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本編

二十一歳⑦

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 スレンツェ―――私達もあなたと一緒に、明日の結果を背負うから。だから、一人で必要以上に責任を抱え込まないで。あなたを心から案じている存在が確かにいることを、忘れないで。冷めてしまうかもしれないけれど、心を込めて淹れたこのハーブティーをどうか飲んでほしい―――。

 ……伝えたいことを簡潔に文章にまとめるのって、結構難しいわね。

 スレンツェに当てがわれた部屋で小さな明りを灯しながら彼へのメッセージをしたためていた私は、文面に頭を悩ませつつ吐息をついた。

 本当は、これを自分の口から直接彼に伝えたかった。

 ……でも、自分の願望ばかり押し付けていられないものね。

 苦心しながらメモを書き上げた時、音もなく開いたドアからスレンツェが入ってきたことに私はまるで気が付いていなかった。だから後ろから彼に声をかけられた時、飛び上がるくらい驚いたのだ。

「何をしてるんだ?」
「きゃあっ!!」

 とっさにスレンツェが私の口を塞いだからその声が別荘内に響くことはなかったけれど、ビ、ビックリしたっ……! 心臓、止まるかと思った!

 バクバクする心臓を押さえながら涙目で彼を振り仰ぐと、私からゆっくりと手を離したスレンツェは小机に置かれたメモとハーブティーを見て、おおよその状況を察したらしい。きまり悪げに、気配を消して部屋に入ってきた理由を説明した。

「さっきエレオラと話しているところへも来たか? 背後に人の気配を感じた。それで、戻ってきたら部屋に灯りがついているから、てっきり侵入者かと」

 私がいたの、しっかり気付かれていたのね。それでも素知らぬふりでエレオラと会話を続けていたのは、こちらの様子を窺ってのことだったんだ。もちろん、距離と声量からかんがみて人間の耳では会話の内容まで聞き取れないと判断してのことだろうけど。

「ごめんなさい、立ち聞きするつもりはなかったの。どうしてもひと言、スレンツェに伝えておきたかったことがあって―――まだ時間がかかりそうだったから、メモにして部屋に置いていこうと……勝手に室内に入ってごめんなさい」
「いい。今晩寝るだけの部屋だし、鍵もかけてなかったからな。驚かせて悪かった。……にしても、ひと言と言うにはずいぶん文字の羅列が長いようだが」

 スレンツェにひょい、と手元を覗き込まれた私は慌ててメモを覆い隠した。

「ダメ! 見ないで!」

 こんな成り行きでこれを読まれてしまうのは恥ずかし過ぎる。覆い被さるようにしてメモを隠した私の背後から、揶揄するようなスレンツェの声がかかった。

「おかしな話だな。メモを送る相手に向かってそれを見るな、とは」
「い、今じゃなくて私が部屋から出ていってからにして! それまでは読んじゃダメ!」
「何故?」

 スレンツェが動く気配がして、背中に彼のぬくもりが重なった。メモに覆い被さった私の背後から、スレンツェが覆い被さるようにしてこちらを覗き込んでいる。思わぬ状況に、たちまち胸が落ち着かなくなった。

「はっ、恥ずかしい、から……!」

 ぎこちなく答えながら、みるみる顔が熱くなっていく。さっきまで直接彼に言葉を伝えたいと思っていたのが嘘のように、口も頭も回らなくなった。

「せっかく本人がここにいるんだ。オレとしてはぜひ今、これを読みたいところなんだがな。何ならその口から直接聞かせてもらいたい」

 いや、それ、私もついさっきまではそう思っていたんだけれど!

 チラと後ろを振り返った私は、至近距離もいいところにあるスレンツェの顔を見て、即座に正面に向き戻った。

 むっ、無理! 何なのこの体勢~! スレンツェの匂いも体温も近すぎて、心臓が持たない!

「わ、分かった、分かったわ! 今渡すから……!」

 あっけなく降参した私からメモを受け取ったスレンツェは、それにざっと目を通すと、見ているこちらがドキリとするような柔らかな表情になった。

「……心に留めて置く。ありがとう……」

 噛みしめるようにそう言って、だいぶぬるくなってしまったハーブティーを口元に運ぶ。ゆっくりと味わうように飲み込んで、こう感想を述べてくれた。

「甘酸っぱくて奥深い、いい香りだな……身体に沁み入る優しい味わいだ」
「ネロリっていう柑橘系の花のつぼみを使ったハーブティーなの。気持ちを健やかに整えてくれる効果があるのよ。飲むと寝付きも良くなると思うわ」

 スレンツェにそう効能を説明しながら、適切な距離を保てたことで少し気持ちが落ち着いた私は、メモに書き切れなかった思いを伝えようと改まって彼に話しかけた。

「……スレンツェ。あなたの剣は、多くの人を助ける為に振るわれる剣だと思う。私達は全能ではないから、どんなに望んでも全ての人を救うことなど出来はしないけれど、あなたの剣はより多くの人を救う可能性を秘めていると、そう思うの。だから決して、自分を粗末に扱わないで。そして、絶対に無事で帰ってきてちょうだい。
前にも似たようなことを言った気がするけれど、自分も含めて誰も傷付けないように守る為の力……その可能性があなたの剣にはあると、私はそう思っているから」

 スレンツェは引き締まった口元を結び、頬骨の辺りに力を込めてじっと私を見つめた。薄暗い部屋を灯す小さな明りを映した彼の瞳に様々な感情の色が揺らめいて浮かび上がり、それがまるで刹那の瞬きのように変化していく様を、私は息をひそめて見ていた。

 こんなスレンツェは初めてだ。

 濃い陰影を滲ませた黒の双眸は深い感情を湛えて、見る者を吸い込んでしまいそうな煌めきを放っている。

 部屋に長い沈黙が落ち、互いの目を見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。まるで時を止めてしまったかのようなスレンツェと向き合いながら、私は辛抱強く彼の言葉を待ち続けた。

 表情を見る限りは、私の言葉を不快に感じたわけではいないと思う。けれどいつまで経っても口を開く気配を見せない彼の心中を計りかね、私が言葉を発しかけた時だった。

「……そうだな」

 長い沈黙を破ってようやくスレンツェの声が響き、私はホッと肩の力を抜いた。

「お前は以前にもその言葉をオレにくれた。胸に響いた言葉だから、よく覚えている。嬉しく思うと同時に、身が引き締まる思いのする言葉だった―――今、改めてそうならねばならないと肝に銘じていたところだ」

 そう……だからあんなに間が必要だったのね。

「……覚えていてくれて光栄だわ」

 柔らかく目を細めた私に、短い沈黙を置いてスレンツェが問いかけた。

「……。願掛けをしてもいいか」

 願掛け?

 ひとつ瞬きをした私は、その意図をよく理解しないまま頷いた。

「? ええ……」

 スレンツェが一歩、私の方へ踏み出した。手を伸ばして私の長い雪色の髪をひと房すくい、うやうやしい動作で口づける。

 予想外の彼の行為に目を瞠っていると、髪に口づけたまま視線を上げた黒い瞳と目が合って、心臓が大きく跳ねた。

「決して自分を粗末にしないと誓う。そして必ず戻ってくる。オレにとっての光の元へ」

 ―――光って……私のこと? そんな、神聖化するようなものじゃ―――。

 大仰な彼の物言いに頬を染めて訂正しようとした私に向かって、スレンツェは加護を求める言葉を口にした。

「我が身に、祝福を」

 流れるような優雅な所作で彼の腕の中へと導かれ、揺蕩たゆたうままに精悍な顔を見上げると、そこに彼の唇が降ってきて、私の唇に柔らかく重なった。

 え……っ。

 私は目を見開いた。

 少しかさついた、柑橘の香る唇。視界を覆い尽くすのは、有り得ないほど間近に映るスレンツェの目元だ。

 スレンツェに抱き寄せられるようにしてキスされているのだと理解した瞬間、ドッ、と鼓動が叫び出した。

「……! ス―――」

 驚いて、反射的に身体を離しかける私の腰を引き寄せて、スレンツェは再度私に唇を重ねてきた。私の後頭部にもう一方の手を添えるようにして長い指を髪の中に差し入れながら、先程より深く唇を重ね合わせ、しっとりと押し包むようなキスを繰り返してくる。

「……っ! ふ……」

 鼻先をかすめるハーブの香り。御しがたい気持ちを感じさせながら、同時にそれを抑え込もうとする意思も感じる、本能と理性がせめぎ合うようなキスをされて、その熱に煽られる。初めて触れる彼の熱情に私は頭がくらくらするのを覚えながら、ともすると砕けてしまいそうになる膝に力を入れた。

 当たり前だけど、フラムアークとは唇の質感もキスの仕方も違う。

 これまで秘めてきた想いを解放するような口づけに、心臓がぎゅうっと切ない音を立てた。

「―――……すまない」

 ひとしきり唇を重ねた後、スレンツェはゆっくりと私から顔を離しながらそう言った。

「だが、決していい加減な気持ちでしたわけじゃない」

 私は乱れた呼吸の下から、真摯な光の灯る黒い切れ長の瞳を見つめ返した。

 ―――分かっている。あなたは、いい加減な気持ちでこんなことが出来るような人じゃない。

「ユーファ。この件が片付いたら、お前に伝えたいことがある。だから、後で時間を作ってくれないか。オレはそれを伝える為に、必ず生きてお前の元へ戻ってくる」

 スレンツェ……。

 様々な感情がない交ぜになる中、私は泣きたくなるような胸の痛みを覚えながら頷いた。

「……約束よ」

 スレンツェ―――私はあなたが思っているほど清廉せいれんでも潔白でもなく、お世辞にも清らかな存在とは言えない。あなたのような人から「光」に例えられる資格なんて、私にはないのだ。

 あなたとフラムアーク、どちらにも心惹かれていて、未だ自分の気持ちに答えが見出せずにいる。さっきまでフラムアークにドキドキしていたクセに、今は目の前のあなたに胸を高鳴らせて、あなたが私に好意を抱いてくれていたことを、あなたがキスしてくれたことを、嬉しいと感じているのだ。

 けれど一方で、それを手放しでは喜べない自分がいる。この瞬間早鐘を打つ胸は、湧き起こる感情は確かに悦びに基づいているのに、それを心から嬉しいと感じることが、今の私には出来ないのだ。

 頭の片隅に、フラムアークの存在があって―――。

 私は心の中でそっとその事実を噛みしめた。

 でも、今はそれをあなたに言わない。

 ずるいことは重々承知の上だ。

 私はあなたもフラムアークも大切で、どちらにも無事で帰ってきてほしいから、今はそれを全部押し隠して、あなた達を送り出す。

 それが身勝手で不誠実な私の、心からの切実な願いだ。

 私は祈るような思いを込めて、スレンツェの熱が残る唇にその言葉を乗せた。

「だから―――絶対に、無事で帰ってきて……」
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