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36.揺らぎ
しおりを挟む「ヒスイ殿。行動は客人に許された範囲内で、と話しした筈だが」
あの大きな硝子窓越しに佳人を盗み見た後、天空城で与えられた客室に戻るや否やシライに呼び出されたヒスイは、苦言を呈されるも真っ直ぐに見返して答えた。
「貴方が捕らえている方は、我々の眷属である可能性があります」
「なに?」
天空城における異分子があの佳人であると分かった以上、時は一刻を争うとヒスイは真っ直ぐな言葉をぶつける。
あの佳人は宮乃様ではない。
しかし、我が君が感じた気配を放つ存在として、彼の君ほど納得できる存在も無い。
「我が君が、この天空城より眷属の気配を感じられたのです。今、この城に居る天空の神様とその眷属でない存在といえば、あの方のみ。確認させてください」
「姿を見たのか」
「はい」
「勝手なことを」
「騙し討ちのように侵入したことはお詫びいたします。ですが、彼の君が我らの眷属であるならば、このままにしてはおけません」
囚われた状態を看過することは出来ないというヒスイに、シライの眉が跳ねあがった。
「佳音はそのような存在ではない!」
「ですが、現に軟禁し認識疎外の術までかけているではないですか!足枷など着けて!」
「着けたくて着けているのではない。佳音の安全のためだ。それに、認識疎外の術はかけていない」
「ですが実際『白くて何も見えない』と言いながら、懸命に外を見つめていました」
あの健気な様子を思い出せばまたも腹が立つ、とヒスイもシライを睨み返す。
「佳音は未だ人間の要素が強い。完全にオレの眷属となれば、自然と外も見えるようになるし、足枷も不要となる」
「そのお話。天空の神様は佳音を眷属になさるおつもりなのですか?そもそも、佳音は何故こちらに?神が自分の城に人間を入れるなど前代未聞ですが」
一足早く冷静になったシライに、ヒスイは訝しい目を向けた。
「佳音の願いをオレが叶えた。その代わりに、オレが佳音を望んだ」
「なるほど。願いの代償なのだから、神が特定の人間を贔屓にしたわけではない、という理屈が成り立つわけですね」
神は、すべての人間に平等でなくてはならない。
故に、どのような事情があろうとも人間を自城へ住まわせることはおろか、自分の界へ呼ぶことも叶わない。
水神を間近に見て、誰よりそれを知ると自負しているヒスイは、その縛りを上手く回避したシライを呆れ半分な気持ちで見た。
「代償・・・言い方は悪いが、まあそうなる」
「上手い抜け穴だったと思います。それで?佳音が天空の神様の眷属となれば、足枷も外せて外も見えるようになる、ということですか?先ほども言ったように、佳音は水神の眷属の可能性があるのですが」
静かに言い募るヒスイに、シライが思案顔になる。
「佳音が水神の眷属、か」
寝耳に水のその言葉に動揺しながらも、シライは火の神と対峙した時の佳音を思い出していた。
あの力が水神の眷属ゆえに発現したのだとしても、その場合出来るのは最大でも無効化であり、浄化は有り得ない。
しかし佳音が普通の人間でないことは最早明白で、このままの環境が佳音にとって最適なのかどうかも分からない。
「直接触れることはしないと約束できるか?」
ならば佳音の安全を確保するためにも、己では解明できなかったことを一縷の望みを持つヒスイに託すのもひとつの手だとシライは判断した。
「天空の神様もご承知の通り、眷属か否かは触れずとも結界内に入れていただければ分かりますので、ご心配には及びません」
「絶対だぞ?必ずだからな。よし。触れることは無いと、ここでしかと誓え」
それでも別の心配がむくむくと起き上がったか、必死に言い募るシライに是と頷きつつ、初めて見る子どものような様相に、ヒスイは見てはいけないものを見た気持ちに陥っていた。
「え?お客様に挨拶?俺が?」
その夜、いつも通り戻ったシライをいつも通り出迎え、いつも通り共に湯を使って夕餉の席に着いた佳音は、苦虫を噛み潰したような顔のシライに言われた言葉に驚き、思わず食事の手を止める。
「どうしても佳音に挨拶がしたいそうだ。水神の眷属のなかでも一族と呼ばれる強い立場の者だからな、出来れば会ってやってくれ」
「そんな凄い方に俺なんかが?」
え?
なんでどうして?
生贄としての品定めってことか?
でもシライ、俺はシライだけの生贄だって言ってたよな?
何か、方針が変わった?
強い立場の相手だから、シライも妥協せざるを得ないとか?
「そんな不安そうな顔をするな。オレも一緒にいるから、何も心配することはない」
「本当?その方の所へ行けとかいわ」
「言わない!言う筈無い!いや、怒鳴って悪かった。そうだな。これは一種の通過儀礼だと思え」
「通過儀礼」
「ああ」
水神の眷属かどうか確認をするのだから、誤りではないと内心で呟き、シライは佳音の隣へと移動した。
「シライ?」
「佳音の不安は、オレが取り除いてやる」
「え?」
「ほら、こうしていると安心するだろう?」
言うなり、ひょい、と佳音を膝に乗せ、かいぐりと佳音の頭を撫でるシライに、佳音が叫ぶ。
「今、食事中!」
「安心しろ。オレが食べさせてやる」
そう言って佳音の箸を持ったシライは自分の分の食事も寄せさせると、食べさせ合おうと提案した。
「シライ。なんか違う」
「そうか?」
「うん」
「だが、不安なのだろう?」
「それはそうなんだけど、それとこれとは」
「オレとこうしていると、安心しないか?」
「する」
それは間違いない、と頷く佳音にシライが嬉しそうに笑ってその身体を揺らす。
「大丈夫だ。佳音はただ挨拶をすればいい」
「顔見せってこと?俺、何もできないけどそれでもいいなら」
通過儀礼といっても何もしなくていいのなら、と少しほっとした佳音がぎこちなくも笑みを浮かべれば、今度はシライが難しい顔になった。
「そんな可愛い顔は見せる必要無い」
「え?」
「ああいや。必要以上に愛想をふりまいたり、喋ったりすることは無いからな」
「う、うん」
どことなくいつもと違うシライを感じ、佳音は落ち着かない気持ちを覚えるも、シライはそのことに気づかない。
佳音が水神の眷属だったら。
今のシライには、それが気になって仕方ない。
もしも佳音が水神の眷属だったなら、その後の動向も考え直さなければならない、否その前にこの状況で大丈夫なのかの確認を急がねば、とシライは腕のなかの佳音の心地よい体温を感じながら、来るその時に思いを馳せた。
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