろから追いかけてくるが、ここは頑なに無視を決め込むことにした。
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