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序章
01:元聖女は断頭台で絶望する
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(──臭い。お腹すいた。吐き気がする。息がしづらい)
糞と尿が散らかった牢獄でエレナ・フィンスターニスは嘆く。もはや呼吸を繰り返す体力しか残されていない彼女は己の生の限界を感じていた。空腹を知らせる叫びが彼女の腹からぐうぐうと聞こえてくる。
(あの子達は、ちゃんと魔族の国に帰れたのかな)
(──いや、きっと大丈夫だ。そうじゃないと、私が報われないよ)
瞼の重みがどんどん増していく。その重みに耐えられず、エレナは瞼を下ろしてしまった。もう楽になりたいと諦めてしまったのだ。しかしそうはさせないと牢獄の入り口が開く。入り口からは、黒い礼装を来た兵士がエレナを見下ろしていた。
「罪人、エレナ・フィンスターニス。今から貴様を絶対神デウス様の名の下において処刑する!」
処刑。その言葉にエレナはたじろぐ。エレナの首元に提げられている黄金琥珀の宝石がピクリと動いた。
エレナの現在の状況を一言で説明すると、兵士の言葉通り「たった今から死罪を受ける」だ。しかしながら、実はエレナはこのスペランサ王国次期国王の婚約者である。つまりは未来の王妃。そんな彼女が一体どうして罪人として粗末に扱われているのか。それには勿論理由があった。
──事の発端は一ヶ月前に遡る。
一ヶ月前、一応の育ての親であるエレナの叔父が治めているフィンスターニス領に三人の子供が迷い込んできた。たかが人間の子供であればさほど騒ぎにはならないものの、それらはなんと魔族の子供だったのだ。
人間とは違い、己の心臓から魔力を生み出すことができる存在──それが魔族。人間は神の力なくして魔法を操る魔族を〝神を否定する悪〟として忌み嫌っていた。
そんな子供が迷い込んできたのだから、フィンスターニス領の住民達はそれはもう驚き、即座に拘束した。勿論、領主であるエレナの叔父にその事件は報告される。そうして三人の魔族の子供達は王都から迎えが来るまでフィンスターニス領の屋敷の牢獄に監禁されることになったのだ。
一方で、王都から一時的に里帰りをしていたエレナはそんな三人の魔族の子供達を他人事のように思えなかった。こっそり三人に自分の食事を分けてあげていくうちにエレナは彼らと友達になり──国に引き渡す日の前日に彼らを逃がしてやった。
要するに今、エレナがここで監禁されているのはその国が殺すべき存在である魔族の子供達を逃がしてしまったから。
(竜人の元気な男の子、オリアス。吸血鬼の甘えん坊な男の子、シトリ。ラミアのしっかり者な女の子、アイム。三人は私の大切な友達……)
(彼らが生き伸びた結果がこれならば、私は自分の生に何も悔いはないよ)
兵士が強引にエレナの腕を掴む。「立て」と冷たく言い放たれた。しかしエレナの足にはもう力が入りそうになかった。兵士は眉を顰めると、エレナの身体を強引にズルズルと引きずる。エレナは抵抗する気もない。ただ自分の惨めさに乾いたはずの涙が溢れた。
随分と長い時間、身体を引きずられていた。はた、と地面と身体が擦れる感触がなくなったかと思えば、聞き慣れた声に嫌悪感を覚える。
「──無様だな、エレナ。……いや、今はこう呼ぶべきだろうか。魔女、と」
そうエレナを嘲笑するのはエレナの婚約者であるウィン・ディーネ・アレクサンダー。彼は眼鏡をくいっと指で押し上げ、エレナの顔を覗き込んだ。
「魔族の子供に慈悲の心を持つなど笑止千万。それは絶対神への無礼に値する。……君に情がないわけではないが、その髪を見てしまえば助ける気もなくなるな」
風が冷たい。それでいて荒れていた。エレナはウィンの言葉を聞くのが精一杯で周囲の様子を認識できなかった。ウィンがエレナの前髪を強引にひっつかんだことでようやく視界が広がる。
エレナは数多の視線が自分に向けられていることと、エレナが今いる場所が〝断頭台〟であることに気づいた。
「見よ、我が民達よ!! これがデウス様の御意志だ! 以前のエレナの髪はそれはそれは美しい白髪であった。だからこそエレナがデウス様の寵愛の対象に選ばれたのだと皆が喜び、エレナを我が国の王妃とする準備を今まで進めてきたはずだ! しかし!!」
──今のエレナの髪は、金色に染まってしまっている!
「……金髪も珍しい色ではあるが、これは象徴が現れる前のエレナの髪色だ。大天使に属する色でもない。つまりこれはエレナがデウス様の寵愛の対象から外れ、デウス様の怒りを買ったという証拠に他ならない! 故に僕はここに宣言しよう! この僕、ウィン・ディーネ・アレクサンダーはデウス様の名の下にこのエレナ・フィンスターニスとの婚約を破棄することを!」
観衆から歓喜の声が上がる。エレナの予想通りの反応ではあったものの、そのショックは齢十三のエレナの心を深く抉っていく。
今し方、ウィンがエレナの髪について言及していたが、エレナがウィンの婚約者になったのはそれなりの地位があったからではない。エレナの髪の色が白へと、ある日突然変貌したからだ。白はスペランサ王国が信仰する神──デウスを象徴する色である。故に白髪はデウスの象徴として崇められており、それが突然エレナに宿ったのだ。あっという間に辺境の貧乏貴族の姪だったエレナがスペランサ王国次期王妃へと格上げされた。
しかしその神の象徴を無くした途端にこのブーイングと殺意の嵐である。視界を埋め尽くすほどの人数からの悪意にエレナが耐えられるはずもなかった。
(今まで、未来の王妃だからって沢山勉強させられてきた。嫌だ嫌だって泣きわめいても、逃がしてくれなかったくせに!)
(まぁ、ウィン様や城の人達や国民が私の白髪にしか興味がないのは知っていたけど。……結局皆、エレナじゃなくてデウス様に選ばれた聖女に焦がれていただけなんだ)
するとここで、断頭台に新たな人影が現れる。皆がソレに注目した。勿論、エレナも。
「──初めまして、エレナ様! 私、レイナ・リュミエミルと申します」
「……っ!! ……ああ、あ、」
エレナは限界まで目を広げる。断頭台に現れたのはエレナと同い年ほどの少女。地べたに投げ捨てられたエレナを見下ろし、それはそれは華やかに微笑んでいた。そんな彼女にはこの場の皆を唖然とさせるほどの破壊力がある。
何故なら──少女の髪が、絹のような白髪だったから。
糞と尿が散らかった牢獄でエレナ・フィンスターニスは嘆く。もはや呼吸を繰り返す体力しか残されていない彼女は己の生の限界を感じていた。空腹を知らせる叫びが彼女の腹からぐうぐうと聞こえてくる。
(あの子達は、ちゃんと魔族の国に帰れたのかな)
(──いや、きっと大丈夫だ。そうじゃないと、私が報われないよ)
瞼の重みがどんどん増していく。その重みに耐えられず、エレナは瞼を下ろしてしまった。もう楽になりたいと諦めてしまったのだ。しかしそうはさせないと牢獄の入り口が開く。入り口からは、黒い礼装を来た兵士がエレナを見下ろしていた。
「罪人、エレナ・フィンスターニス。今から貴様を絶対神デウス様の名の下において処刑する!」
処刑。その言葉にエレナはたじろぐ。エレナの首元に提げられている黄金琥珀の宝石がピクリと動いた。
エレナの現在の状況を一言で説明すると、兵士の言葉通り「たった今から死罪を受ける」だ。しかしながら、実はエレナはこのスペランサ王国次期国王の婚約者である。つまりは未来の王妃。そんな彼女が一体どうして罪人として粗末に扱われているのか。それには勿論理由があった。
──事の発端は一ヶ月前に遡る。
一ヶ月前、一応の育ての親であるエレナの叔父が治めているフィンスターニス領に三人の子供が迷い込んできた。たかが人間の子供であればさほど騒ぎにはならないものの、それらはなんと魔族の子供だったのだ。
人間とは違い、己の心臓から魔力を生み出すことができる存在──それが魔族。人間は神の力なくして魔法を操る魔族を〝神を否定する悪〟として忌み嫌っていた。
そんな子供が迷い込んできたのだから、フィンスターニス領の住民達はそれはもう驚き、即座に拘束した。勿論、領主であるエレナの叔父にその事件は報告される。そうして三人の魔族の子供達は王都から迎えが来るまでフィンスターニス領の屋敷の牢獄に監禁されることになったのだ。
一方で、王都から一時的に里帰りをしていたエレナはそんな三人の魔族の子供達を他人事のように思えなかった。こっそり三人に自分の食事を分けてあげていくうちにエレナは彼らと友達になり──国に引き渡す日の前日に彼らを逃がしてやった。
要するに今、エレナがここで監禁されているのはその国が殺すべき存在である魔族の子供達を逃がしてしまったから。
(竜人の元気な男の子、オリアス。吸血鬼の甘えん坊な男の子、シトリ。ラミアのしっかり者な女の子、アイム。三人は私の大切な友達……)
(彼らが生き伸びた結果がこれならば、私は自分の生に何も悔いはないよ)
兵士が強引にエレナの腕を掴む。「立て」と冷たく言い放たれた。しかしエレナの足にはもう力が入りそうになかった。兵士は眉を顰めると、エレナの身体を強引にズルズルと引きずる。エレナは抵抗する気もない。ただ自分の惨めさに乾いたはずの涙が溢れた。
随分と長い時間、身体を引きずられていた。はた、と地面と身体が擦れる感触がなくなったかと思えば、聞き慣れた声に嫌悪感を覚える。
「──無様だな、エレナ。……いや、今はこう呼ぶべきだろうか。魔女、と」
そうエレナを嘲笑するのはエレナの婚約者であるウィン・ディーネ・アレクサンダー。彼は眼鏡をくいっと指で押し上げ、エレナの顔を覗き込んだ。
「魔族の子供に慈悲の心を持つなど笑止千万。それは絶対神への無礼に値する。……君に情がないわけではないが、その髪を見てしまえば助ける気もなくなるな」
風が冷たい。それでいて荒れていた。エレナはウィンの言葉を聞くのが精一杯で周囲の様子を認識できなかった。ウィンがエレナの前髪を強引にひっつかんだことでようやく視界が広がる。
エレナは数多の視線が自分に向けられていることと、エレナが今いる場所が〝断頭台〟であることに気づいた。
「見よ、我が民達よ!! これがデウス様の御意志だ! 以前のエレナの髪はそれはそれは美しい白髪であった。だからこそエレナがデウス様の寵愛の対象に選ばれたのだと皆が喜び、エレナを我が国の王妃とする準備を今まで進めてきたはずだ! しかし!!」
──今のエレナの髪は、金色に染まってしまっている!
「……金髪も珍しい色ではあるが、これは象徴が現れる前のエレナの髪色だ。大天使に属する色でもない。つまりこれはエレナがデウス様の寵愛の対象から外れ、デウス様の怒りを買ったという証拠に他ならない! 故に僕はここに宣言しよう! この僕、ウィン・ディーネ・アレクサンダーはデウス様の名の下にこのエレナ・フィンスターニスとの婚約を破棄することを!」
観衆から歓喜の声が上がる。エレナの予想通りの反応ではあったものの、そのショックは齢十三のエレナの心を深く抉っていく。
今し方、ウィンがエレナの髪について言及していたが、エレナがウィンの婚約者になったのはそれなりの地位があったからではない。エレナの髪の色が白へと、ある日突然変貌したからだ。白はスペランサ王国が信仰する神──デウスを象徴する色である。故に白髪はデウスの象徴として崇められており、それが突然エレナに宿ったのだ。あっという間に辺境の貧乏貴族の姪だったエレナがスペランサ王国次期王妃へと格上げされた。
しかしその神の象徴を無くした途端にこのブーイングと殺意の嵐である。視界を埋め尽くすほどの人数からの悪意にエレナが耐えられるはずもなかった。
(今まで、未来の王妃だからって沢山勉強させられてきた。嫌だ嫌だって泣きわめいても、逃がしてくれなかったくせに!)
(まぁ、ウィン様や城の人達や国民が私の白髪にしか興味がないのは知っていたけど。……結局皆、エレナじゃなくてデウス様に選ばれた聖女に焦がれていただけなんだ)
するとここで、断頭台に新たな人影が現れる。皆がソレに注目した。勿論、エレナも。
「──初めまして、エレナ様! 私、レイナ・リュミエミルと申します」
「……っ!! ……ああ、あ、」
エレナは限界まで目を広げる。断頭台に現れたのはエレナと同い年ほどの少女。地べたに投げ捨てられたエレナを見下ろし、それはそれは華やかに微笑んでいた。そんな彼女にはこの場の皆を唖然とさせるほどの破壊力がある。
何故なら──少女の髪が、絹のような白髪だったから。
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