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本編
十八歳①
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イクシュル領でのアイワーン軍撃退後、宮廷内のフラムアークに対する空気は明らかに変わった。
宮廷内で働く者達の彼に対する目線が、態度が、以前とは明らかに違う。彼の肉親に接する時と同じように、皇族としての敬意をもって接してくる。陰口が聞こえてくることはほとんどなくなり、軽んじられるような態度を取られることもなくなった。
本来あるべき姿にようやく戻っただけのことなのだけれど、私にはそれがとても嬉しかった。
イクシュルから帰還した際の報告の席で、皇帝は自身の名代としての務めを果たしたフラムアークの功績を称え、労いの言葉をかけたそうだ。玉座の前でそれをかしこまって受けた彼は、形式ばったやり取りながら生まれて初めて父親から肯定的な言葉をかけられて、何とも言えない心持ちになったらしい。
今回のイクシュル遠征は彼にとって、大きな自信へと繋がったようだ。
一方、醜態を晒す結果となった皇太子ゴットフリートと第二皇子ベネディクトは皇帝から厳しい叱責と苦言を呈され、帝国軍内での評判こそ下がったものの、目立った咎めはなかった為、皇位継承順位の高い彼らを取り巻く貴族達の態度は表面上変わらなかった。宮廷内での彼らの立ち位置は以前とほぼ同じまま保持されることとなったのである。
そんな環境もあり、面の皮が厚い皇太子達は相変わらず遠方の業務をフラムアークに押し付けてきていたけれど、第五皇子エドゥアルトはその限りではなくなった。
場合によっては、自ら率先して遠方へと赴く。どうやらその目的は業務をこなしがてら、その地にいる剣の名手と手合わせをすることにあるらしかったけれど、おかげでフラムアークにかかる負担が減り、私達にとっては喜ばしい変化となった。
フラムアークの堅実で丁寧な仕事ぶりは人の口を介して伝わっていき、十八歳の終わりに差しかかる頃には「出来ましたらフラムアーク様にご対応いただきたい」と指名される場合も出てきた。
フラムアークが周りに認められ彼の評価が高まっていくことが誇らしい反面、そうなると新たな弊害も発生してくるもので、何もかもが一度に上手くいくことはないのだなぁと痛感させられる。
ある日、所用があってスレンツェと一緒に中庭に面した回廊を歩いていた時のことだった。
中庭の方から黄色い声が聞こえてきて、ふとそちらに首を巡らせると、貴族の子女達にフラムアークが囲まれている。
これまで目にすることのなかった光景に、思わずスレンツェと顔を見合わせてそちらを注視していると、そんな私達に気付いたフラムアークがホッとした表情で手を振り、華やかな集団を抜け出してこちらへと逃げてきた。
「スレンツェ、ユーファ、助かった」
「お前、こっちへ抜けてきて良かったのか?」
「スゴい顔をしてこっちを見ていますよ、彼女達」
舌打ちしたげな様相で私とスレンツェをねめつけていた良家のご令嬢達は、フラムアークが振り返った途端、にこやかな笑顔になった。
―――恐ろしい!
そんな彼女達の作り笑顔にフラムアークは鼻白んだ面持ちで、スッパリと切り捨てる。
「構わないよ。彼女達は『オレ』に興味があるわけじゃなくて『取り入る隙がありそうな第四皇子』に群がってきているだけだから。砂糖に群がる蟻みたいなものだよね」
言い得て妙なフラムアークの物言いにスレンツェが苦笑する。
「ああいう女からしてみたら、確かに今のお前は優良物件だろうな。他の皇子達は既に手付きで新たに取り入るのは難しいだろうが、これまでがクリーンなお前は今が旬だ」
確かに、病弱で未来がないとこれまで誰も寄りつかなかったフラムアークの身辺は綺麗なものだ。そこに他の皇子達と同じ可能性が出てきたら、権力を欲する者にとって、それはひどく魅力的なものに映るだろう。
「人を食べ物みたいに言わないでくれ。正直、掌返しがスゴくて参るよ。誰とは言わないけど、あの中に昔オレを蔑んでいた相手が入っているのが怖いよね。どうせ覚えてないだろうって高を括っているんだろうけど、やられた方は忘れないものなのにな。今にしてみればオレ、病弱で良かったよ。人を見る目が養えたもん」
うんざりした様子のフラムアークが語る相手は、私も何となく覚えている。多分あのうっすらとそばかすのある、薄茶色の髪を結い上げたご令嬢だ。
「人って怖いよね。オレ自身は何も変わっていないのに、周りの評価が変わるだけでこうやって態度を変える相手が出てくるんだから。そういう相手はまた、状況次第で木の葉のように翻る。それを読み取れないと痛い目に遭うから、気を付けないといけないな。オレが立っているのは薄氷の上で、いつ何時、どうなるか分からないから」
フラムアークは賢くて優しい子だ。厳しい環境にあっても真っ直ぐに努力を怠らなかった、強い子だ。そして、身をもって人の痛みを知っている子だ。
その彼が未だ「薄氷の上に立っている」と表現しなければならない現実に置かれていることが、切なくなる。
私はそっと彼の手を取った。
「そうですね……確かに人は怖いものです。でも、その中には確かに、貴方の力となってくれる人もいるはずですから。それを見逃さないように頑張りましょう? 微力ながら私達も協力しますから」
澄んだインペリアルトパーズの瞳を見つめて言うと、柔らかな微笑が返ってきた。
「うん、それも知っている。ユーファとスレンツェが教えてくれたから。……ありがとう。疑心暗鬼になり過ぎるのも良くないな。貴重な味方を取りこぼさないよう、頑張るよ」
フラムアークにはどうか、大勢の仲間に囲まれた明るい未来を生きてほしい。
そうなれるよう、私も彼と共に頑張っていこう―――。
その後もフラムアークは彼に取り入りたい貴族のご令嬢達の付きまといに苦心しながらも、上手いことかわして回っているみたいだった。
彼女達の父親はそれぞれが宮廷内でそこそこの役職に就いており、フラムアークとしてもあまり無下にすることは出来ず、適当な世間話で濁しているようだ。
すると、あしらわれ続けてじれるご令嬢達の矛先は、思わぬところへ来た。
「フラムアーク様の好みを教えなさいよ」
調剤室近くの回廊で待ち伏せしていた彼女達に突然囲まれた私は、そのまま外の人気のない場所へと連れて行かれ、壁際に背を押し付けるような格好になってそう迫られた。
「フラムアーク様の好み、ですか?」
「そうよ。髪型の好み、香りの好み、ドレスの好み。色々あるでしょう?」
私の顔を覗き込むようにして迫ってくるのは、気の強そうな顔にうっすらとそばかすのある、例のご令嬢だ。どうやら彼女がこの集団のリーダー格らしい。
「それに好きな食べ物やお気に入りの音楽、趣味。何でもいいから、知っていることを洗いざらい話しなさい」
彼女達が聞きたいことは分かったけれど、そもそも私はフラムアークと「彼の好きな女性のタイプ」について話したことがない。こういうのはむしろ同性のスレンツェの方が適任ではないのかしら?
食事の好みや音楽の嗜好についてはある程度知っているけれど、こんな態度で接してくる人達に話す気にはなれなかった。
「フラムアーク様は容姿ではなく、誠実で裏表のない方を好まれると思います」
当たり障りのない回答をすると、あからさまにイラッとされた。
「そんな模範的な回答いらないのよ。どんな男にだってねぇ、好みっていうものがあるの。あの方の琴線に触れる具体的な回答を求めているのよ、私達は」
「そう言われましても……フラムアーク様と女性の好みについて、具体的なお話をしたことがないんです」
「具体的に話をしたことがなくても、何となく分かるでしょう? お前はあの方が幼い頃から、長いこと側に仕えているんだから!」
ええ、少なくともあなた達がフラムアークの琴線にこれっぽちも触れないことは分かるわよ。けれど正直にそう言うと色々問題があるから憚られるんじゃない!
「ですから……容姿よりも中身を重視される方なんです、フラムアーク様は。それは紛うことなき事実です」
「ああ、もう、埒が明かないわね! それでも見てくれの好みってものはあるでしょうが!」
「でしたら、直接フラムアーク様に尋ねられてはいかがでしょう?」
「それとなく尋ねたわよ、何度も何度も! その度に全部はぐらかされるから、お前のところへこうして来ているんじゃない! 察しなさいよ!」
「失礼致しました」
儀礼的に頭を下げる私へ別の令嬢から声が飛んだ。
「そういえばあなた、この間フラムアーク様の手を握っていなかった?」
「そうよ。私も見たわ」
「私も。今日はそれも聞こうと思っていたのよ」
「何なの? もしかして、フラムアーク様へ邪な想いを抱いているから、わざと私達の邪魔をしようとはぐらかしているんじゃなくて?」
えええ……確かにその覚えはあるけれど、あの出来事からそんな邪推が来るの?
迂闊だったわ―――ダメね、これまでとは状況が違うんだから、私ももっと気を引き締めないと。
場の雰囲気が一気に険悪なものへと変わっていくのを感じながら、私は口を開いた。
「まさか……とんでもありません。幼い頃よりお傍に仕えていることもあり、私達の間ではごく日常的に交わされるやり取りで、決してそのような意味合いのものでは」
「まあ! 日常的に!?」
しまった。言葉の選択を誤った。
「誓って、皆様が懸念されるようなものではありません。私は兎耳族です。この国の法律で、そもそも人間への思慕は許されないのですから」
「それはどうかしら? 例え法律で許されなくても、恋に落ちてしまうことはあるわよね。だって、心の中までは法律で縛ることなんて出来ないもの」
「確かにそうですが、私はやましい想いは抱いておりません。フラムアーク様との関係に後ろめたいものは何らありません」
「証明出来る?」
「証明は、出来ませんが―――後ろめたいことは何もないと、断言は出来ます」
「ふん、口では何とでも言えるわ。とんだ毒婦ね」
―――は!? 毒婦!? 私が!?
まさかの毒婦呼ばわりに私はサファイアブルーの瞳を見開き、ひどい侮辱に拳を握り締めた。
失礼ね、どうしてそうなるの! どちらかと言えば毒婦はそっちでしょう!
「幼い頃から一緒にいるのをいいことに、フラムアーク様に色々良からぬことを教え込んでいるんじゃないの?」
卑しい笑みを口元に湛えてそばかす令嬢が私に詰め寄る。それに合わせて高らかな嘲笑が巻き起こった。
これには、堪忍袋の緒が切れた。
私だけのことなら、どう言われても我慢出来る。けれどフラムアークを巻き込んでの中傷は、許せない。
「……あなた達には、人として欠けているものがあるんじゃないですか」
深い怒りで声が震える。雰囲気の変わった私を見て、彼女達は眉を寄せ合った。
「あなた達が急にフラムアーク様にすり寄ってきた理由は何ですか? 孤独だったあの方にずっと見向きもしなかったあなた達が、ここへ来て急に掌を返した理由は? 風向きひとつで翻る木の葉のような人間に、フラムアーク様が心を許せるはずがないでしょう。日和見のあなた達は身勝手な理由で好き勝手にあの方の表面だけをいじって、散らしていくだけ―――あの方の内面を見ようともしないあなた達に、私達の関係をどうこう言われる筋合いはありません。お引き取り下さい。あなた方はフラムアーク様にふさわしくない」
「……! なっ……! 何て無礼な……!」
彼女達は生まれてこの方、私のような身分の者にこんな口を利かれたことなどないのだろう。
屈辱に青ざめ、怒りに震える彼女達を私は一喝した。
「初めに無礼を働いたのは、そちらでしょう!」
「こ、このっ……たかが宮廷薬師の分際で……! 何て口の利き方をするの! 私達を誰だと思っているのよ!」
「親の権威をかさに着た、礼儀を知らない子どもですね」
「な、何ですって……!」
「まずは人としての礼儀をわきまえてから出直して来て下さい」
「ッ、何様のつもり!? ふざけるんじゃないわよ!」
目を吊り上げたそばかす令嬢が勢いよく手を振り上げた、その時だった。
「はい、ストップ」
軽い調子の制止と共にその手首を掴んだ存在がいて、第三者がいることにまるで気付いていなかった私達は驚いてそちらを見やった。
いつの間に現れたのか、狼犬族の大柄な女性がそばかす令嬢の手首を握っている。
あ……この人は、エドゥアルトの―――。
「人が気持ち良く日向ぼっこしているトコに急に現れてわあわあ言ってると思ったら……大勢で一人を囲んで暴力はいただけないなぁ? 淑女はこういうコトしないんじゃない?」
どうやら彼女は近くの芝生に寝転がって日向ぼっこ……というか多分昼寝をしていたらしい。髪や衣服に芝生が付いて、どことなく気怠げな雰囲気を漂わせている。
スレンツェと同じくらいの身長があるだろうか。ショートボブの銀髪と青灰色の瞳が綺麗な女剣士は、その突然の登場に圧倒されて押し黙る貴族の令嬢達に皮肉気な笑みを投げた。
「毒婦はどっちだよ。男にすり寄ることを考える前に礼儀を覚えて出直してきな、ガキんちょ」
「ガ、ガキ……!? くっ……お、覚えていなさいよ……!」
屈辱に顔を歪めながらも敵わないと悟ったのか、陳腐な捨て台詞を吐いて、彼女達は足早にその場から逃げていった。
宮廷内で働く者達の彼に対する目線が、態度が、以前とは明らかに違う。彼の肉親に接する時と同じように、皇族としての敬意をもって接してくる。陰口が聞こえてくることはほとんどなくなり、軽んじられるような態度を取られることもなくなった。
本来あるべき姿にようやく戻っただけのことなのだけれど、私にはそれがとても嬉しかった。
イクシュルから帰還した際の報告の席で、皇帝は自身の名代としての務めを果たしたフラムアークの功績を称え、労いの言葉をかけたそうだ。玉座の前でそれをかしこまって受けた彼は、形式ばったやり取りながら生まれて初めて父親から肯定的な言葉をかけられて、何とも言えない心持ちになったらしい。
今回のイクシュル遠征は彼にとって、大きな自信へと繋がったようだ。
一方、醜態を晒す結果となった皇太子ゴットフリートと第二皇子ベネディクトは皇帝から厳しい叱責と苦言を呈され、帝国軍内での評判こそ下がったものの、目立った咎めはなかった為、皇位継承順位の高い彼らを取り巻く貴族達の態度は表面上変わらなかった。宮廷内での彼らの立ち位置は以前とほぼ同じまま保持されることとなったのである。
そんな環境もあり、面の皮が厚い皇太子達は相変わらず遠方の業務をフラムアークに押し付けてきていたけれど、第五皇子エドゥアルトはその限りではなくなった。
場合によっては、自ら率先して遠方へと赴く。どうやらその目的は業務をこなしがてら、その地にいる剣の名手と手合わせをすることにあるらしかったけれど、おかげでフラムアークにかかる負担が減り、私達にとっては喜ばしい変化となった。
フラムアークの堅実で丁寧な仕事ぶりは人の口を介して伝わっていき、十八歳の終わりに差しかかる頃には「出来ましたらフラムアーク様にご対応いただきたい」と指名される場合も出てきた。
フラムアークが周りに認められ彼の評価が高まっていくことが誇らしい反面、そうなると新たな弊害も発生してくるもので、何もかもが一度に上手くいくことはないのだなぁと痛感させられる。
ある日、所用があってスレンツェと一緒に中庭に面した回廊を歩いていた時のことだった。
中庭の方から黄色い声が聞こえてきて、ふとそちらに首を巡らせると、貴族の子女達にフラムアークが囲まれている。
これまで目にすることのなかった光景に、思わずスレンツェと顔を見合わせてそちらを注視していると、そんな私達に気付いたフラムアークがホッとした表情で手を振り、華やかな集団を抜け出してこちらへと逃げてきた。
「スレンツェ、ユーファ、助かった」
「お前、こっちへ抜けてきて良かったのか?」
「スゴい顔をしてこっちを見ていますよ、彼女達」
舌打ちしたげな様相で私とスレンツェをねめつけていた良家のご令嬢達は、フラムアークが振り返った途端、にこやかな笑顔になった。
―――恐ろしい!
そんな彼女達の作り笑顔にフラムアークは鼻白んだ面持ちで、スッパリと切り捨てる。
「構わないよ。彼女達は『オレ』に興味があるわけじゃなくて『取り入る隙がありそうな第四皇子』に群がってきているだけだから。砂糖に群がる蟻みたいなものだよね」
言い得て妙なフラムアークの物言いにスレンツェが苦笑する。
「ああいう女からしてみたら、確かに今のお前は優良物件だろうな。他の皇子達は既に手付きで新たに取り入るのは難しいだろうが、これまでがクリーンなお前は今が旬だ」
確かに、病弱で未来がないとこれまで誰も寄りつかなかったフラムアークの身辺は綺麗なものだ。そこに他の皇子達と同じ可能性が出てきたら、権力を欲する者にとって、それはひどく魅力的なものに映るだろう。
「人を食べ物みたいに言わないでくれ。正直、掌返しがスゴくて参るよ。誰とは言わないけど、あの中に昔オレを蔑んでいた相手が入っているのが怖いよね。どうせ覚えてないだろうって高を括っているんだろうけど、やられた方は忘れないものなのにな。今にしてみればオレ、病弱で良かったよ。人を見る目が養えたもん」
うんざりした様子のフラムアークが語る相手は、私も何となく覚えている。多分あのうっすらとそばかすのある、薄茶色の髪を結い上げたご令嬢だ。
「人って怖いよね。オレ自身は何も変わっていないのに、周りの評価が変わるだけでこうやって態度を変える相手が出てくるんだから。そういう相手はまた、状況次第で木の葉のように翻る。それを読み取れないと痛い目に遭うから、気を付けないといけないな。オレが立っているのは薄氷の上で、いつ何時、どうなるか分からないから」
フラムアークは賢くて優しい子だ。厳しい環境にあっても真っ直ぐに努力を怠らなかった、強い子だ。そして、身をもって人の痛みを知っている子だ。
その彼が未だ「薄氷の上に立っている」と表現しなければならない現実に置かれていることが、切なくなる。
私はそっと彼の手を取った。
「そうですね……確かに人は怖いものです。でも、その中には確かに、貴方の力となってくれる人もいるはずですから。それを見逃さないように頑張りましょう? 微力ながら私達も協力しますから」
澄んだインペリアルトパーズの瞳を見つめて言うと、柔らかな微笑が返ってきた。
「うん、それも知っている。ユーファとスレンツェが教えてくれたから。……ありがとう。疑心暗鬼になり過ぎるのも良くないな。貴重な味方を取りこぼさないよう、頑張るよ」
フラムアークにはどうか、大勢の仲間に囲まれた明るい未来を生きてほしい。
そうなれるよう、私も彼と共に頑張っていこう―――。
その後もフラムアークは彼に取り入りたい貴族のご令嬢達の付きまといに苦心しながらも、上手いことかわして回っているみたいだった。
彼女達の父親はそれぞれが宮廷内でそこそこの役職に就いており、フラムアークとしてもあまり無下にすることは出来ず、適当な世間話で濁しているようだ。
すると、あしらわれ続けてじれるご令嬢達の矛先は、思わぬところへ来た。
「フラムアーク様の好みを教えなさいよ」
調剤室近くの回廊で待ち伏せしていた彼女達に突然囲まれた私は、そのまま外の人気のない場所へと連れて行かれ、壁際に背を押し付けるような格好になってそう迫られた。
「フラムアーク様の好み、ですか?」
「そうよ。髪型の好み、香りの好み、ドレスの好み。色々あるでしょう?」
私の顔を覗き込むようにして迫ってくるのは、気の強そうな顔にうっすらとそばかすのある、例のご令嬢だ。どうやら彼女がこの集団のリーダー格らしい。
「それに好きな食べ物やお気に入りの音楽、趣味。何でもいいから、知っていることを洗いざらい話しなさい」
彼女達が聞きたいことは分かったけれど、そもそも私はフラムアークと「彼の好きな女性のタイプ」について話したことがない。こういうのはむしろ同性のスレンツェの方が適任ではないのかしら?
食事の好みや音楽の嗜好についてはある程度知っているけれど、こんな態度で接してくる人達に話す気にはなれなかった。
「フラムアーク様は容姿ではなく、誠実で裏表のない方を好まれると思います」
当たり障りのない回答をすると、あからさまにイラッとされた。
「そんな模範的な回答いらないのよ。どんな男にだってねぇ、好みっていうものがあるの。あの方の琴線に触れる具体的な回答を求めているのよ、私達は」
「そう言われましても……フラムアーク様と女性の好みについて、具体的なお話をしたことがないんです」
「具体的に話をしたことがなくても、何となく分かるでしょう? お前はあの方が幼い頃から、長いこと側に仕えているんだから!」
ええ、少なくともあなた達がフラムアークの琴線にこれっぽちも触れないことは分かるわよ。けれど正直にそう言うと色々問題があるから憚られるんじゃない!
「ですから……容姿よりも中身を重視される方なんです、フラムアーク様は。それは紛うことなき事実です」
「ああ、もう、埒が明かないわね! それでも見てくれの好みってものはあるでしょうが!」
「でしたら、直接フラムアーク様に尋ねられてはいかがでしょう?」
「それとなく尋ねたわよ、何度も何度も! その度に全部はぐらかされるから、お前のところへこうして来ているんじゃない! 察しなさいよ!」
「失礼致しました」
儀礼的に頭を下げる私へ別の令嬢から声が飛んだ。
「そういえばあなた、この間フラムアーク様の手を握っていなかった?」
「そうよ。私も見たわ」
「私も。今日はそれも聞こうと思っていたのよ」
「何なの? もしかして、フラムアーク様へ邪な想いを抱いているから、わざと私達の邪魔をしようとはぐらかしているんじゃなくて?」
えええ……確かにその覚えはあるけれど、あの出来事からそんな邪推が来るの?
迂闊だったわ―――ダメね、これまでとは状況が違うんだから、私ももっと気を引き締めないと。
場の雰囲気が一気に険悪なものへと変わっていくのを感じながら、私は口を開いた。
「まさか……とんでもありません。幼い頃よりお傍に仕えていることもあり、私達の間ではごく日常的に交わされるやり取りで、決してそのような意味合いのものでは」
「まあ! 日常的に!?」
しまった。言葉の選択を誤った。
「誓って、皆様が懸念されるようなものではありません。私は兎耳族です。この国の法律で、そもそも人間への思慕は許されないのですから」
「それはどうかしら? 例え法律で許されなくても、恋に落ちてしまうことはあるわよね。だって、心の中までは法律で縛ることなんて出来ないもの」
「確かにそうですが、私はやましい想いは抱いておりません。フラムアーク様との関係に後ろめたいものは何らありません」
「証明出来る?」
「証明は、出来ませんが―――後ろめたいことは何もないと、断言は出来ます」
「ふん、口では何とでも言えるわ。とんだ毒婦ね」
―――は!? 毒婦!? 私が!?
まさかの毒婦呼ばわりに私はサファイアブルーの瞳を見開き、ひどい侮辱に拳を握り締めた。
失礼ね、どうしてそうなるの! どちらかと言えば毒婦はそっちでしょう!
「幼い頃から一緒にいるのをいいことに、フラムアーク様に色々良からぬことを教え込んでいるんじゃないの?」
卑しい笑みを口元に湛えてそばかす令嬢が私に詰め寄る。それに合わせて高らかな嘲笑が巻き起こった。
これには、堪忍袋の緒が切れた。
私だけのことなら、どう言われても我慢出来る。けれどフラムアークを巻き込んでの中傷は、許せない。
「……あなた達には、人として欠けているものがあるんじゃないですか」
深い怒りで声が震える。雰囲気の変わった私を見て、彼女達は眉を寄せ合った。
「あなた達が急にフラムアーク様にすり寄ってきた理由は何ですか? 孤独だったあの方にずっと見向きもしなかったあなた達が、ここへ来て急に掌を返した理由は? 風向きひとつで翻る木の葉のような人間に、フラムアーク様が心を許せるはずがないでしょう。日和見のあなた達は身勝手な理由で好き勝手にあの方の表面だけをいじって、散らしていくだけ―――あの方の内面を見ようともしないあなた達に、私達の関係をどうこう言われる筋合いはありません。お引き取り下さい。あなた方はフラムアーク様にふさわしくない」
「……! なっ……! 何て無礼な……!」
彼女達は生まれてこの方、私のような身分の者にこんな口を利かれたことなどないのだろう。
屈辱に青ざめ、怒りに震える彼女達を私は一喝した。
「初めに無礼を働いたのは、そちらでしょう!」
「こ、このっ……たかが宮廷薬師の分際で……! 何て口の利き方をするの! 私達を誰だと思っているのよ!」
「親の権威をかさに着た、礼儀を知らない子どもですね」
「な、何ですって……!」
「まずは人としての礼儀をわきまえてから出直して来て下さい」
「ッ、何様のつもり!? ふざけるんじゃないわよ!」
目を吊り上げたそばかす令嬢が勢いよく手を振り上げた、その時だった。
「はい、ストップ」
軽い調子の制止と共にその手首を掴んだ存在がいて、第三者がいることにまるで気付いていなかった私達は驚いてそちらを見やった。
いつの間に現れたのか、狼犬族の大柄な女性がそばかす令嬢の手首を握っている。
あ……この人は、エドゥアルトの―――。
「人が気持ち良く日向ぼっこしているトコに急に現れてわあわあ言ってると思ったら……大勢で一人を囲んで暴力はいただけないなぁ? 淑女はこういうコトしないんじゃない?」
どうやら彼女は近くの芝生に寝転がって日向ぼっこ……というか多分昼寝をしていたらしい。髪や衣服に芝生が付いて、どことなく気怠げな雰囲気を漂わせている。
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「ガ、ガキ……!? くっ……お、覚えていなさいよ……!」
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