94 / 136
93.可愛らしいお客さま、なのです。
しおりを挟む「お嬢様。こちらはもう大丈夫ですので、どうぞお部屋でお休みください」
マーガレットの言葉に頷いて、私は宝飾の類を仕舞わせてもらった造り付けの棚の引き出しを閉めると、クローゼットを後にした。
『ローズマリー。今回は、こちらの部屋を使ってね』
『パトリックの部屋とは、離れているから安心して』
そう言って、笑顔のロータスお義母さまとカメリアさまがご案内くださったのは、広々と明るい居間と寝室、ゆったりと広く機能的なクローゼット、それに浴室まで揃っている立派なお部屋だった。
今回、私が泊めていただくのは幾室もの立派な客室がある棟で、公爵家の方々の居住区からは少し距離がある。
とはいえそれは、未だ婚姻前ということへのご配慮で、泊まるのは客室だけれど、どの棟へもどの塔へもどのお庭へも、とにかく制限無しで、どこでも行っていい、と公爵夫妻から許可をいただいた。
そのこと自体はありがたく嬉しかったけれど、私はこの広く部屋数も段違いに多いお城のなかを、ひとりで歩ける自信が無い。
迂闊に出歩けば、確実に迷子ですわ。
ウェスト公爵の領都のお城は想像以上に立派なもので、初めてその威容を目にしたとき、お母さまから聞いていたにも関わらず、私はぽかんと見上げてしまいそうになったほど。
周りを多くのひとに囲まれていなければ、そうしてしまったに違いないと断言できる広大さと荘厳さを兼ね備えた、私が考え付く限り完璧なお城だった。
そして同時に思い出すのは、領都で受けた歓迎。
領都を馬車でパレードの如くゆっくりと走り、領民の皆さんの歓迎を受けるのはポーレット領も同じだったけれど、ウェスト公爵領は歓迎の熱が違った。
多くのひとが公爵家の旗を振り、目を輝かせて公爵家を称えるその熱量に驚き、ウェスト公爵家は領民の皆さんからの支持がとても高いのですね、と感動込めて言った私に、パトリックさまも皆さまも苦笑され、今年は特別だとおっしゃっていたけれど、私も早くウェスト公爵家の人間だと認めてもらえるよう努力しよう、と改めて誓う出来事だった。
そしてそれは領都のお城に着いた時も同じで、お城詰めの全員ではないかと思うほどの使用人の皆さんが領民の皆さんと同じように瞳を輝かせて出迎えていて、私のことも公爵家の皆さんと同じように接してくれたのが嬉しかった。
ほんとに、安心しました。
迎え入れてもらえた安心感で、極度の緊張をすることなく使用人の方々への挨拶も出来、肩の力も抜けた私は今、自室として使うことを許された部屋で夕食までの時間を過ごしている。
「マーガレットも馴染めそうで、良かった」
ゆったりとしたソファに座り、ほっと息を吐いて、私は無意識にクローゼットの方を見た。
私がクローゼットを出た後もひとり片づけを続けてくれているマーガレットは、私がウェスト公爵家に嫁いで来る際、一緒に付いて来てくれることになっている唯一の侍女だということで、今回も同行を許していただけた。
『あ、あの』
でも、気を抜かずに頑張らないと、ですね。
魔獣が出る領地という特殊性もさることながら、神聖なる門を持つ領地への愛はひと際だろう、と私が心から領民の皆さんと馴染めるようにしようと誓っていると、小さな声が聞こえた気がして私はそちらの方を見る。
けれどそちらは窓で、五階にあるこの部屋に窓からひとが来るとは思えない。
もしかして、テオとクリアが何か、と思ったけれど、テオもクリアも用意されていたクッションが気に入ったのか、仲良く埋もれるようにして遊んでいる。
「気のせいかしら」
呟いた私の視界の先を、何かが過った。
『こ、こんにちは』
そう声を掛けて窓際のテーブルに置かれた花瓶の蔭から出てきたのは、私の手の中指ほどの大きさのとても小さなひと。
「まあ!」
その存在に一瞬驚いてしまった私だけれど、その声が脳内に直接届いていることに気づき、テオやクリアのお仲間なのだろうかと想像した。
「こんにちは、はじめまして」
それに悪い雰囲気も感じないし、と思った私が声をかけつつ近づくと、慌てたようにもうひとり飛び出して来て、私から庇うように最初に声をかけてくれた小さなひとの前に立った。
近づいてみると、ふたりとも薄羽を背に持っていてとても愛らしいけれど、何処か薄汚れた、疲れた様相をしている。
『お、おれの名はウエハース。お前、名前は?』
「わたくしの名は、ローズマリーですわ。こちらには、ご招待いただいて来ております」
怯えるようにしながらも、もうひとりの小さなひとを護ろうとするウエハースさんに、私は胸があたたかくなるのを感じた。
『わ、わたしはアップルパイ。あの、わたしたち、このようなみずぼらしい姿だけれど、ここの精霊なのです』
そう言うと、アップルパイさんは哀しそうに自分の姿を見下ろす。
そしてウエハースさんは、そんなアップルパイさんを、悔しさの滲むような瞳で見つめていた。
「あの、もしかしてお困りごとですか?」
傷みの酷い薄羽や、その疲れた様子からそう判断して聞けば、ふたりはこくりと息を呑み、やがて覚悟を決めたように口を開く。
『わ、わたしたち、おなかが、その、すいていて』
『随分長い間、何も食べていないのだ。上手く説明できないが、何かに拘束され動けない状態で、半分死んだようなものだったのだが、先頃突然自由に動けるようになった、のは良かったのだが、おれたちは、何でも食べられるという訳ではない』
『その。わたしたちと交流が出来て、わたしたちがその力を取り込めるひとがくれる物でないと食べられないの、です。動けるようになってからも、そういうひとを探せなくて。でも、今日、感じた、から。その、ここ、あなた・・が』
そう言って私をじっと見るふたりを、私も見つめ返した。
「もしかしてそれは、わたくしの渡した物なら食べられる、ということでしょうか?」
何とも不思議な話だけれど、ふたりが嘘を吐いているようにも見えなくてそう確認すれば、ふたりが大きく頷いた。
『そうだ』
「分かりましたわ。それは、何でも大丈夫なのですか?」
『あ、あなたがくれるもの、なら』
こくりと喉を鳴らすアップルパイさんとウエハースさんに、私は持って来ていたクッキーを取り出す。
「どうぞ。このようなものしか、手元にないのですが」
お腹が空いているというふたりには、サンドウィッチでも出してあげたいところだけれどそんな用意は当然ない。
せめて自由に何枚でも、と思い箱ごとふたりの前に置き、私も近くの椅子に腰かけたのだけれど、ウエハースさんもアップルパイさんも、困ったように見つめるばかりで手を出そうとはしない。
どうしたのかしら?
クッキーは嫌い、とか?
あ!
そうね、お茶が無かったわ。
クッキーだけを食べれば喉が詰まってしまうから戸惑っているのだろうと気づき、私は慌てて立ち上がった。
「お茶もご用意しましょうね」
『ち、ちがう、のです。そうじゃなくて、あの』
気づかなくて申し訳ない、と思う私の袖をアップルパイさんが引き、ふるふると首を横に振っている。
『これ、お前が作った物じゃないな』
ウエハースさんに言われ、私は素直に頷いた。
「はい。うちの料理人が、今朝持たせてくれたものです」
『悪いが、お前がおれたちに食べさせてくれ』
『お手数ですが、お願いしたいの、です』
どういう理由か判らないけれど、テオとクリアも同じようなことを言っていたな、と思い出しつつ、私はクッキーを一枚取り、ふたりへと差し出した。
『アップルパイから、やってくれ』
『え?ウエハースから』
クッキーを凝視しながらも、男らしく言うウエハースさんに従い、私は遠慮しそうなアップルパイさんの口元にクッキーを持っていく。
『あ!言っておくが、これを食べさせたからといって、おれたちに願いを叶えてもらおう、なんて見返りは要求するなよ?』
「見返りなんて、要求しません。ご安心ください」
きっぱり言い切れば、ウエハースさんもアップルパイさんも安心したように私の手からクッキーを食べてくれた。
0
お気に入りに追加
267
あなたにおすすめの小説

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。
しかも、定番の悪役令嬢。
いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。
ですから婚約者の王子様。
私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる