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第四章 エレナと桃色の聖遺物
76:家族だから
しおりを挟むその後、ノームとサラマンダーはリリィを心配しながらも魔王の魔法陣によってシュトラールへ帰っていった。リリィはというと、その直後に発熱し、悪夢を見ているのか怯えた寝顔を浮かべている。エレナは食事もせずにそんなリリィの傍に居続けた。その小さな手がエレナの指をきゅっと握るのを見ると泣きそうになる。
「……っ、……っ!!!」
「リリィ……」
(こんな小さな身体で、一体リリィは何を抱えているというのだろうか。私に、何か出来ることはないの……?)
ベッドに顔を埋めて、何も出来ないもどかしさについに涙が零れた。エレナの涙がベッドのシーツに染みをつくる。するとそこで部屋のドアがノックされた。部屋に入ってきたのは魔王だ。
「エレナ、食事はちゃんととりなさい」
「……いらない」
珍しく魔王にぶっきらぼうな態度をするエレナ。これは彼女の八つ当たりだ。自分でも最低だと分かっているが、どうしても我慢できなかった。エレナは唇を噛みしめる。魔王の足音が近づいてきた。彼はぎしっと音を鳴らしてベッドに腰かける。
「……リリィは相変わらず苦しそうだな」
そう言って、魔王はリリィの頬を優しく撫でた。リリィの皮膚に触れた瞬間、彼の身体が微かに揺れたがエレナはそれに気づかない。
「私は何も出来ない……。こんなに苦しそうなのに。こんなに辛そうなのに。……なにが、弟! なにが、家族! 偉そうなことを言っておいて、何一つ救えないくせに……っ!!」
ぎゅっと拳を握りしめる。魔王はそんなエレナにしばらく俯いた。そして優しく彼女の拳に己の手を重ねる。エレナが魔王を見上げると、溢れた涙がポロリと頬を伝った。
「いいや、お前はリリィに大きな救いを与えているよ。昨晩のリリィの涙を見ただろう。我はあの涙の意味を知っている。孤独な闇から、誰かに引き上げてもらった時のものだ。その涙を以前お前だって見たことがあるはずだよ。お前が我を初めて父と呼んだ夜に」
エレナはふと魔王が指している夜を思い出す。そう、あれはマモンに導かれるままに魔王の寝室へ忍び込んだ時──そこでエレナは魔王の悲しみに触れ、彼に寄り添うことを決意したのだ。その時も確かに彼は泣いていた。目玉のない目から涙を溢れさせていた。
「誰かが傍にいてくれるということは、この世界のどんな物よりも救いになることだ。お前は今こうしている間にもきっとリリィを救っている。お前が今も我の娘でいてくれることで我を救っているように」
「……っ、でも、私は……傍にいるだけじゃもどかしいよ。リリィの声が出ないのも、リリィが大きなトラウマを背負っていることが原因かもしれないってドリアードさんが言ってたの。早くどうにかしてあげなきゃって焦っちゃう。声が出なくなるくらいのトラウマなんてどうすればいいのか分からないのに……」
──私、こんなんじゃリリィの“家族”にはなれない。
涙交じりのエレナの言葉に、微かにリリィの手が反応した。
***
──リリィは、悪夢を見ていた。
あちこちで雷の咆哮が鳴り響く。数多の叫び声が耳から離れない。黒く焦げた死体が頭にこびりついていた。どうしよう、どうしよう! 混乱するリリィの手を引くのはどこか見覚えのある金髪の男だ。男は岩の影に隠れると、それに背を預けて息を整える。悲鳴は未だに止まない。男が怯えるリリィを抱きしめた。
──『くそっ、アポロもアーレスも殺されたか。デメッテルとポセイドは……今戦ってくれているのか? 冥界にも逃げられないな。ハーデスを殺すわけにいかない。モロスが命を懸けて妹を逃がしてくれたことに感謝せねば。そのおかげで希望は、まだこの手にある……っ!』
するとそこで男は怯えるリリィに気づき、優しく微笑む。しかしそんな男の腹も雷に抉られたように焦げていた。
──『大丈夫だエルピス。【希望/お前】だけは、絶対に俺が死なせない。いいか? 今から俺はお前の全てを封印する。いつかお前の封印を解く者が現れるその時まで、お前は──』
男はそう言ってリリィに魔法をかける。その途端リリィの身体がみるみる小さくなっていった。慌てて男に手を伸ばすが、男はリリィにただただ微笑むだけだ。そしてその直後──
──『エルピス! 頼む、生き伸びてくれよ! 彼女がお前を見つけるまで! どんなに孤独でも、どんなに苦しくても生きてくれ! 何故ならお前は──我らの、希望なのだから──!!』
そんな叫びと同時に、リリィは男が巨大な雷に身体を貫かれたのを確かに見た。そして男の手から離れたリリィはそのまま白い霧を通り過ぎ、落下していく。落ちて、落ちて、落ちて、落ちて──どうしようもない悲しみと不安がリリィを襲った。何故かはわからないのに、涙が零れる。
──そこで、ようやくリリィは悪夢から意識を取り戻した。
「──なにが、姉! なにが、家族! 偉そうなことを言っておいて、何一つ救えないくせに……っ!!」
嗚呼、この声は知っている。
リリィは頭の中でぼんやりとそう思った。真っ先に思い浮かんだのはつい昨日、自分を見つけてくれた金髪の少女だ。暗い地中から救ってくれた恩人。彼女は自分の「かぞく」というものらしい。その三文字の意味は分からないが、どういうわけか心が温かくなる。リリィはエレナの眩しい笑顔も、優しい声も、どこか懐かしい魔力の味も好きだった。そして、その彼女が泣いていることに気づく。気になってうっすら目を開けた。魔王とエレナが会話をしている。エレナは悔しそうに唇を噛みしめていた……。
「──私は、こんなんじゃリリィの“かぞく”にはなれない」
「──、──」
リリィはピクリと反応する。違う、と思った。違う、違う違う違う! しかし言葉はリリィの口から出てこない。出てこないのだ。どうしても、夢に出てきた金髪の男が目の前で雷に貫かれた光景を思い出して、声が出なくなる。あの男が自分にとって何者なのかも思い出せないというのに……。
……だがそんなリリィにだって分かることがある。今、エレナが自分の為に涙を流してくれているということ。自分はそんな心優しい彼女の傍にいたいということ。故に、彼女の「かぞく」になることをリリィ自身が望んでいるということ……。
声を出すのは怖い。あの雷に、見つかってしまいそうで。
でも、それ以上にリリィはエレナに伝えたかった。自分が、どれほど彼女に感謝しているのかを。
「──えーな、りりぃ、かぞ、く、だ、よ……」
数千年ぶりの発声は、それはもう酷いものだった。上手く舌が回らない。それでも、目を丸くさせて己を見つめる彼女には伝わったのだろう。頭痛は酷いが、精一杯笑ってみせる。するとエレナの瞳からさらに大粒の涙が零れ落ちてきて、そのまま彼女はリリィを抱きしめた。その上から骸骨頭の魔王までエレナとリリィを纏めて包み込む。リリィは二人の熱い抱擁にふわふわした心地だった。
──嗚呼、これが「かぞく」か。
まだ出会って一日だけの仲だと、この三人を見た誰かは嘲笑うだろう。だがこの幸福感は偽物なんかじゃない。確かに今、自分は幸せなのだ。ずっとこの人達と一緒にいたいし、この人達を守りたい。湿った土の中とは違う、温もり。リリィは己の心に反芻する未知の感情の産声を、じんわりと感じ取っていたのだった……。
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