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三十五、豊穣祭 ~ほうじょうさい~ 2
しおりを挟む真白き清廉な衣装に身を包み、皇が実りの豊かさの感謝の言葉を神に捧げる。
その天へと響く朗々たる声に、同じく白の衣装に身を包んだ石工と若竹が続く。
石工は、父である皇と同じように、堂々と張りのある声と態度で、若竹は、言葉の覚えに不安があるのか、小さき声、矮小なる態度で。
そしてその後を追うように宮家の当主が祈りを捧げ、他の者達もそれに倣う。
晴れ渡る空の下、恙なく進んでいく儀式の後に控えるのは、酒宴。
その場では、衣装を新たにした男達が、それぞれ妻や恋人から贈られた帯を締めて会場へと入る。
その際、帯を贈った女人たちは、男たちの着替えを手伝うことは許されず、皆一様に酒宴の場にて待つ。
それは、女人たちにも着替えがあるからなのだが、実際に身に着けた姿を見られるのは酒宴の場ということもあって、女人だけで待つ酒宴の場が独特の雰囲気となるのは、当然のこととも言えた。
ひとりずつ入って来る、というのも注目を集める要素よね。
石工は何番目かしら。
一番最後か、その前か、更にその前か。
ああ、待ち時間が長すぎてどきどきする。
その立場から言って、それより前にはならないだろうと予測しつつ、白朝はそわそわした気持ちを落ち着かせるよう小さく息を吐く。
みんな、力作ね。
身に着けている方も、誇らしそう。
貴族の末席から入室して来る、その帯を見て、白朝は目を輝かせた。
末席の貴族だろうと宮家だろうと、妻や恋人に贈られた帯を大切に想う気持ちは同じなのだと、白朝はそんな当たり前のことを改めて思う。
それにしても石工は、紐でも足すつもりなのかしら。
今回、白朝が織りあげた布では充分な長さの帯は作れなかった。
その端までも、心込めて縫いあげたけれども、長さが足りない事実は如何ともしがたい。
それでも、ここまで来れば案じても自分には何も出来ないと、白朝は人々の作成した帯を堪能した。
「あ、若竹皇子様がいらしたわ」
そして、五大貴族、宮家の面々が入室した後、廊下を歩く若竹の姿がいち早く見えたらしい女人の声に入口を見た白朝は、そのままあんぐりと口を開けそうになって何とか留まった。
凄い。
まったく、全然、ちっとも、似合っていない。
若竹は、予想通り白朝が石工のために織った織物を締めて現れた。
しかしその織物は、きちんと処理もされておらず、帯として完成されてもいない。
しかもその色彩は、道化の如くと言わしめるほどに若竹の容姿に合わず、浮いていた。
「これはこれは。若竹皇子殿。その帯は、まるで、借りていらしたかの如くですな」
「まったくです。それに、そちらの見事な織物は、先だってどちらかで拝見したもののようにお見受けします」
藤宮家秋永の言葉に、月城家の北斗が続き、その場の大多数が頷きを返す。
「嫌味な物言いをするな。これは、美鈴が僕のために」
「若竹皇子様。そちらの織物、帯としての処理をされていないようですけれど」
「本当に。まるで、引きちぎって来たかのような有様ですわね」
眦を吊り上げて叫ぼうとした若竹の言葉を制すように藤宮夫人が、気遣うような声をあげれば、香城夫人がどうしたことでしょう、と首を傾げる。
「うるさいぞ。引きちぎったのは、僕でも美鈴でもない。あの女がやったことだ」
「では、盗みを認めると仰る」
若竹の言葉に和智が厳しい声をあげた。
「言葉を慎め。僕に捧げられるのだ。白朝とて本望というものだろう」
「そうですよ。美鈴が若竹のために捧ぐのですから、良い品でないと。白朝は選ばれて感謝すべきですわ」
「盗人猛々しいとは、この事だな」
その時、凛とした声がして皇が入室して来る。
凄い。
圧倒的存在感。
そして、なんて美しい帯!
「武那賀様。そのようなおっしゃりようは、あんまりです。若竹も美鈴も必死に」
「必死に?必死に人の物を盗ませたとでも言うつもりか?」
「僕が指示したわけでは。あの女が勝手に」
皇の声に身を竦めながら若竹が言うのは、そんな言葉。
『若竹皇子様が愛妾にしてくださると言った』って、あの使用人、八名は言っていたのだけれど。
八名が聞いたら怒り狂いそうだわ。
実家へと送り返されるその時まで、若竹皇子の愛妾となるのだと叫んでいた八名を思い出し、白朝はため息を吐きたくなった。
「そのようなことよりも。武那賀様。今年は更に悪趣味な帯をされていますね」
皇の怒りを感じ、旗色の悪さをどうにかしようと、扇が口を開いた瞬間、呆れたような視線が扇に集中する。
「素晴らしいだろう。我妹が吾のために丹精込めて織りあげてくれた逸品ぞ。皆も、存分に見てくれ」
そう言葉を発し、皇はよりよく見えるよう中央へと進むと帯がよく見えるよう身体を動かす。
本当に素晴らしいわ。
流石、雪舞様。
「雪舞。感謝する」
感嘆の声があがるなか、皇は真っ直ぐに上座に座る雪舞の元へと向かい、その隣に腰を下ろした。
「武那賀様。お待ちください。そのような礼の言葉など不要です。妻が夫のために帯を贈るのは当然のことなのですから」
その武那賀を追い、扇は雪舞とは反対側の隣に悠然と座る。
「そうだな、当然だ」
「その通りでございますとも。ですから、感謝の言葉など不要とお心得くださいませ」
勝ち誇ったように雪舞を見た扇が、次の瞬間固まった。
「しかしおかしいな。婚姻する前もしてからも、扇から帯を贈られたことが無い」
「そ、それは・・・あれは、とても大変な作業で、代理を頼もうにもなかなか」
「それはそうだろう。そのような事をすれば頭と胴体が離れると布令をだしてあるからな」
しどろもどろで答えていた扇が、その泳がせていた目を皇に向ける。
「何故、そのような」
「いつだったか、雪舞が織っている途中で、その織物が切り割かれるという事件が発生したことがあったのを覚えているか?」
「はい。その折、わたくしが織ったものをお贈りしようとしましたが、武那賀様は雪舞を優先するあまりお受け取りくださいませんでした」
恨みがましく扇が言えば、そうその通りと鷹城家の面々が騒ぐ。
「雪舞の織物を切り割かせ、他者に織らせたものを我が作と偽証して渡そうとする。そのようなやり口には虫唾が奔る。其方には、誇りというものがないのか?」
誇りある者は、必ず手織りをする。
それが、豊穣祭における感謝の意を込めることでもあるのだから、と皇は一同を見渡した。
素晴らしい物を贈りたい。
その気持ちばかりが先行して、他者に依頼するなんて外道のすること、って言われているのに、扇様ってばそのような事もされていたのね。
それに、雪舞様の織物を切り割くって・・・ああ、似た者親子、嫁姑。
「父上。そろそろいいでしょうか」
その時、待ちわびたと苦笑する石工の声がした。
石工!
いよいよね・・・・・!
「っ!」
「凄い」
「何て見事な・・・」
「帯ではない、けれど、でも」
その場の人々の声が驚愕に満ちる。
その声を何処か遠くに聞きながら、白朝は両手を口に当て、ただ只管に石工の姿に見入っていた。
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