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24.留守を任される
しおりを挟む目を開けてぼんやりしていたら、見慣れない天井だということに気付いて、驚いた。
「え。ど、……どこだ?」
慌てて身体を起こして周囲を見渡す。いつもいる部屋よりも、だいぶ広い。
天井にはシンプルなシーリングライトが付いていて、壁にも明かりがある。それから大きなテレビに、レコーダー&コンポ、ガラス戸のキャビネットやガラステーブルなど、高そうな家具がいろいろ置かれていた。自分が眠っていたのもベッドではなくて、黒いレザーソファだ。
一面窓ガラスからは外が見えていて、角度が違うものの知っている庭だった。その向こうに見えているフェンスも知っているものだったので、ようやく安心する。そういえば毛布や布団も、いつも使用しているものだ。
つまりここは、神崎んちの1階のリビングなのか。でもどうしてここ移動させられたのだろう?
疑問に思いながらも立ち上がると、後ろから声が聞こえてきた。
「弘樹さん、起きましたか」
「ぁ……」
聞き慣れた声に振り返れば、ソファの後ろにはダイニングが広がっていて、奥のキッチンに神崎が立っていた。料理中らしく、お玉を持っている。あとエプロンもしている。
ソファに座り直してから、背凭れ越しに見つめる。この匂いは、たぶんカレー。
神崎は少ししたらお玉を置いて、鍋の蓋を閉めた。そして食器棚からマグカップを出すと、コンロ横の空間で何かを用意する。最後にポットから湯を注いだら、それを持ってこっちに来た。
「はい弘樹さん、ココアです」
マグカップを差し出されたので、落とさないように受け取る。でも重いものを持つのは久しぶりで、片手だけだとつらくなったので、毛布越しに底を支えた。
神崎が隣に座ってきたので、ふぅふぅ息を吹いてちょっと冷ましてから、1口飲んでみた。ん、甘くて美味い。飲んだことを褒めるように頭を撫でられて、さらに頬が綻んでしまう。
ただ半分ほど飲んだら腹いっぱいになってしまい、口に運べなくなってしまったけれど。でも残っているココアを見つめていると、神崎が俺からマグカップを取り、傍にあるローテーブルに置いた。
「満足したみたいですね。美味かったですか?」
「ん……美味かった」
「それは良かった。では弘樹さんが起きましたし、そろそろ出掛けますね。明後日まで戻ってこられそうにないので、弘樹さんはここで生活してください」
「えっ……?」
明後日まで。つまり、2日もいない?
突然の宣言に、どうすればいいのかわからなくなった。わからないまま縋ろうとしたら、頭を撫でてくる。
「食事については、カレーを作っときました。ご飯も炊いてありますので、腹が減ったら温めて食べてください。食器は棚にあるのを使って良いですからね。それとカレーだけでは飽きると思うので、冷凍庫に冷凍弁当もいくつか入れておきました。そちらはレンチンして食べてください」
それくらい出来ますよね、と聞かれたので、慌てて頷いた。腹が空いたらカレーがあるから、温めて食べる。もしくは冷凍弁当をレンチンするだけ。とても簡単である。
「トイレはキッチン側から出て、右にあるドアです。風呂に入りたくなったら、今日のぶんはすでに湯を沸かしてあるので、いつものように3階に行ってください。エアコンは付けっぱなしで構いませんし、カーテンの開閉もご自由にどうぞ。開けたままでも覗かれる心配はありませんしね。ここで眠るのが嫌なら、2階に戻るのはもちろん、俺の寝室を使っても構いませんよ。そこの……リビング側から出たら、すぐ近くに開けたままのドアがありますので」
頭から手が離れていくと、神崎はポケットから何かを出した。それもローテーブルに置く。
「これはスペアキーです。念のため、置いていきます」
ポンポンと頭を撫でると、神崎はソファから立ち上がった。とっさに彼の服を掴むと、すぐに止まってくれる。
「どうしました? 弘樹さん」
「ぁ……あの」
見下ろしてくる双眸に、もごもご口籠もってしまった。これは、引き止められそうにない。
それにこの2ヶ月間、神崎はずっと家にいたわけではない。俺が昼寝してたり、オモチャで遊んだりしている時に、外出しているのは知っている。でもいつも数時間だけだったから、2日間不在というのは初めてだ。そんなに長くいないと思うとどうしても心細くて、手が放せない。
だがそうして見上げていたら、裾を持っていた手を取られ、緩く握られた。
「いってきます」
「………いって、らっしゃい」
挨拶を交わすと手が離れていき、そのまま神崎はリビングから出ていった。
いなくなったドアを見つめていても、当然ながら再び開くことはない。仕方無いのでソファにきちんと座り直して、残っていたココアをちびちび飲む。まだあったかいし甘くて、ちょっと落ち着いた。
大丈夫だ。ここから出る必要なんて無いし、2日程度なら、1人でも我慢出来る。飯とか風呂とか歯磨きなんかは自分でやらないといけないけど、2ヶ月前までは当然のように出来ていたわけだし。
ココアを飲んだあとは、置いていかれた鍵を手に取ってみたり、窓の外を眺めたりした。まだ昼すぎで、青空が広がっている。そういえば最近はずっと、きちんと朝に起きている生活だ。
しばらくはじっとしていたけど、すぐに飽きてしまった。オモチャが胎内に入っていれば遊ぶのに、今日は午前中にパールで遊んだからか、起きた時には何も入れられていなかった。自分で入れたことは、一度もない。
上に取りに行こうか? でも勝手に入れて遊ぶのには躊躇してしまう。そもそも入れられていないということは、オモチャえ時間を潰すことは許されていないのだろうし。
それでも寂しいから、毛布に包まったままソファから立ち上がった。普段まったく歩いていないからか、身体がフラフラする。風呂に連れていってくれる時も、いつからか抱き上げてもらっていた。こんなふうにきちんと歩いたのは、本当に久しぶりだ。
転ばないようにゆっくりと歩いてリビングを出ると、神崎の言っていたように、すぐ近くに開けたままのドアがあった。寝室には入って良いと言われたので、さっそくお邪魔する。
そこはシンプルで格好良い、大人の寝室だった。俺が使っている部屋よりも広くて、ソファやローテーブルはもちろん、デスクにはすごく高そうなパソコンが置かれていて、しかもディスプレイが2個ある。あとベッドもデカい。キングサイズっていうやつか。
転ばないようにベッドに近づくと、羽織っていた毛布は床に落として、ベッドの中に入ってみた。クッションに顔を押し付けて匂いを嗅ぐと、今朝抱き締められていた時のように神崎の匂いがする。
「……へへ」
顔が緩んで、思わず笑みが零れてしまうくらいに安心した。胎内にオモチャが入っているわけでもないのに、身体が満たされて気持ち良い。
今日はここで眠ろう。そう思いながら目を閉じた。ただし眠気は来ないので、今頃神崎はどうしているのかと思いを馳せる。
2日も戻ってこないのは、きっと知人であるヤクザの組長から依頼されていた、麻雀の代打ちを引き受けたからだろう。ならば神崎は、あっさり勝利して帰ってくる。
ちゃんと生活して待っていたら、きっといっぱい褒めてくれるよな。それに指で前立腺を撫でて、すごく気持ち良くしてくれるはず。
幸せなことを考えて、2日間頑張ろうと意気込んで。けれどその瞬間、ピンポーンと音が聞こえてきて、ビクッと身体が跳ねた。
「…………」
全身を強張らせてベッドの中でじっとしていると、もう一度ピンポーンと聞こえてくる。なんだか恐怖が湧いてきて、隠れるように頭まで布団を被り、息を潜めた。
誰が来たのかはわからないけど、神崎はいないのだし、出なければいつかは諦めてくれるはず。そう思ってじっとしていても、数分ごとにチャイムが鳴る。6回、7回、8回。少しずつ鳴らない間隔は長くなっているものの、それでも止まることがないので、どうすればいいかわからなかった。
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