憑かれて恋

香前宇里

文字の大きさ
上 下
30 / 109
第二章

Curry du père 其の十

しおりを挟む
「じゃあ、これ」
 圭吾さんは私にエプロンを渡し、カウンターの中へ入るよう促す。
「じゃあ癒見ちゃんは野菜を洗ってくれる?」
「あっ、は、はいっ」
 急に下の名前で呼ばれ、思わずドキリとしてしまう。
 私も圭吾さんって呼んでるんだから、流れ的にはそうなんだろうけど……。
「どうした?」
「い、いえっ、何でもないですっ」
 私は慌てて彼が指差したダンボール箱から野菜を取り出し、洗い始める。


 ――――


 ――――



 キッチンで水音が響く中、私はふと客席へと視線を移す。
 ここからだと店内の隅から隅までよく見える。なんか新鮮な感じ。
(……そういえば)
 昔、オーナーが注文が入ってないのに何か作り始めた事があったっけ。
 出来た料理を奥さんはニコリと笑って受け取り、店の一番奥に座る女性客に差し出していた。
 一人で来ていた女性は、差し出された料理に対して注文していないという素振りを見せたが、奥さんは彼女の肩を二、三度軽く叩いた後カウンターに戻ってきた。
 その光景を不思議に思いながら見ていた私は、背を向けて座る彼女の肩が震えている事に気が付いた。
 一瞬泣いているのかと思ったけど、お会計の時には笑っていたから、気のせいだったのかと思ったんだっけ。



(ああ……そうだ)




(そんな光景、何度も見たんだ)




 今、ここに立って分かった事。
 二人はいつも、訪れる客が笑顔で帰ってくれるよう気を配っていた。
 ここからは、背を向けて涙を堪える客だってよく見える。
(そういうことなんだ……)
 今、この店に足りないモノって……。






「やっぱりあのカレーのようにはならない……か」
 出来上がったものを二人で食べながら、彼はポツリとつぶやく。
「そんな事ないですっ、凄く、凄く美味しいです!」
「でも……」
「何か足りない……だよね」
「はい……」
 圭吾さんに足りないモノ。今それを伝えるべきなのだろうか。
(でも……本当にそれだけ?)
 どこかもやもやした、腑に落ちない感じ。彼に伝えたいことはそれだけじゃない気がする。
 この店に来ると笑顔になって幸せな気持ちになれる。出される料理はどれも美味しくて心が温まる。
 その中でカレーは他のメニューの中でも一番シンプルなものなのに、温かくて優しくて……ほっこりと幸せな気持ちになれた。
 オーナーはどんな気持ちでこれを作っていたのだろう。
 どんな気持ちで客に出していたのだろう。
 それは作った本人にしか分からない事。
(聞いとけばよかった……)
 私は何も知らない。
 何も知らないから、圭吾さんに伝える事ができない。
(あ……駄目だ)
 涙で視界が歪み始める。
「あ、あの、御手洗いお借ります!!」
 彼に気づかれないよう顔を隠してトイレ向かい、入ってすぐしゃがみ込んだ。
「――――っ」
 オーナーはもういない、奥さんももういない。
 もう……二人と話すこともできない。
(ありがとうって、伝えたかったな……)
 溢れ続ける涙を止める事ができず、しばらく声を殺しながら泣いた。





◇◇◇◇


(う~、大丈夫かな……)
 鏡を見ると、目が少し赤くなってしまっている。
 こすらないようにしてたのに……。
(でもいつまでもここに居るわけにもいかないし……)
 そっとドアを開け店内に戻ると、圭吾さんはカウンターの中で洗い物をしている最中だった。
 そして、カウンターに座る男性が一人見えた。
(あ、お客さんが来たんだ……)



 って




 ――――――嘘。





 圭吾さんの目の前に座るその男性は……彼のお父さん、サン・フイユの……
「オーナー……?」
 私は小声でつぶやく。
 目の前の光景が信じられず、見間違いかと目を凝らすが、間違いない。
 よく見るとオーナーの身体は透けており、圭吾さんは目の前に座るお父さんに気づいていない様子だった。
「あ、癒見ちゃん」
 圭吾さんが私に気づき振り向く。
 私は咄嗟にオーナーが座る席を指差そうとしたが、そこにはもう彼は座っていなかった。
「――? どうしたんだ?」
「あの……えと」
 どうしよう。
 今、そこに座っていたと言うべき?
 言うべき……だよね。
「あのっ! 今そこに……」



『カラン カラン』



 声を被らせるようにしてドアが開き、言葉を飲み込む。
「いらっしゃいま……ああ、アンタこの間の……」
「――やっぱりここにいたか」
「え?」
 聞き覚えのある声に驚き、振り返ると……


 栄慶さんが険しい表情をして立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

処理中です...