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第四章 王立学院中等部三年生

215 交換条件③

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Side:アシェル14歳 春



あまりにもムーランが自分勝手なので怒りはもちろんあるだろうが、アークエイドはその怒りの程度よりも更に怒っている演技をしているということだろうか。

「何でアシェがムーラン皇女の命令を聞く必要があるんだ。アシェは俺のモノだろう。他の奴の命令なんて聞かなくて良い。アシェは俺の命令だけ聞いていれば良いんだ。」

なるほど。つまりはいつものような言葉の掛け合いをしながら、アークエイドがアシェルに惚れているように見せかければいいのだろう。
いつもとは少しだけ違う言葉のチョイスに気付いたアシェルは、それに合わせてお芝居をする。

「もう。いつもモノって言わないでって言ってるよね?そんな言い方しなくても、僕が忠誠を誓っている相手はアークなんだから。もし王宮の騎士団に入れたら、僕の剣はアークに捧げてあげるって言ってるでしょ?それに、他国の皇女様だもん。僕が命令を聞かないわけにはいかないよ。」

クスクスと笑いながらまた起き上がろうとしたアシェルは、またアークエイドの腕の中にひっぱり戻された。

「アーク?ほら、早く退かなきゃ失礼だから——。」

「今、他の奴の命令は聞くなと言っただろう。それに、アシェが俺に剣を捧げるのは当たり前だ。アシェの心臓も……身体も……。全部俺のモノだ。陛下や兄上に捧げるのは許さない。アシェのことが好きなんだ。例え陛下の勅命だったとしても、俺はアシェを手放したりしないからな。」

ぎゅっと抱き着いてきながら、いつものアークエイドが使わない言葉が出てくる。
いや、一部本気で言いそうな気がしないでもないが、やっぱりこれはアシェルも知っているセリフだ。

「ふふっ、はいはい。僕もアークのことが好きだよ。それに陛下達は、僕達が幼馴染だって知ってるんだよ?僕がアークに剣を捧げたいって言って、反対なさる訳ないじゃない。アークは心配性だなぁ。」

「……アシェのことを閉じ込めてしまいたいくらいなんだ。俺だけのモノだって。」

「もー、アークってば本当に心配性なんだから。そんなに不安がらなくて良いのに。ちょっとは気分落ち着いた?ムーラン皇女殿下やモーリス皇子殿下がいらっしゃるから、少し恥ずかしいけど……。まだ不安なら、いつもみたいにぎゅってしてあげるよ?」

「……して欲しい。」

お互い状況に合わせたアドリブはあるものの、アークエイドの台本通りのセリフに、アシェルも台本通りに腕の中で体制を変え、アークエイドに向き合う形でぎゅっと抱きしめる。
このの顔の位置がどちらかの胸の中ではなく、お互い顔が横並びになるもので良かった。

アークエイドの耳元で小さく「これで良いの?」と問えば、頷く代わりに抱きしめられる力が強くなった。

「はい、充電おしまい。」

チュッとアークエイドの頬に充電完了のキスをすると、アークエイドからも頬にキスが返ってくる。

「すまない。」

今度こそ、アシェルはアークエイドの腕の中から逃れる。
そしていつものように微笑みながら、それはメイディーにとって当たり前だと告げるのだ。

「別にアークは気にしないで。メイディーの充電は不安な時の特効薬なんだから。これ以上の特効薬はないって、自信を持って言えるからね。」

ここまでが台本だ。

アシェル達三兄弟とアークエイドを対象とした、王立学院に存在するファンクラブ【シーズンズ】。
そのファンクラブの発行物に学生の描いた小説や漫画があるのだが、これは年度末に発行された作品の中のワンシーンだ。

アークエイドも作品を見た事があるようだし、現ファンクラブ会長でクラスメイトのカナリアによると、時々アークエイドとデュークはこっそり作品の確認に行っているらしい。
——アシェルやリリアーデの持つ、前世の知識について理解しようとしているのだろうか?

本当は秘密にして欲しいと言われていたらしいが、定期的に二人が女子寮に来ると噂になるかもしれないので、それならと、変な誤解を生む前にこっそり教えてくれたようだ。

この作品はアークエイドとアシェルをモチーフにした漫画で、著者はアークエイドの従姉妹にあたるユーリ・ウェンディー辺境伯爵令嬢だ。

アシェルも仲良くさせて貰っているとても可愛らしいご令嬢なのだが、彼女が描く作品はどれも男同士の恋愛を描いたBLで、その中でも年齢指定ものだ。さらにとてもハードな内容が好きらしく、作品通りだとアシェルは本当にこの後、アークエイドに監禁されることになる。

アークエイドとは違う友人の好きを返してきて、メイディーの充電と言う習慣のせいでスキンシップに抵抗がないアシェル。
それに痺れを切らしたアークエイドが、アシェルを魔法が使えなくなる大がかりな術式を張り巡らせた部屋に閉じ込めて。体質で分解するのを前提に定期的に大量の、それも種類が少しずつ違う媚薬を与えて薬漬けにしながら、アシェルに肉欲と快感を覚えさせ。アークエイドが与えた痛みにすら快感を覚えるようになり、アークエイド無しでは生きて生けなくなるまで調教する。

そういうお話だった。例えとしてユーリの作品はハードすぎるものの、もしアシェルがアークエイドの“特別な好き”に気付くことが出来なければ、監禁が起こる可能性は無かったとは思えないようなストーリーだ。
アシェルやアークエイドの描写に心当たりのあることが多すぎて、実話を誇張し脚色した物語と言ってもあまり違和感がないかもしれない。

だからアシェルはアークエイドの言葉にセリフを返しながら、スキンシップに抵抗が無い、アークエイドが恋愛の情を抱いているのに気づいていない、ただの幼馴染で臣下であることを意識して振舞った。

アークエイドは何度も恋愛の情で自分のモノや好きだという言葉を伝えても、同じ好きが返ってこなくて、それでもアシェルのことを独り占めしたいし手放せない男であるかのように、仕草や声色で演じていた。いつもの他人に見せる無感情とは大違いの。

そんな明らかにアークエイドが片思いしている姿を見せつけられたアスラモリオンの面々は、ダーガとクーフェはダニエルと一緒に壁際に控えていて表情を変えずに。

モーリスは照れながらも、少しだけ哀れみの視線をアークエイドへ。

一番見せつけたかったムーランは、顔を真っ赤にして「まさか、まさか男好きなんてっ!それもキスまでっ。でも女を知らないだけだわ。男好きだなんて許さないんだから。」と、ブツブツ呟きながら地団駄を踏んでいる。
サファイアブルーのフワフワのドレスを揺らしながら地団駄を踏む姿は、小さな子供が癇癪を起しているようにしか見えない。

アシェルは靴を履いて、服のしわを伸ばし。
ムーランとモーリスに向きなおる。

「失礼、お見苦しいところをお見せいたしました。遅くなってしまいましたが、アークは紹介してくれなさそうなので……。先日は護衛の為に名前だけの紹介でしたし、改めて自己紹介をさせていただきますね。ヒューナイト王国メイディー公爵の子、アシェル・メイディーと申します。以後お見知りおき下さいませ。」

深々と頭を下げたアシェルに、モーリスは慌てて頭を上げるように促してくる。

「アシェル殿、丁寧にありがとう。でも、僕も姉上も、もう少しで同じ王立学院生なんだ。公務中は流石に無理だけど、そんな風に畏まったりしないでほしいな。折角仲良くなれたと思ったのに、悲しくなってしまうから。」

本当に悲しそうに、モーリスは皇子としてではなく、学院祭の時に言葉を交わしたただのモーリスとして話しかけてくれる。

「ありがとう、モーリス殿。僕もすごく楽しい時間だったから、そう言ってもらえて嬉しいよ。あ、さっきアークと一緒に今年の論文を見ていたんだけど、やっぱりアスラモリオンの発表する論文は凄いね。それに、今までは別々でしか使えなかった花火とイルミネーションを、一緒の術式にするなんて思いつかなかったよ。」

「あぁ、一緒に一つの論文を見ていたからだったんですね。どうりでアシェル殿の手に持ってる背表紙に見覚えがあったわけです。自国の技術を褒めて貰えるのは、純粋に嬉しいな。そう、そうなんですよ!本当は今までもどうにかして一つの術式で、色々な演出を出来ないかって案はあったみたいなんだけど、どうしても総魔力消費量や術式のサイズを考えると実行できなかったんだ。一応魔術開発室の発表する術式には、最大サイズと総魔力消費量の上限が設定してあってね。ずっとそれをクリアできてなかったんだ。でもそれがようやく、こうやって形にすることが出来たんだよ。開発室の人間も喜んでたけど、僕まで嬉しくなっちゃったんだよね。」

モーリスは、アシェルとアークエイドが何故密着して座っていたのかを理解した。
そして自国の論文が褒められて嬉しい反面、きっと自分と同じ人種のアシェルは論文に夢中で、アークエイドとの密着など全く意識してなかったんだろうなと思った。

意識したからと男同士でどうにかなることは無いだろうが、ココまで全く意識されてないのを見ると、どうやら報われぬ恋をしているらしいアークエイドが不憫に思えてくる。

「そんな縛りがあったんだ、知らなかったな。ねぇ、それって僕が聞いても大丈夫な話だった?そういう基準って、対外的に発表は無かった気がするんだけど。」

「特に発表はされてないよ。明確に取り決めがあるわけじゃ無いしね。僕らの国では観光地のホテルなんかでよく使われるから、いきなりサイズや必要魔力量が変わると使い手が困ってしまうだろう?だから、暗黙の了解として基準があるって感じかな。別に秘密にするようなことじゃないし、大丈夫だよ。あー……アシェル殿が我が国の民なら、間違いなく魔術開発室に推薦するのになぁ。凄く残念だよ。」

「ふふっ、術式研究の最先端をいくアスラモリオン帝国の皇子殿下にそう言っていただけて、私の身に余るほどの光栄です。」

「モーリス殿がいくら勧誘しても、アシェはそちらには行かせないからな。」

「分かってますよ、アーク殿。アシェル殿だって、こうして冗談で返してきたしね。まぁ、我が国には来れなくても、学院生活の間は僕の話に付き合ってくださいね。アシェル殿が産まれる10年前から今までの、我が国で発表した論文は持ってきたから、楽しんでもらえるかなって思うよ。」

先ほど見た光景をどうにか理解して、どうやってアークエイドを落そうかと考えている間に、自己紹介を始めたアシェルとモーリスが親し気に話始めた。
そこに少し加わったアークエイドまでモーリスと親しそうで、アークエイドは敬称をつけていないし、モーリスに至ってはアークエイドのことを愛称で呼んでいる。

ムーランは自分だけが除け者にされ、蔑ろにされている今の状態が許せなかった。

「貴方たちっ、何をそんなに楽しそうに話しているのかしら?それにアシェル。貴方、アークエイド殿下のことが好きなの!?答えなさい!」

キッと睨みつけてくるムーランに、アシェルは首を傾げながら答えた。

「えぇ、好きですよ?大事な幼馴染で、私の主君ですから。」

「そう言うことを言ってるんじゃないわっ。さっき、アークエイド殿下に抱き着いて、更には頬にキスまでしていたでしょう!?」

「キス……。あぁ、あれは充電完了の合図なんですよ。我が家では兄妹でよくああやって充電するし、不安な事があっても気持ちが落ち着くんですよね。一度アークにしてあげたら、気分が楽になったみたいで。だから、アークが不安な時には私が充電してあげてるんです。メイディーの充電は割と有名な話なので、ムーラン皇女殿下たちがご存じないのを失念してました。」

「あーもう、さっきからっ。そういうことを言ってるんじゃないわよっ。貴方はアークエイド殿下のことを、れん——。」

「姉上!それ以上口にしては駄目ですっ。余計なことを口走らないでください!」

聞きたい返答がないことに腹を立て、勝手にアークエイドの恋愛感情を暴露しようとするムーランを、モーリスは慌てて止めた。

こういったことは外野が口を出すことでは無いし、ただでさえ報われぬ恋なのだ。
アシェルが理解してしまうと、この二人は二度と友人に戻れなくなってしまうかもしれない。
だからこそアークエイドは、アシェルは自分のモノだとしつこいほど主張しているのに、好きに違う好きが返ってきても訂正をしないのではないだろうか。

「モーリスっ!貴方はいつもいつもわたくしの邪魔ばかりしてっ!いい加減にしなさいっ!」

ムーランが感情のままに振り上げた手が、モーリスの頬へと振り下ろされる。

ムーランは少し手は痛いだろうが、それ以上に気分がスッキリするだろうと思っていたのに、振り下ろした手はモーリスの頬を叩くことが出来なかった。

優しくムーランの手首を掴む、魔族とは違う真っ白な肌の持ち主に矛先を変える。

「アシェル、誰の許可を得てわたくしに触れているのかしら。この前と言い、無礼が過ぎるのではなくて?今すぐ手を離しなさい!」

「申し訳ありません、ムーラン皇女殿下。ですが、この手を離すことは出来ません。」

ムーランの手首を捕まえてモーリスへの平手打ちを阻止したアシェルは、力任せにならないようにそっとその手を下ろさせた。

「離せないですって?わたくしに勝手に触れておきながらっ!!」

「だってこうしていないと、またモーリス殿を叩くために、この可愛らしい掌を振りかざされるんでしょう?」

「それが何?アシェルには関係ないことよ。離しなさいっ。」

「嫌です。そんなことをしたら、折角傷一つない綺麗な指が傷ついてしまいますから。ムーラン嬢はとても可愛らしいレディなんですよ。レディの身体に傷を作ってしまうのを、黙って見ていたくありません。」

「いい加減、離し……。……え……わたくし……?……モーリスの心配じゃなくて?」

アシェルが手首を掴んでいても、お構いなしに手を振り上げようとしていた力が抜けた。

アシェルはモーリスと仲良くしていたので、モーリスを庇っていると思われていたのだろう。
アシェルの口から出た言葉が予想外だったらしく、怒りよりも戸惑いの方が勝ったらしい。

喜怒哀楽が激しいようだし、怒りを収めるにはもう一押しだろうか。

「えぇ。ムーラン嬢はとても魅力的で可愛らしいレディだよ。手首はこんなに細いし、手だってこんなに小さくて可愛らしい……。それに、ころころと変わる表情もとても魅力的だよ。でも……出来ればレディには笑っていて欲しいな。レディの笑顔は怒った顔よりも、うんと魅力的だから。」

手首を掴んでいた手を滑らせて、ムーランの一回り小さな手に指を絡めながら撫でて刺激する。
それから地団駄を踏んだ時に乱れた後れ毛に空いている手を伸ばし、頬を掠め耳にかけてやりながら、少しかがんで視線の高さを合わせ、にこりと微笑んだ。

きっと皇女という身分であれば、異性にこうやって触られることに慣れていないだろうし、その相手に好意を持っていようとなかろうと、女性へのイケメンの笑顔は効果抜群なのだ。

ときめくかどうかは置いておいて、アシェルがムーランに好意を抱いているのではと、勘違いする要因くらいにはなってくれるのではないだろうか。

「……き、気安くわたくしに触れないでちょうだいっ。アシェルがわたくしに触れて良いのは、わたくしの許可を得てからよ。それに、わたくしが好きなのはアークエイド殿下だわ。いくら褒めて頂いても、心変わりなんてしないわよ。それと……さっきから少し馴れ馴れしくないかしら?何故わたくしのことを敬称ではなく嬢を付けて呼ぶの?許可を出した覚えはないわよ。……でも、そうね。アシェルにはその呼び方で呼ぶ許可を出してあげるわ。だから、さっきのも不問にしてあげる。感謝することね。」

高圧的な喋り方ではあるものの、ようやく気分が落ち着いたようだ。
性格的に少し波がありすぎるものの、喋り方や思想については育った環境もあるだろうから、ここまで落ち着けば十分だろう。

「すみません、気付かないうちにムーラン嬢と呼んでしまっていたようで……。でも、ムーラン嬢と呼ぶ許可を頂けて嬉しいです。アークを好きなのは知っていますよ。正直、女嫌いのアークには勿体ないくらいです。」

ムーランから離れ、頭を下げて謝り、また笑みを作る。
これで話は終わると思ったのだが、ムーランが少しムッとした。

何を間違えてしまったのだろうか。

「ムーラン嬢?」

どうにか理由を探れないかと名前を呼ぶと、空けた距離を詰め寄ってくる。

「確かにさっきは馴れ馴れしいといったけど、わたくしは名前を呼ぶ許可を出したのよ?何故また敬語で喋るの?モーリスと話す時や先程みたいに、アシェルの普段通り喋りなさい。」

予想外の言葉にすぐに返事が出来ず、慌てて言葉を口にする。
ここで不愉快な気分にさせてしまったら、本末転倒だ。

「……その……いいんですか?」

「わたくしが良いって言ってるのよ。それとも、アシェルはわたくしと普段のように会話をするのは、不服って事なの?」

「いえっ。……少し恐れ多いなと思うけど、ムーラン嬢と親しくなれた気がして、とても嬉しいよ。王立学院ではきっと同じクラスだろうから、学院生活でもよろしくね。」

ムーランの手を取りチュッと口付ける。
そしてそうした後に、そういえば触るのも許可を取れと言われたことを思い出した。

「アシェル、さっき許可を取れって言ったのは覚えてるかしら?」

「あ、すみません、つい……。」

それまで大人しく事の成り行きを見守っていたアークエイドは、アシェルが本気で慌ててムーランの手を離したのを見て、助け舟を出すことにする。

「ムーラン皇女殿下。」

「何かしら?アークエイド殿下の方からお声がけ頂けるなんて、とても嬉しいわ。」

「今ので分かったと思うが、アシェは相手の性別問わず普通に触ってくる。もしアシェに普段通りを期待するなら、その触れる前に許可を取れというのは無理だ。それと、アシェがムーラン嬢にいつも通り接するのなら、俺もそうさせてもらう。」

なんだかとてつもなく酷いことを言われた気がしたが、アークエイドなりにアシェルのフォローをしてくれたのだろうと結論付ける。

それにしてもアークエイドの普段通りは、基本的にぶっきらぼうに聞こえがちなのだが、ムーランはそれでいいのだろうか。
と思ったが、とても嬉しそうにしているし、少しは関係が進展したことに比べたらアークエイドの喋り方は些細な問題のようだ。

「牽制なのがちょっと残念だけれど、アークエイド殿下と親しくなれて嬉しいわ。わたくしはなんてお呼びしたら良いかしら?」

「アークエイド殿か、様で頼む。家族や幼馴染以外の女性から愛称を呼ばれるのは苦手なんだ。」

「分かりましたわ、アークエイド様。愛称でお呼びできないのは残念ですけど、いつか呼ばせていただけるように頑張りますわね。」

とても機嫌よく笑顔を浮かべたムーランに、今度はモーリスが声を掛けた。

「姉上。そろそろ部屋に戻らなくて良いのですか?晩餐の支度に時間がかかると言っていましたよね?」

その指摘にハッと時計を見たムーランは、慌ててカーテシーを披露する。

「ごめんなさい、アークエイド様。もっと喋っていたいのだけど、もう時間が無いみたいだわ。また晩餐会でお会いしましょう。」

「姉上。分かってると思いますが、連れていくのはダーガとクーフェだけですからね。」

「分かってるわ。さすがに王族が集まる食堂に許可された数以上を連れて行ったら、わたくし達の方が捕らえられてしまうもの。それでは。」

来た時と同じく、ムーランが慌ただしく部屋を出て行く。
帰りはちゃんと白騎士も同行して、歩いて部屋まで戻るようなので安心だ。

ムーランが訪れてからずっと開け放たれていた部屋の扉が、ようやくダニエルの手によって閉じられた。

「お二人で過ごされていたのに、邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした。言い訳になってしまいますが、姉上は陛下が可愛がった上に、第二皇妃があんな風に育ててしまって……大抵の我儘は許されるし、何かあっても権力でなかったことにされたりで、叱る人間がいなかったんです。ずっと母上はそれを気にかけていて、僕もどうにかして常識的にふるまってもらえるようにと頑張ってきたんですが……。母上は魔術開発室所長の娘でしたが、貴族籍ではなかったんです。だから兄妹と言えど、僕達親子の言うことは真に受けるなと言われてたみたいで。兄上から声を掛けて貰えれば少しは大人しくなるのですが、兄上はお忙しいから時間が経つとまた元通りで……。姉上は権力を持った小さな子供が、善悪を知らずに大きくなってしまった感じなんです。周囲のせいであんな風になってしまいましたが、根は悪くないんですよ。こんな事情があるので、アシェル殿が上手く姉上を宥めてくださって感謝しかありません。ありがとうございます。それと……あんな性格なので、今まで友人と呼べる人間がいなかったんです。人付き合いの距離感がかなりズレてるので……ご迷惑をお掛けしてしまう可能性が……本当にすみません。」

他国にそんな内情を漏らしてしまって良いのかと思ってしまうが、モーリスは丁寧に説明し、頭を下げてくれた。
モーリスはこんなにムーランに振り回されながらも、決して見捨てず、フォローに回り、ムーランを正そうとしている。
姉弟として、とてもムーランを大事に思っていることが伝わってきた。

「頭を上げてくれ、モーリス殿。貴殿が悪い訳じゃない。なるべく他の生徒には迷惑が掛からないように、学院では出来るだけムーラン嬢を刺激しないように過ごすつもりだ。」

「ふふっ、小さな子供がそのまま大人にか……そう考えると、少しは僕もイライラしなくなりそうだよ。常識や善悪を教えるのは周りの大人の責務だから。これでも僕は小さな子供のお世話は慣れてるんだ。あんな風に、癇癪を持った子供の対応もね。」

児童養護施設には、それこそ親に悪事を仕込まれ、それが当然だと信じて疑わなかったものや、感情の起伏が激しく癇癪持ちだった子供もいた。
もちろん施設の職員たちも頑張ってくれるのだが、そう言った子供達に善悪を教え、感情のコントロールを教えるのは、同じような体験や理由は違えど同じような境遇の年上の子供達家族の役目だ。

「寛大なお心遣い、ありがとうございます。それでは、僕もそろそろお暇させていただきますね。お騒がせして申し訳ありませんでした。」

安堵したようにモーリスが言い、また頭を下げた。
心優しいモーリスは、きっと今まで散々、こうやってムーランの尻拭いをしてきたのだろう。

「そうだ、アシェル殿。姉上を落ち着かせるためかもしれないけど、あまり姉上は他人との触れ合いに慣れてないんだ。その……さっきみたいなことをしてると、姉上の矛先がアシェル殿に変わる可能性もある。気を付けてくださいね。」

「モーリス殿……学院に入れば分かると思うが、あれはアシェの普段とあまり変わりない。気にするだけ無駄だ。」

「アーク……さっきはムーラン嬢の前だったからかと思ったけど、さっきから何気に酷いこと言ってるよね?」

「普段からクラスメイトを口説いてるんだ。事実だろ。」

「だから、口説いてないって言ってるでしょ?」

「クラスメイトはそういうものだと理解しているが、普通、あれは口説いているというんだ。」

「だから口説いてないってば。」

いつもの口論を始めた二人を、モーリスはやっぱりアークエイドは不憫だと思いながら見守った。
一学年下のモーリスはあまり目にする機会はないだろうが、もしあのような態度が常なのだとしたら。アシェルに好意を寄せられていると勘違いしてしまうご令嬢は、沢山居るのではないのだろうかと。

「ふふっ、お二人は仲が良いですね。それではアークエイド殿。また晩餐の時に。」

「あぁ。また後でな。」

今度こそモーリスは、ダーガとクーフェを連れて部屋を出て行った。

静かになり訪問者の居なくなった部屋で、ダニエルが口を開く。

「アークエイド殿下、アシェル殿。お疲れさまでした。間違いなく殿下は男色だと思わせることが出来たと思います。」

「諦めてくれる気配はなかったけどな。」

「それでも、簡単に殿下の心が手に入るとは思えなくなったでしょう。」

「また明日も同じやり取りをするのかと思うと憂鬱だ。」

「そこは接待だと割り切ってください。」

ダニエルの言葉に、アークエイドはため息を吐いた。

「アシェ。晩餐まではもう少し時間がある。論文の続きを見たいんじゃないのか?」

「うん。まだちゃんと読み終わってないから。」

今日はもうムーランが押し掛けてくることはないだろう。
アシェルはまたアークエイドを背もたれに、論文の続きへと目を落としたのだった。
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