175 / 213
第八章
166 秘密の部屋
しおりを挟む数日後、ニコラスは一人でクロスローズの屋敷を訪れた。
ベイリーが『数日中には目が覚めるかも…』と言っていたこともあるが、一人で会いたかったからだ。
「まだ目覚めていない…か」
クラウディアの眠るベッドへと近づき、そっと触れた。
「ディア、まだ起きないのか…」
メアリはそっと部屋の外へ出た。
ニコラスのことはベイリーからもクラウディアからも聞いていたので、メアリも彼には絶大な信頼を持っている。彼女も心からクラウディアと二人きりにしたかった。
メアリが部屋から出て行ったことを感じたニコラスは、憚ることなく気持ちを吐露した。
「ディア…早く目覚めてくれ……俺は、お前がいないとダメなんだ」
顔に触れ、その温もりを感じると、さらに思いが溢れた。
「ディア、頼む…」
涙が流れるのを拭うことも、止めることもせず、クラウディアの手を握ったまま、ずっと側にいた。
しばらくの間、手を握ったまま祈っていると、ニコラスは暖かい何かを感じている事に気がついた。それは握った彼女の手からじんわりと感じる、波のようなものだった。
「これは…彼女の魔力か?」
握る手から感じる、じんわりとする波のようなものは、彼女の持つ魔力の質だった。
この国では、他人の魔力を感じることが出来る人間は多いが、あくまでも魔力が“ある”か“ない”かがわかる程度で、今のように個人の持つ魔力の“質”がわかる人間は数少ない。その数名の中にはカルロスが含まれている。
ニコラスは彼女の機微に敏感なことが、魔力の質を感じ取れたのだろうと考えられた。
「ディアの魔力は温かいな…それに優しい…」
手から伝わる彼女のその暖かな魔力に、また涙が一筋、流れた。
「ニコラス様、こちらをどうぞ。お嬢様がお好きな紅茶です」
数時間経っただろうかと思う頃、メアリがお茶を持ってきて部屋にある小さなテーブルに置いた。「ありがとう」と感謝を述べ、紅茶の入れられたカップを手に取り、その香りが鼻腔を擽った。
『彼女と一緒に飲みたいものだな…』
口に含んだ紅茶が、コクリと喉を鳴らす。クラウディアのいつも見ている部屋を眺めながら、ふと側の扉に目が行く。この部屋には続き部屋にしてはその扉は新しいようだ。
「メアリ、この扉は?もう一つ部屋があるのか?」ふと湧いた疑問が口から出た。
「どなたの入室も禁止されているので入ったことはないのですが、お嬢様はそちらの部屋で一日の大半を過ごされています。」
「そうなのか?私が入ったらディアは怒るかな?」
メアリの話を聞き、ニコラスはその部屋の中が気になった。令嬢であれば衣裳部屋などが一般的だが、クラウディアの事を知るニコラスからすると、その可能性はゼロだと思っていた。
―――ディアが大半を過ごす部屋か…気になるな。
メアリが部屋を出て行ってから、ニコラスは興味が湧いてきてその扉の取手に手を伸ばした。
だが、鍵がかかっていたようで、捻っても開かなかったが、何度か回しているとカチャっという音と共に鍵が開くのがわかった。
「鍵が開いた?…なぜ」
鍵が開いたということは、入ってもいいという事かもしれないと勝手に解釈し、一瞬躊躇したが、その扉を開けて部屋へ入った。
そこに広がっている光景は、本や書類が溢れかえる研究室のような雑然とした部屋が広がっていた。正直言って、令嬢が使うような部屋ではなかった。
「これは……」
部屋の中央の大きな机には数多くの書籍や古文書の類が至る所に置かれ、クラウディアの字で書かれた薬草と思われる絵と効能が記されたものも乱雑に机の上に置かれている。
その一角は薬学の学者が使っているスペースのようだ。何か、薬を作るような道具なのも置かれている。小さな瓶に入った薬のようなものもいくつもある。
その中に回復魔法についての考察をしたものも紛れていた。廃れた理由から現在に至る道筋までしっかりと検証されている。
この部屋にあるもの見るものすべてがニコラスの常識の範疇を超え、過大すぎて、ただ見ることしかできなかった。
そして一番大きな壁には王国の地図が貼られ、至る所に書き込みがなされている。
それは、雨の降る場所から氾濫危険場所、魔物の発生予想箇所、日照りや疫病などの災害予想箇所だった。その字はクラウディアの字だが、見るからに幼い。おそらく、数年前に書かれたものだろう。
他の一角には魔術陣が描かれた紙がこれもまた大量に置かれている。手に取ってみると、1つ1つに変更箇所や、効果などが事細かに記されている。その精巧さには、ただただ、目を見張るしかなかった。練習の時に見た身体強化の魔術陣もあった。
魔道具を製作しているだろう痕跡もあった。
クラウディアが使っている認識阻害の魔道具と、その設計図らしきものが置いてある。他に何に使うかわからない設計図も数多く散乱していた。
―――コルビーが言っていた通りか。
一番奥の壁には、花や薬草、そして色々な場所の風景などが描かれたものが貼られている。それはとても素晴らしい出来で、目を奪われた。
その他にもニコラスでさえも理解できそうにない書籍が多数置かれているのが見えた。それは何度も読んだであろうことを証明するように、色々な書き込みがされている。
「ディア…お前は一体……」
ニコラスは何かを探した。何をと問われると答えられないのだが、自分の求める何かがあるのではないかと心のどこかが訴えかけてきているように感じて部屋中を見て回った。
数日前に初めて知ったクラウディアの隠された秘密が、この部屋に集約されているような気がするのは、おそらく間違いではない。
彼女はどれだけの事を自分だけで抱え込み、どれだけのことを考えているのか、その重荷を少しでも自分が担えないのかと苦しくなった。
―――なぜ私に言ってくれなかった。私では力不足だったのか…
その時に一冊のノートが目に留まった。少女らしいデザインのそれは、この部屋の他の物とは異なって異質な感じがした。
―――これは…ディアの日記か?
手に取って目を通してみると、最初は幼い字で書いてあり、後ろにいくにつれて、まさしく今、知りたいことが書かれていると気付いた。日記というよりも覚書やメモも兼ねている備忘録のようなものだった。
『今日、公爵家の当主会議に同席した。すべてを話したが、信じてくれたようで嬉しい。でも、覚えていることが少なすぎる。何のために戻ったの?』
『人を好きになるのが怖い。ずっと一人でいれば、悲しむ人はいないかな。』
『私を貫いた剣は、誰の剣だったのだろう。あの感覚が忘れられない。剣を習うことで、自分の身を守れる?』
開いたノートのあちらこちらに書きなぐったような一文が、ニコラスの胸にトゲのように刺さった。彼女の笑顔の下にはどれだけの苦しみがあったのか、一つも気付いていなかった自分が心の底から嫌になり、その顔を歪ませる。
『ニックにピアスを貰った。とても綺麗で彼の色だった。嬉しい。でも、私がもらうべきじゃない。あと何年生きられる?その間くらい夢を見てもいいの?』
『テオが剣を贈ると見せてくれた。早く届かないかな。』
『嫌だ…死にたくない……どうやったら生きられるの?眠るのが怖い…』
その一文に目が留まった。
前回、彼女が死んだのは18。あと3年だ。その間に、そうなるであろう道筋をすべて排除できれば、彼女は心を開いてくれるか?
ニコラスはそのノートを閉じて、部屋を出た。そしてまだ眠るクラウディアの側へ座った。
「ディア、俺は君を死なせない。絶対に守る。だから、俺を信じろ」
縋るようにクラウディアの手を握り、その言葉が彼女に届くことを願いながら、何度も名前を呼び続けた。
24
お気に入りに追加
267
あなたにおすすめの小説
10日後に婚約破棄される公爵令嬢
雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。
「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」
これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
やめてください、お姉様
桜井正宗
恋愛
伯爵令嬢アリサ・ヴァン・エルフリートは不幸に見舞われていた。
何度お付き合いをしても婚約破棄されてしまう。
何度も何度も捨てられ、離れていく。
ふとアリサは自分の不幸な運命に疑問を抱く。
なぜ自分はこんなにも相手にされないのだろう、と。
メイドの協力を得て調査をはじめる。
すると、姉のミーシュの酷い嫌がらせが判明した。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
かわりに王妃になってくれる優しい妹を育てた戦略家の姉
菜っぱ
恋愛
貴族学校卒業の日に第一王子から婚約破棄を言い渡されたエンブレンは、何も言わずに会場を去った。
気品高い貴族の娘であるエンブレンが、なんの文句も言わずに去っていく姿はあまりにも清々しく、その姿に違和感を覚える第一王子だが、早く愛する人と婚姻を結ぼうと急いで王が婚姻時に使う契約の間へ向かう。
姉から婚約者の座を奪った妹のアンジュッテは、嫌な予感を覚えるが……。
全てが計画通り。賢い姉による、生贄仕立て上げ逃亡劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる