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第八章

166 秘密の部屋

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 数日後、ニコラスは一人でクロスローズの屋敷を訪れた。
 ベイリーが『数日中には目が覚めるかも…』と言っていたこともあるが、一人で会いたかったからだ。

 
「まだ目覚めていない…か」


 クラウディアの眠るベッドへと近づき、そっと触れた。
 

「ディア、まだ起きないのか…」


 メアリはそっと部屋の外へ出た。
 ニコラスのことはベイリーからもクラウディアからも聞いていたので、メアリも彼には絶大な信頼を持っている。彼女も心からクラウディアと二人きりにしたかった。

 メアリが部屋から出て行ったことを感じたニコラスは、憚ることなく気持ちを吐露した。
 

「ディア…早く目覚めてくれ……俺は、お前がいないとダメなんだ」


 顔に触れ、その温もりを感じると、さらに思いが溢れた。
 

「ディア、頼む…」


 涙が流れるのを拭うことも、止めることもせず、クラウディアの手を握ったまま、ずっと側にいた。
 
 しばらくの間、手を握ったまま祈っていると、ニコラスは暖かい何かを感じている事に気がついた。それは握った彼女の手からじんわりと感じる、波のようなものだった。
 

「これは…彼女の魔力か?」


 握る手から感じる、じんわりとする波のようなものは、彼女の持つ魔力の質だった。
 この国では、他人の魔力を感じることが出来る人間は多いが、あくまでも魔力が“ある”か“ない”かがわかる程度で、今のように個人の持つ魔力の“質”がわかる人間は数少ない。その数名の中にはカルロスが含まれている。
 ニコラスは彼女の機微に敏感なことが、魔力の質を感じ取れたのだろうと考えられた。
 

「ディアの魔力は温かいな…それに優しい…」
 

 手から伝わる彼女のその暖かな魔力に、また涙が一筋、流れた。
 

 
 
 
 
「ニコラス様、こちらをどうぞ。お嬢様がお好きな紅茶です」


 数時間経っただろうかと思う頃、メアリがお茶を持ってきて部屋にある小さなテーブルに置いた。「ありがとう」と感謝を述べ、紅茶の入れられたカップを手に取り、その香りが鼻腔を擽った。


『彼女と一緒に飲みたいものだな…』


 口に含んだ紅茶が、コクリと喉を鳴らす。クラウディアのいつも見ている部屋を眺めながら、ふと側の扉に目が行く。この部屋には続き部屋にしてはその扉は新しいようだ。

 
「メアリ、この扉は?もう一つ部屋があるのか?」ふと湧いた疑問が口から出た。
 
「どなたの入室も禁止されているので入ったことはないのですが、お嬢様はそちらの部屋で一日の大半を過ごされています。」
 
「そうなのか?私が入ったらディアは怒るかな?」


 メアリの話を聞き、ニコラスはその部屋の中が気になった。令嬢であれば衣裳部屋などが一般的だが、クラウディアの事を知るニコラスからすると、その可能性はゼロだと思っていた。

 
 ―――ディアが大半を過ごす部屋か…気になるな。
 

 メアリが部屋を出て行ってから、ニコラスは興味が湧いてきてその扉の取手に手を伸ばした。
 だが、鍵がかかっていたようで、捻っても開かなかったが、何度か回しているとカチャっという音と共に鍵が開くのがわかった。
 

「鍵が開いた?…なぜ」


 鍵が開いたということは、入ってもいいという事かもしれないと勝手に解釈し、一瞬躊躇したが、その扉を開けて部屋へ入った。
 そこに広がっている光景は、本や書類が溢れかえる研究室のような雑然とした部屋が広がっていた。正直言って、令嬢が使うような部屋ではなかった。

 
「これは……」

  
 部屋の中央の大きな机には数多くの書籍や古文書の類が至る所に置かれ、クラウディアの字で書かれた薬草と思われる絵と効能が記されたものも乱雑に机の上に置かれている。
 その一角は薬学の学者が使っているスペースのようだ。何か、薬を作るような道具なのも置かれている。小さな瓶に入った薬のようなものもいくつもある。

 その中に回復魔法についての考察をしたものも紛れていた。廃れた理由から現在に至る道筋までしっかりと検証されている。

 この部屋にあるもの見るものすべてがニコラスの常識の範疇を超え、過大すぎて、ただ見ることしかできなかった。
 

 そして一番大きな壁には王国の地図が貼られ、至る所に書き込みがなされている。
 それは、雨の降る場所から氾濫危険場所、魔物の発生予想箇所、日照りや疫病などの災害予想箇所だった。その字はクラウディアの字だが、見るからに幼い。おそらく、数年前に書かれたものだろう。
 
 他の一角には魔術陣が描かれた紙がこれもまた大量に置かれている。手に取ってみると、1つ1つに変更箇所や、効果などが事細かに記されている。その精巧さには、ただただ、目を見張るしかなかった。練習の時に見た身体強化の魔術陣もあった。
 
 魔道具を製作しているだろう痕跡もあった。
 クラウディアが使っている認識阻害の魔道具と、その設計図らしきものが置いてある。他に何に使うかわからない設計図も数多く散乱していた。
 

 ―――コルビーが言っていた通りか。
 

 一番奥の壁には、花や薬草、そして色々な場所の風景などが描かれたものが貼られている。それはとても素晴らしい出来で、目を奪われた。
 その他にもニコラスでさえも理解できそうにない書籍が多数置かれているのが見えた。それは何度も読んだであろうことを証明するように、色々な書き込みがされている。
 

「ディア…お前は一体……」
 

 ニコラスは何かを探した。何をと問われると答えられないのだが、自分の求める何かがあるのではないかと心のどこかが訴えかけてきているように感じて部屋中を見て回った。
 数日前に初めて知ったクラウディアの隠された秘密が、この部屋に集約されているような気がするのは、おそらく間違いではない。
 彼女はどれだけの事を自分だけで抱え込み、どれだけのことを考えているのか、その重荷を少しでも自分が担えないのかと苦しくなった。
 

 ―――なぜ私に言ってくれなかった。私では力不足だったのか…
 

 その時に一冊のノートが目に留まった。少女らしいデザインのそれは、この部屋の他の物とは異なって異質な感じがした。

 
 ―――これは…ディアの日記か?
 

 手に取って目を通してみると、最初は幼い字で書いてあり、後ろにいくにつれて、まさしく今、知りたいことが書かれていると気付いた。日記というよりも覚書やメモも兼ねている備忘録のようなものだった。
 

 
 
 『今日、公爵家の当主会議に同席した。すべてを話したが、信じてくれたようで嬉しい。でも、覚えていることが少なすぎる。何のために戻ったの?』
 
 『人を好きになるのが怖い。ずっと一人でいれば、悲しむ人はいないかな。』
 
 『私を貫いた剣は、誰の剣だったのだろう。あの感覚が忘れられない。剣を習うことで、自分の身を守れる?』

 
 開いたノートのあちらこちらに書きなぐったような一文が、ニコラスの胸にトゲのように刺さった。彼女の笑顔の下にはどれだけの苦しみがあったのか、一つも気付いていなかった自分が心の底から嫌になり、その顔を歪ませる。

 
 『ニックにピアスを貰った。とても綺麗で彼の色だった。嬉しい。でも、私がもらうべきじゃない。あと何年生きられる?その間くらい夢を見てもいいの?』
 
 『テオが剣を贈ると見せてくれた。早く届かないかな。』
 
 『嫌だ…死にたくない……どうやったら生きられるの?眠るのが怖い…』

 
 その一文に目が留まった。
 前回、彼女が死んだのは18。あと3年だ。その間に、そうなるであろう道筋をすべて排除できれば、彼女は心を開いてくれるか?
 ニコラスはそのノートを閉じて、部屋を出た。そしてまだ眠るクラウディアの側へ座った。

 
「ディア、俺は君を死なせない。絶対に守る。だから、俺を信じろ」


 縋るようにクラウディアの手を握り、その言葉が彼女に届くことを願いながら、何度も名前を呼び続けた。
 
 


 
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