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二章
〈36〉小公爵様、完全に不審者扱いされています(2)
しおりを挟むユーリは、両手を掲げ、潔白を示す。
「ごめん、離したよ。悪意はないんだ」
ユーリとロベリアにとっては、取るに足らないじゃれ合い(イチャつきとも言う)の一つだったが、ユーリを敵とみなしたアリーシャは、鬼の形相で彼を睨みつけている。怖くて仕方がないはずなのに、懸命に守ろうとしてくれた彼女の気持ちが嬉しく思えた。
「ありがとうアリーシャさん。大丈夫。この方は悪い人ではないの。乱暴をされていたのではないわ。……確かに、そこはかとなく意地が悪そうな雰囲気があるかもしれないけれど」
「そ、そうだったのですか……! ご、ごめんなさい。私、早とちりしてしまって……」
ユーリは不満げにロベリアを一瞥し、アリーシャに対しては社交的な笑顔を浮かべて言った。
「初めまして、君がアリーシャ嬢だね」
「……ど、どうして私のことを……?」
「僕はユーリ・ローズブレイド。君のお姉さんにはいつもお世話になってる。こんな出会いになってしまって、不審に思わせてしまったかな?」
「!」
アリーシャは、彼の名を聞いて、元々大きな目を更に大きく見開いて、顔を青白くさせた。
「ロ、ローズブレイド小公爵……様……っ。も、申し訳ございません。まさか、あなたが小公爵様とは知らず、とんだご無礼を……っ」
「いいよいいよ。気にしないで」
「そうよアリーシャさん。元はと言えば誤解を招くようなことをしたユーリ様が悪いんだから」
アリーシャは少し安堵した様子で、再度「申し訳ございません」と謝罪を重ねた。そして、細い腕に掛けていた紙袋を、ロベリアに押し付けるようにして渡してきた。
「――これは?」
「あ、ああの、私から、いつもお世話になっているお礼です……っ。よかったら受け取ってくださいっ! それでは私……失礼します……!」
気はずかしそうに言ったアリーシャは、ユーリとロベリアに深々と一礼して去っていった。
「なんだい? それは」
「……クッキーだわ。手作りの」
紙袋の中から、可愛らしくラッピングされた箱が出てきて、様々な形のクッキーが入っていた。そして、ピンクのメッセージカードが添えられている。
"いつもありがとうございます"
流麗な筆跡で、そう書かれていた。ロベリアの目に涙が滲む。
「良かったね、ロベリア」
「ええ。凄く嬉しい。……――ところで」
ロベリアは一呼吸置いて、彼に言った。
「小説では、アリーシャさんはあなたに一目惚れする予定だったんだけれど」
「……これが惚れられたように見える?」
「いえ全く。親を殺された仇を見るように睨んでいたわね」
「まぁ、また一つ、君は小説のストーリーを改変したってことだね。僕、不審者扱いされたのは生まれて初めてだよ」
ユーリは苦笑した。
アリーシャは至って普通の娘だった。ロベリアたちの愛情に触れて過ごすことで、少しずつ明るさを取り戻してきている。姉や家族とは反りが合わないのか、苦手意識が強いらしく、家族の話を振ると苦い顔をする。
アリーシャの家族問題に関しては、ロベリアにはどうしてやることもできない。それ以外でも、病気のことなどで悩みが絶えないことだろう。彼女が闇堕ちせず、前をむいていけるかは最後は彼女次第だ。しかし、ロベリアは彼女の善性を信じていた。
小説では、アリーシャもまた不幸な未来を迎える。アリーシャに刺されたユーリは、「アリーシャの罪を決して咎めてはいけない。彼女の心が壊れたのは、僕に責任がある」――そう言い残してこの世を去った。実際、アリーシャは病的に変貌していた。
悪の権化のように描かれていたが、精神疾患を考慮され、極刑を免れる。そしてマティアスはこの事件が世に出ないよう裏で動いた。――しかし。アリーシャは報いを受けた。死刑よりも長い苦痛を味わいながら……。精神を患ったアリーシャは、遂に両親の手に負えなくなり、療養施設に送られた後、生涯を終える。施設の環境は劣悪で、語るのもはばかられるほど壮絶な最期だった。
当時の読者からは、嫉妬深くて利己的な典型的悪役のアリーシャが"ざまぁ"される展開が痛快だと評価されていたが、どうにもロベリアには後味が悪かった。
(私はユーリ様だけじゃなくて、アリーシャの心も救いたい。……だって、本当は優しい女の子だもの。物語という強制力が、彼女を不幸にしただけで……)
ロベリアは無意識に、拳を固く握りしめていた。
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