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第九章

182 春の舞踏会3

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 ダンスの誘いだと、ウェルダネス公爵家のライナーにも声を掛けられた。というか、公爵が「うちの子とも…」という強い勧めがあり彼の手を取ったのだ。
 ウェルダネス公爵家にはライナーと彼の5つ下にフローラという令嬢がいるけれど、クラウディアとの交流はあまりなかった。フローラはどちらかというと、年の近いフィオナの妹のエレンと仲が良いようだ。
 そのライナーは朗らかな日差しの様な綺麗なオレンジ色の長い髪に、深い金茶の瞳を持ったとても温和なタイプだ。


「クラウディア嬢、今年から同じジュネス学園の同級ですね」

「そうですわね。学園ではよろしくお願いしますね」

「今度、クロスローズ領地の光の祭典にいくのですが、クラウディア嬢も行かれるのでしょう?」

「私は今年は所用があって、時間が出来れば行く予定なのですわ」

「そうなのですか?では我が領地のディエラ・フェストには来たことは?」

「私は領地からほとんど出ていませんでしたのでまだ‥‥ディエラ・フェストも素晴らしいのでしょうね」

「では、今年のフェストにご一緒に行きませんか?色々と案内しますよ」


 そう言ったライナーの顔は、満面な笑みをたたえ、クラウディアからの返事を待っていた。


「そうですね、お兄様達に相談してから返事しますわ」


 ―――ライナー様も学園の一年なのね。


 そう思い、もうすぐジュネス学園での学園生活が始まることを実感していた。


 

 舞踏会の時間もまだ続いていたので、どれだけの人と踊らなければいけないのだろうかと思っていたのだが、ベイリーやアルトゥールの力なのか、兄達以外は、テオドール、シモン、ライナーの三人だけだった。
 ニコラスは会場にはいるものの、今年から近衛騎士団の副団長という事もあり、色々な人に声を掛けられ姿すら見えない。それほど会場は広く、参加している人数も多い。

 テーブルに置かれた軽食を少しつまみながら、アルトゥールやジェラルドと休んでいたのだが、クラウディアの視線の先に王太子が歩いてくるのが見えた。


「クラウディア嬢、先程の約束だが、私と一曲踊ってもらえるだろうか」


 レイナルドはクラウディアの前にそっと手を差し出した。
 その所作は王族らしく、すごく綺麗で美しかった。クラウディアはその差し出された手をとり、レイナルドにエスコートされてホールの中央へと進み出た。


「クラウディア嬢、体の方はもう大丈夫なのか?」


 クラウディアは対外的に身体が弱く、長い間領地に引きこもっていたことになっていたので、その事を言っているのだろうと考え、望む通りの答えを口にした。


「レイナルド殿下、ありがとうございます。身体の方はもうすっかり良くなりました。領地の気候があっていたのかも知れませんわ」

「そうか、それは良かった。ナシュールは雪が降るのだろう?寒くはなかったか?」

「四季があるおかげで身体が強くなったようです」

「昨年、デフュールで君を見た時、あまりの美しさに言葉を失ったほどだ。あの時は心配したのだぞ」

「……ご存じなのですか?」

「ああ、知っている。だが、この事は秘密だったな」

「初めての舞踏会はどうだ?もうリオネルとは踊ったのか?」

「リオネル様ですか?いえ…踊っておりませんが‥‥」

「そうなのか?リオネルとは一番最初に踊っているとばかり思っていたからな」

「お兄様方と踊りましたし、次はテオドール様でしたから」

「…テオドールか。ウィリヴァルト・フェストの事は私の耳にも入ってきているが、最初は信じられなかったな。だが、あの顔を見ると本当だったのだと思うぞ」


 そう言ったレイナルドの視線の先には、こちらを見ているテオドールの姿があった。その表情は、なんだかトゲトゲしく感じるくらい、その視線が冷たい。


「クラウディア嬢。私も一学年上にいるから、顔を合わせることもあるだろう。これからの学園生活、今から楽しみだな」


 曲が終わり、クラウディアの手を取って口付けをするレイナルドを見ていると、公爵家の人間とはまた違う神々しさを感じる程の美しさと、その気品にただ驚くばかりで返事すらまともに返すことができなかった。
 レイナルドと別れてその後ろ姿を見送っていると、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返るとフィオナとアデライトがグラスを持って立っていた。


「どうしたの?ボーっとして」

「ううん、人に当てられたって感じかな?こんなに人がいるところは慣れないのよ」

「そうか、クラウは社交、全くしてないものね」


 アデライトが言う通り、病弱で引きこもっている身としては社交に出られるはずもなく…というより、出る気は全くないクラウディアなのだ。そんなことは言えるはずもなく口を噤んだ。


「テオドール様とのダンス、とても素敵だったわよ。お似合いだと思ったもの。フェストの事もあるからみんな温かい目で見てたわ」

「そうよね。その時の事、クラウったら話してくれないんだもの。意地悪よね」


 確かに、フェストでの出来事は二人には話してなかったなと思い、その事については謝罪をした。また今度話す事を約束させられたが、その時、ベイリーがいる場所に視線を向けると、ランベールとニコラスがベイリーの元へ来ているのが見えた。そしてベイリーが「おいで」という視線をクラウディアに向けたので、二人に一言断りを入れその場を離れた。


「クラウディア、今日はどうだい?初めての舞踏会だろう?緊張していないか?」

「デフュールのおじさま。ありがとうございます。緊張していますが、お兄様達が一緒に居てくださいますから大丈夫ですわ」


 ランベールもクラウディアのことを気にかけているのか、優しい眼差しで言葉をかけてくれ、クラウディアの気持ちを軽くしてくれる。
 初めての舞踏会という事で、色々と大変だという事もわかってくれているからか、気を使ってくれているのもよく分かったのだが、それを楽しんでいるのはやはりベイリーなのだろう。


「クラウ、ニコラス殿と踊ってきてはどうかな?ランベール、ニコラス殿、いいかな?」


 近衛騎士団の副団長という立場上、色々と顔を出す必要があり、ようやくこの場所へ戻ってこられたようで、ベイリーのその言葉を聞いて彼の顔に笑顔が浮かぶ。
 クラウディアは今日何度も耳にした、ニコラスが今まで誰とも踊っていないことをベイリーも知っていたし、ランベールもまた自身の息子が踊らないことを黙認してきたのだが、二人とも、今回ばかりは断ることないだろうと言う確信があった。


「クラウディア嬢、私にあなたと踊る栄誉をいただけますか?」


 ニコラスがそう言ってクラウディアに手を差し伸べ、その姿を見ていた周囲からどよめきの声が上がったのはほぼ同時だった。
 今まで…そう、9年もの間、誰とも踊らなかった人物が初めて申し込みをしている姿を見たのだから、そういう反応をしてもおかしくはないだろう。


「はい、よろこんで」


 クラウディアの手を取り、ホールの中央へと進んで行く二人に、その場を取り巻く大勢の人々の好奇な目が集まっていた。
 氷華の貴公子が令嬢の手を取る姿など、今までに一度も見たことがないのだからそういう目で見てしまうのも、気になって仕方ないということもよくわかる。


「クラウディア嬢、今日はとても美しい。さぞかし、人の目をくぎ付けにしていたのでは?」

「まあニコラス様。そういうニコラス様こそ、ですわ」


 そうお世辞とも揶揄いともとれる会話をして、二人そろって笑みが零れた。


「こういう場は苦手です。この先も慣れないと思います」

「筆頭公爵家のご令嬢は、こういう場はお嫌いですか?」

「ええ。私はしている方が合ってますわ」


 少し疲れた表情が見え隠れするものの、それを悟られないように笑顔を浮かべてニコラスを見ると、彼はフッと表情を緩めて呟いた。


「そうですね。……しかし、綺麗だ。惚れ直しました」


 耳元でそう囁き、握っている手に力を込めた。そしてニコラスが目を細め、一瞬だがクラウディアを見つめる表情が柔らかくなった。
 ニコラスはこの日、例年通り王弟もこの場に来ると思っていたので、自分の考えていることが本当だったらどうしようかと心配だったのだが、外国への歴訪を聞き胸を撫で下ろしていた。だから、安心してクラウディアと踊れることが嬉しくてならなかった。


「クラウディア嬢はさすがにお上手ですね」

「ニコラス様こそお上手ですわ。テオドール様がニコラス様は誰とも踊らないとおっしゃっていましたから」

「‥‥テオが言ったのか?あいつ余計なことを」

「口調が戻ってるわよ」


 ふふっと笑ってニコラスを見た。
 一応こういう場なので少しは真面目に…とニコラスの口調に合わせていたが、彼が崩したのだからとそれに合わせた。


「本当は、俺が一番に申し込みをしたかったんだがな‥‥」


 一番初めにクラウディアを誘いたい気持ちはあったのだが、踊る姿を見せることで周囲の視線を引いてしまい、舞踏会が終わるまでの時間、他の令嬢と踊ることにならないとも限らない。
 そのリスクを考えると、クラウディアとしか踊るつもりのないニコラスにとっては、一番最後が都合よく、この日も時間的にもう最後ということで、クラウディアの印象にも残ることを選んだのだ。


「でも、ニックは今までどうして踊らなかったの?」


 最初に聞いてから疑問に思っていたことを素直に聞いてみた。公爵家の嫡子なのだから、交流の為に他家の令嬢と踊ることは普通の事なのだから、なぜ踊らないのだろうと疑問を持つことなどなく、不思議に思っているのだ。


「そうだな…興味がなかったのもあるが、後々、面倒なことになるのも嫌だったんだよ。それに踊るなら、一番最初は大切な人をエスコートしたいだろ」


 まっすぐにクラウディアを見つめる彼の赤い瞳はキラキラと輝き、その顔は愛しい恋人を見つめるような優しい微笑みが浮かんでいる。


「本当は、誰とも踊らせたくないんだがな…」


 耳元で囁くその言葉に、胸がドキリとする。そして、なんだかそう思ってくれたことに嬉しいと感じて頬が赤くなるのを感じた。


「また‥そんなこと言って‥‥」


 クラウディアの少し赤くなった顔を見て、ニコラスもまた嬉しいという感情がこみあげてきた。そして思わず彼女の耳に口付けをした。
 それは踊っている姿に紛れ、周囲には気が付かれてはいないようだが、注視していた人たちは気が付いたようだ。


 その直後、会場から慌てて出て行く、アーモア侯爵家のパトリシアの姿があった。


 ―――ニコラス様、どうして……


 初めて参加した新年の舞踏会でニコラスに一目惚れをしたパトリシアだ。
 ずっと父親のアーモア侯爵からダンスの申し込みをしてきたのに、六年経っても一度も応えてくれることはなかった。
 パトリシアも貴族の令嬢としてはとうに婚約者がいても良い年齢なのだが、ニコラスだけを想い続けている彼女の一存でそういった話は全て断っていた。それもこれも、ただニコラスしか見ていないからだ。
 何度もデフュール公爵にも打診はしたものの、公爵家は普通の貴族とは違う。結婚相手も本人の意思が重要視されるのだから、どれだけ周囲から話を持っていこうが、その話が受け入れられる訳などないのだ。

 それなのに初めて参加したクラウディアにニコラスから申し込みをし、優しい笑顔をむけて彼女に囁き、あまつさえ、口付けをしているその姿を見たパトリシアの心中は、体の芯から震え上がるほどの怒りと憤りを感じていた。


 ―――あの女…許せない…私のニコラス様に手を出すなんて


 パトリシアの心には暗い闇が広がり、じわじわと侵食し始めた。それが怒りなのかただの嫉妬なのか、それは本人しかわからないが、いいものではないのは間違いない。





 そしてこの日の最後、ニコラスとクラウディアに対して、周囲からは様々な憶測を含む言葉が出ていた。
 だが、クラウディアはこの日すべての公爵家の継嗣と踊っていたため、ニコラスもその一環だと思う人も多かった。
 しかし間近で見ていた人の中には、彼が浮かべた表情が今まで見たことないような優しいものだったので、ニコラスが彼女の手を取ったのは家の繋がり以上のものがあるのではと考える人もいたのだ。それほど、ニコラスの表情は今までに見る事がなかった優しいものだった。

 今までのニコラスの態度からしても、見たことをどれだけ話しても信じる人間はいないようで、その噂も立ち消えて行くのは早かった。



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