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81話
しおりを挟む女神が矢面に立ち、リュカが傍にいてくれなければ、ガタガタ震えながら泣いていたかもしれない。それほどに巨大な狼の、ギロリと見下ろしてくる両目や、食いちぎられそうな鋭利な牙は恐ろしいものだった。
もちろん女神も一瞬で殺されるくらいに強いが、恐怖を感じないのは、彼女から伝わってくるのが慈しみだから。
足踏みする神ソレイユ、放たれる光。ドォンッ!! とぶつかり合う音が聞こえるも、眩しい衝撃波で何がどうなっているか見えない。ただ光だけでなく闇の魔力も感じるので、女神が魔法で相殺したのだろう。
数秒後に顔を上げれば、彼女は神ソレイユに掌を向けていた。
攻撃を防がれた神ソレイユはグルルルルッと低く唸ると、頭上にある魔清を吸収し始める。ようやくか。これで怒りが鎮まり、愛する女神リュヌを認識してくれると良いが。
渦を巻きながら吸収され、勢いよく減っていく魔清。だが半分ほどになっても威嚇してくるし、女神も臨戦態勢のまま。
さらに減るも、まだ空気がチリチリ痛いほどに、互いに殺気を放っている。それでも少しずつ、神ソレイユからの威嚇が薄れていくように感じられた。
何も出来無いまま結界内で、魔清が完全に吸収され終えるのを見届ける。どう、だろうか?
『――――……リュヌ?』
名を呼ぶ声が、聞こえてきた。女神の名を。
今の声が、神ソレイユのものか。神らしく、荘厳さを感じさせる声だ。
リュカと視線を交わしつつ、そのまま見守っていると、神ソレイユは彼女に鼻先を近付けた。愛する女性だと確信したようで、殺意が薄れていき、もちろん女神の方も。
『ソレイユ。私は貴方を――絶対に許さない』
……うん?
『な、何故だ!?』
狼狽えた神ソレイユが、光り輝いたかと思えば人に変化し、女神に触れようと手を伸ばした。わかっていたが金髪のイケメンである。だがその手をパシッと叩かれ拒絶されると、ガーンと、わざわざ声に出してショックを受けていた。残念なイケメンか。相手が女神だからか、先程までの恐ろしさもすっかり消えている。
『まずは、これ壊して。話はそれから』
彼女は怒気を含んだまま、近くに浮かべていたリュミエールを、神ソレイユの眼前にすずいと持っていった。突然禍々しいものを近付けられたからか、3、4歩と下がる男。
『う、うむ。承知した』
狼狽えながらも彼は頷くと、浮かんでいるリュミエールに手を翳した。掌に光が発生し、どんどん魔力が膨れ上がっていく。その光がリュミエールを包むと、バキィン!! と盛大な音を立てて割れ、跡形もなく消えた。
すごい。触れれば発狂して死ぬとまで言われた危険なものなのに、光属性の神にかかれば、あれほど簡単に壊せるものなのか。
『ほら壊したぞ。これで許してくれるであろう?』
しかし残念なイケメンである。理由も聞いていないのに、それはないだろう。当然ながら女神リュヌも。
『許せるはずがない。ちょっと人間に攻撃されたくらいで、憤怒して国を滅ぼそうとしたくせに。貴方は私を、その程度で消滅する存在だと侮っていた』
『ち、違うぞ!? あれは…… そう、リュヌを殺そうとした、行動そのものが許せなかったのだ! 我の縄張りで生きていながら、我の伴侶を殺そうとするなど言語道断!』
『闇属性の私にとって、人間の負の感情は心地良いもの。弱き者達が私を殺すなんて無理なのだから、あまりの差に絶望させておけば良い』
さすが闇属性の女神、優しいようで手厳しい。俺もリュカやニナから手厳しいと言われたことがあるが、彼女ほどではないはずだ。……たぶん。
『だいたい私は気にしないと言ったのに、貴方は聞く耳を持たなかった。私のことが本当に好きなら、何においても私を優先するべき。なのに何度も無視した。ソレイユは私のこと、嫌いになったんだ』
『なってなどいない! 我はそなたを愛している!』
『自分の怒りに飲まれて、私のことまで本気で殺そうとしてきたのに? 有り得ない』
『そっ、それは……その』
『しかも封印してもなお暴れようとする貴方のせいで、千年間地底で過ごしていた。弱き者達の観察が出来無くて、とても暇だった。許せるわけがない』
『う゛っ、うう、ぅ……』
言い負かされて、とうとう言葉が出なくなってしまった神ソレイユ。
「これは、尻に敷かれているな」
「ふ、ふふっ。そうだね」
以前リュカと、女神が神を尻に敷いているかどうかという話をしたが、まさか本当に敷いているとは思わなかった。まぁそれだけ、彼は彼女を愛しているのだろう。
その女神がツイッとそっぽを向いてしまったからか、神ソレイユは泣きそうな顔でぐぬぬと呻いている。本当に残念なイケメンだ。ただし実際に涙を流しているわけではないし、気持ちを落ち着かせようとしているようで大きく息を吐くと、改めて女神を見つめ直した。
『……確かに我は、そなたの想いを蔑ろにしてしまった。だがそなたを愛しているからこそ、常にそなたを殺そうとしている人間達に囲まれていることが、我慢ならなかったのだ。人間は脳を発達させながら進化している生物。真正面から攻撃してくるだけなら問題無いが、そうでない方法を取られたら、無事でいられるかわからないだろう?』
言われてみれば、そうかもしれない。例えば気付かれないよう致死量の毒を盛るとか、前世のように核兵器を造るとか。俺は凡人なので魔導具を改良するくらいしか出来無いが、天才達は試行錯誤し、不可能を可能にしていく。そんな人間に囲まれていると考えると、確かに危険である。
それに俺は、彼が間違っているとは思わない。神が封印されて千年経っていた現代でも、この王国は神ソレイユの縄張りだと習うのだから。神が身近にいた千年前なら、その認識はもっと強かったはず。
神ソレイユと女神リュヌははるか昔から寄り添っており、かつての王国民は彼らを対として崇めていた。それがどう捻じ曲がったのか、いつしか女神を悪しき存在と考えるようになった。たった百年しか生きられないくせに、何億年という年月を共に生きてきた2神の歴史や、女神を愛しているという神の想いを蔑ろにしたのだ。どう考えても、人間達が悪い。
ただ俺自身は人間なので、国を滅ぼそうとする神ソレイユと戦い、千年も守り続けてくれた女神リュヌには感謝の念が堪えない。ついでに今なお消えずにいる彼の憎悪も、女神にどうにかしてもらうしかないので、なるべくそっぽを向かないで対話を試みてほしい。そして国を滅ぼさないよう、説得してほしい。
「とりあえず俺達は、お役御免か?」
「うん。彼らをどちらも救うという目的は果たせたし、この様子だと俺達がいる必要も無さそうだし。ただちょっと、これで終わりなのかと不安にはなるけど」
そうだな。まだ完全に解決していないのでスッキリしないが、彼らの会話に口出しして、悪化させるわけにもいかない。結局あとは見守るだけなので、もうしばらく様子を見て、問題無さそうならこの場から離れよう。
などと、女神の後ろで他人事のように考えていたのが悪かったのだろうか? 神ソレイユから顔を背けていた女神は、背後にいる俺達に視線を向けてくると。
『……対話では何年掛かるかわからない。戦いで決着を付ける方が、断然早い』
先程止めてほしいと伝えたのに、俺の思考に返答してきた。当然リュカからすれば突然の提案なので驚いているし、内容が内容なので困惑気味だ。
俺としても、戦いでの解決は避けてほしいところである。神同士が戦えば、尋常でない被害が出るかもしれない。千年前のように、再び国中を巻き込んでしまう可能性さえある。
『わかってる。だから君達眷属が、それぞれ私達を纏い、私達の代理として戦えば良い。ソレイユも、それで問題無いはず』
『ふむ。……我の眷属の方が若干不利なようだが、この程度なら、いくらでも補えるな。よいぞ、その提案に乗ろう』
2神が決めてしまった以上、俺達に拒否権は無い。武力での解決は、どの時代、どの世界でも変わらないのかもしれない。まぁ俺達2人に勝敗を委ねてくれるあたり、とても良心的だ。
というか、神ソレイユは俺達を眼中に入れていたのだな。女神しか見えていないと思っていた。
ふと俺達を守っていた結界が消えると、女神が俺に手を伸ばしてきた。指先が触れてくるよりも前に、人型がザァァッと崩れて黒い粒子となり、身体に巻き付いてくる。数秒もすれば、彼女は防具に変化していた。額、胴体、肘、腕、腰、太腿、足。元々着ていた防具を、さらに強化された感覚。女神リュヌの、とてつもない力で覆われているのを感じる。
リュカにも同じように神ソレイユが纏わり、防具に変化した。光属性の淡く輝いている装備はとても格好良く、それらを身に纏っているリュカ自身も、見惚れるくらいに格好良い。
ただしリュカ自身はいまだに困惑している、というより、納得していないようだ。女神を装備している俺を見ながら、難しそうな顔をしている。
「どうしたリュカ。俺と戦うのは嫌か? 手合わせの延長だと思えば、大したことではないはずだが」
「うん、だからザガンと戦うこと自体は、構わないんだけど。……神ソレイユの眷属であろうと私自身は人間ですし、国も滅ぼされたくないので、わざと負けますよ?」
『ほう? 我を纏っておきながら堂々と不正を宣言するとは、なかなか豪胆な男だな』
「ザガンと女神リュヌの様子から察するに、私の考えていることは神ソレイユに筒抜けなのでしょう? でしたら、先に言っておいた方が無難です」
『頭もよく回るようだ。だが実際にふざけた真似をすれば、問答無用で貴様を殺すぞ』
『そんなことをすれば私はソレイユを大嫌いになるし、二度と会わない』
『んなあっ! し、しない。絶対にしない』
慌てて撤回する神ソレイユに、ホッと吐息が漏れる。良かった、女神が尻に敷いている関係で。リュカを殺すなんて、心臓に悪いことを言わないでほしい。危うく神相手に殺意を向けるところだった。
『でも私達の代理なのに、本気で戦えないのは問題。だから条件を付ける。ソレイユ達が勝てば何しようと止めないけど、私達が勝ったら、私は眷属と2人だけで国を出る。もちろん、ソレイユ達が付いてくるのは禁止』
『……はぁああ!?』
「え、そんな……ええっ!?」
すごい驚きようである。いや、俺も驚いているが。
なにせリュカが勝てば国を滅ぼされるかもしれないのに、俺が勝てば強制的に女神と国を出なければならないのだ。俺とリュカにとっては、決闘そのものを放棄したくなる条件だぞ?
「ザガンと離れるなんて絶対に嫌です! あくまでも国の問題に、ザガンまで巻き込まないでいただきたい!」
『そうだぞリュヌ! そなたがいなくなったら、我はどうすればよいのだ!』
『うるさい男共、私は怒っている。どんな理由であれ、ソレイユが私を蔑ろにした事実は変わらない。しかも愛だなんだと言い訳しながら、結局自分の人間への憎悪に酔うばかり。私のことを見ようとしないソレイユなんて、いらない』
そういえば神ソレイユは、あれだけ指摘されて責められても、言い訳ばかりで謝罪していないな。それは怒りたくもなる。リュカは悪いと思えば謝ってくれるので、喧嘩にならない。俺も過失に気付いた時は、ちゃんと謝罪していると思うが……。
とりあえず今は、女神の出した条件についてである。どうにか代理で戦っても良いと思えるくらいの条件に、譲歩してもらえないか?
『安心して、私の眷属。この条件に、期間は設けていない。つまり私の縄張りに入ったあと、すぐに戻れば良い』
なるほど、そういうことか。それなら俺が勝てば問題無い。そして俺と離別しなければならない条件のせいで平静を失っているリュカは、俺が全力で戦えば、全力で応対してくると。
しかし先程の念話、リュカ達にも聞こえているのでは?
『もちろん君にしか聞こえないよう、調整している』
どうりでリュカが苦しそうに顔を歪めたまま、神ソレイユもあれこれ喚き続けているわけだ。さすがは女神、万能である。
『だから全力で戦うと良い。ソレイユに、君の……君達の想いが伝わるように。私達は、感情を具現化する属性。言葉で伝えるのは難しくても、本気でぶつかり合えば、想いを感じ取れるから』
言葉にしなくても伝わる、か。
そうだな。戦うことで、伝わるものがある。
剣を交わすことで、わかることがある。
「え、ザガ……ッ、――……ザガン!?」
抜いた短剣でリュカを攻撃すると、彼は焦りながらも右に避けた。2撃目、後ろに下がられて剣先が届かず、追いかけて3撃目、胸を貫こうとすると、左腕に装備されている盾で防がれた。そのまま強く弾かれ、ズザザッと下がることを余儀無くされる。リュカ自身も後方に飛び、大きく間合いを取られた。
「ザガン、どうして!」
どうして。そう訴えたくなる気持ちは、よくわかる。王国の平和を選べば、俺がいなくなる。だが俺を選べば、国が滅びるのだから。
リュカは俺を心から愛してくれているが、王族としての責任感もとても強い。ここに来るまでの道のりで、よくわかった。民をとても大事にしているし、出来うる限り守ろうとしている。
俺か、国か。リュカには選べない。
それでいい。俺もお前と同じく、どちらも捨てるつもりは無いのだから。必ずどちらも得るのだ。……だからこそ。
「リュカ、剣を抜け。そして俺と全力で戦え。でなければ俺はお前を見限り、どこかに行ってしまうぞ?」
「…………なん、……っ」
リュカが大きく目を見開いた。俺の忠告に驚いた、というわけではないな。視線がだいぶ上だ。それに、この光は。
彼の視線を追って少しだけ振り向けば、淡い光の正体が知れた。
――月だ。白銀の満月が、夜空に浮かんでいる。
ソレイユ王国にとっての、千年ぶりの、月。
俺の意思に沿うように、女神が結界を解いたのか。貴女もまた、全力で神ソレイユと相対する為に。
『そう。これで君が傷付いても、すぐに回復出来る』
攻撃された端から回復するなんて、まるで悪役のようだ。
いやそもそも、リュカは『リュミエール』の主人公であり、俺は悪役ザガンだった。もしまだ、アカシックレコードの……ゲームの未来に少しでも近付こうと、世界の強制力が働いているのなら、この戦いは必然なのかもしれない。物語の主人公にとっての、ラストバトルとして。
「リュカ、俺を失望させるな」
魔法杖も抜いて、完全武装となった状態で、改めて対峙する。女神リュヌに包まれているからだろう、とてつもない力が湧いてくるのを感じた。リュカと戦いたい、全力でぶつかりたい、そう思わせてくれる力だ。
苦しげな表情を浮かべていたリュカは、俺が絶対に引き下がらないと気付いたようで、ようやく刀を抜いた。
月光を受けた刀剣の輝きは、とても美しい。強く決意した、蒼い双眸も。
「……ザガン。俺は絶対に、君を離さないよ。でも国も滅ぼさせない。君に勝ったうえで、神も説得する」
「そうか。それでこそ、俺の愛するリュカだ」
安心してほしい。その説得の為に、俺達はこれから戦うのだから。戦うことで、伝わるものがあるから。
見つめ合いながら身体強化を行い、相手の動向を窺う。静かだ。互いの殺気で空気が冷たく、冬の寒さでより張り詰めていく。月に見守られている中、感覚が研ぎ澄まされていく。
じり、と。足元から聞こえてくる音。強く地面を蹴れば、リュカも一瞬にして、間合いを詰めてきた。
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