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第四章 王立学院中等部三年生

271 記憶の欠片③

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Side:アシェル14歳 秋



翌朝6時を少し過ぎた頃。

(なんだかあったかい……抱き枕……?昨日咲と一緒に寝たっけ?)

寝起きでぼんやりした頭で、薫はゆっくりと瞼を開いた。

視界に入ってきたのは抱き抱えた腕と、シャツ越しにも筋肉が付いていると分かる胸板。

「……さきじゃなくて、けんと……。じゃあ今日はおやすみ……。」

健斗が朝練に行っていないのなら、学校はお休み。薫はもっと寝ても大丈夫だと。少なくとも職員の誰かが起こしに来るまでは寝てても良いなと。
自分の身体がベッドの柵に当たっていないことにも気付かず、あたたかいぬくもりに擦り寄ってまた瞼を閉じた。

たまにあるのだ。

薫が咲のベッドに入りこんだり逆だったり、朝起こしに来た咲が悪戯で健斗を薫のベッドに突っ込んだり。
三人は比較的起きるのは早い方だが、寝る時間は厳しくても休日は割とのんびり起きても怒られない施設なので、じゃれ合いついでに二度寝もままあることだ。特に寒い冬にはよくある出来事だ。

何より薫は夜中に呼び出されることが増えたのと、呼び出しの為に布団を被ってしばらくは起きているせいか、朝は寝ても寝足りてないことが多かった。
咲が頑張って薫を起こしてくれなければ、施設という集団生活でなければ、学校は毎日寝坊して遅刻になっていたことだろう。

「寝惚けているんだとは思うが、他の男と勘違いされるのは不快だな。」

不愉快そうな声に視線をあげれば、サファイアブルーの瞳が困ったように薫——アシェルを見つめていた。

漆黒の髪と日本人ではないその綺麗な青い瞳に、昨日のことを思い出して慌てて飛び起きる。

「ご、ごめんなさいっ!」

慌てて跳び起きて、アークエイドの傍までアシェルが寄っていたことを知る。

これでも寝相は良いほうだったのにと慌てて元の位置に戻ると、くくっと笑う声がした。

「おはよう、アシェ。隣にいたことは気にするな。驚きはしたが、別に嫌だったわけじゃない。むしろ嬉しかったくらいだ。それに、手も出していない。」

最後の一文は付け加える必要があっただろうか。
そう思いながらも、おはようございますと挨拶を返す。

「まだ眠たいんだろ?もう少し寝るか?健斗とどうして同衾していたかは気になるが、きっと聞いても俺には意味が分からないだろうし、アシェからあまり他の男と親しい話を聞きたくないしな。」

「今ので、目が覚めたわ。それに、施設の時は確かに早く寝る日が多かったけれど、これでもブラック企業で社畜してたのよ?終電ギリギリの時間に家に辿り着くのも少なくなかったわ。といっても週一は確実に休めてたし、家に帰れてたんだから、厳密には社畜じゃないのかもしれないけれど。」

アークエイドが首を傾げたが、何に首を傾げられたかが分からなかった。
常識や文化が違うと、ここまで言葉の意味が伝わらないんだなと、改めて思う。

「朝から夜遅くまで働いて、0時前に家に辿り着いていた。って言ったら伝わる?」

「あぁ、それなら。ほぼ丸一日働いていたんだな。日本とは、そこまで身を粉にして働かなくてはならないほど貧困なのか?今までの授け子……必ず記憶を持ったまま産まれ変わってくる子供が残した資料には、それなりに豊かで発展した国だと書いてあったが。」

「多分、アークの認識で合ってるわ。ただ、きっとこちら程では無いにしても貧富の差があるし、働いた時間や内容と報酬が合っているかは雇い主によって違うし、物価と税金を抜いて手元に入ってくるお金を考えると……。趣味が無いから、時々ちょっと贅沢して高級チョコを食べたりしてたけど、それくらいなものね。あまり金銭的な余裕は無かったわ。生活に必要なものは、就職してから少しずつ買い集めていたから。家電って高いのよ。魔力の代わりに、電気って言うエネルギーで動く道具がね。」

「大変だったんだな。」

「そうでもないわ。だって、その日の食べ物に困ることは無かったもの。時間が無いことはあったけど、就職してから仕事以外にやることもなかったし。親がネグレクト——育児放棄してて、骨と皮だけみたいな子も見た事があるわ。温かい部屋で、ひもじくないくらいに栄養のあるご飯が食べれて、薄っぺらくても寝具があって、寒かったり硬い板間に座ったまま寝なくて良い。たったそれだけでも、地獄を見た子からしたら天国みたいよ。少なくとも私の人生で死に直結しそうだったのは、寒空の下に捨てられていた最初と、最期の瞬間だけだから。直結しそうというか、最期は直結したんだけれどね。抵抗すれば違ったのかもしれないけれど……シオンとのやり取りみたいに、抵抗する気が起きなかったの。抵抗する意味が無かったから。施設を出てから、ずっと私の世界には色が無かったわ。アシェルは幸せね。何処を見ても色が溢れているの。こんな状態になったのに、灰色の世界がどこにもないのよ。覚えてなくても、まだまだ知らないことがいっぱいあるって分かるの。それに覚えてないからこそ、魔法一つでも凄く楽しく思えるわ。物語の中にしかなかった世界が、目の前に広がってるんだって。」

思いつくままに言葉にしていたら、ついつい長くしゃべりすぎてしまった。
気を悪くしていないだろうかとアークエイドを窺いみるが、不快な色は含まれていない。

「アシェが言っていた。周りから見たら不幸に見えるかもしれないが、親友二人と同じような境遇の家族が沢山居て、幸せな人生だったのだと。新しい物、興味があるものに瞳を輝かせるアシェは、とても綺麗だ。今の状況は不本意だろうが……それでも、アシェの瞳に映る世界が色付いていて良かったと思う。」

「えと……ありがとう。」

会話の終わりを告げるようにコンコンと扉が叩かれ、イザベルとサーニャが入ってくる。

それから顔を洗って着替えをして。髪の毛を結い上げて貰った。

ドレスも着てみた方が良いだろうと、濃い紫のドレスを着せられた。
学院生活ではほとんどズボン姿だったが、邸にいる間はドレスを着る日もあったらしい。貴族令嬢ならこれが普段着なんだとか。

鏡に映る自分の姿を見て、違和感を感じる。

「私の顔じゃ、悪役令嬢みたいね。」

「くくっ、アシェはいつもそれを言うな。大丈夫、似合っているし綺麗だ。」

そういったアークエイドは中世の貴族らしい装いに着替えていて、とても似合っていてかっこよかった。
改めて整った顔立ちだなと感じる。

そして何故か手を差し出された。

困惑していると、サーニャがアシェルの手を取って、アークエイドの腕に絡めるように動かされた。

「アークエイド殿下がエスコートしてくださるそうです。今から朝食の為に食堂に向かいますので。殿下と一緒に歩けば大丈夫でございますよ。」

「分かったわ、ありがとう。」

男性と腕を絡めて歩くのは少し恥ずかしいが、エスコートと言われて腑に落ちる。
物語でも男性が女性をエスコートするのは当然のように書かれていたからだ。

腕を絡めて食堂に移動して、大きなテーブルで家族揃って朝食を摂る。

そんな普通の家庭では当たり前で、普通の家族を知らない薫には初めての経験で少し緊張する。
明らかにテーブルマナーが必要そうな感じで、既にナイフとフォークが並べられているのもより一層緊張する原因だった。

今はシンプルなテーブルだが、夜になるとナイフやフォークの数が増えるのだろうか。
確かカトラリーは外側から使うと聞いたことがあるが、こちらでも同じようなマナーなのだろうかと悩む間に、アシェルを椅子に座らせたアークエイドは離れた席に座った。

アークエイドはアベルの隣に座っていて、いただきますの号令の後、最初にアベルがそれぞれアークエイドの皿から一口ずつ食べていた。
きっと毒見なのだろう。

アークエイドは王族なのでそれが必要な事だと分かるのに、何故だかその光景が腑に落ちなかった。
そこに居るのは自分のはずなのにと、覚えていないのに、そう思うのだ。

複雑な気持ちでじっとその光景を眺めていたアシェルに気付いたアレリオンが、アシェルに優しく微笑みかける。

「アシェは、思い出したらしてあげれば良いよ。今はアシェの代わりに、父上がやっているだけだから。」

「毒見、ですよね?」

「そう。僕らメイディーは医師家系で、直系には体内で毒素を分解する力が備わってるんだ。良い薬の薬効まで分解しちゃう、少し厄介なところもあるけどね。もちろんアシェにだってその力はあるよ。庭園を見た後に時間を潰せるように、アシェが小さい時に見ていた本をいくつか部屋に持って行ってあげるね。魔法と錬金についての子供向けの教科書だから、きっと今のアシェでも分かると思うよ。」

「ありがとうございます。」

「さぁ、まずは朝ご飯を食べてしまおう。」

促されて、朝から食べるには豪華な食事に手を付ける。

スープを数口食べ進めて、身体の魔力が動いているのを感じた。
感覚としては身体強化を使う時のような感じで、身体の中にある魔力がグルグルと動きを速める感じだ。でも身体強化とは動きが違う気がする。

ご飯を食べると、体内の魔力が活性化するのだろうか。
でも、昨日のサンドイッチでは特に何も感じなかった。気付いていなかっただけだろうか。

そんなことを考えながらバケットを手に取り、食べ進める。

次に付け合わせの野菜に手を付けて、ハーブだろうか。緑の粒が混じったオムレツを食べる。

不意に、魔力の動きが変わった。
明確に何が違うのかと言われたら、それを言葉で形にするのは難しい。
でもハッキリと、変わった事が分かるのだ。

スープとオムレツを、再度交互に食べてみるが、もうこれ以上は変化しないらしい。

これらの違いや類似点は何処にあるのだろうか。

火を通しているかどうかだとしたら。
それならば付け合わせのニンジンはグラッセになっていたし、ニンジンでも反応が無ければおかしい。
バケットだって何も反応は無かった。

スープの具材とオムレツの共通点は見つからない。
もしオムレツがなんらかの要因なのであれば、昨夜食べたサンドイッチでも同じ現象が起きていないとおかしい。卵が原因という訳ではなさそうだ。

スープに肉が入っているが、オムレツには入っていない。
だから肉が原因とも考えにくい。それとも蛋白質という括りで、大きく肉と一緒だと思えば良いのだろうか。
でもそれならば、やっぱり昨日食べたサンドイッチで同じ反応が出ないとおかしいのだ。

偶然、食事によって体内の魔力が活性化することがあるのだろうか。
魔力が回復している動き、なのだとしたら、サンドイッチを食べた時に反応が無くて、その後魔力を使っていない今反応するのもおかしい。

「アシェ、どうした?口に合わなかったか??」

隣に座るメルティーの奥から、アルフォードが声を掛けてくれる。

食事はとても美味しかったので、慌てて否定する。

「いえ、ご飯はとても美味しいです。」

「なら良いんだが……。」

「心配かけてごめんなさい。」

「良いって、気にすんな。じゃあ、何か考えてたんだろ?何が気になったんだ?」

その問いに、アシェルは驚く。
無言で手が止まっていたからといって、何か考え事をしていたと結び付くものだろうか。

「ふふっ、いつもみたいにブツブツとは口にしてないけど、何か考え込んでるときの表情は一緒だからな。これでも、アシェが小さい時からお世話してきたお兄ちゃんだしな。」

「アシェはなかなかお世話させてくれなかったけどね。考えて答えが出ていないなら、言葉にしてごらん。もしかしたらヒントくらい見つかるかもしれないし。」

ついでとばかりにアレリオンも混じってくる。
改めて兄弟って凄いんだなと思いながら、確かに黙ったままでは分からないかと言葉を紡いだ。

「食事で……体内の魔力が活性化するのかどうかを考えていました。」

へぇと、二人の兄は色合いも雰囲気も全く違うのに、何故か同じように見える笑みを浮かべた。
どちらもアシェルの言葉に興味津々で、瞳がキラキラと輝いている。

「アシェは記憶が無くても、体内の魔力をちゃんと感知で来てるんだね。」

「ちなみに、どれを食べた時に活性化した?」

アルフォードの口ぶりから、原因を知っていそうだと感じた。
アシェルは食事としか口にしていないのに、アルフォードはどれをと聞いてきたのだから。

「スープとオムレツです。スープで魔力がグルグルし始めて、オムレツで変わりました。どう変わったかと聞かれても答えられないのですが……。でももう一度スープを飲んでも、オムレツを食べても、もう変化はありませんでした。」

「何故その二つにだけ反応したのかを考えていたの?」

アレリオンの問いにコクンと頷いた。

「共通点や理由が見つかったか?」

アルフォードの問いには、フルフルと首を横に振った。

「じゃあ答え合わせをしようか。メル、スープとオムレツの共通点は何だと思う?」

アレリオンは答え合わせと言うのに、答えをメルティーに求めた。
ということは、メルティーも答えを知っているということだ。

「使われている香辛料やハーブですわ。スープとオムレツでは種類が違ってそれぞれ薬効が違うから、アシェお義姉様の体内魔力は、それぞれの成分を分解するのに最適な形になったため変化した。あってますか?」

「うん、正解だよ。アシェにさっき、毒素や薬効を分解すると言っただろう?スパイスやハーブはただの調味料って認識だと思うけど、それぞれに薬効はあるし、薬の材料になることもある。それを僕らの身体は異物が入ってきたと思って、勝手に魔力が動いて分解しちゃうんだ。それぞれ独特な魔力の動きがあるから、こうやって普段から口にする身体に良いものの場合は気にしないし。逆に毒だったら、症状が出る前でも体内魔力の形から原因を特定できる。原因が特定できれば、解毒剤を作ることも出来るし、治療にあたることも出来る。そういった部分も含めて、我が家は医師家系なんだよ。」

確かに言われてみれば、しっかりと味付けがされていたのはこの二種類だ。
朝食だからか他にはバターや塩などで、かなりアッサリ目の味付けになっていた。

「アン兄様、説明ありがとうございます。アル兄様とメルも。魔力の動きの意味が理解できました。」

ぺこりと頭を下げると、ありがとうの言葉だけで良いよと言われた。

「どういたしまして。この後は庭を見て回るんだろう?うちの庭園はとても広いからね。ゆっくりご飯を食べていると、お昼までの時間が短くなっちゃうよ?」

アレリオンに促され、しっかりと食事を味わいながらも、せっせと胃袋に納めていく。

アシェルはこの感覚を覚えていたのか分からないが、今のアシェルはつい先日まで社畜だったのだ。
短時間で栄養を詰め込むのはお手の物である。それでも丁寧に作られた食事を味わう為に、ただ押し込むだけよりは時間をかけていただいた。

食事が終われば四人をお見送りする。
仕事に行くアベルと二人の兄、そして王立学院に戻るメルティーだ。

メアリーは部屋に居るので、何かあれば遠慮なく部屋に来てくれと言って二階に上がっていった。

アシェルはまたアークエイドにエスコートされて、イザベルとサーニャをお供に庭園へと向かう。

「凄い……綺麗……。」

眼前に広がる色とりどりの花々に、思わず感想が漏れる。
華やかな大きな花の足元には、ひっそりと咲く小さな花があったりで、どんな種類や品種の花があるのか見ていくだけでも楽しそうだ。

少なくとも薫は、こんな見事な庭園を見たことが無かった。

「ふふふ、アシェル様にそう言っていただけると、庭師達も喜びます。手前は観賞用の花ばかりですが、普段アシェル様達がお使いになる薬草などは、もう少し奥のエリアに在ります。アシェル様は、そちらの方が馴染みが深いでしょう。」

「もし気になる植物があっても、お気軽に触れないようにお願いいたします。薬と毒は表裏一体。この庭園の中には、触れるだけでも身体に影響が出る毒がございますから。どうしても触りたい場合は、一言私に声をかけてくださいませ。これでも庭園にある毒草は、全て見分けることが出来ますので。」

イザベルが毒草だけを覚えたのは、メイディー兄妹に危険な味見を止めさせたいがためだったがそんな理由には気付かず。確かに毒草は危ないと、イザベルの言葉に頷いた。

「分かったわ、ベル。基本的には触らないから安心して。植物は綺麗だけれど、必要以上に人が触ると弱ってしまうから。」

アークエイドが、前に一緒にお茶会をした時のルートで庭園を周ってくれると言うのでお願いして。ゆったりと綺麗な花々の咲き乱れる庭園を歩いた。

「冬に入る前の、今の時期が一番賑やからしいぞ。冬の庭園は、王宮の方が綺麗らしい。」

「私は、王宮にも足を運んでいたの?」

「幼馴染たちと毎月会っていた非公式お茶会の会場が、王宮にある離れの一つだったんだ。王宮の一角を自由に動き回れて、そこに小さいけれど庭園があった。だが恐らく王宮の敷地内の植物を全て集めても、メイディー公爵家には種類も広さも敵わないんじゃないかと思うくらいだな。」

「この庭は、そんなに凄いのね。」

「あぁ、手入れも行き届いているしな。ここからが薬草エリアだそうだ。薬にしか使わないようなものから、さっきの食事に入っていたハーブなんかもある。」

目の前にあるアーチの向こうには様々な濃淡の緑が広がっていた。
色も少しだけあるが、華やかさは全くない。

視界に背が高く伸びた、まるで稲の様な葉っぱが目に入る。

「マナリア草……。」

そんな身に覚えのない単語が口をついて出た。
いや、日本では知らなかったが、アシェルは知っている。常用している、ストックが無いと困る薬草だ。

「アシェル様、お分かりになりますか?」

「これは、常にストックしておかないと困る薬草だってことは。」

「そうですね、メイディーには必須と言っても過言ではない薬草でございます。もし思い出せそうであれば、マナポーションの材料と、ヒールポーションの材料を見かけたら教えて頂けますか?中には使用部位がシーズンでは無いものもございますが、全て正解しなくても問題ありません。意識していればもしかしたら、くらいの提案ですので。」

「マナポーションとヒールポーションね。分かったわ。……多分、ほとんど全部回らないと見つからないと思うの。」

「はい、その認識で間違いないかと。」

「じゃあ行くか。イザベル。先導して、薬草園を効率よく回れるルートを教えてくれるか?」

「かしこまりました。」

イザベルが数歩先を先導して、緑あふれる庭園を歩いていく。

何ヶ所か気になる場所をじっくりと見て、お題のマナポーションとヒールポーションの材料だと思う植物も、植わっている位置と名前、使用部位を告げながら歩き回る。

大きな温室も四か所あって、その中にもお題の素材があった。
なんとなく記憶の欠片が浮かんでくるし、ちょっとしたゲームをしているようで楽しい。
ちなみに全ての材料を伝えることが出来たらしい。意外と覚えているというか、思い出せたようだ。

材料を思い出せたなら作ってみたいが、それはまだ駄目だと言われた。

器具を使って作ることも出来るが、普段のアシェルはマナポーション程度は全て魔法だけで作業をこなしていたらしい。
基本は器具だが、効果が安定するかどうかは別の話だ。

アシェルが普段どうしていたかを思い出すまで、実際に錬金をするのは禁止だそうだ。
アシェル専用の錬金小屋は、後日案内してくれるらしい。

庭園を歩き回り終わると既に陽は高く登り切っていて、少し遅めのお昼はアシェルの部屋に運んでもらって食べた。

部屋にはアレリオンが言っていた子供向けの教科書が置いてあって、暇な時に見れるように『ストレージ』に放り込んだ。
なんとなく見覚えのある冊子だったし、日焼けもしておらず綺麗に保管されていたのが分かる教科書だった。

外を動き回ったのでイザベルが『クリーン』という、身体がスッキリする便利な魔法をかけてくれて。それからドレスを着替えた。

クリーンでさっぱりしたので着替えは要らないと言ったのだが、もしかしたらメアリーにお茶に誘われるかもしれないので、お茶会に参加できるドレスに着替えたらしい。

そもそも、貴族令嬢は何度も着替えるものですよ。とサーニャには笑顔で言われた。

「なんだか、同じことを前にも言われたことがある気がするわ。」

「ふふ、ございますよ。朝から晩まで着替えはご不要だと。その時も今のようにご説明させていただきました。」

そう言われて、本当に小さな時にその話をしたなと思う。
男装を始めてからはドレスより着替えの回数が減ったので、それからは口にしていないはずだ。

「なんていうか。忘れてるような、覚えてるような。変な感じね。本当なら覚えているはずなのに、忘れていることが。自分が思い出そうとしても思い出せないことが沢山あることが、なんだか不思議で。気持ち悪く感じるわ。」

「アシェが薫の記憶を思い出そうとする時。同じようなことを言っていたぞ。物覚えが良いからこそ、思い出せない記憶があるのが気持ち悪いと。でも普通は今のアシェ程じゃ無いにしても、あまり細かいことは思い出そうとしても思い出せないのが普通だ。大きな出来事は覚えていても、他はあまり覚えていないことなんてよくある。」

「私はアシェル様とほとんど一緒に育ったようなものですが、正直幼すぎるころの話は私自身が覚えていないものもよくありますよ。全てを思い出すのではなく、生活に必要な知識やマナー。あとは家族や友人達のことを思い出せれば、とりあえずは宜しいのではないかと思います。なんなら、家族や友人関係のイベントやエピソードを思い出せれば十分ではないかと……。アシェル様なら、他のことは今から学び直しても良いでしょうし。」

アークエイドに続いてイザベルまで言葉を重ねてくる。

目標を高く持ちすぎなのだろうか。
覚えていることが当たり前なアシェルにとって、思い出せないほど忘れているのは違和感しかないが、それが普通だと言われればそういうものだと受け入れざるを得ない。

リリアーデも焦るなと言っていたし、ゆっくり、のんびり記憶の欠片を集めていけばいいのだ。きっとそう言いたいのだと感じた。

「勉強は、教科書があれば丸暗記は出来ると思うわ。覚えることは得意だから。」

「えぇ、存じ上げております。というわけで、午後は一先ず勉強の時間にしましょう。文字や王都の作りなど平民でも知っている基本的なことから、徐々に貴族向けの内容にランクアップしていきますね。」

「よろしくお願いします。」

この世界の常識から教えてくれるというサーニャに頭を下げて、使用人には頭を下げないように注意を受けた。

アシェルはそっと、勉強よりもこういった普段の些細なことを覚え直すほうが大変そうだと思うと同時に、注意される前にそういったことをどうしたら思い出せるだろうかと頭を悩ませるのだった。

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