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2.ヒロインに遭遇してしまったようです。

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「普通に過ごして、普通に卒業するんだと思っていたのに」 

 リリーさまから物語を聞いて数日。 

 私は、ひとり学園の中庭に面した回廊を歩いていた。 

 あの日、リリーさまから物語の内容について教えてもらい、とにかく主人公の邪魔をしないようにしようということに落ち着いた。 

 リリーさま曰く、下手に関わると物語の強制力が働いて、やってもいない罪を着せられることになるとのことで、とにかく邪魔をしないのが一番なのだそうだ。 

 私としては家に迷惑がかかることが一番怖いので、家が没落させられたり親兄弟に被害が及ばないなら、婚約解消くらいで済むのなら喜んでそうしようと思う。 

 初めは、リリーさまの言うことでもぼんやり夢心地な思いが強かったけれど、先日件の主人公が転入してきたことで俄かに現実味を帯びた。 

 私は転入生が来た、という話を聞いただけでクラスも違うし姿を見たことも無いので、このまま穏便に何事もなく過ぎていってくれることを切に願う。 

 

 とにかく、主人公には近づかない。 

 

 決意も新たに寮の自室を目指す。 

 学年の前期後期で、一度は何か委員を務めるように言われて、本好きの私は迷うことなく図書委員を選んだ。 

 重い本の整頓があったり、放課後時間を取られることが多いことから人気のない委員で、私は争うことなく任に就くことが出来た。 

 そして、今日当番だった私は、放課後のカウンター業務を終えて自室への道を歩いている。 

 夕刻とは言え、まだ明るい中庭には明るい話し声が響き、楽器の演奏をしている生徒も見かける、朗らかな自由時間。 

 私もどこか楽しい気持ちになって、足取りも軽く回廊を歩いていた。 

「この茶髪女!そんな風に堂々と学園を歩けるのも今のうちよ!」 

 突然進路を立ち塞がれ驚いて顔を上げれば、そこにはとてつもなく濃い桃色の長い髪を靡かせた小柄な少女が仁王立ちになっていた。 

 髪も濃い桃色なら、瞳も濃い桃色。 

 

 激烈桃色さん。 

 

 思わず心の中でそう名付け、そして叫ばれた言葉に私は首を傾げる。 

 なぜなにどうして、私が学園を歩けなくならなくてはならないのか意味が判らない。 

「あの」 

「アーサーってばね、凄くあたしに優しいの」 

 戸惑う私を他所に、激烈桃色さんはにやりと嫌らしい笑みを浮かべた。 

「もうね、あたしに夢中なの。判る?アーサーは、あんたじゃなくてあたしを好きなの。それはもう、甘く愛してくれるの。だから解放してあげてよ」 

  

 え? 

 アーサーさまが何ですって? 

 アーサーさまは、いつもリリーさまの傍に居るわよ? 

 それこそ、物理的にも心理的にも。 

 

 それでどうやって、一体いつ激烈桃色さんを甘く愛するというのか。 

 第一、激烈桃色さんは転入して来たばかりで、そんな地位を確立した筈もない。 

 湧き上がる訝しい気持ちに、もしかして激烈桃色さんは虚言癖でもあるのかと、彼女の赤い唇から発せられる言葉に嫌悪を抱きながら、私は考えが表情に出ないように気を引き締めた。 

「突然、何のお話ですか?」 

  

 いきなり、なに世迷い言を言い出すんですか。 

 

 内心そう言いたい気持ちを押さえ、努めて冷静に言えば。 

「だから!アーサーはあたしに夢中だから身を引けって言ってるのよ!極悪婚約者!」 

 激烈桃色さんは両手を振り回して狂ったように叫んだ。 

 

 え? 

 極悪婚約者? 

 それって、私のこと? 

 今、アーサーさまのお話をしていましたよね? 

 

 思わずぽかんとしてしまうも、長年の令嬢教育の賜物か何とか口を開けた間抜け面を晒すことは堪えた。 

 良かった。 

 

「婚約者?」 

 それでも、音になったのはそんな呆然とした言葉だけ。 

 珍妙なことを聞いた耳は、脳に伝達するのを控えるかのように反応が鈍い。 

「あんたはアーサーの婚約者でしょうが!」 

 そんな私に、激烈桃色さんは苛立ちを深め地団駄を踏む。 

「いいえ、違います」 

  

 ああ、そんなに暴れたらスカートがはねてしまう。 

 

 丈の長いスカートではあるけれど、淑女が足を見せては、と私は気が気ではない。 

 そうしてじっと激烈桃色さんの動きを見つめつつ、私ははっきりと否定した。 

 実際、私はアーサーさまの婚約者ではない。 

  

 激烈桃色さんは、何を勘違いしているのかしら。 

 ああ、そんなに膝をあげたらスカートが。 

  

「はあっ!?その茶髪に柘榴の目、あんたローズマリー・ポーレットでしょ!?」 

 思っていたら、今までの声が比ではないほどの大声で叫ばれた。 

   

 確かにそうだけれど、激烈桃色さんに呼び捨てにされる謂れは無いような。 

 それに茶髪って。 

 はしばみ色と言って欲しいわ。 

 

 由緒あるポーレット侯爵家に生まれた私は、表立ってこんな風に失礼な態度を取られたことが無くて本当に驚いてしまう。 

 そういえば激烈桃色さんは、先ほどからアーサーさまの事も呼び捨てにしている。 

 アーサーさまが既に激烈桃色さんと親しくなって、呼び捨てを許している、という可能性もあるのかと思うけれどどうなんだろう。 

  

 虚言癖ではなくて、本当にもう既に寵愛されているのかしら。 

  

 それにしても。 

 初対面で呼び捨てにされる。 

 私には初めての経験だけれど、もしかして貴族以外では余り珍しいことではなくて、だとしたらこういうのも人生勉強なのかも。 

 確か、リリーさまから聞いた物語の主人公は平民育ちで男爵家に養女に入った令嬢だった。 

「あなたのお名前は?」 

 思ったので、私は取り敢えず激烈桃色さんのお名前を聞いてみた。 

「デイジー・マークルよ。マークル男爵家令嬢の。何よあんた、知らないの?」 

 そうしたら、胸を張って答えられた。 

 自分で令嬢と言うとか、常識はどうなっているのかと思わず口には出さずに突っ込んでしまう。 

 何でも、入学式から一か月遅れての転入生ということで話題になっているのだとか。 

 確かに、私もその情報は知っている。 

 姿も初めて見たし、声も初めて聞いたけれど。 

 

 デイジー・マークル嬢。 

 

 名前だけは、以前から知っている。 

 リリーさまから聞いた物語の主人公。 

 そうか、こういう容姿の方なのかと改めて見てみれば、髪も瞳もやっぱり激烈桃色さんで目が痛くなりそうだと思う。 

「ええ。存じませんでした。わたくしは、」 

「知ってるわよ。さっきから言ってるじゃない。悪役令嬢ローズマリーでしょ」 

  

 え? 

 悪役令嬢の腰巾着ではなく? 

 

 蔑むように悪役令嬢と言われたけれど、私の役どころは違った筈だと混乱する。 

  

 悪役令嬢はリリーさまで、私は腰巾着ではなかったのかしら。 

 知らない間に昇格したとか? 

  

「どうかしまして?ローズマリー、何か困りごとですか?」 

「リリーさま」 

 私が混乱していると、凛とした声がしてリリーさまがゆっくりと歩いて私の隣に並ばれた。 

「わっ、でた!腰巾着リリー!」 

 その優雅な仕草も目に入らないのか、激烈桃色さんが聞き苦しい甲高い声で叫ぶ。 

 

 え? 

 腰巾着は私の方では。 

  

 思うより先、身体が動いた。 

 リリーさまの前に立ち、激烈桃色さんの悪辣な視線からリリーさまを遮断する。 

「マークルさま。こちらの方は、四大公爵家のリリーさまです。呼び捨てはいけませんわ」 

 貴族の最高位である公爵家。 

 その一角であるサウス家のご令嬢を初対面で呼び捨てにし、人前で侮蔑するなどあってはならない。 

 何より、大切な友人が意味も無く攻撃されるのが許せない。 

「なによ。今までぼやっとしてたくせに、偉そうに。いいのよ、呼び捨てで。あんたたちふたりとも、どうせあたしに夢中になったパトリックとアーサーに捨てられたうえに断罪されるんだから」 

 断罪。 

 その言葉を聞いて震えが奔りそうになるけれど、今はそれよりも激烈桃色さんのリリーさまへの態度が許せない。 

「だとしても、リリーさまへの暴言は許されません。ご自分のお立場をもっとお考えください」 

 男爵家の立場で、リリーさまをあざ笑う激烈桃色さん。 

 その表情は、酷く歪んでいる。 

  

 こんな不快なものをリリーさまに見せたくはない。 

  

 リリーさまを背に、私は真っすぐ激烈桃色さんに対峙する。 

「あたしの立場?ええ、もちろん知ってるわよ。みんなあたしに跪くの。だから、責められるのはあたしじゃなくて、あんたよ!ローズマリー!」 

 そんな私を指さして、激烈桃色さんが勝ち誇ったように高笑いした。 

 

 一体何を言っているのか、意味が判らない。 

 みんなが激烈桃色さんに跪いて、だから私が責められる? 

 それ、だから、で繋がるものなのかしら。 

 

 激烈桃色さんの言葉が良く理解できなくて、もう相手にしなくてもいいかと思うけれど、リリーさまは不安なのか、私の背に触れる手が震えている。 

  

 主人公補正。 

 物語の強制力。 

 

 そこで私は、リリーさまがおっしゃっていた言葉を思い出した。 

 

 もしかして、今の状況でも本当に私が悪いことになるの? 

 

 今のこの状況は、激烈桃色さんが一方的に生み出したものだ。 

 それでも私が悪いということになるのかと、私はそっと周囲を見渡した。 

 

 あら? 

 大丈夫そう? 

 

 いつのまにか結構な人垣が出来ていて、たくさんの人が私達を注目していたけれど、その不快そうな視線は私にではなく、激烈桃色さんに向けられているように感じる。 

「ごめんね。ちょっと通してくれるかな」 

 その時、周囲の人垣をかき分けるようにして誰かがこちらへ向かって来るのが見えた。 

  

 この声。 

 それにあの、人垣の向こうでも見えるほどに長身の、黒味を帯びた紅い髪。 

 そして見え隠れする、リリーさまと同じ見事な金色の髪。 

 

 私は、その相手に思い当たってじっと目を凝らした。 

「アーサー!パトリック!助けに来てくれたのね!ローズマリーもリリーも酷いのよ!あたしを僻んでね、」 

 ふたりの姿を認めたらしい激烈桃色さんが、媚びを含んだ声で駆け寄って行く。 

 

 もしかして、本当に私が責められるのかしら。 

 

 思ったのは一瞬。 

「リリー!」 

「ローズマリー!」 

 激烈桃色さんが抱き付こうとしたふたりは、見事に彼女をスルーして私とリリーさまの前まで駆けて来た。 

「リリー、怖かっただろう。でも、もう大丈夫だよ」 

リリーさまの腕に優しく触れ、柔らかく微笑むアーサーさま。 

 

 ああ。 

 今日もそのお心はリリーさまでいっぱいなのですね。 

 ごちそうさまです。 

 

「アーサー様」 

 戸惑うように名を呼んで、アーサーさまを見上げるリリーさまの可愛いこと。 

「ローズマリー。あの女に何を言われた?」 

 ああ眼福、とアーサーさまとリリーさまを見ていると、いつのまにか私の両肩に手を置いていたパトリックさまの、はしばみ色の瞳が私を凝視していた。 

「何を、ですか?こちらの方、ええとデイジー・マークルさまがわたくしをアーサーさまの婚約者と間違われていらして。それから、わたくし、彼女を存じ上げなかったものですから、お名前を伺ってわたくしも申し上げようとしましたけれど、知っていると言われました。それと」 

 そこまで言って、私は口を噤んだ。 

 先ほど激烈桃色さんは、『アーサーはあたしを甘く愛してくれる』、『アーサーもパトリックもあたしに夢中になってリリーとローズマリーを捨てたうえに断罪する』と言っていたけれど、アーサーさまは近く王太子になられる王族。 

 例えパトリックさま相手でも、この場で安易に言ってしまっていいのか戸惑う。 

「わたくしもローズマリーも、こちらのご令嬢に夢中になったアーサーさまとパトリックさまに捨てられたうえ断罪される、と言われたのですわ」 

 そんな私の迷いを感じ取ってくれたらしいリリーさまが、凛とした声で言った。 

「なっ」 

 その言葉にアーサーさまが絶句し、慌てた様子でリリーさまの両腕を引き寄せる。 

「そんなことは絶対にない!僕の妃は終生リリーだけだよ」 

 リリーさまの目を覗き込むようにして言うアーサーさま。 

「それで。君はそれを信じたのか?」 

 アーサーさまの言葉に揺れたリリーさまの瞳も可愛い、と見つめていると、何だか怒りを含んだ声が聞こえてぎょっとした。 

「パトリックさま?」 

「ふふ。ローズマリー、ゆっくり話そうか。僕と」 

 

 なんでしょう、この笑み。 

  

 浮かんだ判り易い作り笑いもさることながら、やけに、僕と、を強調するパトリックさまに戦慄を覚えつつ、手を引かれるまま私は無意識に足を動かす。 

「リリー。夕食前にお茶はどうかな。君の好きな茶葉が手に入ったんだ」 

 一方、リリーさまもアーサーさまに優しくエスコートされて歩き出している。 

 そんな私たちを、人垣の皆さまも温かく見てくれていて、私は安心した。 

 どうやら、物語の強制力、は働かなかったらしい。 

「みんな、和やかな時間を邪魔してごめんね。この後は、素晴らしい夜となることを願っているよ」 

 そして、アーサーさまは周囲の人たちにもそう声を掛け、人垣を抜けていく。 

「え?パトリックの婚約者がリリーで、アーサーの婚約者がローズマリーでしょ?」 

 そんな私達に、激烈桃色さんが驚愕の瞳を向けた。 

「私の大事な婚約者と友人を呼び捨てにしないでもらおうか」 

「アーサー様はこの国の第一王子殿下です。どんな上位の貴族でも呼び捨てなど許されません」 

 アーサーさまが激烈桃色さんに厳しい声と瞳で忠告し、リリーさまも窘める。 

 未来の国王夫妻の言葉に、私や人垣の皆さまが恐縮するけれど激烈桃色さんはどこ吹く風の様子。  

「とは言っても。まあ、悪友たちは呼び捨てだし、私は、リリーにもぜひ呼び捨てされたいけれどね」 

 私や人垣の皆さまの緊張を見て取ったのか、アーサーさまが砕けた物言いで付け加えられた。 

「殿下!」 

 その言葉に驚いたリリーさまが、悲鳴に似た声をあげる。 

「アーサー様、から更に後退しては駄目ではないか。リリー、君の。君だけのアーサー、だよ」 

 混乱した様子のリリーさまの肩を優しく抱いて、アーサーさまが甘く笑う。 

 リリーさまに向けられたものとはいえ、その笑顔の破壊力に回りから黄色い声があがったのは仕方のないことだ、と私は思う。 

 当事者であるリリーさまは、これ以上ないくらい真っ赤になってしまってとても可愛い。 

「アーサー!パトリック!ちょっと待ってよ!ねえ、パトリック!あなたはあたしに甘く囁くのよ!『君だけだ。誰よりも愛しいよ』って!」 

 聞こえた声に振り返ろうとした私は、その瞬間パトリックさまにより強く手を引かれた。 

「パトリックさま?」 

 バランスを崩しかけ、しっかりとパトリックさまに支えられた私は、見上げたパトリックさまの瞳に、初めて見る甘さを孕んだ強さを見て心のなかで覚悟を決めた。 

 

 例え、今日これから婚約を解消されても黙って受け入れよう、と。 

 

 

 
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