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第四章 王立学院中等部三年生
289 儀式の間と転生者③
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Side:アシェル14歳 秋
それまでの穏やかな笑みを困惑に変えた男は、うーんと少し思案してから口を開いた。
「君から貰う対価はあるんだけれど……。彼の口をきけるようにしてもいいかな?というよりも我慢の限界みたいだし、鬱憤が溜まって動けるようになった途端に器を壊される……なんてことになったら困るからね。まだ動いてはいけないけれど『一人ずつなら喋っても良いよ』。」
てっきりアシェルからの伝言は無理だと言われるのだと思っていたのに、男は全く予想していなかったことを口にした。
「アシェっ!自分が何言ってるのか分かってるのか!?寿命や魔力というが、結局魔力が減れば寿命も減るんだぞ!命を差し出してまで——。」
「別に今すぐ死ぬって訳じゃないんだから、それくらいいいでしょ?短くても平民の寿命くらいまで生きれたら良いかなって思うし。」
この世界の寿命はそもそも早い。
大体貴族は60歳程度まで生きられるらしいが、10年くらいなら寿命が減っても良いかなと思っている。他種族は分からないが、人族平民の大体の寿命だ。
平均寿命にすると冒険者や事故死、病死が含まれるので、平民の平均だと30代になる。
「良くないっ!だったら俺の寿命をくれてやる。そうでなくても、王族の寿命は他の貴族より長いんだ。アシェの居ない世界なんて意味が無い。」
「これは僕の我儘の対価だよ?アークから貰えるわけないでしょ。僕が払わなきゃ意味ないんだから。」
「本来なら言葉を聞くことすらできないんだ。そんな無理をしてまで……。」
「別に無理じゃないよ。僕から出せるものしか渡せないんだし。……ずっと、薫のこと探してくれてたって。見つけてくれて、葬儀までしてくれてありがとうって伝えたい。いつ、どんな状態で見つかったのか分からないけど。前世は死体なんて……しかも他殺の死体なんて、普通は目にするものじゃないんだよ。二人のトラウマになるような状態で見つかってないと良いんだけど……。それに……二人に心配かけてるみたいだから。こっちとあっちじゃ時間の流れが違うから、孫までいる二人に届ける時間があるのか分からないけど。あるなら伝えたい。結婚おめでとうって、言えなかった最後の言葉を。それと……。」
アシェルも王子様と結婚することになると伝えたい、と思ったところで。
婚約式をしていないのに先走り過ぎだろうかとも思う。
恐らく結婚式そのものは王立学院を卒業してからだろうし、婚約式をしてしまえば間違いなく結婚するだろうから、結婚報告が良いと思ったのだが。
婚約式をしていないのであれば、お付き合い報告までの方が良いのだろうか。
でもお付き合い報告で、結婚報告じゃないとしたら。
二人に。特に貴族のことを空想上の物語として詳しそうな咲が心配してしまうだろうか。
というよりも、家族にお付き合いだけで報告するのは流石に重たくないだろうか。
「それと、なんなんだ?」
「アークと、婚約するっていうか、結婚することになるって伝えようと思ったけど。婚約式まだだし。お付き合い報告だと、家族に彼氏が出来ましたって報告するのも変かなぁって。でも、僕が誰とお付き合いするか気にしてるみたいだったから、ちゃんと二人には僕の口から伝えたいなって。知らないところで神様からばらされて報告なんて嫌だもん。……なんて言ったらいいと思う?」
本気で悩んでいるらしいアシェルの顔を見て、苛々していたはずのアークエイドは言葉に詰まった。
恐らくあの声は二人のモノなのだろうが、伝言なのにそれに反応するアシェルにも、目の前に居ないのに親友達がアシェルの姿を見ているかのような言葉を交わすことにも。
そして当たり前のように自分の身を犠牲にして、この世界には居ない二人に声を届けようとすることにも。
アークエイドは言いようのない不安と苛立ちを感じていた。
目の前の男が神と言うならば、アシェルが連れ去られてしまうのではないかとすら思ってしまう。
それなのに目の前の恋人は、ついでかもしれないが、薫が何より大事にしていた二人にアークエイドのことを報告してくれようとしてくれているのだ。
そのことが嬉しくて、思わずそれならと許可を出してしまいたくなる。
「……婚約式はまだだが、本当はすぐにでもしたいんだ。俺はもうアシェの婚約者のつもりだし、卒業したらすぐにでも挙式を挙げたい。なんなら卒業まで待たずにすぐにでも。」
そこで言葉を区切ったアークエイドは、チラッと視線だけをアベルに向けた。
身体は動かなくても目線は動かせるらしい。
「そういうところはモニアにそっくりだね。でも、婚姻は卒業まで許さないよ。」
「って言われるのが分かり切ってるから、卒業まで待つだけだ。だから婚約式はまだでも、恋人より婚約者と紹介された方が嬉しい。嬉しいが……やっぱりアシェが命を削るのは、了承できない。」
そうは言われても、神様だからこの世界のお金なんて要らないだろう。
神様が欲しそうなものと言えば、やっぱり身体的な何かだと思うのだ。
もしかしたら信仰心が力になる!とか言われるかもしれないが、見せかけのお祈りなんてきっと意味が無いだろう。
対価がそれでいいなら、毎日でもお祈りを捧げたっていいくらいだ。
神様という存在を目の前にしてはいるが、信仰心が芽生えるかと言われたらそんなことは無いのだ。
「言いたいことは言い終わったかな?それと、彼女の寿命に関わるものを貰うと、それは魂の負担が大きいから。彼女からはソレ関係を貰うつもりはないよ。」
「じゃあ、僕は何を差し出せば?」
にこっと微笑んだ男はスッとアシェルを指さした。
「君の中に眠る力を。もう君には不要のものだし、その力の元の持ち主は長らく弱っていてね。あとは力さえ戻れば、次に進む準備は整ってるんだ。その力を君の寿命が来る前に、どうしても持って帰りたいんだよね。だから、対価はソレが欲しい。というよりも、それ以外の対価は認めない。」
ずっと明るい口調だったのに、最後だけ少し強く言い切られてしまう。
神様にとって、それだけ大事なモノなのかもしれない。
「そもそも、僕のモノじゃないんですよね?……僕が記憶を取り上げないでって我儘を言ったから?どちらにしても、元の持ち主にちゃんと返してあげてください。」
「対価は決まりだね。では、先に伝言を聞こうか。聞いてもらったから分かると思うけれど、声がそのまま届くよ。私が手を叩いたのを合図に、喋ってもらえるかな?ちなみに、届くのは君の声だけ。外野が何を言っても、あちらには届かないからね。」
「分かりました。お願いします。アークも、良いよね?」
「……駄目だと言っても、意見は変わらないだろ。」
「うん、ごめんね。せっかくのチャンスだから。一つのけじめのつもり。」
よく考えたら、アークエイドとここまで言葉を交わすのも久しぶりな気がした。
この部屋に入ってから、ずっと付き纏っていた眠気に襲われていないのだ。
魂を癒すには眠らないといけないと言っていた。
咲と健斗への伝言を預けて、眠りにつく前にここに居る人たちへ感謝の気持ちを伝えても良いかもしれないと思う。
今この瞬間のように、会えなくなってから言葉が足りていなかったことで後悔することが無いように。
パンッと乾いた音が鳴り響いた。
「咲、健斗久しぶり。私は薫。だけど、今はアシェルって名前で暮らしてるんだ。って知ってるよね。意識すれば薫っぽく喋れるけど、それだと僕って感じがしないから。普段通り喋るね?だからちょっと違和感があるかも。僕と薫の喋り方、全然違うから。でもその前に……咲、健斗。結婚おめでとう。ずっと、二人にこれが言いたかったの。せめて電話で伝えたら良かったって。二人の晴れ姿、見に行けなくてごめんね。大好きな二人が結婚して。それに私のこと、ずっと家族と思ってくれてて。凄く嬉しいわ。私も、二人のこと。大事で大好きな家族と思ってる。これから先もずっと。」
直接言えたわけではないが、それでもこの言葉が二人に伝わると思うと。
少しだけ心残りが解消された気がする。
——幽霊だったら成仏してしまうだろうか。なんて馬鹿なことを考えるくらいには。
「神様から僕のこと、聞いてるんだよね?だから知ってるかもしれないけど、こっちは魔法があって、魔物が居て、とてもファンタジーな世界だよ。家族が居て、仲も良くて。医師家系でお薬作ったりするんだけど、それも楽しくて。知りたいことが沢山あって、何処を見ても世界がキラキラしてるんだ。すごく幸せだよ。でも、薫だった時のことが不幸だとは思ってないんだ。だって薫には咲と健斗が居てくれたから、凄く幸せな人生だった。施設長の奥さんに聞いたこと、気にしないで欲しいんだ。あれが薫にとって、二人を守る手段だったから。ずっと私を守ってくれた二人のことを、僕だって守ってあげたかったんだ。二人と色々シたのは、嫌じゃなかったよ。ううん、心がぽかぽかして好きだった。ずっと、薫のこと探してくれてたのかな?急に居なくなったから心配かけちゃったよね。見つけてくれてありがとう。葬儀だって、凄くお金かかったでしょ?何も準備してなかったから。二人の負担になっちゃったんじゃないかって心配だけど……二人と。二人の子供たちと同じお墓に入れるのは嬉しい。本当にありがとう。あとは二人のお勧めしてくれた王子様だけど……色々あったけど、お付き合いを始めたし結婚することが決まったよ。兄妹たちもどんどん婚約が決まったから、僕の婚約式はまだ少し先だけど。その……第二王子の、アークが。僕の婚約者なの。……どうしよ。思ったより、婚約者の紹介が恥ずかしい……。」
さらっと伝えようと思ったのに、いざ言葉にしてアークエイドと婚約することを親友に伝えていると思うと、頬が熱を持ってしまった。
その熱を冷まそうとパタパタと手で仰ぎながら、この独り言を終わらせるために言葉を続ける。
「アークも、家族も。僕が薫のことを話しても受け入れてくれたんだ。だからね。僕は薫だったこと、忘れたいなんて思ってないんだよ。それに……“授け子”っていう転生システムがあるんだけど、同郷の子が二人もいるんだよ?二人と話が合わなくなるのは悲しいしね。僕にとって、思い出は覚えていることが当たり前だから。覚えていて苦しいとは思わないよ。むしろ……自分で記憶を封じて、中途半端だったときの方がパニックを起こしてたから。中途半端に記憶が消えた方が困るかも。僕だって成長してるんだから、心配しないで。これでも身体だって鍛えてるし、強くなったんだから。……二人に伝えたい事はこれだけ。傍に居ればもっと色々お喋りしたかもしれないけど……一人で話すのも寂しいしね。咲、健斗。ありがとう。またいつか、会えたら良いね。神様のお手伝いが何か分からないけど、頑張って。」
話の終わりを告げるために神様を宿した男に礼をすると、もう一度パンっと高い音が響いた。
「確かに預かったよ。じゃあ、対価を貰おうか。それには胸の辺りに触れないといけないんだけど……彼はお気に召さないようだね?」
「自分の恋人を、他の男に触らせたい奴なんていないだろ。」
「困ったね。そうは言っても、彼女の魂を癒すためには、同じように触れる必要があるよ?」
「っ……。」
「本当は彼のことなんて無視しても良いんだけど……一度に済ませてしまうよ。しばらく眠ることになるけれど、君の許容範囲はどれくらいかな?時間をかければかけるほど、身体の負担は少ないし。短ければ短いほど、眠っている間に痛みを感じたり、熱を出したりするよ。」
困ったと言いつつ全く困った素振りを見せなかった男は、アークエイドが言葉に詰まったのを会話の終了と見たようだ。
次に進もうとアシェルに話しかけてくる。
「……推奨は?僕は来年の授業に、間に合うようにお願いしたいんですけど。」
高等部一年生からは専攻や上級といった、より専門的な授業の選択が出来るようになるのだ。
出来れば最初の授業から出席したい。
「丸っと一年が理想だけれど。そうだね。4月1日に目覚めれば、学校には間に合うのかな?それなら毎日熱が出て、ちょっと身体が痛い日があるかなぁくらいにはなると思うよ。あぁ、眠っている間は一切目覚めないから。“授け子”の二人にお世話をお願いすると良いと思うよ。看護師と介護経験者だから。点滴で栄養を補給しないと、身体が衰弱してしまうからね。二人はこの世界の人間よりも、ヒトのお世話は得意なはずだから。」
眠っているとは、意識不明の状態でしばらく過ごすという意味のようだ。
起こされれば食事くらい摂れるかと思っていたが、そうではないらしい。
そしてパトリシアがどうかは分からないが、リリアーデの看護を受けるという事は。
間違いなく、スパルタ気味なリハビリが待っているはずである。
たった10日間寝込んだだけで、過保護すぎるレベルの介助が必要だったのだ。
数か月寝込んで、一週間そこそこで学院に通う許可が降りるとは思えない。
そして入院はしたくないが、友人の手を煩わせたくないとも思う。
それだったら邸の使用人に任せた方が気が楽だが、それはそれで介護に慣れていないだろう使用人の負担や、どのように扱われるか分からない不安も付き纏う。
「それじゃ遅すぎます。遅くても3月1日までには起きれるようにしてください。」
「それは構わないけれど……。意識が無くても、痛みも苦しみも感じるよ?」
「別に命に別状があるわけじゃないんですよね?なら痛みや苦しみくらい問題ないです。無理を言ってるのは僕の方ですし。」
「分かった。それまでに間に合うように調整するよ。もう眠ってしまっても良いかい?あぁ『彼女の身体を抱きしめてあげて』。そうじゃないと、倒れてしまうからね。」
男の言葉に反応するように、アークエイドに抱きしめられる。
神様なので魔力を必要としないのか。それとも依り代の御子の魔力が豊富なのか。
行動を制限したり誘導するように魔法を使っているが、男に疲れた様子も魔力枯渇の片鱗も見られない。
「ありがとう、アーク。皆、僕はちょっとお休みしますね。神様はリリィとパティ嬢に頼んでって言ったけど、無理強いはしないでください。学業の方が大事ですから、そっちを優先で。僕は、今も幸せだと思ってます。沢山愛情を貰って育ったので。僕のこと、大事に育ててくれてありがとう。」
「なんでそんな遺言みたいなっ。」
「遺言なんかじゃないよ。ただ、伝えられる時にって思っただけ。神様、お願いします。」
アベルたちは言葉を発しなかったが、それでも温かい愛情のこもった眼差しを感じることが出来る。
幸せな気分のまま眠りにつけそうだ。
「じゃあ、君が産まれた時に与えられた加護の力を貰うよ。あぁ、血筋的な加護ではなく、ヒトの意志が加護の力になったものだから。目が覚めても変わりはないからね。コレは産まれたばかりの。いや、産まれることが出来るか分からない我が子を生かすための加護だから。もう大きくなった君には不要なモノだ。ゆっくりおやすみ。」
男の手の平がアシェルの胸元にぴったりとくっついた。
もしかしてその加護を貰ったせいで、生母シェリーが亡くなってしまったのではと。
問うことのできないまま、意識は闇に落ちていく。
ぐったりと力の抜けたアシェルの身体は、しっかりとアークエイドに抱き留められた。
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Side:アークエイド15歳 秋
身体の自由が効かなかったのに、アシェルを支えようとすると身体が動いた。
意識が無いと分かっていても、力の抜けてしまった愛しい人を抱きしめる。
怪我一つさせたくないのだ。
「生命の神様。我が娘の加護について。少し詳しく聞かせていただけませんか?妻は、間違いなく持病が原因で他界しました。ですが今の言い方だと……アシェにその責任があるように聞こえてしまう。」
「ふむ……これも伝わってないのか。『皆、自由に過ごして良い』。配偶者であれば、コレに見覚えは?」
身体も、恐らく言葉も自由になったが、動いたのはアベルとサーニャだけだった。
神に近付き、その手の平にあるものを見て顔を見合わせている。
「これは妻の……。」
「えぇ、間違いなく。シェリー奥様の指輪でございます。あんなに探しても見つからなかったのに……。」
「加護の依り代になっているのだから、見つからなくて当たり前だろう?遺品が見つからないケースは、割とあるはずなんだけれどね。」
「その理由をお尋ねしても?」
「死に際に使える、最期の魔法。大体は誰かを護りたい、幸せになって欲しいという純粋な思いが具現化したものが加護だよ。血筋とは全く関係のないね。生前から大事にしていたモノだけが依り代になる。装飾品だったり、文具だったり。彼女の加護は、健やかに命が続くことを願った母の想いが、依り代を得て加護になったもの。彼女の為に最大限手をかけてくれたことは知っているけれど。この加護が無ければ、彼女の生存率は2割だったよ。残りの8割を母が補ったんだ。魂を消耗してでも、我が子を守りたいと。生きていて欲しいという想いが形になったんだよ。彼女が生きていることが母のお陰であっても、母が死んだことに彼女は全く関係ないことだね。」
確かに遺品が見つからないことがある、というのは、まことしやかに噂されることがある。
どうしても見つからない愛用品は、現世を旅立つときに持って行ってしまったのだろう。ということになっていた。もしくはストレージに放り込まれているか。
それほどまでに、生前愛用していたものほど紛失していることが多かったのだ。
「……うん。思ったよりこちらの消耗は無いみたいだね。一旦消耗したけれど、彼女の身体が健康的になったことで回復したのかな?彼女の魂ならソレも可能か……。この消耗は、傷だらけの魂を護ろうと働いたのかもしれないね。とりあえず、この指輪はお返しするよ。もうこの指輪自体は何の力も持たない。ただの金属だ。」
男の手からアベルに、遺品の指輪が返却された。
アベルはそれを大事そうに抱きしめる。
神を名乗る男は先程から意味深なことを言い続けているが、何をどう尋ねて良いのかも分からない。
あまりにも知らない情報が出てくるのだが、それが嘘か本当かの判断すらつかないのだ。
アークエイドに分かることは、この神とやらがアシェルのことを気に入っているようだと言葉の端々から感じるだけだった。
このままアシェルの魂が連れ去られてしまうのではないかという不安が拭えない。
「何故……そこまで俺達に教えてくれる?それに何故、やたらとアシェのことに詳しいんだ。神とは、転生者をそこまで見守るものなのか?」
「滅多に、誰かを注視することはしないよ。元はこの世界の転生システムの条件に引っかかっただけの魂だしね。でも彼女の魂を見て、興味が沸いた。——あぁ、そうだね。ヒトには見えないものだから気になるか。せっかくだから見て貰おうか。禁術が、どれほど彼女の魂を蝕んでいたのか。」
そういった男が手の平を上に向けると、先程までは何もなかった場所に丸いものが浮かび上がる。
綺麗な球状のそれは、透き通るような明るさを持っているのに、纏わりつく黒い靄と、ひび割れた溝に真っ黒な何かがこびりついて見える。
そのせいで、ほとんど黒く染まってしまっているように見えた。
「普通は、悲しくて暗い記憶を持っていると魂は歪んでしまうんだ。もしくはくすんでくる。犯罪者の魂なんて真っ黒だよ。でも彼女の魂はとても綺麗な形をしてるだろう?少し見えにくいだろうけど、色だって授け子にしてもいいほど澄んでいる。残念ながら、彼女は授け子として呼ばれた魂ではなかったんだけれどね。これだけ綺麗な形をしていて、色も綺麗な魂は貴重なんだよ。大体は生きていくうえで歪んでしまうものだから。だから久しぶりにヒトに。彼女に興味を持った。“古都”は私にとって少なからず思い入れのある世界だし。メイディーの名を継ぐ者達が変わりないのであれば、彼女にピッタリだと思ったんだ。時々稀有な魂の持ち主を観察していたし、彼女の親友達の協力の対価に彼女のことを伝えていたから。これで彼女に詳しい理由にはなったかな?——え、そんなことを気にしてるの?お気に入りの魂だけれど、ちゃんとお返しするよ?私が連れていくのならこんなまどろっこしいことなんてせずに、世界の時の流れを気にせず時間をかけて癒せばいいだけだからね。そうじゃなきゃ、わざわざ彼らから伝言を貰ってきて伝えたりしないよ。応急処置のつもりだったけど、思った以上に効果があったみたいだし。色々喋りすぎって……そもそも失伝してるのは君達の方だろう?世界の理として間違ったことは……。長く観察しているけれど、ヒトってのはよく分からない生き物だね。それにしても、本当に今代の御子は小言が多いね。器としては最高なのに。」
説明をしてくれていたはずなのに、結局は一人で誰かと会話をしている。
誰かではなく、恐らく神を宿す大司教と会話しているのだろう。
大司教は滅多に表舞台に出てこないが、王族であるアークエイドは何度か目にする機会があった。
一般的には知られていないだろうが、大司教の位につくのはデイライト直系で加護持ちだと決まっている。
大司教の代替わりが近づくと、必ず直系色を纏わない子供が一人だけ産まれる。
神託で次の大司教にするようにとお告げがあるのだ。
そうして産まれた子供は大聖堂に引き取られ、デイライトの者でありながら貴族社会とは無縁の存在として生きる。
デイライトの者が神職に就く傾向が強いのは、恐らくどの貴族よりも一番神との距離が近いからだろう。
もしかしたら幼い時に家族から引き離された血縁者を、傍で支えたいという想いもあるのかもしれない。
「話が逸れたね。とりあえず。本来の彼女の魂は、綺麗で澄んだ素晴らしいものだよ。そしてこの黒く見える穢れが彼女を蝕んでいる。これでも、この部屋に入ってすぐよりは少しだけマシなんだけどね。魂が以前のままの大きさだったら、間に合ってなかったかもしれないね。この世界で、彼女はとても良い人生を送っているようだ。——あれ、もう限界?まぁ、かなり長く居座っちゃったからね。回復部屋まで歩いてあげようか?さっさと出ていけは酷くないかな。まぁいいや。目的は果たせたからね。彼女の魂を身体に戻すタイミングは、誰か使いをやるから。その時はココに彼女を連れて来てね。では。」
喋りたいだけ喋った神は祭壇に背を預け、そのまま大司教の身体から力が抜けた。
俯いた顔から、涙がとめどなく溢れているのが見て取れる。
「失礼しました。これは潜在消費の影響ですのでお気になさらず。生命の神の乱入で、神聖なる婚約式の場を乱したことをお詫び申し上げます。恐らく、外の時間は経過していないはずですので。メイディーのご息女様と第二王子殿下は控室へ。婚約式を執り行いたいと思うのですが、宜しいでしょうか?」
俯き加減で涙を流しながら、それでもしっかり大司教は頭を下げた。
訳も分からないまま外に誘導されたトラスト伯爵家の人間も戻ってきて、イレギュラーなことが起こったものの、婚約式だけはやってしまうことになった。
予約や両家の都合を合わせる兼ね合いで、一旦延期するとすぐに次の予約という訳にはいかなくなるのだ。
アークエイドはアシェルを頼まれ、安らかに眠っているように見えるアシェルを抱えて控室に移動したのだった。
それまでの穏やかな笑みを困惑に変えた男は、うーんと少し思案してから口を開いた。
「君から貰う対価はあるんだけれど……。彼の口をきけるようにしてもいいかな?というよりも我慢の限界みたいだし、鬱憤が溜まって動けるようになった途端に器を壊される……なんてことになったら困るからね。まだ動いてはいけないけれど『一人ずつなら喋っても良いよ』。」
てっきりアシェルからの伝言は無理だと言われるのだと思っていたのに、男は全く予想していなかったことを口にした。
「アシェっ!自分が何言ってるのか分かってるのか!?寿命や魔力というが、結局魔力が減れば寿命も減るんだぞ!命を差し出してまで——。」
「別に今すぐ死ぬって訳じゃないんだから、それくらいいいでしょ?短くても平民の寿命くらいまで生きれたら良いかなって思うし。」
この世界の寿命はそもそも早い。
大体貴族は60歳程度まで生きられるらしいが、10年くらいなら寿命が減っても良いかなと思っている。他種族は分からないが、人族平民の大体の寿命だ。
平均寿命にすると冒険者や事故死、病死が含まれるので、平民の平均だと30代になる。
「良くないっ!だったら俺の寿命をくれてやる。そうでなくても、王族の寿命は他の貴族より長いんだ。アシェの居ない世界なんて意味が無い。」
「これは僕の我儘の対価だよ?アークから貰えるわけないでしょ。僕が払わなきゃ意味ないんだから。」
「本来なら言葉を聞くことすらできないんだ。そんな無理をしてまで……。」
「別に無理じゃないよ。僕から出せるものしか渡せないんだし。……ずっと、薫のこと探してくれてたって。見つけてくれて、葬儀までしてくれてありがとうって伝えたい。いつ、どんな状態で見つかったのか分からないけど。前世は死体なんて……しかも他殺の死体なんて、普通は目にするものじゃないんだよ。二人のトラウマになるような状態で見つかってないと良いんだけど……。それに……二人に心配かけてるみたいだから。こっちとあっちじゃ時間の流れが違うから、孫までいる二人に届ける時間があるのか分からないけど。あるなら伝えたい。結婚おめでとうって、言えなかった最後の言葉を。それと……。」
アシェルも王子様と結婚することになると伝えたい、と思ったところで。
婚約式をしていないのに先走り過ぎだろうかとも思う。
恐らく結婚式そのものは王立学院を卒業してからだろうし、婚約式をしてしまえば間違いなく結婚するだろうから、結婚報告が良いと思ったのだが。
婚約式をしていないのであれば、お付き合い報告までの方が良いのだろうか。
でもお付き合い報告で、結婚報告じゃないとしたら。
二人に。特に貴族のことを空想上の物語として詳しそうな咲が心配してしまうだろうか。
というよりも、家族にお付き合いだけで報告するのは流石に重たくないだろうか。
「それと、なんなんだ?」
「アークと、婚約するっていうか、結婚することになるって伝えようと思ったけど。婚約式まだだし。お付き合い報告だと、家族に彼氏が出来ましたって報告するのも変かなぁって。でも、僕が誰とお付き合いするか気にしてるみたいだったから、ちゃんと二人には僕の口から伝えたいなって。知らないところで神様からばらされて報告なんて嫌だもん。……なんて言ったらいいと思う?」
本気で悩んでいるらしいアシェルの顔を見て、苛々していたはずのアークエイドは言葉に詰まった。
恐らくあの声は二人のモノなのだろうが、伝言なのにそれに反応するアシェルにも、目の前に居ないのに親友達がアシェルの姿を見ているかのような言葉を交わすことにも。
そして当たり前のように自分の身を犠牲にして、この世界には居ない二人に声を届けようとすることにも。
アークエイドは言いようのない不安と苛立ちを感じていた。
目の前の男が神と言うならば、アシェルが連れ去られてしまうのではないかとすら思ってしまう。
それなのに目の前の恋人は、ついでかもしれないが、薫が何より大事にしていた二人にアークエイドのことを報告してくれようとしてくれているのだ。
そのことが嬉しくて、思わずそれならと許可を出してしまいたくなる。
「……婚約式はまだだが、本当はすぐにでもしたいんだ。俺はもうアシェの婚約者のつもりだし、卒業したらすぐにでも挙式を挙げたい。なんなら卒業まで待たずにすぐにでも。」
そこで言葉を区切ったアークエイドは、チラッと視線だけをアベルに向けた。
身体は動かなくても目線は動かせるらしい。
「そういうところはモニアにそっくりだね。でも、婚姻は卒業まで許さないよ。」
「って言われるのが分かり切ってるから、卒業まで待つだけだ。だから婚約式はまだでも、恋人より婚約者と紹介された方が嬉しい。嬉しいが……やっぱりアシェが命を削るのは、了承できない。」
そうは言われても、神様だからこの世界のお金なんて要らないだろう。
神様が欲しそうなものと言えば、やっぱり身体的な何かだと思うのだ。
もしかしたら信仰心が力になる!とか言われるかもしれないが、見せかけのお祈りなんてきっと意味が無いだろう。
対価がそれでいいなら、毎日でもお祈りを捧げたっていいくらいだ。
神様という存在を目の前にしてはいるが、信仰心が芽生えるかと言われたらそんなことは無いのだ。
「言いたいことは言い終わったかな?それと、彼女の寿命に関わるものを貰うと、それは魂の負担が大きいから。彼女からはソレ関係を貰うつもりはないよ。」
「じゃあ、僕は何を差し出せば?」
にこっと微笑んだ男はスッとアシェルを指さした。
「君の中に眠る力を。もう君には不要のものだし、その力の元の持ち主は長らく弱っていてね。あとは力さえ戻れば、次に進む準備は整ってるんだ。その力を君の寿命が来る前に、どうしても持って帰りたいんだよね。だから、対価はソレが欲しい。というよりも、それ以外の対価は認めない。」
ずっと明るい口調だったのに、最後だけ少し強く言い切られてしまう。
神様にとって、それだけ大事なモノなのかもしれない。
「そもそも、僕のモノじゃないんですよね?……僕が記憶を取り上げないでって我儘を言ったから?どちらにしても、元の持ち主にちゃんと返してあげてください。」
「対価は決まりだね。では、先に伝言を聞こうか。聞いてもらったから分かると思うけれど、声がそのまま届くよ。私が手を叩いたのを合図に、喋ってもらえるかな?ちなみに、届くのは君の声だけ。外野が何を言っても、あちらには届かないからね。」
「分かりました。お願いします。アークも、良いよね?」
「……駄目だと言っても、意見は変わらないだろ。」
「うん、ごめんね。せっかくのチャンスだから。一つのけじめのつもり。」
よく考えたら、アークエイドとここまで言葉を交わすのも久しぶりな気がした。
この部屋に入ってから、ずっと付き纏っていた眠気に襲われていないのだ。
魂を癒すには眠らないといけないと言っていた。
咲と健斗への伝言を預けて、眠りにつく前にここに居る人たちへ感謝の気持ちを伝えても良いかもしれないと思う。
今この瞬間のように、会えなくなってから言葉が足りていなかったことで後悔することが無いように。
パンッと乾いた音が鳴り響いた。
「咲、健斗久しぶり。私は薫。だけど、今はアシェルって名前で暮らしてるんだ。って知ってるよね。意識すれば薫っぽく喋れるけど、それだと僕って感じがしないから。普段通り喋るね?だからちょっと違和感があるかも。僕と薫の喋り方、全然違うから。でもその前に……咲、健斗。結婚おめでとう。ずっと、二人にこれが言いたかったの。せめて電話で伝えたら良かったって。二人の晴れ姿、見に行けなくてごめんね。大好きな二人が結婚して。それに私のこと、ずっと家族と思ってくれてて。凄く嬉しいわ。私も、二人のこと。大事で大好きな家族と思ってる。これから先もずっと。」
直接言えたわけではないが、それでもこの言葉が二人に伝わると思うと。
少しだけ心残りが解消された気がする。
——幽霊だったら成仏してしまうだろうか。なんて馬鹿なことを考えるくらいには。
「神様から僕のこと、聞いてるんだよね?だから知ってるかもしれないけど、こっちは魔法があって、魔物が居て、とてもファンタジーな世界だよ。家族が居て、仲も良くて。医師家系でお薬作ったりするんだけど、それも楽しくて。知りたいことが沢山あって、何処を見ても世界がキラキラしてるんだ。すごく幸せだよ。でも、薫だった時のことが不幸だとは思ってないんだ。だって薫には咲と健斗が居てくれたから、凄く幸せな人生だった。施設長の奥さんに聞いたこと、気にしないで欲しいんだ。あれが薫にとって、二人を守る手段だったから。ずっと私を守ってくれた二人のことを、僕だって守ってあげたかったんだ。二人と色々シたのは、嫌じゃなかったよ。ううん、心がぽかぽかして好きだった。ずっと、薫のこと探してくれてたのかな?急に居なくなったから心配かけちゃったよね。見つけてくれてありがとう。葬儀だって、凄くお金かかったでしょ?何も準備してなかったから。二人の負担になっちゃったんじゃないかって心配だけど……二人と。二人の子供たちと同じお墓に入れるのは嬉しい。本当にありがとう。あとは二人のお勧めしてくれた王子様だけど……色々あったけど、お付き合いを始めたし結婚することが決まったよ。兄妹たちもどんどん婚約が決まったから、僕の婚約式はまだ少し先だけど。その……第二王子の、アークが。僕の婚約者なの。……どうしよ。思ったより、婚約者の紹介が恥ずかしい……。」
さらっと伝えようと思ったのに、いざ言葉にしてアークエイドと婚約することを親友に伝えていると思うと、頬が熱を持ってしまった。
その熱を冷まそうとパタパタと手で仰ぎながら、この独り言を終わらせるために言葉を続ける。
「アークも、家族も。僕が薫のことを話しても受け入れてくれたんだ。だからね。僕は薫だったこと、忘れたいなんて思ってないんだよ。それに……“授け子”っていう転生システムがあるんだけど、同郷の子が二人もいるんだよ?二人と話が合わなくなるのは悲しいしね。僕にとって、思い出は覚えていることが当たり前だから。覚えていて苦しいとは思わないよ。むしろ……自分で記憶を封じて、中途半端だったときの方がパニックを起こしてたから。中途半端に記憶が消えた方が困るかも。僕だって成長してるんだから、心配しないで。これでも身体だって鍛えてるし、強くなったんだから。……二人に伝えたい事はこれだけ。傍に居ればもっと色々お喋りしたかもしれないけど……一人で話すのも寂しいしね。咲、健斗。ありがとう。またいつか、会えたら良いね。神様のお手伝いが何か分からないけど、頑張って。」
話の終わりを告げるために神様を宿した男に礼をすると、もう一度パンっと高い音が響いた。
「確かに預かったよ。じゃあ、対価を貰おうか。それには胸の辺りに触れないといけないんだけど……彼はお気に召さないようだね?」
「自分の恋人を、他の男に触らせたい奴なんていないだろ。」
「困ったね。そうは言っても、彼女の魂を癒すためには、同じように触れる必要があるよ?」
「っ……。」
「本当は彼のことなんて無視しても良いんだけど……一度に済ませてしまうよ。しばらく眠ることになるけれど、君の許容範囲はどれくらいかな?時間をかければかけるほど、身体の負担は少ないし。短ければ短いほど、眠っている間に痛みを感じたり、熱を出したりするよ。」
困ったと言いつつ全く困った素振りを見せなかった男は、アークエイドが言葉に詰まったのを会話の終了と見たようだ。
次に進もうとアシェルに話しかけてくる。
「……推奨は?僕は来年の授業に、間に合うようにお願いしたいんですけど。」
高等部一年生からは専攻や上級といった、より専門的な授業の選択が出来るようになるのだ。
出来れば最初の授業から出席したい。
「丸っと一年が理想だけれど。そうだね。4月1日に目覚めれば、学校には間に合うのかな?それなら毎日熱が出て、ちょっと身体が痛い日があるかなぁくらいにはなると思うよ。あぁ、眠っている間は一切目覚めないから。“授け子”の二人にお世話をお願いすると良いと思うよ。看護師と介護経験者だから。点滴で栄養を補給しないと、身体が衰弱してしまうからね。二人はこの世界の人間よりも、ヒトのお世話は得意なはずだから。」
眠っているとは、意識不明の状態でしばらく過ごすという意味のようだ。
起こされれば食事くらい摂れるかと思っていたが、そうではないらしい。
そしてパトリシアがどうかは分からないが、リリアーデの看護を受けるという事は。
間違いなく、スパルタ気味なリハビリが待っているはずである。
たった10日間寝込んだだけで、過保護すぎるレベルの介助が必要だったのだ。
数か月寝込んで、一週間そこそこで学院に通う許可が降りるとは思えない。
そして入院はしたくないが、友人の手を煩わせたくないとも思う。
それだったら邸の使用人に任せた方が気が楽だが、それはそれで介護に慣れていないだろう使用人の負担や、どのように扱われるか分からない不安も付き纏う。
「それじゃ遅すぎます。遅くても3月1日までには起きれるようにしてください。」
「それは構わないけれど……。意識が無くても、痛みも苦しみも感じるよ?」
「別に命に別状があるわけじゃないんですよね?なら痛みや苦しみくらい問題ないです。無理を言ってるのは僕の方ですし。」
「分かった。それまでに間に合うように調整するよ。もう眠ってしまっても良いかい?あぁ『彼女の身体を抱きしめてあげて』。そうじゃないと、倒れてしまうからね。」
男の言葉に反応するように、アークエイドに抱きしめられる。
神様なので魔力を必要としないのか。それとも依り代の御子の魔力が豊富なのか。
行動を制限したり誘導するように魔法を使っているが、男に疲れた様子も魔力枯渇の片鱗も見られない。
「ありがとう、アーク。皆、僕はちょっとお休みしますね。神様はリリィとパティ嬢に頼んでって言ったけど、無理強いはしないでください。学業の方が大事ですから、そっちを優先で。僕は、今も幸せだと思ってます。沢山愛情を貰って育ったので。僕のこと、大事に育ててくれてありがとう。」
「なんでそんな遺言みたいなっ。」
「遺言なんかじゃないよ。ただ、伝えられる時にって思っただけ。神様、お願いします。」
アベルたちは言葉を発しなかったが、それでも温かい愛情のこもった眼差しを感じることが出来る。
幸せな気分のまま眠りにつけそうだ。
「じゃあ、君が産まれた時に与えられた加護の力を貰うよ。あぁ、血筋的な加護ではなく、ヒトの意志が加護の力になったものだから。目が覚めても変わりはないからね。コレは産まれたばかりの。いや、産まれることが出来るか分からない我が子を生かすための加護だから。もう大きくなった君には不要なモノだ。ゆっくりおやすみ。」
男の手の平がアシェルの胸元にぴったりとくっついた。
もしかしてその加護を貰ったせいで、生母シェリーが亡くなってしまったのではと。
問うことのできないまま、意識は闇に落ちていく。
ぐったりと力の抜けたアシェルの身体は、しっかりとアークエイドに抱き留められた。
========
Side:アークエイド15歳 秋
身体の自由が効かなかったのに、アシェルを支えようとすると身体が動いた。
意識が無いと分かっていても、力の抜けてしまった愛しい人を抱きしめる。
怪我一つさせたくないのだ。
「生命の神様。我が娘の加護について。少し詳しく聞かせていただけませんか?妻は、間違いなく持病が原因で他界しました。ですが今の言い方だと……アシェにその責任があるように聞こえてしまう。」
「ふむ……これも伝わってないのか。『皆、自由に過ごして良い』。配偶者であれば、コレに見覚えは?」
身体も、恐らく言葉も自由になったが、動いたのはアベルとサーニャだけだった。
神に近付き、その手の平にあるものを見て顔を見合わせている。
「これは妻の……。」
「えぇ、間違いなく。シェリー奥様の指輪でございます。あんなに探しても見つからなかったのに……。」
「加護の依り代になっているのだから、見つからなくて当たり前だろう?遺品が見つからないケースは、割とあるはずなんだけれどね。」
「その理由をお尋ねしても?」
「死に際に使える、最期の魔法。大体は誰かを護りたい、幸せになって欲しいという純粋な思いが具現化したものが加護だよ。血筋とは全く関係のないね。生前から大事にしていたモノだけが依り代になる。装飾品だったり、文具だったり。彼女の加護は、健やかに命が続くことを願った母の想いが、依り代を得て加護になったもの。彼女の為に最大限手をかけてくれたことは知っているけれど。この加護が無ければ、彼女の生存率は2割だったよ。残りの8割を母が補ったんだ。魂を消耗してでも、我が子を守りたいと。生きていて欲しいという想いが形になったんだよ。彼女が生きていることが母のお陰であっても、母が死んだことに彼女は全く関係ないことだね。」
確かに遺品が見つからないことがある、というのは、まことしやかに噂されることがある。
どうしても見つからない愛用品は、現世を旅立つときに持って行ってしまったのだろう。ということになっていた。もしくはストレージに放り込まれているか。
それほどまでに、生前愛用していたものほど紛失していることが多かったのだ。
「……うん。思ったよりこちらの消耗は無いみたいだね。一旦消耗したけれど、彼女の身体が健康的になったことで回復したのかな?彼女の魂ならソレも可能か……。この消耗は、傷だらけの魂を護ろうと働いたのかもしれないね。とりあえず、この指輪はお返しするよ。もうこの指輪自体は何の力も持たない。ただの金属だ。」
男の手からアベルに、遺品の指輪が返却された。
アベルはそれを大事そうに抱きしめる。
神を名乗る男は先程から意味深なことを言い続けているが、何をどう尋ねて良いのかも分からない。
あまりにも知らない情報が出てくるのだが、それが嘘か本当かの判断すらつかないのだ。
アークエイドに分かることは、この神とやらがアシェルのことを気に入っているようだと言葉の端々から感じるだけだった。
このままアシェルの魂が連れ去られてしまうのではないかという不安が拭えない。
「何故……そこまで俺達に教えてくれる?それに何故、やたらとアシェのことに詳しいんだ。神とは、転生者をそこまで見守るものなのか?」
「滅多に、誰かを注視することはしないよ。元はこの世界の転生システムの条件に引っかかっただけの魂だしね。でも彼女の魂を見て、興味が沸いた。——あぁ、そうだね。ヒトには見えないものだから気になるか。せっかくだから見て貰おうか。禁術が、どれほど彼女の魂を蝕んでいたのか。」
そういった男が手の平を上に向けると、先程までは何もなかった場所に丸いものが浮かび上がる。
綺麗な球状のそれは、透き通るような明るさを持っているのに、纏わりつく黒い靄と、ひび割れた溝に真っ黒な何かがこびりついて見える。
そのせいで、ほとんど黒く染まってしまっているように見えた。
「普通は、悲しくて暗い記憶を持っていると魂は歪んでしまうんだ。もしくはくすんでくる。犯罪者の魂なんて真っ黒だよ。でも彼女の魂はとても綺麗な形をしてるだろう?少し見えにくいだろうけど、色だって授け子にしてもいいほど澄んでいる。残念ながら、彼女は授け子として呼ばれた魂ではなかったんだけれどね。これだけ綺麗な形をしていて、色も綺麗な魂は貴重なんだよ。大体は生きていくうえで歪んでしまうものだから。だから久しぶりにヒトに。彼女に興味を持った。“古都”は私にとって少なからず思い入れのある世界だし。メイディーの名を継ぐ者達が変わりないのであれば、彼女にピッタリだと思ったんだ。時々稀有な魂の持ち主を観察していたし、彼女の親友達の協力の対価に彼女のことを伝えていたから。これで彼女に詳しい理由にはなったかな?——え、そんなことを気にしてるの?お気に入りの魂だけれど、ちゃんとお返しするよ?私が連れていくのならこんなまどろっこしいことなんてせずに、世界の時の流れを気にせず時間をかけて癒せばいいだけだからね。そうじゃなきゃ、わざわざ彼らから伝言を貰ってきて伝えたりしないよ。応急処置のつもりだったけど、思った以上に効果があったみたいだし。色々喋りすぎって……そもそも失伝してるのは君達の方だろう?世界の理として間違ったことは……。長く観察しているけれど、ヒトってのはよく分からない生き物だね。それにしても、本当に今代の御子は小言が多いね。器としては最高なのに。」
説明をしてくれていたはずなのに、結局は一人で誰かと会話をしている。
誰かではなく、恐らく神を宿す大司教と会話しているのだろう。
大司教は滅多に表舞台に出てこないが、王族であるアークエイドは何度か目にする機会があった。
一般的には知られていないだろうが、大司教の位につくのはデイライト直系で加護持ちだと決まっている。
大司教の代替わりが近づくと、必ず直系色を纏わない子供が一人だけ産まれる。
神託で次の大司教にするようにとお告げがあるのだ。
そうして産まれた子供は大聖堂に引き取られ、デイライトの者でありながら貴族社会とは無縁の存在として生きる。
デイライトの者が神職に就く傾向が強いのは、恐らくどの貴族よりも一番神との距離が近いからだろう。
もしかしたら幼い時に家族から引き離された血縁者を、傍で支えたいという想いもあるのかもしれない。
「話が逸れたね。とりあえず。本来の彼女の魂は、綺麗で澄んだ素晴らしいものだよ。そしてこの黒く見える穢れが彼女を蝕んでいる。これでも、この部屋に入ってすぐよりは少しだけマシなんだけどね。魂が以前のままの大きさだったら、間に合ってなかったかもしれないね。この世界で、彼女はとても良い人生を送っているようだ。——あれ、もう限界?まぁ、かなり長く居座っちゃったからね。回復部屋まで歩いてあげようか?さっさと出ていけは酷くないかな。まぁいいや。目的は果たせたからね。彼女の魂を身体に戻すタイミングは、誰か使いをやるから。その時はココに彼女を連れて来てね。では。」
喋りたいだけ喋った神は祭壇に背を預け、そのまま大司教の身体から力が抜けた。
俯いた顔から、涙がとめどなく溢れているのが見て取れる。
「失礼しました。これは潜在消費の影響ですのでお気になさらず。生命の神の乱入で、神聖なる婚約式の場を乱したことをお詫び申し上げます。恐らく、外の時間は経過していないはずですので。メイディーのご息女様と第二王子殿下は控室へ。婚約式を執り行いたいと思うのですが、宜しいでしょうか?」
俯き加減で涙を流しながら、それでもしっかり大司教は頭を下げた。
訳も分からないまま外に誘導されたトラスト伯爵家の人間も戻ってきて、イレギュラーなことが起こったものの、婚約式だけはやってしまうことになった。
予約や両家の都合を合わせる兼ね合いで、一旦延期するとすぐに次の予約という訳にはいかなくなるのだ。
アークエイドはアシェルを頼まれ、安らかに眠っているように見えるアシェルを抱えて控室に移動したのだった。
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