上 下
23 / 51
一章

〈23〉大切な人を守りたいので、物理的に強くなろうと思います(2)

しおりを挟む
 
「だから、私に体術を教えてほしいの」
「は……?   貴族のお嬢様が、体術……?」
「ええ。具体的には、ナイフを持った人に襲われたときの護身術をね」
「やけにピンポイントだな」

 急に体術を学ぼうと思い立ったのは勿論、ナターシャの妹、アリーシャがユーリに襲いかかった場合の対抗策だ。備えあれば憂いなし、である。

 ファビウスはしばらく黙した後、ぶっと吹き出して笑った。

「あははっ、ロベリア嬢は面白いな。普通、貴族の令嬢はそんなことを学ぼうとするもんじゃない。……いいぜ、時間があるときに稽古をつけてやるよ」
「本当?   嬉しいわ!   あ、勿論講習費はお支払いするわ」
「対価を受け取ったら礼の意味なくなっちまうだろ。いや、やっぱお言葉に甘えて、稽古一回につき学食をたらふく奢ってもらうってのはどうだ?   オレ、四人前は食うけど」
「ふふ、いいわよ」
「よしきた!   交渉成立だな!   これからよろしく頼むよ、ロベリア嬢」
「こちらこそお世話になるわ、ファビウス様」
「敬称はいい」
「そう?    では、ファビウスと呼ばせていただくわ」

 とんとん拍子で決まった稽古の話。横で聞いていたユーリは不機嫌そうに顔をしかめて、ロベリアの体を引き寄せた。

「もう話は済んだんでしょ。ほらロベリア、行くよ」
「ちょ、ユーリ様、引っ張らないで……っ」

 ユーリは抵抗するロベリアを無視して、手を引いて歩き始めた。ファビウスはそんなユーリに対して、へぇ、と興味深そうに呟いた。

「あ、あの、ユーリ様?   いい加減手を離してくださる?」

 しばらく彼に手を引かれ廊下を歩き、ロベリアは不満を漏らす。

「…………」

 ユーリはロベリアの手を離し、苦言を呈した。

「君は少し危機感が足りていないんじゃない?   剣術大会のときもそうだけど、無警戒に男に近づいて、何かあってからでは遅いだろ」
「でも、ファビウスは別にそういう感じじゃなかったでしょう?   ユーリ様、何をそんなに怒って――」
「――そういうところだよ」

 ユーリはじりじりとこちらに詰め寄ってきた。いつの間にか壁に追い詰められ、壁に背中をつけていた。ロベリアは彼の冷たい表情に息を飲む。
 ユーリは、ロベリアの細い腕を壁に拘束するように押さえつけ、こちらを見下ろしている。深碧色の瞳は艶美で、目をそらすことができない。

(何……これ……。胸が……)

 鼓動が加速していく。

「ほら、こんな風に簡単に押さえつけられて。この後に何をされるかくらい、君にも分かるだろ?」
「……分から、ないわ」
「強情だね」

 ユーリは、感情の読み取れない無機質な表情を浮かべ、そっと顔を近づけてきた。
 いつもなら、彼の体を押し離して冗談めかして受け流していただろう。けれど、彼の囁きに胸の奥が痺れ、抵抗する意思が弱くなっていく。

 思わずぎゅっと目を瞑ったとき――。

「ばか。もっとちゃんと抵抗しなよ」

 ユーリは、ロベリアの額をつんと指で弾いた。鋭くて冷たかった眼差しは和らぎ、いつもの軽薄な笑みを湛えている。
 涼し気な様子で去っていった彼の後ろ姿を呆然と眺め、ロベリアはその場にへたり込んだ。

 心臓が波打って、顔が熱くなる。ロベリアは、ユーリのからかいにまたしても翻弄されて、熱くなった頬に手を添えた。

(……私……何を期待して……)


 ◇◇◇


「いいかロベリア嬢。刃物を持った奴に出くわしたら、まず第一に逃げる、次に逃げる、その次に逃げる、だ。この基本をよく覚えとくように」

 講義終わりのとある午後、剣術学部の修練場で、ロベリアはファビウスに稽古をつけてもらっていた。

「逃げる以外に選択肢はないのね?」
「ああ。どんなに鍛えてる奴でも、素手で武器を持った相手に対抗するのは至難の業だ。……殺意を持った相手なら尚更。……同じような状況に立たされた人間が死んだ例は――枚挙にいとまがない」
「…………」

 ロベリアは固唾を飲んだ。原作でのユーリは、狂気に落ちたアリーシャ相手に、為す術なく刺されて命を落とした。防刃チョッキは仕込むとして、対抗手段は多い方がいいだろう。いつ何が起こるか分からない未来なのだから。

「試しに、オレがアンタに殺意を持った人間としてアンタに襲いかかる。逃げるなりなんなりして、対処してみろ」

 そう言ってファビウスは、懐からハンカチを取り出し、縦に丸めて筒の形にした。

「このハンカチをナイフに見立てるぞ。刃先がアンタに触れたら、ジ・エンドだ」
「わ、分かったわ」
「よし。始めるぞ」

 ファビウスはロベリアから数歩離れ、筒状のハンカチを刃物を握るように構えた。その刹那、彼の目に狂気が滲んだ。獲物を捉えるような鋭い目付きで、じりじりと距離を詰めてくる。

(……もし、目の前にいるのがアリーシャだったとして、隣にはユーリ様。逃げることができない状況。だめだわ、私――)

 ロベリアは逃げもせず、襲いかかってくるファビウスのハンカチが腹部に押し当てられるのを真っ向から受け入れた。

「お、おい、どうして抵抗も逃げもしないんだよ」
「…………」

 実際にそのような状況に立たされたとしたら、抵抗して自らの身を守るより、ユーリを庇うことを優先してしまう気がした。

(いつの間にか私……ユーリ様のことが、自分の身に代えても守りたいと思うほど大切な存在になっていたのね……)

 ロベリアは、これまで自覚していなかった彼への気持ちの大きさに、戸惑いを覚えた。

「まーいい。とりあえず、刃物なんかを持った人間に遭遇したら、まずは逃げる。それができねぇなら、周囲に武器になりそうなものを探せ。鉄製の棒なんかがあるといいが、ないなら花瓶や本、椅子……なんだっていいから手に取るんだ。それも無理なら、今から教える護身術で対抗する」

 ロベリアはファビウスの言葉を一言一句逃さないように意識を集中させ、相槌を打った。かくして、ロベリアとファビウスの体術稽古が始まったのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

奥様はエリート文官

神田柊子
恋愛
【2024/6/19:完結しました】 王太子の筆頭補佐官を務めていたアニエスは、待望の第一子を妊娠中の王太子妃の不安解消のために退官させられ、辺境伯との婚姻の王命を受ける。 辺境伯領では自由に領地経営ができるのではと考えたアニエスは、辺境伯に嫁ぐことにした。 初対面で迎えた結婚式、そして初夜。先に寝ている辺境伯フィリップを見て、アニエスは「これは『君を愛することはない』なのかしら?」と人気の恋愛小説を思い出す。 さらに、辺境伯領には問題も多く・・・。 見た目は可憐なバリキャリ奥様と、片思いをこじらせてきた騎士の旦那様。王命で結婚した夫婦の話。 ----- 西洋風異世界。転移・転生なし。 三人称。視点は予告なく変わります。 ----- ※R15は念のためです。 ※小説家になろう様にも掲載中。 【2024/6/10:HOTランキング女性向け1位にランクインしました!ありがとうございます】

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

【完結】ただの悪役令嬢ですが、大国の皇子を拾いました。〜お嬢様は、実は皇子な使用人に執着される〜

曽根原ツタ
恋愛
「――あなたに拾っていただけたことは、俺の人生の中で何よりも幸運でした」 (私は、とんでもない拾いものをしてしまったのね。この人は、大国の皇子様で、ゲームの攻略対象。そして私は……私は――ただの悪役令嬢) そこは、運命で結ばれた男女の身体に、対になる紋章が浮かぶという伝説がある乙女ゲームの世界。 悪役令嬢ジェナー・エイデンは、ゲームをプレイしていた前世の記憶を思い出していた。屋敷の使用人として彼女に仕えている元孤児の青年ギルフォードは――ゲームの攻略対象の1人。その上、大国テーレの皇帝の隠し子だった。 いつの日にか、ギルフォードにはヒロインとの運命の印が現れる。ジェナーは、ギルフォードに思いを寄せつつも、未来に現れる本物のヒロインと彼の幸せを願い身を引くつもりだった。しかし、次第に運命の紋章にまつわる本当の真実が明らかになっていき……? ★使用人(実は皇子様)× お嬢様(悪役令嬢)の一筋縄ではいかない純愛ストーリーです。 小説家になろう様でも公開中 1月4日 HOTランキング1位ありがとうございます。 (完結保証 )

彼氏が留学先から女付きで帰ってきた件について

キムラましゅろう
恋愛
キャスリンには付き合いだしてすぐに特待生として留学した、ルーターという彼氏がいる。 末は博士か大臣かと期待されるほど優秀で優しい自慢の彼氏だ。 そのルーターが半年間の留学期間を経て学園に戻ってくる事になった。 早くルーターに会いたいと喜び勇んで学園の転移ポイントで他の生徒たちと共に待つキャスリン。 だけど転移により戻ったルーターの隣には超絶美少女が寄り添うように立っていて……? 「ダ、ダレデスカ?その美少女は……?」 学園の皆が言うことにゃ、どうやらルーターは留学先でその美少女と恋仲だったらしく……? 勝気な顔ゆえに誤解されやすい気弱なキャスリンがなんとか現状を打破しようと明後日の方向に奮闘する物語。 ※作中もンのすごくムカつく女が出てきます。 血圧上昇にご注意ください。 いつもながらの完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティなお話です。 重度の誤字脱字病患者が書くお話です。 突発的に誤字脱字が出現しますが、菩薩の如く広いお心でお読みくださいますようお願い申し上げます。 小説家になろうさんでも時差投稿します。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

処理中です...