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第三章 王立学院中等部二年生

191 後期は申し込みの季節④

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Side:アシェル13歳 秋



それまでどこか心配気だったサファイアブルーの瞳に、熱が籠ったのが分かる。

短い夏休みは本当に寝に来ていただけだったし、しても唇に軽く触れるだけのキスまでだった。この熱っぽい瞳を見るのも、かなり久しぶりだ。

「……アシェを抱きたい。出来れば朝まで。良いか?」

「それはどっちに対して?まぁどっちも良いんだけど。でも、シャワー浴びてからにしよう?アークのことだから、このまま寝台に行く気でしょ。」

「別に今更気にすることじゃないだろ。どうせ朝にはドロドロだ。」

アシェルの許可を得たことで、チュッチュと首筋や頬にキスが降ってくる。

確かに普段からSEXの前にシャワーを浴びているわけではないし、アークエイドが朝までと言ったら本当に朝までアシェルを抱き潰すので、色んな体液でドロドロになる。

でも今日は、シャワーを先に浴びたいのだ。

「そう言う問題じゃない。僕は浴びた——今日はダメ。口でシてあげる。」

「アシェ……?」

アークエイドの唇と唇が重なりそうになり、咄嗟に手を挟んでを口にした。

急に雰囲気の変わった抑揚の少ない淡々とした言葉に、アークエイドの表情がまた心配そうになる。
瞳に籠っていた熱は、一瞬で冷めてしまったようだ。

「っ!ごめん、気にしないで。ちょっと昔のこと考えてたら、引っ張られちゃった。いつも通りシてもらっていいから。シャワー浴びてくるから、アークもシャワー浴びて来てよね。」

少しだけ緩んでいた腕の中から抜け出し、言うだけ言って浴室へ駆け込む。

アレは薫が、咲と健斗以外の人物とキスや口でのご奉仕をした日の言葉だ。
どうしてもその嫌な相手との行為を、間接的にでも咲と健斗には触れさせたくなくて、理由を付けてキスを避けていた。
シャワーの時間は寝る直前だったので、薫は汚れたままだったから。

本当は口でだってシてあげたくなかったが、いつもと違うことをして咲と健斗にはバレたくなかった。心配をかけたくなかった。
だから口と手だけはしっかり洗って、を口にしていた。

咲と健斗はどうやら何か匂いの強いものを食べたらしい、と判断していたように思う。
なかなかに不名誉な理由付けだったが、変に疑われるより良い。

でも、条件反射だったとはいえ、今の状態で口にしたのは良くない。

アークエイドは絶対不思議に思ったはずだ。
何故アシェルがを言ったのか、きっと気にしているだろう。

「最悪……自分から墓穴掘っちゃった……。」

脱衣所で裸になり、シャワーを頭から浴びながら自分の失態を呪う。

確実に薫の言葉を口にしたことを、メルティーの迎えに行った後のことと結びつけてくるだろう。

詳しく話したくないから、のらりくらりと嘘ではない話しで誤魔化していたのに、事細かに聞かれてしまったら、アシェルは答えられないかもしれない。

誰も傷つかないデタラメな嘘をついてしまえば良いのだが、誰かを守る為の自分に関するデタラメならいくらでも言えるのに、大切な人たちに嘘を吐きたくない。

時と場合によるものの、答えたくない内容については、嘘ではないけれど口にしたことが全てではない内容、というのがアシェルの言葉の選び方だ。
如何にちゃんと答えているように見せかけて、論点とは違う答えを返すかだ。

さっきはアークエイドが引き下がってくれたが、次は引き下がってくれるだろうか。

基本的にアークエイドはしつこいのだ。納得する答えが得られるまで、延々と質問攻めにあう可能性もある。
そして返答次第では怒られる可能性もある。アークエイドの小言は長いしどうしようもないことも多いので聞きたくない。

イチャイチャすることで有耶無耶になってくれないだろうか。

念入りに身体を隅々まで洗って、しっかりうがいもしておく。
身体は布越しにしか触れあっていないが、気持ちの問題だ。

魔法のクリーンを使えば汚れは綺麗になるのだが、流水でしっかり流した方が綺麗になる気がする。
つまり気持ちの問題だ。

そもそも物理的に汚れているわけではないので、魔法や洗ったところで……ということは分かっているのだが、嫌だと思ったものは洗い流してしまわないと落ち着かないのだ。

自分で納得できるまで身体を洗い、シャワーを終えて、魔法で手っ取り早く乾燥させる。

何を着るべきか悩んで、とりあえずネグリジェを着ておいた。

このままイチャイチャするのなら裸になるのだし、バスタオル一枚巻いていけばいいと思うが、話し合いに突入する可能性もある。
となると、寝間着は着ておくべきだろう。

応接間には誰も居ないことを確認して、戸締りも確認する。

寝室に行けば、アークエイドが寝台の上で本を読みくつろいでいる。

入学してしばらくしてから、週末はほぼアシェルの部屋に泊っていくし、毎日夕飯も食べに来ているので、勝手知ったる他人の部屋だ。
変に気を遣われたりするより楽なので、これだけしょっちゅう来るなら自由に過ごしてもらうのが一番だ。

「お待たせ。」

「いつものアシェだな。本当に、今日は何があったんだ?」

「心配するようなことは何も。」

「やっぱり話したく無いのか。部屋の灯を消すから、布団に入ってくれ。」

もっと突っ込んで聞かれると思っていたのに、あっさりとアークエイドは話題を変える。

アークエイドと入れ違うように寝台に登り、身体を横たえる。

いつもは灯なんてあまり気にしていないようだったのに、今日は廊下の足元灯が光るだけで、部屋の灯は全て落とされてしまう。

寝室の扉の隙間から、僅かに淡く弱い光が漏れている。

カーテンもしっかり締めきっていて、カーテンレールの隙間から僅かな月明かりが入ってくるだけだ。

アークエイドは夜目が効くらしいので見えるのかもしれないが、これだとアシェルはすぐには何も見えない。
暗闇に目が慣れても、ほとんど何も分からないのではないだろうか。

ギシリと寝台が軋み、そのまま覆いかぶさられるのかと思ったら、掛布団を掛けられる。

そしていつも寝る時のように腕の中に抱き込まれた。
どう考えても、このまま就寝の体勢だ。

「朝までするんじゃなかったの?」

「アシェに嫌なことを思い出させてまで、是が非でもシたい訳じゃない。」

「別に嫌って訳じゃ……。もう普通にキスもできるよ?」

恐らくこの辺りかなという予想はつくものの、まだ間近にあるはずのアークエイドの顔のパーツの位置までは分からない。

目が慣れるまでアシェルからキスは出来ない。自分からキスをしにいって変なところに口付けてしまうような、無様なことは避けたい。

「いや、流石にキスをしてしまうと止まれない。今度からアシェが先に風呂に入りたがる時は、邪魔しないようにする。」

「そこまで気を遣わなくて良いんだよ?今日のアレは……たまたまというか、咄嗟につい癖でというか……。」

いくら薫の記憶のせいでパニックを起こしたりしていたとはいえ、記憶をしっかりと思い出している今、周囲の視線でまたパニックになることは無いと思う。
なるとしたら、よっぽど自分自身に余裕が無い時くらいじゃないだろうか。

性的な虐待と呼ぶべきこともあったが、これはそこまで気にしていなかった。
それで大切なモノが守れるなら何度選択を迫られても、無力な自分の身体くらいいくらでも差し出す。

「癖になるくらい薫が言っていた言葉なんだな。気にはなるが、どうせ答えてくれないんだろ?それと……こうやってるのは嫌じゃないか?」

アークエイドの表情は見えないが、それでも気遣わせてしまっていることは分かる。

「嫌だったら魔法使ってるって。アークと違ってほとんど何も見えないけど。」

「見えないように消したんだ。アシェは人の顔色を窺いすぎるからな。」

「顔色を?そんなことないと思うけど。」

本当に分かっていないアシェルの声に、アークエイドは小さく苦笑する。

意図していないようだが、アシェルは相手の反応や顔色を見て、相手が望む答えを返そうとしたり行動したりしようとするところがある。
良く言えば空気を読んでいる。悪く言えば、アシェル自身の意思が感じられない。

大切なモノに関しては頑固なほど意見を押し通すのに、それ以外に関しては周囲の意見や見え方を気にして動こうとしているのだ。

気付いていないのなら、このままで居て欲しい。
変に取り繕われてしまうと、ただでさえ分かりにくいアシェルのことが、もっと分かりにくくなってしまう。

「そうか。折角アシェと居るのに、このまま寝るのも勿体ないな。アシェや薫の楽しかったことを聞きたい。それにゲームというのも気になっている。」

アークエイドが振ってくれた話題に、アシェルは何を話そうかと考える。

イチャイチャ出来ない雰囲気にしてしまったのは申し訳ないし、折角話題を振られたのだから、アークエイドが満足するまで付き合おう。

部屋を暗くしたのはもしかしたらこの話しを振るつもりで、瞳の変化に気を遣わせないようにだったのだろうか。
これなら相手を心配させることを気にせずに話すことが出来る。

「僕の……アシェルの楽しいことって、基本的に錬金とか術式とか……そういう知的好奇心を満たしている時だし、アークも知ってるでしょ?薫が楽しいことは、咲や健斗が楽しいって思うものを共有している時だったから。そう言うのでよかったら話せるよ。ゲームも健斗が楽しんでいた娯楽。」

「それで構わない。それにサキやケントのことも聞きたい。……リリィと話していた言葉遣いも。」

「ふふ。そういえばあの時、アークもデュークも不機嫌そうだったもんね。でも、言葉遣いに関しては、僕じゃ上手く説明できないよ?こっちはどの国も地方も、同じ言葉で同じ文字が当たり前だけど。前世は国によって、言葉が違うことも文字が違うことも当たり前だったんだ。日本って言う国は地続きじゃなくて、アスラモリオン帝国みたいな島国の集まりで。それも結構山とかも多くて、道や移動手段が発達するまでは隣町との行き来も大変だったりとか。そういう背景があるから、地方ごとに独自の言葉遣いが発達してて。それがリリィが使ってたような方言ってやつ。その方言も、大雑把にまとめられる場所の中でも、かなり近い場所なのに絶妙に違いがあったりで、厳密にはどれくらい方言の種類があるのかは分からないし、同じ日本出身でも聞いたことのない方言を喋る人も沢山いると思う。」

こちらの言葉は自動翻訳なのか日本語なのか解らないが、幼少のころから会話の内容は理解できたし話せた。

リリアーデが方言で話した時も、アシェルにも周囲にも同じ文言が聞こえていたようだ。

きっとリリアーデは日本語で話していたつもりだろうし、アシェルだってそうだった。
でも周囲には異国語ではなく、この世界の言葉として聞こえていたのだ。

文字はアルファベットに更に装飾を足したようなもので、文面はローマ字読みだ。
筆記体のように繋げて描くこともないので、アルファベットに対応する文字を覚えてしまえば、本を読むのはたやすかった。

難点は、音がそのまま一つから二つで構成されて文字列になっていくので、物凄く文面が長くなることだ。
本の類が分厚くなる傾向なのも、このローマ字読みのせいだろう。少し漢字やひらがな、カタカナが恋しくなる。

この辺りは謎な部分なのだが、きっと考えても答えが出ないことなのだろう。
神のみぞ知る、というやつだ。

表情が見えないのでアークエイドがどんな気持ちで聞いているのか分からないが、聞きながら寝て貰っても構わないと思いながら言葉を続ける。

咲と健斗の話をする時は薫のように抑揚が少なくなってしまうが、寝物語としてなら丁度いいだろう。

「咲はとっても好奇心旺盛で、優しくて気配りが出来るお姉さんみたいな存在。そして何かを作ることが好き。施設は……孤児院は時々小さな小物を作って、バザーで売ったりしていたんだけど、そういうのを作るのも上手だったの。そして【シーズンズ】で作っている漫画や小説も好きで、その想像上の世界を描く側だった。同人作家として咲山六花さきやま りっかって名前で活動していて、その世界ではそこそこ有名だったみたいよ。」

「サキヤマという名前なのか?」

「名前の並びが違うし、咲の本当の名前じゃないわ。咲山が名字で、六花が名前。作家としての通り名みたいなものね。向こうでは、創作活動で本名を使うことはほとんどないの。私が花宮薫はなみや かおる、咲は六道咲ろくどう さき、健斗が山下健斗やました けんと。日本には漢字という文字があって、こう書くの。」

イメージに魔力を通せば、天井との間に浮かぶように、三人分の名前が光として浮かび上がる。

二人の苗字はそれぞれ産みの親のものだが、産まれて間もなく施設の前に捨てられていた薫の名前は、苗字も含めて施設長の奥さんが付けてくれたものだ。
雪空の下に放置されていたらしいので、温かい名前にしたかったと聞いた。

「この漢字をそれぞれの名前から抜いて、組み合わせた名前が咲山六花。少し音が変わるのは気にしないで。漢字は一つの形にいくつか読み方があるから、きっとこちらの人には理解できないわ。」

光が並びを変えて咲山六花の並びに変わる。

魔法の光に照らされるアークエイドの表情に疑問符が見えるが、音と文字の組み合わせが一通りしかないので分からなくて当然だ。

魔力を流すのを止めれば、また真っ暗闇に包まれる。

「こちら的に言うのなら、私の名前は薫・花宮ね。咲は色んな漫画やゲームをしていたけれど、その中でも好きな物語は男の子同士が仲が良い奴とか、リリィやパティ嬢の言っていた乙女ゲームって呼ばれる、疑似恋愛が出来る物とかね。カッコよくて特徴のある男の子たちが何人かいて、その子達とのイベントをこなして、最終的にお付き合いするものよ。選択肢によっては出来ないこともあるけれど。逆に、可愛い女の子たちを攻略するゲームもあるわ。」

いわゆるギャルゲーやエロゲーとよばれるものだが、健斗がしているところは見たことが無い。

「ゲームにもオペラのように色々な題材があるから。冒険者や、この前のスタンピードみたいに戦うようなゲームもあるの。そういうゲームが好きだったのが健斗。というよりも、あちらには無い魔法と剣のあるファンタジーな冒険ものは、男の子が好きなジャンルの一つね。健斗はゲームや漫画はそういう冒険色が強いものが好きだったわ。優しくて面倒見が良くて、でもちょっとどこか抜けてたわ。スポーツ万能で顔も良いほうだったみたいだから、モテていたみたいだけれど、学生時代に誰かとお付き合いしたって言う話は聞かなかったわね。でも学生の恋愛って、性欲に左右されるようなところもありそうだから。ほとんど毎日処理出来ていたし、部活と施設の生活で自由時間も少なかったから、強いて彼女を作る必要もなかったんじゃないかしら。」

どういう経緯で咲と健斗が結婚するに至ったのか知らないが、もしかしたらずっと咲のことが好きだったという可能性も捨てきれない。

お付き合いの意味が軽い世界だったので、あれだけモテるのならば元カノ二桁とかになっていても不思議ではないと思うのだが、それをしていなかったから。
出自的に、誰かと深い付き合いをすることに抵抗があったのかもしれないが。

もし咲を好きだったのだとなると、どんな気持ちで咲の前で薫と唇を重ねていたのだろうかと思うが、今となっては二人の本心や結婚に至った経緯を知る術はない。
二人に不愉快な思いをさせていなかったのなら良いのだが。

「ゲームは最初の頃はお友達に借りてたみたい。高校生の頃は、咲が創作活動で得た利益を使って買っていたわ。こっそり隠していたけど、施設長は知っていたけれどね。健斗が持っていたのは、両手で持って使うゲーム機。そこに画面があって、映像が映るの。こちらでは動画を映すのは壁なんかに投影するけれど、時々魔道具についている液晶パネルのようなものが、色んな形で普通にあちらの生活にはあるのよ。健斗がプレイするのを咲と二人で一緒に見たり、時々私がプレイしたりしていたわ。授け子の文献に日本のことが記載されているのなら、物に溢れた世界だったことも残っているんじゃないかしら。ゲームは色々ある娯楽の一つ。私の楽しいものは、どうしても咲と健斗のしていたことになるから。二人と一緒に居ない時は、図書館に行って本を読んでたわ。色々な知識や物語が無料で読めたから。図書館に行くのは私だけの趣味、かな。」

「今も昔も、本や知識が好きなんだな。」

「うん。だって、薫もアシェルも本質は一緒だもの。本当にメイディーに産まれて幸せだったと思うわ。……咲と健斗のことを思い出すと、胸がぽかぽかする。」

「それだけ大切な思い出なんだろう。咲と健斗に友人は居たようだが、薫は他に誰か親しい人は居なかったのか?」

「うん。二人は友達多かったと思う。私は咲と健斗だけ。あとは施設の子と少し交流があるくらい。二人の次に親しいって言ったら、名付け親の施設長の奥さんかな。僕にとってのサーニャみたいな存在だったの。施設の子って、やっぱり普通の子とは違った子が多かったけど。私はその中でも、特に扱いにくい子だったんじゃないかなって思う。それでも、施設長の奥さんは根気よく私に関わってくれたから。咲と健斗の次に大切だった人。」

何人もいる職員が匙を投げ薫のことを気味悪がる中、施設長の奥さんだけはいつも優しく薫の相手をしてくれていた。

いつも奥さんと呼んでいたので名前は知らないが、あの優しい奥さんは施設長のどこに惹かれて結婚したのだろうか。

きっと施設長のことだって相談すれば親身になってくれただろうが、奥さんを悲しませたくなかった。
今思えば、あの施設長と婚姻状態にある方が不幸かもしれないと思えるのに、あの時はそんなことすら思い至らなかったのだ。

「アシェにとってのサーニャか。それならとても大事な人だったんだな。」

「うん。施設の皆のお母さんだったから。節約にはちょっと煩かったけど、それだって私達に沢山ご飯を食べさせてくれるためで。お誕生日会みたいなちょっと特別なことを、少し豪華にするためだったから。小さい時は反発しているような子でも、そういう優しさに気付くと大人しくなるの。不思議でしょ。少し口煩いのだって、一般家庭では日常茶飯事だって聞いたことある。親の再婚相手に虐待を受けていた子の話だから、信憑性は高いと思うわ。」

「一般家庭か……流石に俺には分からないな。おかしなことじゃないが、兄上とも姉上とも乳母は違うし、乳兄妹は居ない。母上や父上ともおいそれと会えないしな。それが当たり前だったから、普通がどんなものか上手く想像できないんだ。乳兄妹は居ないが、エトとは剣術を習い始めたころに騎士団の訓練場で知り合ったから、一番長い付き合いだな。」

「僕も一般家庭は分からないけど、お兄様達がたっぷり愛情を注いでくれたし、お父様だって仕事の合間に気にかけてくれたし。それに大切な幼馴染達も沢山いて、乳兄妹に義妹までいる。薫だった頃には考えられたなかったくらい、とっても幸せだよ。」

「それは良かった。さすがにあれだけの壮大な話を聞いているのに、前世の方が良かったと言われたら悲しいからな。」

「今の僕なら、きっと養い主に反抗してる悪い子扱いだろうけどね。」

「嫌なことは嫌だって言っていいんだ。まぁ、アシェのことを本気で怒らせると怖そうだからな。わざわざアシェを怒らせるような人間は珍しいだろうが。」

「何それ。触らぬ神に祟りなしってこと?」

「祟り?」

そういえば、ここはこれだけ神様たちへの信仰が厚いのに、神話もなければ悪影響を及ぼすような話もなかったことを思い出す。

「祟りって言うのは、神様の怒りに触れたり不機嫌にさせたりして、悪いことされちゃうって感じかな。日本には八百万やおよろず……川や炎、物にだって神様が宿っているって言われるくらい、沢山の神様がいるっていわれていたような場所だったから。例えば自然災害も祟りだって言われていたの。そうね。きっとスタンピードのことだって祟りになってたんじゃないかしら。技術や科学が発達して、どんな気候条件で自然災害が起きるのかなんかが分かってからは、あまり祟りだどうだってなっていないかった気がするけれど。」

「スタンピードが祟りか。まぁ、神から与えられた役目をサボっていた人間への祟りだと考えれば、あながち間違ってもいない気がするがな。」

「そういえば創造神話はそんな感じだったね。私が生きていた頃の祟りって、それこそ科学で……情報を使って説明のつかない現象なんかで起きた悪いことって感じだったかな。スタンピードは瘴気の具合や予兆みたいに色々な現象が現れるから、祟りではないって感じかな。オバケなんかが悪戯してる、みたいな話しもあったりして、怖かったな。」

「アシェに……薫に怖いものがあったのか?オバケって、レイスとかそういう類の魔物だろう?」

確かにこちらにはアンデット系の魔物は居るが、一応見えるし魔法攻撃は効く相手だ。

「別にアンデット系が怖いって思ったことはないわ。だって、こちらなら物理が効かなくても魔法が効くでしょう?だから怖いと思ったことは無いわ。種族としての違いはあれど、討伐出来る魔物だもの。あちらは……実体がないのに悪さをする存在ってイメージかしら。殴ってどうにかなるなら良いけれど、科学でも説明できない、自分にはどうすることも出来ない存在が怖かったの。だから肝試しやお化け屋敷は嫌い。」

「お化け屋敷??」

「うん。薄暗い中に、それっぽく怖く見える物とかオバケ役の人が配置してあって、恐怖を楽しむアトラクション。……昔、咲と健斗に連れていかれた事があるの。遊園地のお化け屋敷。すっごく怖くって、1人じゃ歩けなくって、結局二人に両脇を抱えられて出口まで行ったわ。咲ったら酷いのよ。“薫にも苦手なものあったんやねぇ。弱点とかないっち思っとったけ意外やわ。”なんて笑うんだから。しばらく驚かされたりして大変だったわ。理解しようとしても、説明も理解も出来ないものが怖かったの。どうやってもソレの証明が出来ないんだもの。」

鬼の首を取ったように何度も話題にされ揶揄われたのだ。
優しいお姉さんのイメージだった咲が、薫に意地悪というよりも悪戯をしてきていたのは、後にも先にもこのお化け屋敷の一件だけだった。

今思えば嫌いなものとは言え、薫が好き嫌いをはっきりと示したからかもしれない。

「話を聞いてもいまいちピンとこないな。」

「こっちにはないもの。仕方ないわ。ねぇ……もう少しだけそっちに寄ってもいい?」

「いくらでも構わないぞ。」

既に抱きしめられているアークエイドの腕の中で、その胸板に擦り寄るように身を寄せる。

物覚えが良いのは利点だが、苦手な思い出もしっかり思い出せるのは難点でもある。

怖くて眠れない時は咲の狭い寝床に忍び込んで、ようやく寝付いていたのだ。

アークエイドは咲のように柔らかい身体つきではないが、もう何度も寝所を共にしたのですっかり安心できる場所となっている。
こんなにも感触は違うのに、まるで咲の腕の中に居るようだ。真っ暗闇であまり何も見えないから、記憶に引っ張られて余計にそう感じるのかもしれない。

「このまま寝てもいい?」

「あぁ。長々と話させて悪かったな。おやすみ、アシェ。」

「ううん。話していて楽しかったから。おやすみなさい、アーク。」

おやすみの挨拶をして数分と経たずに、すぅすぅとアシェルの規則的な寝息が聞こえ始める。

「相変わらず寝つきが良いな。こっちの気も知らないで。これでも我慢してるんだぞ。」

アシェルに届かないことを知りながら、アークエイドは小さく愚痴を口にする。

擦り寄ってきたアシェルが可愛いのもあるが、アークエイドの胸元に顔を埋め、身体も脚を絡ませるようにぴったりとくっついてきている。

我慢しているのにアシェルの体温と身体の柔らかさで、理性が崩壊してしまいそうだ。

グッと衝動を抑え込み、アシェルから聞いた前世の話を思い返す。

もしかしたら夕刻のことから話題を反らす意味もあったのかもしれないが、今までより踏み込んだことを話してくれたのではないかと思う。

少なくとも薫や友人達のフルネームや、薫の怖かったものなどは初耳だった。

アンデット系の魔物は問題ないようだが、よっぽどお化け屋敷とやらは怖かったのだろう。
僅かにだが身体が震えていた。

今度授け子の文献で、お化けや祟りとやらについて調べてみなくてはいけない。
それでも分からなければ、リリアーデに聞いてしまおう。

アークエイドは愛しい温もりの額にキスを落とし、自身も眠りにつく。

久しぶりにゆっくりと眠れそうだ。
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