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第二章
32話
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「帰りましょう、ルーク様」
手をゆっくりと差し出すと、ルーク様は一度それを見つめて、それからおずおずとこちらに手を伸ばした。そして指先が触れそうになった瞬間、突然大きく何かが割れる音がした。思わず辺りを見回すと周りにあった暗闇が徐々にこの光の空間を侵食しはじめているのがわかった。これでもし全てを闇に飲まれてしまえばルーク様の心はきっと取り返しのつかないことになる。焦りと不安が入り混じった感情のままにルーク様の方を振り返ると、ルーク様は何故かひどく優しい表情でこちらを見ていた。
「……ルーク様…?」
「ありがとう」
たった一言、それだけを呟いた。どういうことか聞くために声を出そうとすると急に視界が歪みはじめた。ひどく気分が悪くなるこの感覚はここに来た時と同じものだ。ふとそう感じた頃には、意識を手放していた。
「……さま、お嬢様!」
久しぶりに聞くその必死な大声に意識が引っ張り上げられた。
「……こうして呼んでもらうのも久しぶりね」
「お嬢様!やっとお目覚めになられたのですね!」
ゆっくりと目を開けるとそこは見慣れた天井だった。どうやら寮の自室まで運ばれていたらしい。
「……私はどれくらい眠っていたの?」
「3日です」
「……3日。…っ!ラナ、ルーク様は?ルーク様はどこにいらっしゃるの?」
勢いよく上体を起こすとまだ少し重たくふらついてしまいそうになったけれど、すかさずラナが支えてくれた。そしてゆっくりと状況を教えてくれる。
「ルークベルト殿下はまだ意識を失っている状態で、学院の医務室にいらっしゃいます。お嬢様は特に異常がなかったのでこちらにお運びしましたが、殿下はお顔に黒い模様のようなものが浮かんでいらっしゃいましたのであちらに」
「黒い模様?……もしかして、『澱み』が関係しているの?」
「はい、おそらく。ロナン様やルカルド殿下が『澱み』に深く意識を飲まれているために出た症状ではないか、とおっしゃっていました」
深く意識を飲まれている……だから精神世界が暗闇のようになっていたのだろうか。だとしたら最初から……?とにかく、ご様子を確認しなければ。意識が途切れてしまう直前に記憶の世界が闇に侵食されかけていたことも、どうにも引っかかる。
「すぐに医務室に行きましょう」
「かしこまりました」
私はすぐに身支度をして医務室に向かった。ノックをして中に入ると、そこにはルカルド様とお兄様がいた。
「フィリア!目が覚めたんだね」
「はい、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。……それで、ルーク様のご様子は?」
「……眠ったままなのは変わらないのだけれど、黒い模様の面積が広がっているんだ」
私が目覚めたのだからルーク様も、と思ったのだけれどそう簡単にはいかないらしい。黒い模様が広がっている、というのは光が闇に侵食されていたことが関係しているのではないだろうか。
「……僕たちは一度休憩しようと思っていたところだから、少しの間兄上の様子を見ていてもらっていいかな?」
「かしこまりました」
ルカルド様は静かな声で言ったあと、私の返事を聞くとお兄様を連れて部屋を出ていってしまわれた。その時にお兄様を押し出しているように見えたのは錯覚だろうか……?まあ、それはともかく。お二人が出ていくのを見送った私はベッドの近くに寄った。そしてルーク様のお顔を見ると、確かに黒い模様のようなものが広がっていた。頰から広がってもうすぐ顔全体を包みそうなほどに大きくなっている。そのどこまでも深い黒はやはりあの闇と同じだった。このままでは、ルーク様の心が全て飲まれてしまう。そう思うと不安が大きくなっていく。堪らず私はルーク様の手を掬って両手で握った。ひどく冷たいその感触が心許なくて自分の熱がうつるようにと少し強く握った。
「ルーク様……」
私は何もできなかった。もしもっとうまく立ち回れていたら、今頃ルーク様も一緒に目覚めていたのではないだろうか。何もすることができずに私だけが帰ってきてしまった。
「まだまだお話ししたいことがたくさんあるんです。お願いだから、帰ってきて……」
握った手に額を寄せて祈った。やっと貴方のことを、貴方との思い出を少しだけでも思い出すことができたのに、もう本当の貴方とお話ができないのでは意味がないんです。
手をゆっくりと差し出すと、ルーク様は一度それを見つめて、それからおずおずとこちらに手を伸ばした。そして指先が触れそうになった瞬間、突然大きく何かが割れる音がした。思わず辺りを見回すと周りにあった暗闇が徐々にこの光の空間を侵食しはじめているのがわかった。これでもし全てを闇に飲まれてしまえばルーク様の心はきっと取り返しのつかないことになる。焦りと不安が入り混じった感情のままにルーク様の方を振り返ると、ルーク様は何故かひどく優しい表情でこちらを見ていた。
「……ルーク様…?」
「ありがとう」
たった一言、それだけを呟いた。どういうことか聞くために声を出そうとすると急に視界が歪みはじめた。ひどく気分が悪くなるこの感覚はここに来た時と同じものだ。ふとそう感じた頃には、意識を手放していた。
「……さま、お嬢様!」
久しぶりに聞くその必死な大声に意識が引っ張り上げられた。
「……こうして呼んでもらうのも久しぶりね」
「お嬢様!やっとお目覚めになられたのですね!」
ゆっくりと目を開けるとそこは見慣れた天井だった。どうやら寮の自室まで運ばれていたらしい。
「……私はどれくらい眠っていたの?」
「3日です」
「……3日。…っ!ラナ、ルーク様は?ルーク様はどこにいらっしゃるの?」
勢いよく上体を起こすとまだ少し重たくふらついてしまいそうになったけれど、すかさずラナが支えてくれた。そしてゆっくりと状況を教えてくれる。
「ルークベルト殿下はまだ意識を失っている状態で、学院の医務室にいらっしゃいます。お嬢様は特に異常がなかったのでこちらにお運びしましたが、殿下はお顔に黒い模様のようなものが浮かんでいらっしゃいましたのであちらに」
「黒い模様?……もしかして、『澱み』が関係しているの?」
「はい、おそらく。ロナン様やルカルド殿下が『澱み』に深く意識を飲まれているために出た症状ではないか、とおっしゃっていました」
深く意識を飲まれている……だから精神世界が暗闇のようになっていたのだろうか。だとしたら最初から……?とにかく、ご様子を確認しなければ。意識が途切れてしまう直前に記憶の世界が闇に侵食されかけていたことも、どうにも引っかかる。
「すぐに医務室に行きましょう」
「かしこまりました」
私はすぐに身支度をして医務室に向かった。ノックをして中に入ると、そこにはルカルド様とお兄様がいた。
「フィリア!目が覚めたんだね」
「はい、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。……それで、ルーク様のご様子は?」
「……眠ったままなのは変わらないのだけれど、黒い模様の面積が広がっているんだ」
私が目覚めたのだからルーク様も、と思ったのだけれどそう簡単にはいかないらしい。黒い模様が広がっている、というのは光が闇に侵食されていたことが関係しているのではないだろうか。
「……僕たちは一度休憩しようと思っていたところだから、少しの間兄上の様子を見ていてもらっていいかな?」
「かしこまりました」
ルカルド様は静かな声で言ったあと、私の返事を聞くとお兄様を連れて部屋を出ていってしまわれた。その時にお兄様を押し出しているように見えたのは錯覚だろうか……?まあ、それはともかく。お二人が出ていくのを見送った私はベッドの近くに寄った。そしてルーク様のお顔を見ると、確かに黒い模様のようなものが広がっていた。頰から広がってもうすぐ顔全体を包みそうなほどに大きくなっている。そのどこまでも深い黒はやはりあの闇と同じだった。このままでは、ルーク様の心が全て飲まれてしまう。そう思うと不安が大きくなっていく。堪らず私はルーク様の手を掬って両手で握った。ひどく冷たいその感触が心許なくて自分の熱がうつるようにと少し強く握った。
「ルーク様……」
私は何もできなかった。もしもっとうまく立ち回れていたら、今頃ルーク様も一緒に目覚めていたのではないだろうか。何もすることができずに私だけが帰ってきてしまった。
「まだまだお話ししたいことがたくさんあるんです。お願いだから、帰ってきて……」
握った手に額を寄せて祈った。やっと貴方のことを、貴方との思い出を少しだけでも思い出すことができたのに、もう本当の貴方とお話ができないのでは意味がないんです。
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