Hearty Beat

いちる

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そう七生がいうならそれを信じよう。
 圭は気づかれないようにほうっとゆっくり大きく息を吐いた。
 どんな理由であれ、圭を選んだのは七生で、今日それが正解だったかどうか答えがでるんだから。
 正解だったと思って貰いたい。

「それより御堂さん髪の毛はねてますよ?直しましょう」
 七生の向かって左の髪の毛が少しだけ跳ねているのが気になる。
 声をかけて圭は七生を椅子に座らせた。
 どかりと椅子に座って、楽譜に目を通しながら七生は髪の毛を圭の自由に触らせている。
 先程までの悲壮感はどこにいったのかふんふんと圭は鼻唄を歌う勢いで楽しげに七生の髪の毛をセットしていく。

 あの日、七生のスマホの電源が切れて連絡が取れなくなり圭が迎えに行ったあの日から、七生の髪の毛をセットするのは圭の仕事になった。
 七生も大人しくされるがままになっていて周りから見ればどうにも入り難い空気を醸し出していた。

 うーん。
 七生が機嫌良い……。

 良介を始めとする、今回、HEARTY BEAT を始動させる為に集まったメンバーは七生とは長い付き合いだ。

 LINKSは元々二つの高校生バンドが合体して出来たバンドだった。
 結城含む三人組と七生含む三人組。
 六人で始めるはずが七生がいたバンドの一人が親に反対され離脱。
 そしてあの悲しい事故があり、やはり七生と同じバンド仲間の宮部弘樹が亡くなり四人になった。
 元々違うバンドだったのもあり、七生が残りの三人と必要以上に慣れ合う事は無かった。

 だからか機嫌良さげに音楽活動をする七生を見るのは宮部が生きている頃以来で皆七生の態度に若干戸惑いを感じている。

 まあ、でも。
 LINKSが活動休止してから三年。
 やっと七生がやる気をだしたのだから、良しとしよう。
 これが皆の総意となった。

 二人の世界が完全に出来上がる前に矢作が遮る。
「はいはい。いちゃつくのはさっさと終わらせてね。僕は……客入ると思うけどなあ……結構みんな『HEARTY BEAT楽しみ』って言ってるよ?」
 部屋の隅でスマホをいじっていた矢作はとぼけた様な声を出す。
「みんなって誰ですか、みんなって……」
 そんな、小学生がおもちゃをねだる時のような常套句なんて信じられないと、手は七生の髪を弄りながら圭が尋ねた。
「ネットの書き込み?」
 にやりと笑いながらヒラヒラと矢作はスマホを振る。
「またそんな霞みたいなの……というか、矢作さん、またエゴサやったんですか?」
「え~。毎日やってるよ~」
 当たり前でしょ?
 このご時世。
 矢作はスマホをするりとタップさせた。
「そうですか……」
 エゴサをしたからと言って自分の名前や曲が引っかかる事はあまりない。
 ライブに来てくれた友人が自分のSNSにコメントをくれるくらいだから今までは積極的に探そうなんて思ってもみなかったのだ。
「みんな『HEARTYBEAT』良い曲だってさ。一曲目から楽しみだねえ。圭もライブ終わったら検索してみなよね。……落ち込むこともあるけど大体元気貰えるから」
 一番最初に七生からもらったデモデータに入っていた「HB」という曲は曲名を正式な『HEARTYBEAT』にあらためデビューアルバムに収録されることになった。
 バンド名と同じだからタイトルを変えようという意見もでたが、しっくりくるタイトルがみな思い浮かばなかったのだ。
 今日のライブは持ち時間は二十五分でホームページで公開している三曲と新曲一曲を演奏する予定となっている。
 その一曲目だ。
「お客さん、いれば、そりゃ楽しみですけど」
 このフェスで一番小さなステージだって四千人は入る。
 日頃のライブの規模からは考えられない位の人数だ。
「いるって。だってミドリの友達呼んだんだろ?」
 不思議そうな顔をして矢作が圭を見る。
「……二人ですけど」
「じゃあ二人はいるじゃん」
 圭の手の中で大人しくしていた七生が突然口を開く。
「二人でいいんですか!」
 思わず持っていたブラシを落としそうになる。
「ま、デビュー前ライブだから仕方ないな」
「一番小さなステージですけど、四千人入るんですよ?」
「LINKSはデビューライブが武道館、しかも満員だったからなあ」
 七生がぼそりと恐ろしい事をいう。
「……お前は?」
 圭の腕の中から上目遣いで七生は圭を見る。
「……渋谷の百人はいれば満員のライブハウスで十人でしたが」
「一割入ってるから、いいんじゃね?四千人分の二より」
 七生の目が細くなり、にやりと口元が笑う。
 からかわれているとやっと気付いた。
 耳元が熱くなるが、平然とそのまま話続ける。
「……その二人その時も来てくれて……」
「……いい友達じゃん?今日のチケットも買ってくれたんだろ?」
「毎年行ってるし他にも目当てのアーティストがいるからって」
 みちるとその友人(彼氏だと思っているが本人達いわく付き合っていないらしい)トモハルに今日の事を話したら二つ返事で見に来てくれる事を約束してくれ、チケットを準備しようとしたら「話きいてさっさと手配しちゃった!」と笑って言われた。
 二人とも日頃のライブにもマメに来てくれる、圭の音楽の良き理解者だ。
「……お前をずっと応援してくれてんだろ?じゃあ今日はその二人の為に最高のステージにしなきゃ」
「はい」
 頷く圭を満足気に見ると七生は圭のブラシを持つ手に自分の手を添え、一瞬強く握って手を離した。
 顔はもう前を向いている。
 さて、と圭はふんわりと七生の髪の毛を一撫でするとセットしていた手を止める。
「……はね、直りましたよ」
 耳元に唇を寄せて囁いた。

「……おう」
 鏡の前ではないからお互いの表情は見えないが信頼する空気が感じられる。
「HEARTY BEATさん、そろそろ袖待機お願いします」
 ノックと同時にドアが開き、フェススタッフの揃いのTシャツを着た若者がドアを開けて声をかけてきた。
「……だってよ……」
 その声に緊張が高まった圭だが、一瞬のうちにドアの隙間から入り込んだ外の熱にタクは顔をしかめる。
「あー、ねえねえ」
 緊張した顔の圭をちらりと見るとダイスケが
「円陣組まない?……HEARTY BEATの初陣だし?」
 と皆の顔を見回し提案する。
 ……そうだ、初ステージ……
 暑い暑いと騒ぐタクに気をとられていたが、そうだ初ステージなんだと圭は改めて思い出す。
 もうずっと彼らと一緒にいたから忘れていた。
 まだHEARTYBEATは生まれてもいないことに。

 生まれるのは今日だ。

「おお、良いねえ」
 タクが手を差し出す。
 ダイスケがそれに重ね矢作が続く。
「……ベタ過ぎる」
 七生がぶっきらぼうに呟くが頬の緩みは隠さず手を置く。
「……胸を借りる気で頑張ります……」
 そっと圭が手を乗せるとちらりと七生が圭を見た。
「HEARTYBEATはお前と俺のバンドだ。……胸なんて、貸さない。自力でいけ」
 にやりと薄い唇があがる。
 気の強い猫のような瞳に射ぬかれて、圭は苦笑いを浮かべた。
 ……対等だって言ってくれてる
 俺のような無名の素人に毛が生えた程度の音楽家のはしくれとデビューライブを武道館でやったり休止を大勢のファンや音楽仲間に惜しまれるようなアーティストの御堂さんと。
「…はい」
 圭は大きく頷いた
「じゃあ!いくよ~。えいえいお~!」
 小学生のようなタクの掛け声で重なった手が上に上がる
 矢作がその瞬間を写真に納めた。

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