50 / 51
二章
〈51〉小公爵様、死亡フラグが立っています(2)
しおりを挟むこれは、ロベリアとのピクニックの日からしばらく過ぎたころ。冬というにはまだ早く、木々の黄色や赤が美しい秋晴れの日。まだ学園に編入してまもないアリーシャは、校舎内で迷っていた。
(図書館の場所が分かりません。……そもそも、こちらはどこなのでしょうか)
きょろきょろしながら校舎の中を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「何かお困りかな?」
低く艶のある声に振り返ると、ユーリが立っていた。漆黒の髪に、深碧色の瞳。端正な顔立ちはさぞ人好きするだろう。
そしてこの人は、ナターシャの幼馴染であり――ロベリアの恋人だ。彼に失礼があれば、ロベリアに失望されてしまうかもしれない。そう考えただけで血の気が引いてしまう。
「は、はい……。図書館の場所が分からなくて」
「ああ、図書館は西講堂の隣の建物……って、西講堂も分からないよね」
「……ご、ごめんなさい」
アリーシャが申し訳なさそうに言うと、彼が微笑んだ。
「どうして謝る? まだ不慣れなのは当然さ。案内するから、一緒においで」
「! ありがとうございます……!」
アリーシャはぎこちなく礼をして、ユーリに並んだ。彼は、すれ違う女性たちの注目を集めていた。
(きっとこの方は、多くの方に愛されて、良い思いばかりされてきたのでしょう)
思考が卑屈な方にばかり傾くのは、アリーシャの悪い癖だ。しかし、不自由な過去の暮らしで培ってきた長年の癖というのは、変えられるものではない。病は治るが癖は治らず、とはよく言ったものだ。
「ユーリ様……は、ロベリア様とお付き合いされているのですよね」
「うん」
「……あんなに素敵な方は、なかなかいません。……思いやりに満ちていて、沢山の人に好かれていて、私に持っていないものを沢山持っておられます。……私なんかとは全然違います」
「……」
つい弱音を吐露すると、ユーリが立ち止まってこちらを見下ろした。まるで、憐れむように眉を寄せながら。
「アリーシャ嬢は、自分のことが嫌いかい?」
「……!」
アリーシャは予想外の問いに驚いた後、なんのてらいもなく――頷いた。
「……嫌いです。なんの取り柄もなくて、卑屈で、後ろ向きで、悪いところばっかりの自分なんて、好きではありません」
いつもは物静かなアリーシャだが、自分への悪口ならすらすらと言えてしまう。ユーリは苦笑する。
「はは、僕と同じだ。僕も少し前まで、自分のことが大嫌いだったよ。……憎いくらいに」
「え……」
そのときだった――。秋の爽やかな風に吹かれ、ユーリの前髪が揺れる。
「……っ。ひどい傷跡……」
アリーシャは自分の口から零れた言葉にはっとし、口元を塞いだが遅かった。デリカシーのない自分を責める。
「見えちゃった?」
ユーリは自分の前髪を撫で上げて、額の右にある痛ましい傷跡を見せた。恐らくは、何年も前の古い傷だ。前髪に隠れて分からなかったが、彼の彫刻のような顔に不釣り合いな傷が大きく残っている。
「幼いころ、義理の母に付けられた傷さ。母は少々、手荒な人でね」
「……そんな……っ」
「このことは他言無用で頼むよ」
「はい。弁えております」
公爵夫人が義理の母、ということは、実母は一体誰なのか。それに、義母に暴力を受けたのは、そのとき限りの話しなのか、日常的になのか……。しかし、やたら滅多に聞いてはならないだろう。
「僕は自分が嫌いだった。不貞でできた子どもだから、酷い目に合うのは至極当然だと思っていた。いつも孤独で、何をしても満たされなかった。だけど最近、気付いたんだ。自分に本当に欠けているものが」
「欠けている……もの?」
「そう。ロベリアやナターシャにはあって、僕らには足りないこと」
アリーシャは息を飲んで、彼の言葉を待った。
「"自己受容"だよ。他人から愛されるよりも前に、自分を受容し愛するんだ」
「……自己受容」
「そう。僕は、他人に肯定されてこそ意義があると思っていた。他人軸な生き方は窮屈だ。自分の外に目を向けるんじゃなくて、自分の内側を見つめる。ロベリアやナターシャは、周りに非難されたって、自分の道を貫いたでしょ? まぁ、彼女たちほどになれとは言わないけど」
ナターシャは、学園中の生徒たちを敵にしても、マティアスとユーリを手放さなかった。自分が本当に大切にしたい人を選んでいた。きっとアリーシャなら、悪口を言われたら自分の意志をねじ曲げて、二人から離れていたかもしれない。ロベリアも、いつだって自分の信念に基づいて行動している。
ユーリの深碧の瞳の奥が微かに揺れた。
「自分を許してあげて。君はよく頑張ってる。だから、ありのままの自分を愛してあげて。嫉妬も劣等感も、愛おしい君の心だ。誰がなんと言おうと、君はそのままでいい」
ユーリの言葉は、心の奥にぐっと刺さるものだった。ロベリアとはまた違う場所が刺激される。
彼の言葉を頭の中で反芻していると、彼が遠くへ指を差した。
「あの赤レンガの建物が図書館だから」
アリーシャは彼にお辞儀した。
「親切に……ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。それじゃ――頑張ってね」
労りに満ちた柔らかい微笑を見て、理解した。
(ロベリア様がこの方を好きになった理由が、分かる気がします。……この方は、まとっている空気がロベリア様によく似ている。とても、強い方)
道案内を終えて踵を返したユーリを、引き止める。
「ま、待って……!」
「……? どうかしたかな?」
「あっあの……! ロベリア様のこと、独り占めはしないでください……! 私の、私のお友だちでも、あるので……っ」
ユーリは少し目を見開いた後、意地悪に口の端を上げた。
「――それは難しいお願いだ」
43
お気に入りに追加
451
あなたにおすすめの小説
妻と夫と元妻と
キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では?
わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。
数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。
しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。
そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。
まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。
なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。
そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて………
相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。
不治の誤字脱字病患者の作品です。
作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。
性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。
小説家になろうさんでも投稿します。
奥様はエリート文官
神田柊子
恋愛
【2024/6/19:完結しました】
王太子の筆頭補佐官を務めていたアニエスは、待望の第一子を妊娠中の王太子妃の不安解消のために退官させられ、辺境伯との婚姻の王命を受ける。
辺境伯領では自由に領地経営ができるのではと考えたアニエスは、辺境伯に嫁ぐことにした。
初対面で迎えた結婚式、そして初夜。先に寝ている辺境伯フィリップを見て、アニエスは「これは『君を愛することはない』なのかしら?」と人気の恋愛小説を思い出す。
さらに、辺境伯領には問題も多く・・・。
見た目は可憐なバリキャリ奥様と、片思いをこじらせてきた騎士の旦那様。王命で結婚した夫婦の話。
-----
西洋風異世界。転移・転生なし。
三人称。視点は予告なく変わります。
-----
※R15は念のためです。
※小説家になろう様にも掲載中。
【2024/6/10:HOTランキング女性向け1位にランクインしました!ありがとうございます】
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】
王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。
しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。
「君は俺と結婚したんだ」
「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」
目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。
どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
【完結】ただの悪役令嬢ですが、大国の皇子を拾いました。〜お嬢様は、実は皇子な使用人に執着される〜
曽根原ツタ
恋愛
「――あなたに拾っていただけたことは、俺の人生の中で何よりも幸運でした」
(私は、とんでもない拾いものをしてしまったのね。この人は、大国の皇子様で、ゲームの攻略対象。そして私は……私は――ただの悪役令嬢)
そこは、運命で結ばれた男女の身体に、対になる紋章が浮かぶという伝説がある乙女ゲームの世界。
悪役令嬢ジェナー・エイデンは、ゲームをプレイしていた前世の記憶を思い出していた。屋敷の使用人として彼女に仕えている元孤児の青年ギルフォードは――ゲームの攻略対象の1人。その上、大国テーレの皇帝の隠し子だった。
いつの日にか、ギルフォードにはヒロインとの運命の印が現れる。ジェナーは、ギルフォードに思いを寄せつつも、未来に現れる本物のヒロインと彼の幸せを願い身を引くつもりだった。しかし、次第に運命の紋章にまつわる本当の真実が明らかになっていき……?
★使用人(実は皇子様)× お嬢様(悪役令嬢)の一筋縄ではいかない純愛ストーリーです。
小説家になろう様でも公開中
1月4日 HOTランキング1位ありがとうございます。
(完結保証 )
彼氏が留学先から女付きで帰ってきた件について
キムラましゅろう
恋愛
キャスリンには付き合いだしてすぐに特待生として留学した、ルーターという彼氏がいる。
末は博士か大臣かと期待されるほど優秀で優しい自慢の彼氏だ。
そのルーターが半年間の留学期間を経て学園に戻ってくる事になった。
早くルーターに会いたいと喜び勇んで学園の転移ポイントで他の生徒たちと共に待つキャスリン。
だけど転移により戻ったルーターの隣には超絶美少女が寄り添うように立っていて……?
「ダ、ダレデスカ?その美少女は……?」
学園の皆が言うことにゃ、どうやらルーターは留学先でその美少女と恋仲だったらしく……?
勝気な顔ゆえに誤解されやすい気弱なキャスリンがなんとか現状を打破しようと明後日の方向に奮闘する物語。
※作中もンのすごくムカつく女が出てきます。
血圧上昇にご注意ください。
いつもながらの完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティなお話です。
重度の誤字脱字病患者が書くお話です。
突発的に誤字脱字が出現しますが、菩薩の如く広いお心でお読みくださいますようお願い申し上げます。
小説家になろうさんでも時差投稿します。
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる