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前編
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──どうして。
「どうして、魔法が使えないの……」
ひっくり返った馬車の傍で幼いミーラは絶望していた。
「M」の魔法名は確かに彼女自身に授かっているはずなのに、どういうわけか何も起こらないのだ。
「癒せ、癒せ、癒せ!! 癒せと、言っているでしょう!!」
何度も何度もミーラは叫んだ。己に与えられたばかりの呪文を。だが、目の前に横たわっている彼女の両親は目を覚ますことはなかった。……そう、一生。
みるみる冷えていく両親の体。血に染まる自分の手。自分を責めるような鋭い雨の槍。その全てが絶望に染まる彼女の脳内に刻みこまれていく。
──この日、ミーラは何もできないまま、心から愛していた両親と死別したのである。
***
──十年後。
(全く、人間とはどうしてこうも容姿に左右されやすい生物なのだろうか)
ミーラ・M・エトワールは心の中でうんざりして呟く。そして彼女は目の前で繰り広げられている状況を冷静に見渡した。
周囲にはミーラを中心に円を描くように並ぶ同じ国立ミストリア魔法学園の生徒達。彼らは皆ミーラを見て、悪意のある笑みを浮かべている。
その中でも一際彼女への悪意に満ちていたのは──なんと彼女の“元”婚約者であるルイス・R・アンガーであった。彼は憎しみをこめた瞳でミーラを睨んでいる。
「改めて君のその駄肉が余計に惨めに見えるね、ミーラ。君、周りに白豚って笑われているのに恥ずかしくないのかい?」
「…………」
白豚。そう言われても、ミーラは何も言い返さない。なぜならその言葉通り自分が他の女性よりも豊満な体格だと重々理解しているからだ。
ルイスは何も言い返さないミーラにフンッと嘲笑すると、傍らにいたクラスメイト──アンジュ・M・ティフォンを抱き寄せる。アンジュはルイスの腕にされるがままに、その胸にしがみついた。そしてこっそりとミーラに口角を上げる。まるで「この男は私のもの」とでも言いたげに。
……もっとも、そんな顔をされてもミーラが絶望したり、アンジュに嫉妬したりすることはないのだが。
「アンジュから聞いたよ。性懲りもなくまた彼女に怪我を負わせたらしいじゃないか。君も懲りないね。もう無駄だってことが分からないのかい? 君と僕は既に婚約破棄は済んでいる。神殿で正式な儀式を経た上でね。……右手の傷は痛むかい? アンジュ」
「は、はい、ルイ様……。物を持つとたまに痛みます。ですが、大したことはありません! 私なら大丈夫ですので、これ以上ミーラ様を責めないであげてください!」
「……その割には大袈裟に、怪我しているはずの右手を掲げてらっしゃいますが」
ミーラは誰も聞こえないように小声でそう漏らした。こうして堂々と濡れ衣を着せられ続けると、文句の一つも言いたくなるというものだ。
ちなみにアンジュの右手の怪我の要因にミーラが関わっているのは確かだ。
しかし元はと言えば、すれ違いざまにぶつかってきたのはアンジュの方。そしてそのまま彼女は勝手にミーラの弾力のある脂肪に跳ね返されたに過ぎない。それを彼女はさもミーラから故意に怪我をさせられたと言っているのだ。
……と、ミーラはこんな風に今まで何度もアンジュに「嫌がらせを受けた」と告訴されているが、そのどれもきちんとはっきりした理由がある。
アンジュは庶民育ち故か、上級貴族に自分から話しかけてはいけない、勝手に愛称で呼んではいけないなどという貴族の礼儀に疎い側面があるのだ。よって彼女は身分を気にせず誰にでも気軽に接する傾向があった。ミーラはそれを一つ一つ指摘しただけだ。庶民だから、クラスメイトであり友人だから、天使と見紛うほどの美少女だからと彼女を甘やかす周囲にミーラは違和感を覚える。
(やはりおかしいわ。庶民の彼女を甘やかすことは自分達の貴族としての地位を必然的に下げることになるというのは皆分かっているはず。それなのにどうして彼女の味方をするのかしら。やはり私の推測通り、彼女の魔法名『M』には魅了魔法の力が秘められているのね……。おかげでこっちはまるで娯楽小説でいう“悪役令嬢”のような立場に追われてしまった……それに──)
「ま、これで心も体も醜い君とはおさらばだね! せいぜい魔国アクリウスでお幸せに。……ぷっくく、相手はあの“死の王”ゼシル・H・ヴァンガードだけどね」
「ルイ様! 笑ってはいけません! 人の不幸を、そんな……っ」
ニヤニヤとほくそ笑むルイスをアンジュは諫めるフリをしているが、そんな彼女自身、こっそりと口角を上げているのは簡単に想像できた。
ミーラは何も返さない。真顔で一礼し、馬車に乗ろうとする。
この馬車の行先は隣国だ。魔国アクリウス。最近、ミストリア王国と同盟を結んだ魔族の国。その同盟の証にと、ミストリアの令嬢をアクリウスの王太子に婚約者として預けるという取り決めがされた。だが、貴族達は誰も自分の愛娘をアクリウスに捧げようとは思わなかった。
何故なら、そのアクリウスの王太子──第一王位継承権を持つのは──“死の王”の魔法名を持つ恐ろしい骸骨頭の化け物だからだ。
ミストリアの貴族達がどの令嬢を生け贄にするか議論している時期に、ちょうど国立ミストリラ魔法学園にアンジュが編入し、事態が大きく変わった。当時ルイスの婚約者だったミーラの「嫉妬のままに、アンジュに暴力をふるった」等という根も葉もない悪評が次々と貴族達の耳に入ってきたのだ。
国母とは、清廉潔白でなければならない。国母とは、国民を守る母でなくてはならない。
……だというのに今のミーラは国母に相応しくない、嫌われ者。しかもミーラには彼女自身を守ろうとする両親が既に他界している。エトワール公爵家の領主は金にがめつい彼女の叔父。
生け贄としてはこれ以上のない条件が揃っていた。
そうして、娘を持つ貴族達は普段決して見せることのない結束力をいかんなく発揮し、ミーラとルイスの婚約破棄を求める動きを見せた。その上で、膨大な魔力を秘めているミーラこそが魔国の王太子の婚約者に相応しいと推薦した。唯一、国王が反対してくれたとは聞いているが、王一人の意見では国は動かなかったようだ。
つまりミーラは今からその化け物の婚約者として、国を追い出されるのである。
今、ミーラを見送りにきた生徒達はクラスメイトの別れを惜しんでいるわけではない。彼女が絶望し、無様に泣き縋る様を見に来たにすぎない。
ルイスが意地の悪い笑みを張り付けたまま、ミーラの腕を掴む。
「まぁ待ちなよ、ミーラ。これでも長い間、君と婚約者として過ごしてきたんだ。君には情がある。君がどうしても僕の傍にいたいと言うならば少しは考えてあげてもいいんだよ? 勿論、僕の監視の下でその駄肉をそぎ落としてもらうけど。そうしたら、君を俺の側妃くらいにはしてやってもいい」
「ちょっと! ルイ様!?」
ギョッとするアンジュを睨みつけるルイス。視線だけで彼はアンジュを黙らせ、ミーラに詰め寄る。
「幼い頃の君は本当に美しかった。当時の君よりも美しい女なんて、僕は今でも知らない。あの美貌を維持していれば、こんなことにならなかったはずだろ?」
「…………」
ルイスの言う通りかもしれない。幼い頃のミーラには美貌という強い武器を持っていた。だからこそ、その美貌を維持していれば追放にはならなかったはずだ。実際、幼いミーラには当時のルイスも周囲もご執心であった。
──だが彼女にはある日を境にその美貌を捨てるほどの強い信念が宿ったのである。
「ルイス殿下。私は何度も言っておりますが、痩せるつもりもありません。何度も貴方と言い争いになって、アレアス国王陛下に相談した時は今の私でいいとおっしゃってくれました。ですので、私は貴方に媚びたりしませんよ。ましてやもう婚約者ではないというのに」
「……っ! み、ミーラァ……!! なんて憎たらしい! 幼い頃の美しかった君を返せ!! これは、僕への裏切り行為だぞ……ッ!!」
……そこで、ルイスの堪忍袋の緒が切れたのだろう。
彼は怒りのままにミーラの胸倉を掴み、殴りかかろうとしたのだ。
「ルイス殿下、おやめください! 彼女はもうすぐ魔国アクリウス王太子の婚約者なのですよ!」
「はっ、白豚め! さっさと僕の前から消えろ! 貴様のような女は化け物と仲良くしていればいいんだ! 醜い者同士お似合いだろうよ!!」
流石に取り巻きの男子生徒に抑えられるルイス。そんなルイスに背を向け、ミーラはようやく馬車にのった。もう二度と振り向いたりしない。
「では、勝手にさせていただきますわ。御機嫌よう、殿下」
ミーラの言葉を合図に、馬車が動き出す。
馬車のドアが閉まってもなお、ルイスの怒鳴り声がドアの向こうから聞こえてきた……。
「どうして、魔法が使えないの……」
ひっくり返った馬車の傍で幼いミーラは絶望していた。
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「癒せ、癒せ、癒せ!! 癒せと、言っているでしょう!!」
何度も何度もミーラは叫んだ。己に与えられたばかりの呪文を。だが、目の前に横たわっている彼女の両親は目を覚ますことはなかった。……そう、一生。
みるみる冷えていく両親の体。血に染まる自分の手。自分を責めるような鋭い雨の槍。その全てが絶望に染まる彼女の脳内に刻みこまれていく。
──この日、ミーラは何もできないまま、心から愛していた両親と死別したのである。
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──十年後。
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ミーラ・M・エトワールは心の中でうんざりして呟く。そして彼女は目の前で繰り広げられている状況を冷静に見渡した。
周囲にはミーラを中心に円を描くように並ぶ同じ国立ミストリア魔法学園の生徒達。彼らは皆ミーラを見て、悪意のある笑みを浮かべている。
その中でも一際彼女への悪意に満ちていたのは──なんと彼女の“元”婚約者であるルイス・R・アンガーであった。彼は憎しみをこめた瞳でミーラを睨んでいる。
「改めて君のその駄肉が余計に惨めに見えるね、ミーラ。君、周りに白豚って笑われているのに恥ずかしくないのかい?」
「…………」
白豚。そう言われても、ミーラは何も言い返さない。なぜならその言葉通り自分が他の女性よりも豊満な体格だと重々理解しているからだ。
ルイスは何も言い返さないミーラにフンッと嘲笑すると、傍らにいたクラスメイト──アンジュ・M・ティフォンを抱き寄せる。アンジュはルイスの腕にされるがままに、その胸にしがみついた。そしてこっそりとミーラに口角を上げる。まるで「この男は私のもの」とでも言いたげに。
……もっとも、そんな顔をされてもミーラが絶望したり、アンジュに嫉妬したりすることはないのだが。
「アンジュから聞いたよ。性懲りもなくまた彼女に怪我を負わせたらしいじゃないか。君も懲りないね。もう無駄だってことが分からないのかい? 君と僕は既に婚約破棄は済んでいる。神殿で正式な儀式を経た上でね。……右手の傷は痛むかい? アンジュ」
「は、はい、ルイ様……。物を持つとたまに痛みます。ですが、大したことはありません! 私なら大丈夫ですので、これ以上ミーラ様を責めないであげてください!」
「……その割には大袈裟に、怪我しているはずの右手を掲げてらっしゃいますが」
ミーラは誰も聞こえないように小声でそう漏らした。こうして堂々と濡れ衣を着せられ続けると、文句の一つも言いたくなるというものだ。
ちなみにアンジュの右手の怪我の要因にミーラが関わっているのは確かだ。
しかし元はと言えば、すれ違いざまにぶつかってきたのはアンジュの方。そしてそのまま彼女は勝手にミーラの弾力のある脂肪に跳ね返されたに過ぎない。それを彼女はさもミーラから故意に怪我をさせられたと言っているのだ。
……と、ミーラはこんな風に今まで何度もアンジュに「嫌がらせを受けた」と告訴されているが、そのどれもきちんとはっきりした理由がある。
アンジュは庶民育ち故か、上級貴族に自分から話しかけてはいけない、勝手に愛称で呼んではいけないなどという貴族の礼儀に疎い側面があるのだ。よって彼女は身分を気にせず誰にでも気軽に接する傾向があった。ミーラはそれを一つ一つ指摘しただけだ。庶民だから、クラスメイトであり友人だから、天使と見紛うほどの美少女だからと彼女を甘やかす周囲にミーラは違和感を覚える。
(やはりおかしいわ。庶民の彼女を甘やかすことは自分達の貴族としての地位を必然的に下げることになるというのは皆分かっているはず。それなのにどうして彼女の味方をするのかしら。やはり私の推測通り、彼女の魔法名『M』には魅了魔法の力が秘められているのね……。おかげでこっちはまるで娯楽小説でいう“悪役令嬢”のような立場に追われてしまった……それに──)
「ま、これで心も体も醜い君とはおさらばだね! せいぜい魔国アクリウスでお幸せに。……ぷっくく、相手はあの“死の王”ゼシル・H・ヴァンガードだけどね」
「ルイ様! 笑ってはいけません! 人の不幸を、そんな……っ」
ニヤニヤとほくそ笑むルイスをアンジュは諫めるフリをしているが、そんな彼女自身、こっそりと口角を上げているのは簡単に想像できた。
ミーラは何も返さない。真顔で一礼し、馬車に乗ろうとする。
この馬車の行先は隣国だ。魔国アクリウス。最近、ミストリア王国と同盟を結んだ魔族の国。その同盟の証にと、ミストリアの令嬢をアクリウスの王太子に婚約者として預けるという取り決めがされた。だが、貴族達は誰も自分の愛娘をアクリウスに捧げようとは思わなかった。
何故なら、そのアクリウスの王太子──第一王位継承権を持つのは──“死の王”の魔法名を持つ恐ろしい骸骨頭の化け物だからだ。
ミストリアの貴族達がどの令嬢を生け贄にするか議論している時期に、ちょうど国立ミストリラ魔法学園にアンジュが編入し、事態が大きく変わった。当時ルイスの婚約者だったミーラの「嫉妬のままに、アンジュに暴力をふるった」等という根も葉もない悪評が次々と貴族達の耳に入ってきたのだ。
国母とは、清廉潔白でなければならない。国母とは、国民を守る母でなくてはならない。
……だというのに今のミーラは国母に相応しくない、嫌われ者。しかもミーラには彼女自身を守ろうとする両親が既に他界している。エトワール公爵家の領主は金にがめつい彼女の叔父。
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今、ミーラを見送りにきた生徒達はクラスメイトの別れを惜しんでいるわけではない。彼女が絶望し、無様に泣き縋る様を見に来たにすぎない。
ルイスが意地の悪い笑みを張り付けたまま、ミーラの腕を掴む。
「まぁ待ちなよ、ミーラ。これでも長い間、君と婚約者として過ごしてきたんだ。君には情がある。君がどうしても僕の傍にいたいと言うならば少しは考えてあげてもいいんだよ? 勿論、僕の監視の下でその駄肉をそぎ落としてもらうけど。そうしたら、君を俺の側妃くらいにはしてやってもいい」
「ちょっと! ルイ様!?」
ギョッとするアンジュを睨みつけるルイス。視線だけで彼はアンジュを黙らせ、ミーラに詰め寄る。
「幼い頃の君は本当に美しかった。当時の君よりも美しい女なんて、僕は今でも知らない。あの美貌を維持していれば、こんなことにならなかったはずだろ?」
「…………」
ルイスの言う通りかもしれない。幼い頃のミーラには美貌という強い武器を持っていた。だからこそ、その美貌を維持していれば追放にはならなかったはずだ。実際、幼いミーラには当時のルイスも周囲もご執心であった。
──だが彼女にはある日を境にその美貌を捨てるほどの強い信念が宿ったのである。
「ルイス殿下。私は何度も言っておりますが、痩せるつもりもありません。何度も貴方と言い争いになって、アレアス国王陛下に相談した時は今の私でいいとおっしゃってくれました。ですので、私は貴方に媚びたりしませんよ。ましてやもう婚約者ではないというのに」
「……っ! み、ミーラァ……!! なんて憎たらしい! 幼い頃の美しかった君を返せ!! これは、僕への裏切り行為だぞ……ッ!!」
……そこで、ルイスの堪忍袋の緒が切れたのだろう。
彼は怒りのままにミーラの胸倉を掴み、殴りかかろうとしたのだ。
「ルイス殿下、おやめください! 彼女はもうすぐ魔国アクリウス王太子の婚約者なのですよ!」
「はっ、白豚め! さっさと僕の前から消えろ! 貴様のような女は化け物と仲良くしていればいいんだ! 醜い者同士お似合いだろうよ!!」
流石に取り巻きの男子生徒に抑えられるルイス。そんなルイスに背を向け、ミーラはようやく馬車にのった。もう二度と振り向いたりしない。
「では、勝手にさせていただきますわ。御機嫌よう、殿下」
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