8 / 11
束の間の平穏
しおりを挟む
破壊の限りを尽くされ、警察の介入まであった修羅場から拉致同然に攫(さら)われてきた篠崎の息子達は、真澄と娘達のいる家に馴染まなかった。
特に五歳の割に大柄な次男の弘和は、いきなり現れた『母』と、『姉・嘉子』にひどく反発して、三歳上の嘉子を徹底的にいじめた。
近所の女の子と遊んでいた嘉子に拳骨を食らわせて泣かせた弘和は、父親に殴られ、出て行けと言われると、振り向きもせずに出て行った。三日後に遠く離れた東海地方の駅で保護された息子は、その後も父親の拳を数多く受け、心を歪めていった。
東京オリンピックの翌月、一家は本郷町に土地を求め、広い家を建て移り住んだ。小学生の息子二人は大砂土小学校に通ったが、姉二人は従前どおり学区違いの北小、北中に通っていた。
姉の学用品に書かれた氏名の苗字が、石橋から及川に変わったが、一向に篠崎にならないことを不審に思った弘和が食卓で問うと、直ちに父親の鉄拳が振るわれた。
そんな家庭だったが、真澄は家族が融和できるように心を砕いた。弘和の心の捻じ曲がりは酷く、全てに否定的で破滅的だった。小学二年まで勉強もできず心配させられたが、三年生の担任教諭の指導で、成績が急伸し、心もおだやかになってきて、真澄を安心させた。
新居に移り住んでまもなく、篠崎はまた社長賞を得、副賞に年式落ちのライトバンを贈られた。これを短期間乗ってみたが、乗り心地が悪いので早々に転売したところ、篠崎の抜群な営業成績を妬んでいた者が、社長の取り巻きに注進した。金文字の社長贈が刻まれた車を売り払って、ライバルの高級車クラウンに乗る忠誠心の無い男だと。
本社営業課長だった篠崎は、間もなく熊谷営業所長に出された。そこでも好成績を上げたが、酒の席で上層部を批判すると、今度は秩父営業所所長に転じられた。
大宮の自宅から、毎日正丸峠を越して自動車で通勤する日々が続いた。体力に自信があったが、毎日五時間の運転はさすがに堪え、三ヶ月後に会社を辞めた。
すぐに就いた外車ディーラーでも、抜群の営業成績を挙げたが、ここでも妬みによる嫌がらせを受け、半年で辞表を出した。サラリーマンは出過ぎると打たれる。篠崎は戦後二十数年で培った人脈を活かした中古車ブローカーで一家を養うことになった。翌年には大手ディーラー中古車部門の優秀協力店として表彰されるほど順調だった。
キヨは相変わらず『リド』の経営者として振舞っていた。長火鉢にキセルを叩いて灰を落とす所作など、店が閉まるまで二階で待っている篠崎には遣り手婆そのものであった。
篠崎は毎日仕事を終えて夕食を済ませると、真澄を『リド』まで乗せ、閉店後にはホステスを近隣の自宅まで送り届ける。タクシー代を惜しむキヨの命であった。
アポロ十一号が月に降りた日、真澄の実母が亡くなった。実父は戦後の混乱期に既に死去している。
篠崎の息子たちと暮らし始めて間もない頃に、一家六人クラウンに揺られて里帰りして以来の、昭和十一年に故郷を離れて以後二度目の里帰りだった。
兄弟姉妹が勢揃いした葬儀では、真澄は特に丁重に扱われた。葬儀後、高校教員をしている長兄から、遺産について説明された。屋敷や田畑は父の死後に相続が済んでいる。申し訳無いが母の遺産は無い。だが苦労したお前には兄弟で援助したいと申し入れられた。
大宮を発つ際に、キヨから『リド』の冷暖房装置の更新資金を得てくるように言い含められているが、なかなか言い出せなかった。意を決し、店の改装資金を貸していただきたいと述べた。後日、兄弟で出し合った三百万円が真澄に送金された。全額を懐に入れたキヨに、これは借金である旨添えた真澄に対し、ここまで面倒見てやった恩は返せないのか、と返した。百万円弱は冷暖房機に投じられたが、残りはキヨの麻雀仲間に巻き上げられて消えた。
特に五歳の割に大柄な次男の弘和は、いきなり現れた『母』と、『姉・嘉子』にひどく反発して、三歳上の嘉子を徹底的にいじめた。
近所の女の子と遊んでいた嘉子に拳骨を食らわせて泣かせた弘和は、父親に殴られ、出て行けと言われると、振り向きもせずに出て行った。三日後に遠く離れた東海地方の駅で保護された息子は、その後も父親の拳を数多く受け、心を歪めていった。
東京オリンピックの翌月、一家は本郷町に土地を求め、広い家を建て移り住んだ。小学生の息子二人は大砂土小学校に通ったが、姉二人は従前どおり学区違いの北小、北中に通っていた。
姉の学用品に書かれた氏名の苗字が、石橋から及川に変わったが、一向に篠崎にならないことを不審に思った弘和が食卓で問うと、直ちに父親の鉄拳が振るわれた。
そんな家庭だったが、真澄は家族が融和できるように心を砕いた。弘和の心の捻じ曲がりは酷く、全てに否定的で破滅的だった。小学二年まで勉強もできず心配させられたが、三年生の担任教諭の指導で、成績が急伸し、心もおだやかになってきて、真澄を安心させた。
新居に移り住んでまもなく、篠崎はまた社長賞を得、副賞に年式落ちのライトバンを贈られた。これを短期間乗ってみたが、乗り心地が悪いので早々に転売したところ、篠崎の抜群な営業成績を妬んでいた者が、社長の取り巻きに注進した。金文字の社長贈が刻まれた車を売り払って、ライバルの高級車クラウンに乗る忠誠心の無い男だと。
本社営業課長だった篠崎は、間もなく熊谷営業所長に出された。そこでも好成績を上げたが、酒の席で上層部を批判すると、今度は秩父営業所所長に転じられた。
大宮の自宅から、毎日正丸峠を越して自動車で通勤する日々が続いた。体力に自信があったが、毎日五時間の運転はさすがに堪え、三ヶ月後に会社を辞めた。
すぐに就いた外車ディーラーでも、抜群の営業成績を挙げたが、ここでも妬みによる嫌がらせを受け、半年で辞表を出した。サラリーマンは出過ぎると打たれる。篠崎は戦後二十数年で培った人脈を活かした中古車ブローカーで一家を養うことになった。翌年には大手ディーラー中古車部門の優秀協力店として表彰されるほど順調だった。
キヨは相変わらず『リド』の経営者として振舞っていた。長火鉢にキセルを叩いて灰を落とす所作など、店が閉まるまで二階で待っている篠崎には遣り手婆そのものであった。
篠崎は毎日仕事を終えて夕食を済ませると、真澄を『リド』まで乗せ、閉店後にはホステスを近隣の自宅まで送り届ける。タクシー代を惜しむキヨの命であった。
アポロ十一号が月に降りた日、真澄の実母が亡くなった。実父は戦後の混乱期に既に死去している。
篠崎の息子たちと暮らし始めて間もない頃に、一家六人クラウンに揺られて里帰りして以来の、昭和十一年に故郷を離れて以後二度目の里帰りだった。
兄弟姉妹が勢揃いした葬儀では、真澄は特に丁重に扱われた。葬儀後、高校教員をしている長兄から、遺産について説明された。屋敷や田畑は父の死後に相続が済んでいる。申し訳無いが母の遺産は無い。だが苦労したお前には兄弟で援助したいと申し入れられた。
大宮を発つ際に、キヨから『リド』の冷暖房装置の更新資金を得てくるように言い含められているが、なかなか言い出せなかった。意を決し、店の改装資金を貸していただきたいと述べた。後日、兄弟で出し合った三百万円が真澄に送金された。全額を懐に入れたキヨに、これは借金である旨添えた真澄に対し、ここまで面倒見てやった恩は返せないのか、と返した。百万円弱は冷暖房機に投じられたが、残りはキヨの麻雀仲間に巻き上げられて消えた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
糸を読むひと
井川林檎
現代文学
奇妙な経緯で梟荘に住むことになった、糸出ゆめ。同居人の従妹、いとちゃんは風変わりな引きこもりで、ほぼ夜行性。
同居しながら顔を合わせない生活が続いたが、ある日唐突にいとちゃんが姿を現した。
「糸が絡まり始めた」
いとちゃんが告げた謎の言葉。それ以降、いとちゃんは頻回に姿を現すようになり、同時に日常生活の中で、妙におかしなことが起こるようになっていった。
※表紙写真:「ぱくたそ」無料素材を使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる