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第二章

14話

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『君は馬鹿になったみたいだね』

 ルカルド様の言葉はあれから数日経った今でも思考の波に溶けきらず頭の中に重たく残っていた。

「馬鹿、ね」

 寮の自室のソファに埋もれながら視線を置くためだけに持った本を開いたまま顔の上に乗せる。どうせはなから読む気はなかったけれど文字は先程からひとつも頭に入らない。

「お嬢様、お茶のご用意ができました」

 ノックの音と一緒にラナの声が聞こえたので入るように促す。お茶でも飲めば少しは頭が働くかもしれない。それこそ、「馬鹿」じゃなくなるかもしれない。なんてことはないけれど……。

「はぁ」

「お嬢様?どうかなさいましたか?」

「……ラナ。私はどうすればいいのかしら」

「どうすれば、とは?」

「言葉のままよ。どのようにして生きていけばいいのかしら、ってこと」

「な、なるほど……」

 お茶を淹れてくれるラナに途方もない質問をすると彼女は真剣に考え始めたのか眉間に皺を寄せて首を傾げた。私ったら何を言っているのかしら。こんなこと聞いたってラナを困らせてしまうだけなのに……。

「お嬢様がしたいようにすればいいのでは?」

「え?」

 軽いトーンで言ったラナの言葉に耳を疑う。……私の、したいようにする?

「お嬢様の思う道に進んでいけばいいと思います。お嬢様は決して人を傷つける道は選ばないでしょうし、お嬢様の選んだ道ならきっとみんな笑顔でいられます」

「そうかしら……」

 自信満々に言われるけれど本当にそうとは思えなかった。私は異分子だから、きっと誰かを傷つけてしまう。その考えが消えなかった。

 ふと思った。ラナならどうするだろう。私よりもずっと強くてしっかりしているこの子なら、どうするのだろう。

「ラナ、また一つ質問をしてもいいかしら?……今日見た夢の話なのだけれど…」

「もちろん構いませんよ!どんな夢をご覧になったんですか?」

「……私がね、とある小説の世界に生まれ変わるの。だけれどそれはまだ物語が始まる前の世界で、私自身は物語の開始前に死んでしまう人物だったの」

「それは…辛いですね」

「ええ、だから生き延びることにしたの。そして実際物語の始まりにも立ち会うことになった。でも、私自身はそこにいちゃいけない存在でしょ?だから一生懸命隠れようとして……」

 そこまで話すとラナの顔が曇り始めた。私は何か説明不足な部分があったかもしれないと一度話を止めた。すると彼女は徐に口を開き始めた。

「それは……何だか、少し違う気がします。申し訳ございません、偉そうに」

「そんなことないわ。したかった質問はそれなの。貴女ならどうするかってこと」

「それならば、失礼ながら私の考えを述べさせていただきますね」

「ええ、お願い」

 私は彼女に向かいの椅子に座るよう促し、座ったのを確認してから話しやすいように笑顔を浮かべて聞き入った。

「そもそも、小説通りの物語が始まること自体あり得ないと思うんです。だって私が生まれ変わっていること、私が誰かと出会うこと、私が誰かと何かしらの関係を持つこと、その全てがきっと世界に作用していくはずだから。なので私はきっと本来物語が始まる時期になっても私として生きていくだけなのだと思います。その中で幸せを見つけていけたら、それでいいのではないかと」

「でも、本来の登場人物たちが不幸になってしまうかもしれないわ。私という異分子がいることが誰かの幸せを奪ってしまうかも」

「……私は、幸せはきっと一通りではないと思うんです。だって、私自身がそうだから」

「どういうこと?」

 私が首を傾げて尋ねると彼女は明るい笑顔でこちらを見つめて、また言葉を紡ぎ始めた。

「一般的な幸せは、温かい家族の中で愛されて、暮らしに困ることなく育ち、素敵な人を見つけて結婚することなのかもしれません。でも、私にはそれがなかった」

 彼女がここまで言って、私は自分が問いかけたことを後悔した。辛い過去のことなんて言わせたくなかったのに。

「お嬢様、そんな悲しそうなお顔をなさらないでください。私は今、とても幸せなんですよ?」

「え…?」

「家族も家も無くなって、寂しくてひもじくて辛かった。でも、そんな私をお嬢様が救ってくださって、今私はあなた様とこうして一緒にいることができる。これだって立派な幸せです。だからきっと、人の幸せというものに決まった型はないと思うんです」

 その言葉に私は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。そうか、私はこの世界の幸せは全てゲームの通りになることだと思い込んでいたんだ。ここはゲームじゃなくて私もみんなも生きている「現実」だというのに。

「それに、どこの世界にも異分子なんていません。みんなきっと誰かにとっての大切な人、または未来で大切になる人なんですから」

 その何の陰りもない笑顔と言葉にいつの間にか目の奥が熱くなって涙が溢れていた。ずっと頭から消えなかったしこりのようなものが静かに溶けていく感覚がする。私も、ここにいていいのだろうか。ここでみんなと笑っていてもいいのだろうか。許されるのなら、私も輪の中に入ってもいいのだろうか。

「お嬢様?!どうしましたか?何か私が……」

「違うの、違うのよ、ラナ。ありがとう。とても、優しい言葉だわ」

 私が震える声でそう言うとラナは驚いて心配そうにしていた顔を優しい笑顔に変えた。

「これも、お嬢様から教わったことです。昔の私なら、綺麗事だと言って捨て去った言葉だったと思います。でも、綺麗事は嘘ではない、でしょう?」

 初めて出会ったあの日のことを思い出す。全てを警戒して鋭い瞳をしていた彼女は、もうここにはいない。ここにいるのは、誰よりも強く私の背中を押してくれる親友だ。あぁ、私なんて馬鹿だったのだろう。今ならはっきりとわかる。一度ゆっくりと瞬きをした。それからラナと目を合わせて微笑むと心の奥底がじんわりと温かくなった。
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