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番外編 第五皇子側用人は見た!
bittersweet5②
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「おー、確かに色んな駆け引きが見て取れたけど、何だか見ていて小っ恥ずかしいね。まあ場が盛り上がるのは分かるかな」
拍手しながらそう感想を述べるラウルに、ティーナは素敵な笑顔で水を向けた。
「でしょ? はい、じゃあどんなものか分かったところで、次はラウルの番ね。せっかくだからエドゥアルト様との勝負なんてどうかしら?」
「は!?」
まさかの無茶振りにラウルは耳を疑った。
「何言ってんの、エドゥアルト様がそんなことするわけないじゃん!」
さっきだって「くだらない」って吐き捨ててたし!
「てか、この国の第五皇子ともあろう人にそんな真似出来るわけないでしょ!」
「そうよー、帝国の第五皇子という立場にある御方だもの、何処へ行ってもこんな遊戯に興じる機会なんてないのよ。そんなことを勧めてくる相手がまずいないもの。だからこうして、主君が経験し得ないものを経験することの出来る機会をひとつ設けてみせるのも、臣下としての務めと言えるんじゃないかしら?」
どこか楽しげに、もっともらしい理屈を取って付けるティーナにラウルはがなった。
「あのね!」
「別に強制してるわけじゃないし、どうするかはエドゥアルト様のご判断よ。ラウルがエドゥアルト様にはとても敵いそうにないって思うんならあなたの相手は私がしてもいいし、何ならハンスでも」
「―――私は遠慮させてもらうよ、もう充分だ」
ティーナにみなまで言わせず、ハンスは辞退を申し出た。
彼女との対戦だけでこんなにも消耗してしまっているのだ、ましてやラウルの相手など、それこそ主君から放たれるであろう重圧を想像するだけで胃がもたない。
「どうします? エドゥアルト様」
笑みを含んだ声でティーナに尋ねられたエドゥアルトは、涼しい顔でそれに応じた。
「くだらない試みだが、ティーナの言うことにもまあ一理ある。臣下のせっかくの心遣いに興じてやるのも主の務めというものだろうな」
「ええ!?」
まさかの承諾に驚愕するラウルを見やり、エドゥアルトは挑戦的な笑みを湛えた。
「逃げてもいいぞ? また事故が起きないとも限らないからな」
二年前のホワイトデーのクッキー事件のことを揶揄されている、そう悟ったラウルの頬にカーッと血が上る。
一方、エドゥアルトが悪びれもせず、実に堂々と自分の企みに乗じようとしている意思を感じたティーナは、そんな主に心の中で拍手を贈りながら、敢えてラウルを煽る言い方をした。
「エドゥアルト様もこう仰ってるし、無理する必要はないのよ? お遊びなんだもの。あなたが辞退するなら代わりのお相手は私が務めればいいんだし」
それはそれで嫌だ、と漠然とラウルは思った。
相手がティーナだとしても、エドゥアルトがあんなふうに誰かと接しているのは、見たくない。何故かは分からないが、心がざわめいてひどく嫌な気持ちになる。
おかしいな……? 社交ダンスなんかで女性とのあのくらいの距離感は見慣れているはずなのに……。
そんな自分に違和感を覚えながらも、負けず嫌いの気質を刺激されたラウルは毅然と言い放った。
「冗談言わないで。エドゥアルト様相手に逃げたりしないし、勝負から逃げるなんて女が廃る!」
そうこなくちゃ、とティーナは内心で拳を握った。
さすがね、ラウル。
「へえ。大口叩いたな」
ラウルの言い方が気に障ったらしく、じろりと視線をくれるエドゥアルトにラウルも負けじと強気な眼差しを返す。
「勝負と名のつくもので負けるわけにはいきませんから」
二人は互いに超のつく負けず嫌いで、勝負となった以上、どちらも相手に勝ちを譲る気はなかった。
あらあら、ものスゴーく真剣勝負の雰囲気……本来はもっとお気軽で、ちょっとドキドキする楽しいノリのゲームのはずなんだけど……。
そっと苦笑をこぼしながら、ティーナは火花を散らす二人の間に割って入った。
「ええと……本来は女性か、同性同士であれば背の低い方が背の高い方の首に両腕を回す形を取るんですけど、エドゥアルト様、どうしましょうか?」
「ん? ……ラウルにその度胸があれば、僕としてはそのやり方で構わないが」
ちらりと目線をくれられて、ラウルは腹立たしさを覚える半面、エドゥアルトの首に両腕を回す自分を想像して、「無理!!」と脳内で絶叫してしまった。が、素直にそう伝えるのは悔しいので、別の言い方に変えて伝える。
「そんな不敬な真似、臣下としてはさすがに出来ませんよ」
「そうか。ならこうしよう」
あっさり頷いたエドゥアルトは、一方の手をラウルのショートボブの銀髪に挿し入れるようにして彼女の後頭部に添えると、もう一方の手で彼女の腰を引き寄せたのだ。
同じくらいの身長の二人は腹部をくっつけて真正面から見つめ合うような格好になり、青灰色の瞳をいっぱいに見開いたラウルは、急激に頬に熱が集まるのを感じた。左の鼓動が騒いでどうにも落ち着かなくなり、目の前のトパーズの瞳を直視するのが難しい状況になる。
「なっ、なっ……! ちょ、エッ、エドゥアルト様っ……」
「うん? 不満ならお前が僕に腕を回すか?」
明らかに動揺したラウルの様子を見て、エドゥアルトは機嫌を良くした。どうやらラウルに異性として認識されているようだと察したからだ。
二年前はソファーの上で馬乗りになっても全く動じてもらえないという、悲惨な体たらくだった。完全に異性というカテゴリーから外されてしまっていたのだ。そこから考えれば、劇的な進歩であると言える。
ひどく落ち着かない様子のラウルを悪戯っぽく眺めやりながら、エドゥアルトは新鮮な心持ちで束の間の合法的な触れ合いを楽しんだ。
……可愛いじゃないか。
腕の中でうろたえるラウルは普段の彼女とはまるで違っていて、長らく禁欲状態に置かれているエドゥアルトの胸の内を甘く満たした。
こんな感覚は初めてだ。
「二人とも背が高いから、何というか、そうしていると絵になりますね」
ほぅ、と息を漏らすティーナの隣で、どこかいたたまれない面持ちのハンスは二人の様子を直視出来ずにいる。
「ティーナ! ほらっ、スティック! 早く早く!」
速攻でこのゲームを終わらせて、いち早く現在の状況から脱出したいラウルがティーナをせっついた。
「はいはい」
渡されたスティックを素早くくわえたラウルの反対側から、エドゥアルトがゆっくりと口を開けてスティックの反対側をくわえる。
その動作に得も言われぬ色気を感じてしまったラウルは、そんな自分に愕然としつつ、心の中で激しく頭を振って煩悩を追い出しながら、心頭滅却して勝負に集中することに努めた。
―――集中、集中! 今はただ勝つことに集中するんだ……!
いかに心乱されようとも、ラウルは一流の剣士だ。
瞬時に気持ちを切り替えて、集中に徹することが出来る。
その気配を察したエドゥアルトも集中下に入った。
ラウルはエドゥアルトの動きに注意を払いつつ、唇が触れないギリギリを見極めて彼と同時にチーズスティックを食べ終えるという腹積もりだろう。それがおそらく彼女の設定した「勝利」の形だ。
エドゥアルトはそう見立てていた。
彼からすればそれはあくまで引き分けであって勝利とは呼べないものだったが、互いの性格的に逃げるという選択肢がない以上、そこが落としどころだろうな、という思いはある。
彼としては幸運な事故に乗じて彼女の唇をせしめたい気持ちもなくはなかったのだが、それ以上に彼女を傷付ける真似はしたくなかった。
『お互いが好き同士で、気持ちがこもったものじゃないと……私にとっては、意味がないので』
耳に甦る、二年前のラウルの言葉。
エドゥアルトは半眼を伏せてその言葉をなぞらえた。
そうだな……お前を傷付けるのでは意味がないし、それは僕の望むところじゃないもんな。
ならば自分が目指すところの「勝利」の形は、ラウルにギリギリを見極めさせず、わずかでも気後れさせて、一瞬早くスティックを折るように仕向けさせるといったところか。
「はい、ではスタート!」
ティーナの合図で、二人は同時にチーズスティックを食べ始めた。
とりあえずこの状況を楽しもうと達観したエドゥアルトではあったが、食べる速度に緩急をつけて多少の意地悪はさせてもらう。
だが、集中下にあるラウルは彼の揺さぶりに動じることなく、真っ直ぐにトパーズの瞳を見据えながら、冷静にチーズスティックを食べ進める。
―――綺麗だな。
近付いてくるラウルの整った顔を見つめながら、エドゥアルトは改めてそんなことを思った。
勝負に集中している時の彼女には得も言われぬ美しさがある。神の鉱脈から削り出された至高の宝玉の原石、荒々しくも神秘的な輝きで何物をも寄せ付けない、不可侵の美しさが―――。
無理に触れればケガをすると分かっている。
でも、触れたい。こんな形ではなく、もっとちゃんと。
腕の中にある彼女の体温とサラサラと手に触れる心地好い銀の髪の質感が、理性で覆った彼の本能をどうしようもなく刺激して、いっそ突き上げてくる衝動に身を任せてしまいたくなるような誘惑へと駆り立てる。
ラウルの野生の勘がそれを捉えたのは、もうすぐ互いの鼻先が触れ合うかという距離まで来た時だった。
加速する―――!
そう感じて急制動をかける直前、彼女の青灰色の瞳に映ったのは、少し切なそうで慈愛に満ちた、これまでに目にしたことのない第五皇子の顔だった。
ほんの一瞬、ほんのわずか、瞬きにも満たない刹那の時間。それに目を奪われたことを自覚したラウルの胸に、不覚の思いが走る。
キスを作法の延長というくらいにしか捉えていない相手が、当たったら事故程度の軽いノリで躊躇なく攻め入ってくる可能性を考えていた彼女にとって、それはまさに取り返しのつかない一瞬だったのだ。
だが、それを予期したラウルの覚悟に反して、チーズスティックを噛み切った彼女の唇がエドゥアルトのそれと触れ合うことはなかった。ゲームは二人同時にチーズスティックを食べ終えるという形で決着していたのだ。
え……。
ラウルは思いがけないその結果に呆然とした。それくらい、彼女にとっては意外な結末だったのだ。
―――エドゥアルト様……まさか、帳尻を合わせてくれた……?
「えー……っと、引き分け、引き分けでーす!」
固唾を飲んで勝負の行方を見守っていたティーナが、思い出したように引き分けを宣言した。
「さすがというか何というか……こんな攻め合いの展開で、まさかこんなふうに引き分けちゃうなんて……二人とも、本当に規格外ですねぇ」
感心したような呆れたような彼女の声に、エドゥアルトは何食わぬ顔でこう返した。
「僕としては勝てる公算だったんだがな。まあいい……それなりに楽しめたし、いい経験が出来たと言っておこう」
ラウルに回されていた彼の腕が解かれ、その熱が遠ざかっていく。身体に残る彼の余韻が消えていくのを感じて、どことなく寂しい気持ちになったラウルは、知らず自分の腕を抱くようにした。
そしてどうにもスッキリしない気分のまま、彼女は残りのお茶の時間を過ごすこととなったのだ―――。
拍手しながらそう感想を述べるラウルに、ティーナは素敵な笑顔で水を向けた。
「でしょ? はい、じゃあどんなものか分かったところで、次はラウルの番ね。せっかくだからエドゥアルト様との勝負なんてどうかしら?」
「は!?」
まさかの無茶振りにラウルは耳を疑った。
「何言ってんの、エドゥアルト様がそんなことするわけないじゃん!」
さっきだって「くだらない」って吐き捨ててたし!
「てか、この国の第五皇子ともあろう人にそんな真似出来るわけないでしょ!」
「そうよー、帝国の第五皇子という立場にある御方だもの、何処へ行ってもこんな遊戯に興じる機会なんてないのよ。そんなことを勧めてくる相手がまずいないもの。だからこうして、主君が経験し得ないものを経験することの出来る機会をひとつ設けてみせるのも、臣下としての務めと言えるんじゃないかしら?」
どこか楽しげに、もっともらしい理屈を取って付けるティーナにラウルはがなった。
「あのね!」
「別に強制してるわけじゃないし、どうするかはエドゥアルト様のご判断よ。ラウルがエドゥアルト様にはとても敵いそうにないって思うんならあなたの相手は私がしてもいいし、何ならハンスでも」
「―――私は遠慮させてもらうよ、もう充分だ」
ティーナにみなまで言わせず、ハンスは辞退を申し出た。
彼女との対戦だけでこんなにも消耗してしまっているのだ、ましてやラウルの相手など、それこそ主君から放たれるであろう重圧を想像するだけで胃がもたない。
「どうします? エドゥアルト様」
笑みを含んだ声でティーナに尋ねられたエドゥアルトは、涼しい顔でそれに応じた。
「くだらない試みだが、ティーナの言うことにもまあ一理ある。臣下のせっかくの心遣いに興じてやるのも主の務めというものだろうな」
「ええ!?」
まさかの承諾に驚愕するラウルを見やり、エドゥアルトは挑戦的な笑みを湛えた。
「逃げてもいいぞ? また事故が起きないとも限らないからな」
二年前のホワイトデーのクッキー事件のことを揶揄されている、そう悟ったラウルの頬にカーッと血が上る。
一方、エドゥアルトが悪びれもせず、実に堂々と自分の企みに乗じようとしている意思を感じたティーナは、そんな主に心の中で拍手を贈りながら、敢えてラウルを煽る言い方をした。
「エドゥアルト様もこう仰ってるし、無理する必要はないのよ? お遊びなんだもの。あなたが辞退するなら代わりのお相手は私が務めればいいんだし」
それはそれで嫌だ、と漠然とラウルは思った。
相手がティーナだとしても、エドゥアルトがあんなふうに誰かと接しているのは、見たくない。何故かは分からないが、心がざわめいてひどく嫌な気持ちになる。
おかしいな……? 社交ダンスなんかで女性とのあのくらいの距離感は見慣れているはずなのに……。
そんな自分に違和感を覚えながらも、負けず嫌いの気質を刺激されたラウルは毅然と言い放った。
「冗談言わないで。エドゥアルト様相手に逃げたりしないし、勝負から逃げるなんて女が廃る!」
そうこなくちゃ、とティーナは内心で拳を握った。
さすがね、ラウル。
「へえ。大口叩いたな」
ラウルの言い方が気に障ったらしく、じろりと視線をくれるエドゥアルトにラウルも負けじと強気な眼差しを返す。
「勝負と名のつくもので負けるわけにはいきませんから」
二人は互いに超のつく負けず嫌いで、勝負となった以上、どちらも相手に勝ちを譲る気はなかった。
あらあら、ものスゴーく真剣勝負の雰囲気……本来はもっとお気軽で、ちょっとドキドキする楽しいノリのゲームのはずなんだけど……。
そっと苦笑をこぼしながら、ティーナは火花を散らす二人の間に割って入った。
「ええと……本来は女性か、同性同士であれば背の低い方が背の高い方の首に両腕を回す形を取るんですけど、エドゥアルト様、どうしましょうか?」
「ん? ……ラウルにその度胸があれば、僕としてはそのやり方で構わないが」
ちらりと目線をくれられて、ラウルは腹立たしさを覚える半面、エドゥアルトの首に両腕を回す自分を想像して、「無理!!」と脳内で絶叫してしまった。が、素直にそう伝えるのは悔しいので、別の言い方に変えて伝える。
「そんな不敬な真似、臣下としてはさすがに出来ませんよ」
「そうか。ならこうしよう」
あっさり頷いたエドゥアルトは、一方の手をラウルのショートボブの銀髪に挿し入れるようにして彼女の後頭部に添えると、もう一方の手で彼女の腰を引き寄せたのだ。
同じくらいの身長の二人は腹部をくっつけて真正面から見つめ合うような格好になり、青灰色の瞳をいっぱいに見開いたラウルは、急激に頬に熱が集まるのを感じた。左の鼓動が騒いでどうにも落ち着かなくなり、目の前のトパーズの瞳を直視するのが難しい状況になる。
「なっ、なっ……! ちょ、エッ、エドゥアルト様っ……」
「うん? 不満ならお前が僕に腕を回すか?」
明らかに動揺したラウルの様子を見て、エドゥアルトは機嫌を良くした。どうやらラウルに異性として認識されているようだと察したからだ。
二年前はソファーの上で馬乗りになっても全く動じてもらえないという、悲惨な体たらくだった。完全に異性というカテゴリーから外されてしまっていたのだ。そこから考えれば、劇的な進歩であると言える。
ひどく落ち着かない様子のラウルを悪戯っぽく眺めやりながら、エドゥアルトは新鮮な心持ちで束の間の合法的な触れ合いを楽しんだ。
……可愛いじゃないか。
腕の中でうろたえるラウルは普段の彼女とはまるで違っていて、長らく禁欲状態に置かれているエドゥアルトの胸の内を甘く満たした。
こんな感覚は初めてだ。
「二人とも背が高いから、何というか、そうしていると絵になりますね」
ほぅ、と息を漏らすティーナの隣で、どこかいたたまれない面持ちのハンスは二人の様子を直視出来ずにいる。
「ティーナ! ほらっ、スティック! 早く早く!」
速攻でこのゲームを終わらせて、いち早く現在の状況から脱出したいラウルがティーナをせっついた。
「はいはい」
渡されたスティックを素早くくわえたラウルの反対側から、エドゥアルトがゆっくりと口を開けてスティックの反対側をくわえる。
その動作に得も言われぬ色気を感じてしまったラウルは、そんな自分に愕然としつつ、心の中で激しく頭を振って煩悩を追い出しながら、心頭滅却して勝負に集中することに努めた。
―――集中、集中! 今はただ勝つことに集中するんだ……!
いかに心乱されようとも、ラウルは一流の剣士だ。
瞬時に気持ちを切り替えて、集中に徹することが出来る。
その気配を察したエドゥアルトも集中下に入った。
ラウルはエドゥアルトの動きに注意を払いつつ、唇が触れないギリギリを見極めて彼と同時にチーズスティックを食べ終えるという腹積もりだろう。それがおそらく彼女の設定した「勝利」の形だ。
エドゥアルトはそう見立てていた。
彼からすればそれはあくまで引き分けであって勝利とは呼べないものだったが、互いの性格的に逃げるという選択肢がない以上、そこが落としどころだろうな、という思いはある。
彼としては幸運な事故に乗じて彼女の唇をせしめたい気持ちもなくはなかったのだが、それ以上に彼女を傷付ける真似はしたくなかった。
『お互いが好き同士で、気持ちがこもったものじゃないと……私にとっては、意味がないので』
耳に甦る、二年前のラウルの言葉。
エドゥアルトは半眼を伏せてその言葉をなぞらえた。
そうだな……お前を傷付けるのでは意味がないし、それは僕の望むところじゃないもんな。
ならば自分が目指すところの「勝利」の形は、ラウルにギリギリを見極めさせず、わずかでも気後れさせて、一瞬早くスティックを折るように仕向けさせるといったところか。
「はい、ではスタート!」
ティーナの合図で、二人は同時にチーズスティックを食べ始めた。
とりあえずこの状況を楽しもうと達観したエドゥアルトではあったが、食べる速度に緩急をつけて多少の意地悪はさせてもらう。
だが、集中下にあるラウルは彼の揺さぶりに動じることなく、真っ直ぐにトパーズの瞳を見据えながら、冷静にチーズスティックを食べ進める。
―――綺麗だな。
近付いてくるラウルの整った顔を見つめながら、エドゥアルトは改めてそんなことを思った。
勝負に集中している時の彼女には得も言われぬ美しさがある。神の鉱脈から削り出された至高の宝玉の原石、荒々しくも神秘的な輝きで何物をも寄せ付けない、不可侵の美しさが―――。
無理に触れればケガをすると分かっている。
でも、触れたい。こんな形ではなく、もっとちゃんと。
腕の中にある彼女の体温とサラサラと手に触れる心地好い銀の髪の質感が、理性で覆った彼の本能をどうしようもなく刺激して、いっそ突き上げてくる衝動に身を任せてしまいたくなるような誘惑へと駆り立てる。
ラウルの野生の勘がそれを捉えたのは、もうすぐ互いの鼻先が触れ合うかという距離まで来た時だった。
加速する―――!
そう感じて急制動をかける直前、彼女の青灰色の瞳に映ったのは、少し切なそうで慈愛に満ちた、これまでに目にしたことのない第五皇子の顔だった。
ほんの一瞬、ほんのわずか、瞬きにも満たない刹那の時間。それに目を奪われたことを自覚したラウルの胸に、不覚の思いが走る。
キスを作法の延長というくらいにしか捉えていない相手が、当たったら事故程度の軽いノリで躊躇なく攻め入ってくる可能性を考えていた彼女にとって、それはまさに取り返しのつかない一瞬だったのだ。
だが、それを予期したラウルの覚悟に反して、チーズスティックを噛み切った彼女の唇がエドゥアルトのそれと触れ合うことはなかった。ゲームは二人同時にチーズスティックを食べ終えるという形で決着していたのだ。
え……。
ラウルは思いがけないその結果に呆然とした。それくらい、彼女にとっては意外な結末だったのだ。
―――エドゥアルト様……まさか、帳尻を合わせてくれた……?
「えー……っと、引き分け、引き分けでーす!」
固唾を飲んで勝負の行方を見守っていたティーナが、思い出したように引き分けを宣言した。
「さすがというか何というか……こんな攻め合いの展開で、まさかこんなふうに引き分けちゃうなんて……二人とも、本当に規格外ですねぇ」
感心したような呆れたような彼女の声に、エドゥアルトは何食わぬ顔でこう返した。
「僕としては勝てる公算だったんだがな。まあいい……それなりに楽しめたし、いい経験が出来たと言っておこう」
ラウルに回されていた彼の腕が解かれ、その熱が遠ざかっていく。身体に残る彼の余韻が消えていくのを感じて、どことなく寂しい気持ちになったラウルは、知らず自分の腕を抱くようにした。
そしてどうにもスッキリしない気分のまま、彼女は残りのお茶の時間を過ごすこととなったのだ―――。
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