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「どこを……好きになったの?」
「…………」

 つい気になって聞いてみる。すると、いつも即答してくる彼が、珍しく黙り込んで答えに迷った。

「それは……そうだな……」

 顎に手を添えて、真剣に考え込むクラウス。急に歯切れが悪くなって困惑した。あれだけ好き好き言っておいて、答えられないことがあるだろうか。

「考えさせてくれ」

 そう言われてちょっと不安になる。昔のエルヴィアナなら、すぐに偏った解釈をして、好きなところなどなく、嫌われているのだと勘違いしていたかもしれない。

「分かったわ。待ってる」

 でも、以前のようなすれ違いや誤解を招かないように、彼が答えてくれるまでちゃんと待つつもりだ。

「エリィは? 俺のどこが好き……なんだろう」
「……笑った顔が、好き」

 それは長いこと、エルヴィアナには見せてくれなかった顔だ。王女に笑いかけるのを見る度に、見苦しく嫉妬していたのを思い出す。

「もう一度言ってくれないか?」
「え?」

 声が小さくて聞き取れなかったのだろうか。

「笑った顔が……好き」
「…………」

 クラウスは両手で顔を覆って静止し、「耳福……」と漏らした。指の隙間から覗く頬は赤くなっていて、珍しく照れている彼にきゅんとときめいた。
 二人の間にふわふわした甘い空気が流れる。

 けれどその刹那。クラウスが座るソファの奥の大窓に黒い影が見えた。それは獣のようなシルエットで……。

 ――バリンッ。
 衝撃に部屋が揺れた直後、黒い影が窓を突破って、部屋に侵入してきた。左右で違う色の瞳を炯々と光らせた魔獣が、唸り声を上げている。ガラス片が顔に刺さっているのに、お構いなしの様子だ。

「屈んで!」

 クラウスに襲いかかりそうな魔獣を見て、咄嗟にテーブルのフルーツナイフを手に取り、魔獣の右目を狙って真っ直ぐ投げる。ひゅんっと音を立ててナイフが飛んでいき、身をかがめたクラウスの髪をわずかに掠ったあと、狙い通り魔獣の目に突き刺さった。

『ギャンッ!』

 魔獣は悲鳴を上げて、苦痛に体をよじらせた。その隙にクラウスは後退し、応接間にインテリアとして置かれている甲冑から剣を引き抜いた。その柄には、祖母が祖父に贈った飾り紐が吊るさがっている。

 彼はするりと鞘から剣身を抜いて、魔獣に向けて構えた。片目を潰された魔獣は、剣を構えるクラウスではなく、エルヴィアナのことだけを見据えている。

(わたしだけを狙っている)

 魔獣と対峙し、呪いの痣が疼くのを感じる。テーブルの上のフォークを新たな武器として確保し、距離を取って数歩後ずさる。魔獣は跳躍して、こちらに爪を振り下ろした。その刹那、クラウスがエルヴィアナを庇うように立ちはだかり、魔獣を薙ぎ払った。

「俺の後ろに隠れていろ。いいな」

 エルヴィアナはこくこくと頷くことしかできなかった。怖くて足が竦んでいて、どの道一歩も動けそうにない。一方、クラウスは落ち着いた様子で魔獣と対峙していた。彼は小さいときから剣術を学んでいて腕が立つが、実践経験はない。まして、魔獣と戦うのは初めてのことだろう。

(わたしが、力にならなくちゃ)

 守られてばかりでいたくない。エルヴィアナはぐっと喉を鳴らして、魔獣を見据えた。また次の瞬間、魔獣が床を蹴って宙に浮き、飛びかかってきた。クラウスは鋭い爪を剣で受け止めた。ぎちぎちという鈍い音が部屋に響き渡る。拮抗状態がしばらく続き、クラウスがわずかに押される。

 爪がクラウスの顔に触れそうになるのを見て、エルヴィアナは魔獣の反対の目にフォークを突き刺した。

「クラウス様には指一本触れさせないわ」

 唸り声を上げて後退する魔獣。一瞬の隙を見逃さず、クラウスは魔獣の首を剣で切り裂いた。

『グァァァッ……』

 うめき声が鼓膜を震わす。クラウスの渾身の攻撃を受け、魔獣は光の破片になって離散した。フォークとナイフが、カランと音を立てて床に転がる。光の残滓が完全に消失するのを見届けて、クラウスはこちらを振り返った。

「痣は!」
「!」

 原理的に言えば、魔獣が倒されれば呪いは消えるはず。右腕の袖をまくり上げて、呪いの痣を確認する。すると、古代文字のような黒い痣がうごめき始めて、肌から剥がれていく。そして、魔獣が消えたのと同じように光の粒になって消えていった。

(呪いが……解けた?)

 目線を上げて、クラウスの反応を窺う。

「――エルヴィアナ」

 久しぶりに見る表情だった。澄んだ眼差しに、下がった口角。ずっと、口角が上がりっぱなしで瞳が熱を帯びた甘い顔ばかり見てきたが、この涼し気な表情が、本当のクラウスだ。

 落ち着いた声で愛称ではない名前を呼ばれ、魅了魔法が解けたのだと直感した。エルヴィアナにベタ惚れなクラウスは、もうどこかにいなくなってしまったのだろうか。彼は魔法にかけられる前から好きだと言ってくれたけれど、本当に好きなままでいてくれるだろうか。

 エルヴィアナはやっぱり、クラウスのこととなると臆病になるし、自信がなくなる。

「クラウス様は……わたしのことが、お好き?」

 彼は澄ました表情のまま、こちらを真っ直ぐに見つめて言った。

「当然だ」

 ほんの少しだけ上がる口角。とろんとした甘ったるい笑顔ではなく、クールな笑顔だ。

「良かったぁ」

 思わず零れる本音。懐かしい彼の笑い方が見られた。本来のクラウスは表情を崩して笑うことは滅多にな――

(あれ……?)

 エルヴィアナの安心しきった様子を見たクラウスは、うっとりした表情を浮かべた。魅了魔法をかけられているときと変わらない甘ったるい表情だ。しかしすぐにいつもの澄まし顔に戻ったので、気のせいだったと思い直す。

「怪我はない?」
「大丈夫だ。エルヴィアナは?」
「平気よ」

 エルヴィアナはクラウスの袖を摘んで言った。

「――んで」
「なんだ?」

 小声すぎたせいで、クラウスに聞き返される。エルヴィアナは顔を見上げた。

「エリィって呼んでほしい。今までみたいに」

 愛称呼びだと、親しみを感じられる。少しだけ照れくさいけれど。クラウスはまた、甘ったるい笑顔を浮かべながら言った。

「――エリィ」

 その直後、大きな体に優しく抱き締められていた。エルヴィアナもその背に腕を回した。
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