正しい竜の育て方

夜鷹@若葉

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第四章「竜殺しの騎士」

第25話「戦場の乱入者」

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 ラドセンス砦を囲う石造りの城壁の上に、一匹の黒猫が立っていた。

 ラドセンス砦の城壁はそれほど高くはない。けれど、砦が小高い丘の上に建っているためあって、低い城壁の上からでも視線は高く、戦場全体を見渡す事ができた。

 黒猫の琥珀色の瞳に戦場全体の情景が映し出される。

 白い飛竜に騎乗した騎士と、黒い鎧に身を包んだ騎士が戦っていた。

 黒い鎧の騎士は、白い飛竜に騎乗する騎士の攻撃を受け、吹き飛ばされる。あの状況からでは人の身で対抗するには難しい。勝敗は決した。そう思える状況だった。

 ニャーと黒猫が鳴き声をあげる。

 古びた城壁の一部が、音を立てて崩れる。青々とした空の景色の一部がほんの少しだけ歪む。それを黒猫が目で追っていく。

 その歪みは白い飛竜に騎乗する騎士と、黒い鎧の騎士が戦う戦場へと飛び立って行った。


   *   *   *


 光が弾けた。

 真直ぐ閃光がアーネストへと延びる。高速で迫る熱線。それはもう避ける事は出来ない。

 灼熱の光が身体を穿ち、身を焼き尽くす。その結果が容易に想像できた。

 何を想おうともう遅い。もう、どうする事も出来ない。ただただ、諦めの気持ちが浮かぶ。

 しかし、身を焼くであろう灼熱は、アーネストの身体へと届くことは無く。何もない空間で、その光がまるで鏡に映った虚像の様に、砕け散った。

『言ったはずだぞ人間。俺の言葉は絶対だ。貴様がそれを成すまで、貴様は死すら許されない』

 空間が砕けていく。鏡が割れて崩れていくように、崩れていく。その向こうから何かが顔を出した。

 岩を思わせるゴツゴツとした灰色の鱗に覆われた身体を持つ、一体の飛竜――いや、竜が広げた翼をアーネストの前に翳し、立っていた。

 ハルヴァラスト。ただ一つ、竜の名が頭に浮かんだ。


   *   *   *


 崩れていく。目の前の光景が嘘だったかのように崩れていく。

「なんだ……何が起こっている……」

 目の前の現実を受け止めきれず、エルバートの口からはただ疑問だけが零れた。

 崩れた景色の向こうから、何かが顔を出す。

 それは最初、飛竜に見えた。だが、よく見るとそれは、飛竜とは違って見えた。

 飛竜とよく似た細長い身体に、大きな翼と長い尻尾。多くの特徴は飛竜と酷似している。だが、太く筋肉質な四肢――前足に鋭いは飛竜には無い特徴だった。

「竜……なのか……」

 あり得ない。そうとしか思えないはずなのに、その姿は伝承に伝え聞く竜の姿そのものでしかなかった。

 ギロリと黄金色の瞳が、エルバートを睨む。たったそれだけで、心臓を鷲掴みされたかのように、強い恐怖を覚える。

(あれは……なんなんだ?)

『グオオオォォォ!!』

 フェリーシアが威嚇すように咆哮を上げる。並みの動物なら、それだけで逃げ出す大きな咆哮。けれど、やはり飛竜と同じような身体を持つだけあって、その程度の咆哮では一切変化を見せる事は無かった。

 灰色の竜に似た何かが動き出す。フェリーシアと同じように、一度大きく息を吸い込み、そして――

『グオオオオオオオォォ!!』

 咆哮をあげた。

 何もかもが違っていた。飛竜の咆哮より遥かに大きく響き渡り、びりびりと身体を揺さぶる。

「なんなんだ……お前は……」

 身体が震える。それが何であるか分からない。ただただ、恐怖だけが身体を支配する。

 身体が動く、恐怖に突き動かされた身体が、自衛のために手にした竜銃を向け、灰色の何かへ向けて引き金を引く。

 マズルフラッシュと共に灼熱の熱線が走る。飛竜でさえ、当たり所によっては致命傷になりかねない、強力な一撃。避ける事さえままならない一撃。だが、それは虚しく消えていった。

 熱線が灰色の鱗に触れる瞬間。それが、ただの虚像であったかのように、砕け散っていく。

 竜騎士が持つ最大の武器が、何の効果も示すことなく消えていった。

「は、はははは……」

 現実離れした光景。それに、乾いた笑いが漏れる。

『避けろ! エルバート!』

 耳元からディオンの声が響く。

 眼前に灰色のあの竜が迫っていた。跳躍により、距離を詰めてきたのだろう。呆然としたため、反応がおくれる

 すっと、竜の腕が伸び、大きく振り上げられ、大きく発達した鋭い爪が勢いに乗って素早く振り下される。

 重力から解放され、浮遊感に晒される。

 赤い血が目の前に広がる。フェリーシアの身体を覆っていた騎竜用の金属鎧が砕かれ、バラバラになっていく。フェリーシアの白い身体が、鋭い爪に抉られ、深々と裂けていく。見た事の無い量の血が、噴水の様にフェリーシアの傷口から噴き出していく。

 力なく崩れ落ちていくフェリーシアの身体と共に、宙へと投げ出されたエルバートの身体が、地面へと落下していった。


   *   *   *


「エルバート!」

 ディオンが叫ぶ。

 白い鱗に覆われた身体から、赤い血を吹き出しながらフェリーシアが落下してく。騎手であるエルバートも、フェリーシア同様に動くことなく落ちていく。

 落ちていくフェリーシアの向こうから、灰色の竜の姿が顔を出す。

『だ、団長……あれは、あんですか?』

 唐突に姿を現した灰色の竜。その姿に動揺し、通信用の魔導具を通して、団員達の疑問の声が届く。

「俺が知るわけないだろ! あんなもの」

 ディオンは毒づく。

 目の前に映る灰色の竜の姿。あれは、飛竜なのだろうか? 悪竜なのだろか? それとも、本当に竜なのだろうか? ディオンの知識からは、その判断が付けられなかった。

 ギロリと黄金色の瞳がこちらを向く。ぞっと、恐怖が掻き立てられる。

「全員! 武器を構えろ!」

 これはもう騎士と騎士との一騎打ちではない。唐突に現れた乱入者によって、それは崩壊した。なら、もうその礼儀に従う必要はない。

 目の前の竜が何なのか判断は付かない。けれど、エルバートとフェリーシアに攻撃を加え、敵意を持った目でもちらを見てきた。それはもう敵と判断するしかない。そう思って、即座に指示を飛ばす。

 一瞬の動揺が駆け巡る。だか、さすが王国を代表する竜騎士団の面々、即座に気持ちを切り替え、それぞれが武器を手に臨戦態勢を取る。

 ディオンもそれに合わせ、腰のホルスタから竜銃を引き抜く。

(形状は悪竜に近いなら同様に対処すれば良い……)

「全騎散開! 囲い込め!」

 目の前の灰色の竜の姿に悪竜の姿を重ね、悪竜を対処するときと同様の指示を飛ばし、ディオンは騎竜を走らせる。

 七騎の竜騎士がバラバラに広がり、正面と上下左右から取り囲んでいく。包囲し、動けなくなったところに狙を付け、竜銃で止めを刺す。それが竜騎士達の対悪竜用の戦術の一つだった。

 灰色の竜が翼を広げる。一挙手一投足、すべての動きを見逃さず慎重に動きを注目する。

「!?」

 灰色の竜が翼を羽ばたかせた瞬間、その姿が視界から消えていた。

 ゴキ、バキっと乾いた生々しく嫌な音が耳元から響く。視界の端に、赤い何かが映る。血だった。

 たった一度の羽ばたきで、灰色の竜は弾丸の様に加速し、包囲しようとする竜騎士の一騎に噛みついたのだ。耳元から響いた音は、竜騎士が灰色の竜の牙で噛み潰される音だった。

 灰色の竜が、噛みついた竜騎士を噛み潰し、後方へと飛んで行く。簡単に包囲を食い破られてしまった。

「逃がすな!」

 指示を出し、灰色の竜を追うように騎竜を旋回させる。

 後方へと飛んで行った灰色の竜が、再び翼を広げ荒々しく旋回してくる。

 向かい合う。羽ばたき、灰色の竜が突撃をかけてくる。恐ろしく早い。飛竜の比ではない。けれど、一直線に突っ込んでくるのなら、狙いは付けやすい。

 ディオンは正面に竜銃を向け、すぐさま引き金を引く。

 マズルフラッシュ。一度、視界が真っ白に染まったかともうと、赤い閃光が真っ直ぐ正面に――灰色の竜へと向かって行く。

「な――」

 光が砕けた。飛竜の外皮さえ簡単に焼切る熱線は、それがまるで虚像であったかのように消えていった。

 魔法抵抗マジック・レジスタンス。高い魔力をその身に宿す魔獣などが持つ能力の一つだ。高い魔力を持つ存在は、自分の周囲に強い魔力干渉領域を持つ。それが、自分が意識しない外部からの魔法を自動的に破壊し無力化する。そうして生まれる能力だ。

「化物が!」

 即座に騎竜に回避行動を取るように要求する。だが、遅かった。

 視界に大きく赤い血が噴き出す光景が広がる。食いつかれた。灰色の竜の牙が、深々とディオンの騎竜の首元に食い込んでいくのが見える。

 焦りが浮かぶ。だが、同じ手は二度を食らわない。

 灰色の竜の背後に、すぐさま一騎の竜騎士が回り込む。ディオンの騎竜に噛みついた事で、灰色の竜の速度が遅くなる。そこを逃さず、背後へ回った竜騎士がランスを構え、突き出していく。

 風を切る音が響いた。灰色の竜の長い尻尾が大きく振るわれ、先端のかぎ爪の様な部分が、背後に回った竜騎士を捉える。

 竜騎士の身体と、騎竜の胴体の半分が深々と抉られ、そのまま地面へと叩き落された。

 息が詰まる。飛竜の身体がああも簡単に引き裂かれるとは想像できなかった。

 骨の砕ける音生々しく響く。噛みつかれ、悶えていた騎竜の口から血がはい出され、急激に力を失っていく。

 騎竜の死、そんな血の気をひくような恐怖が身体を支配していく。

 力を失った騎竜の身体が重力に任せ落ちていく。今だに空を飛ぶ灰色の竜の姿が視界に映り、それが遠ざかっていく。

 耳元から悲鳴が響く。

 理解が追い付かない。ただ、頭に浮かんだのは、伝承に伝え聞く竜の力とはこれ程のものなのかと、どうしようもない実感だけを感じていた。
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