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3.水鏡

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「本当に動物や植物に語り掛けていたように話ししていいんですね?」 

 にこにこと佳音を見つめるシライに言えば、当然と頷く。 

「そう言っているだろう。ああ、そうだ。あの森は既に再び開かれた。大地や川の恵みも元通りだ」 

「本当に!?」 

 喜びに佳音が身体を乗り出し、真っすぐにシライの目を見つめれば、シライは殊更嬉しそうに笑う。 

「おう。それでな、佳音。お前は自分の目で様子を確認したくはないか?」 

 佳音の答えなど分かっていながら、シライはにやにやとそう言った。 

「もちろん。見せてもらえるなら」 

 でもどうやって、と問うようにシライを見た佳音に、シライがぐぐっと近づいた。 

「オレに不可能は無い」 

 そう言うとシライは佳音の手を引いて寝台を下り、そのまま部屋の隅に置かれた卓の前まで歩いて行く。 

 その辺りは畳が敷かれておらず、磨き抜かれた床には佳音の姿さえ映りそうだった。 

「この履物、すごく心地いい!」 

 寝台を下りた際には、用意されていた履物をシライ自ら履かせてくれるという、またも立場が、と言いたくなるような心情でいた佳音は、その履き心地の良さに目を輝かせる。 

「気に入ったのなら良かった」 

 そんな佳音を嬉しそうに見つめ、シライは卓に置かれた角盥つのだらいを佳音の傍へと引き寄せる。 

「これは?」 

 黒漆に金蒔絵を施した、とても美しい角盥ではあるが、角盥は角盥である。 

 これで、顔や手を洗えということなのか、村や森や川を見せてくれるのは、その簡易禊を済ませてからなのか、と佳音が問えばシライが豪快に笑った。 

「覗いてみろ」 

  

 角盥に、水以外の何かが入っているということか? 

  

 角盥と言えば水を満たすもの、という概念を捨てるべきなのかと悩みつつ覗き込んだ佳音は、しかしそこに満々と揺蕩う水を見た。 

  

 映っているのは俺の顔。 

  

 室内が明るいこともあって、そこはもう水鏡のように佳音の顔を映し出している。 

  

 やっぱり水か。 

  

 覗かせて、どのような反応をするのか見るつもりでもあるのか、と佳音は何が正解なのか分からないままに顔をあげてシライを見た。 

「見ているがいい」 

 そんな佳音を可笑しそうに見つめ、シライはその指を水面へと滑らせる。 

  

 武人、と言っても問題無い手だな。 

  

 などと思いつつ、シライの指の動きを見ていた佳音はその目を大きく見開いた。 

「白鹿様の森!?本当だ、茨が消えている!」 

 先ほどまで確かに自分の顔しか映っていなかったそこに、今は白鹿が守るあの森が見える。 

 そして、シライが指を動かす度、実りを取り戻した田や畑が映し出され、佳音は涙した。 

「ありがとうございます。心から、御礼申し上げます」 

 床であるにも関わらずその場に平伏すれば、シライがそれはそれは嫌そうな顔になって佳音を立ち上がらせる。 

「佳音が喜ぶのは嬉しいが、平伏などするな」 

 言葉は厳しいが、その表情は拗ねているかのようで佳音は優しい気持ちになった。 

「分かりました。ですが、本当にありがとうございます」 

「うむ。丁寧語はここまでとする」 

 満足そうに笑うシライに、佳音は気になることを口にする。 

「分かった。ところでさ。無理とかしてない?だってほら、森神様はじめ田畑の神様達も凄くお怒りだっただろう?今回は、こちらが全面的に悪かったのだし」 

 シライが天空神だとしても、複数の神々を相手にシライも苦労したのではないか、嫌な思いをしたのではないかと佳音が問えば、シライは唐突に佳音を抱き締めた。 

「オレを心配してくれるのか!嬉しいぞ、佳音」 

 そう言うと、シライは佳音を抱き上げてそのままぐるぐると回り出す。 

「し、シライ!たんま!ちょっと止まって!」 

 余りに高速で回られ、佳音はシライの肩を叩いて懸命に止まって欲しいと訴える。 

「なんだ、怖かったのか?」 

「怖いっていうか。なんか気持ち悪くなりそうな速さだったから。でもあの。こういうの初めてだから、嬉しくもあった」 

「初めて?人間の子どもというのは、親にこうしてもらうものなのではないのか?」 

 不思議そうに問われ、佳音は苦く笑った。 

「俺、戦災孤児だから。親の記憶、ほぼ無い」 

「っ・・それは」 

「謝んなくていいからね?」 

 先んじて釘をさされ、シライは視線を彷徨わせて他の話題を探す。 

「ああ、オレが他の神達と交渉するのに嫌な思いなどしなかったか、だったか。オレはあちらこちらに貸しがあるから大丈夫だったぞ。心配せずともよい」 

「あちこちに貸しって」 

 ふふん、と自慢げに胸を張るところなのかと佳音が思っていると、シライが不満そうに眉をしかめた。 

「何だその『神様なのに貸しって』とでも言いたげな顔は」 

「ごめん。顔に出てた」 

「佳音!」 

「わっ」 

 悪びれなく言う佳音をシライが叩くふりをし、佳音がそれを大仰に避ける。 

 そんなことを繰り返すうち、佳音は卓に置いてある角盥を肘で突いてしまった。 

「やばっ」 

 見るからに高価な角盥である。 

 落ちて壊れても大変だが、満々と張られた水が零れても大変と慌てて支えた佳音は、水が一滴も零れないどころか揺れもしないその水面を見て動きを止めた。 

「え?なんで?」 

 器に張られた水は、外から動きを加えられれば零れるもの。 

 それなのに今、佳音が肘で突いてしまったにも関わらず角盥の水面は震えてもいない。 

 少しでも揺らせば零れそうなほどに水が満ちているのに、だ。 

「不思議か?」 

「うん。だって角盥自体は動いているのに」 

 今にも落ちぬばかりに卓の上を移動した角盥。 

 それなのに、その状態で水が零れない、水面も揺れないなど有り得ないと佳音の常識が訴える。 

「これは、特別な水鏡だからな。この水は決して零れないし、枯れない。もちろん、濁ることもない」 

 どこか楽しそうに言って、シライが佳音の髪を撫でた。 

「特別な水鏡」 

「どれだけ試してみてもいいぞ」 

 動かしても揺れない水面、というのが珍しく、佳音は角盥を押したり引いたりして試してみるも本当に少しも動きは無い。 

「すっごい、不思議。ね、この水つついてみてもいい?」 

「それはやめておけ。神の水だからな。佳音が触れて障りがあるといけない」 

 楽しくなってそう聞いた佳音が、障りと聞いて咄嗟に両手を後ろに隠せば、その動きが可愛いとシライが騒ぐ。 

「可愛い、って。俺を幾つだと」 

「可愛いものは可愛い。この水鏡は、オレの望んだ場所が見られるもので、オレの意志、オレの手にしか反応しない」 

「へえ。凄いんだな」 

 心底感心して佳音が言えば、シライが佳音をゆったりと抱き寄せた。 

「ほう。その凄いのは、オレか?それとも水鏡か?」 

「両方に決まってんだろ。水鏡だけあっても無意味だし、そもそも水鏡が無かったら何も見られないんだから」 

「なるほど。上手く逃げたな」 

 にやりと笑って言われ、佳音はシライの腕から抜け出そうと藻掻く。 

「なんだよ、上手く逃げたって。ほんとのこと、言っただけだろ」 

「ところで佳音。お前、唇を許したことはあるか?」 

「唇・・・?」 

 突然話題を変換され、何の話だとぽかんとした佳音が、つまりは口づけのことだと気づいた瞬間、ばばばばばっと赤くなった。 

「俺は神官だぞ!」 

「神官すべてが、純潔なわけでもなかろう」 

 シライの指が、優しく佳音の唇を撫でる。 

 こんな距離で他人と顔を合わせたのことない佳音は、既にして限界。 

「そっ、そうだけど!俺は神と結婚するって決めてたから!そんな相手いないんだよ!」 

 何とかシライと距離をおこうと、佳音が懸命に腕を突っ張りながら叫んだ言葉にシライが狂喜した。 

「そうか!嬉しいぞ、佳音。オレのために純潔を守るとは天晴あっぱれだ」 

「別にシライのためじゃ」 

「早速、今夜佳音を食べてもいいか?」 

 真顔で問われ、佳音は熱くなっていた身体が急激に冷えるのを感じた。 

  

 純潔を保った人間の肉はうまい、って神々が言ったって話もあるもんな。 

  

 佳音は、村や森を元通りにする代償としてここへ来た。 

 その願いを叶えてもらっておいて、自分は役目を放棄することなど許される筈も無い。 

「もちろん、いいよ。あ、でも痛いのは嫌だ」 

「当たり前だろう。優しくしてやるから安心しろ」 

 シライの物言いに、佳音はほっと息を吐き出すも堪らない寂寥を感じ苦笑した。 

  

 なんだろ。 

 水鏡とか見せてもらって、勘違いしてたってだけなんだけどな。 

  

 神と友達になれるとでも思ったか、と佳音は自嘲に心が荒ぶのを感じていた。 

  

  

  

  
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