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7-②
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「ふうん」
さして興味なさそうな声が返ってきて、浦野さんがなにを考えているのか全然分からなくなってしまう。
私の記憶の中にいるビビ先輩は、ここまでとっつき易い感じじゃなくて、二人で居ても孤独が背中を撫でてるような、どこか手が届かない不安が常にあったように思う。
もちろん私を蔑ろにするような人ではなかったけど、見えている景色が違っているような気がして、拭いきれない寂しさを感じることがたくさんあった。
(本当にこの人は、私のことが好きだったのかな)
別れたつもりはないなんて強引な言葉、あの時に聞いていたら私はすぐにでも引き止められていたと思う。だけど実際はもう十年も経っていて、辛かった思い出はとっくに打ち消した。
それなのに、浦野さんを前にしたら、彼を拒絶することがどれだけ難しいことなのか思い知らされた。
私はあの日のまま、前になんて進めてはいなかったんだ。
「華?」
空を見上げながら歩き出した浦野さんが振り返って顔を覗き込み、視線が合ってハッとする。
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びいただけないのなら、昨夜のようなプライベートなことはもうやめていただきます」
浦野さんに別れたつもりがなくても、私はあの日からどれだけ泣いて夜を過ごしてきたか分からない。寝ても覚めても頭の中にこびり付いて、決して私の中から消えてはくれなかった。
だけどその痛みごと、ビビ先輩との別れを受け入れてきたのは事実だ。
「分かったよ」
浦野さんは呆れたように頑固だよなと呟いて、それ以降は私の名前を呼ぶこともなく、雨が降り出す前に会社に着いた。
「仕事が終わったら、話があるからな」
「はい?」
「ランチの続きだ」
「ですから、今日は先約があるので無理です」
「俺は別に、みんなの前で華って呼んでも良いんだぞ」
「浦野さん!」
「五分もかからない。少しだけ融通しろ」
「……承知しました」
エレベーターの中で二人きりなのを良いことに、浦野さんは半ば無理やり約束を取り付けると、何事もなかったように柳川さんの元に向かい、私は彼を見届けてからデスクに戻った。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい槇村さん。早速だけど、予定変更がいくつかあるから確認しましょうか」
「はい。お願いします」
前園さんの指示を聞きながらメモを取ると、すぐにオンライン会議のセッティングのため、資料を用意して会議室に移動する。
「そうだ。私、槇村さんに話があったのよ」
「え、なんですか」
プロジェクターをセットしながら、思い出したように手を叩いた前園さんの方を見ると、ご自宅に誘われている件についてらしい。
「槇村さんのことを話したら、うちの子が喜んじゃってね。招待状を預かってるのよ」
「えー、本当ですか? めちゃくちゃ可愛らしいサプライズですね」
「ふふ。招待状って言っても、落書きなんだけどね」
「手作りの招待状だなんて、気持ちが嬉しいです。でも本当に良かったんですか」
「もちろんよ。夫なんかやたら張り切っちゃって、なんだか色々と作る気でいるみたい。今日は買い出しに行くって息巻いてたわよ。笑っちゃうでしょ」
「なんだか気を遣わせてしまって申し訳ないです」
「良いのよ、みんな楽しみにしてるから」
「嬉しいです。ありがとうございます」
そう答えたものの浦野さんとの会話を思い出して、彼との再会について、どこまで相談すれば良いのか判断に困ってしまう。
浦野さんが上司になった今、業務に差し支えがないとは言い切れない立場だから、相談しておきたい気持ちはある。
「どうかした?」
「いえ。こっちのセッティング終わりました」
「ありがとう。じゃあ戻りましょうか」
「はい」
前園さんに釣られて笑顔で頷くと、そのまま雑談をして、ご家族の話を聞きながら会議室を後にする。
そして前園さんのお子さん手作りの招待状を受け取って浮かれたのも束の間、会議に向かう浦野さんの顔を見た瞬間、現実に引き戻されて心臓がドキドキし始める。
それは決して昂揚からではなく、嫌な緊張感で額にじわりと汗が滲む。今日の仕事を終えれば、また彼と個人的に会わなければいけないからだ。
(仕事が終わったら付き合えって、嫌な予感しかしないよ)
そのことを考えると、一気に頭と胃が痛み始めた。
さして興味なさそうな声が返ってきて、浦野さんがなにを考えているのか全然分からなくなってしまう。
私の記憶の中にいるビビ先輩は、ここまでとっつき易い感じじゃなくて、二人で居ても孤独が背中を撫でてるような、どこか手が届かない不安が常にあったように思う。
もちろん私を蔑ろにするような人ではなかったけど、見えている景色が違っているような気がして、拭いきれない寂しさを感じることがたくさんあった。
(本当にこの人は、私のことが好きだったのかな)
別れたつもりはないなんて強引な言葉、あの時に聞いていたら私はすぐにでも引き止められていたと思う。だけど実際はもう十年も経っていて、辛かった思い出はとっくに打ち消した。
それなのに、浦野さんを前にしたら、彼を拒絶することがどれだけ難しいことなのか思い知らされた。
私はあの日のまま、前になんて進めてはいなかったんだ。
「華?」
空を見上げながら歩き出した浦野さんが振り返って顔を覗き込み、視線が合ってハッとする。
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びいただけないのなら、昨夜のようなプライベートなことはもうやめていただきます」
浦野さんに別れたつもりがなくても、私はあの日からどれだけ泣いて夜を過ごしてきたか分からない。寝ても覚めても頭の中にこびり付いて、決して私の中から消えてはくれなかった。
だけどその痛みごと、ビビ先輩との別れを受け入れてきたのは事実だ。
「分かったよ」
浦野さんは呆れたように頑固だよなと呟いて、それ以降は私の名前を呼ぶこともなく、雨が降り出す前に会社に着いた。
「仕事が終わったら、話があるからな」
「はい?」
「ランチの続きだ」
「ですから、今日は先約があるので無理です」
「俺は別に、みんなの前で華って呼んでも良いんだぞ」
「浦野さん!」
「五分もかからない。少しだけ融通しろ」
「……承知しました」
エレベーターの中で二人きりなのを良いことに、浦野さんは半ば無理やり約束を取り付けると、何事もなかったように柳川さんの元に向かい、私は彼を見届けてからデスクに戻った。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい槇村さん。早速だけど、予定変更がいくつかあるから確認しましょうか」
「はい。お願いします」
前園さんの指示を聞きながらメモを取ると、すぐにオンライン会議のセッティングのため、資料を用意して会議室に移動する。
「そうだ。私、槇村さんに話があったのよ」
「え、なんですか」
プロジェクターをセットしながら、思い出したように手を叩いた前園さんの方を見ると、ご自宅に誘われている件についてらしい。
「槇村さんのことを話したら、うちの子が喜んじゃってね。招待状を預かってるのよ」
「えー、本当ですか? めちゃくちゃ可愛らしいサプライズですね」
「ふふ。招待状って言っても、落書きなんだけどね」
「手作りの招待状だなんて、気持ちが嬉しいです。でも本当に良かったんですか」
「もちろんよ。夫なんかやたら張り切っちゃって、なんだか色々と作る気でいるみたい。今日は買い出しに行くって息巻いてたわよ。笑っちゃうでしょ」
「なんだか気を遣わせてしまって申し訳ないです」
「良いのよ、みんな楽しみにしてるから」
「嬉しいです。ありがとうございます」
そう答えたものの浦野さんとの会話を思い出して、彼との再会について、どこまで相談すれば良いのか判断に困ってしまう。
浦野さんが上司になった今、業務に差し支えがないとは言い切れない立場だから、相談しておきたい気持ちはある。
「どうかした?」
「いえ。こっちのセッティング終わりました」
「ありがとう。じゃあ戻りましょうか」
「はい」
前園さんに釣られて笑顔で頷くと、そのまま雑談をして、ご家族の話を聞きながら会議室を後にする。
そして前園さんのお子さん手作りの招待状を受け取って浮かれたのも束の間、会議に向かう浦野さんの顔を見た瞬間、現実に引き戻されて心臓がドキドキし始める。
それは決して昂揚からではなく、嫌な緊張感で額にじわりと汗が滲む。今日の仕事を終えれば、また彼と個人的に会わなければいけないからだ。
(仕事が終わったら付き合えって、嫌な予感しかしないよ)
そのことを考えると、一気に頭と胃が痛み始めた。
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