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7-①
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「じゃあトルクは?」
「従来型よりも効率よく、低回転域で高出力のパワーを出せる試算を出しました」
「実装は?」
「それは設計部に確認を入れませんと分かりません。必要でしたら解析データを取り寄せますが、いかがしますか」
「いや、今度直接担当者に話を聞きたい。打診しといてくれるか」
「かしこまりました」
淡々とした業務のやり取りをしていると、昨夜のことは夢でも見たんじゃないかと思ってしまう。
今も忙しい業務の隙間を縫って、浦野さんと一緒に本社に程近いカフェでパスタを食べながら、培ってきた知識を活かしてランチミーティングをしている。
(なんなの、本当に)
昨夜は豪華なディナーとお酒を楽しんで、十年も経ったのに別れたつもりはないなんて、あの日の反論を聞かされた後、断りきれずに家まで送ってもらった。
マンションの前に着いてタクシーを降りてからも、浦野さんは私をなかなか帰してくれず、その余韻で妙に浮き足立って眠れない夜を過ごしたのは私だけみたいだ。
今朝になってどんな顔をすれば良いのか分からなくて、緊張で顔の筋肉が凝り固まってた私とは正反対に、浦野さんは何事もなかったように普通に挨拶してきただけだった。
(変に緊張して、私だけバカみたい)
淡々とした様子で、仕事モードの顔をした浦野さんから色々と質問される声に返答しつつ、ようやく肩の力を抜いて小さな息を吐く。
昨夜のことは、お酒が見せた幻覚だったに違いない。
せっかくそう思って気持ちを切り替えるのに、不意に目が合った浦野さんが柔らかく微笑むから、決して私だけが見た幻覚でも夢でもなかったと思い知らされる。
「ジャンク品で直そうとしてたマスタング、どうなったか気にならないか」
私が高三になった年のゴールデンウィークを過ぎた頃、ビビ先輩が古い知り合いから譲り受けた淡い水色のマスタングを、二人で一緒に夢中になって修理したことを思い出す。
目の前にいる浦野さんはまるでイタズラっ子みたいな笑顔で、十年も前のことを、まるで昨日の続きのように切り出した。
「そんなことも、ありましたね」
あの暑い夏の日も、マスタングの調整に行くはずだったから忘れるはずがない。
「見たくないか」
「え?」
「決めた。見せてやるよ、華」
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びください」
周囲に意識を飛ばして、咄嗟に下の名前で呼ばないで欲しいと牽制すると、面白がるように口角を上げた浦野さんは納得も否定もしない。
「仕事が終わったら、少し付き合ってもらう」
「お困りごとであれば、今お伺いします」
「確かに困ってるけど、今、ここで、この口から、言って良いのか?」
「……かしこまりました。お供させていただきます。ですが今日は先約があるので、手短にお願いします」
「週末に先約? 相手は男か」
「違います。前園さんです」
「なんだ前園さんか。まあ、男な訳ないか」
目の前で強気に微笑む顔が気に食わないのに、どうしたってこの人の、イタズラっ子みたいに笑う顔が好きで仕方ない。
浦野さんが、どういう経緯で今の立場になったのか、まだ話を聞いていないから分からないけれど、十年も経っているのだから、それだけあれば人は変わる。
それは決して私も例外じゃないはずなのに、目の前にいる彼を見ていると、何も変わっていない自分が情けなくなる。
(だって、彼が笑うだけでこんなにも苦しい)
私には不釣り合いな白いワンピースが頭をよぎり、膝の上で拳を握った。
「デザートも食べるか」
「いいえ。もう戻りませんと、柳川さんをお待たせしてしまいます」
「それくらい待たせても構わないだろ」
「いい加減になさってください。午後のスケジュールをお忘れでしたら、今からまたご説明しましょうか」
嫌味を込めて切り返すと、私がそう答えるのすら分かってて、楽しんでいるような視線を向けられてげんなりする。
「仕事の出来る秘書がついてくれて良かったよ」
「技術畑から異動させられた私なんかより、美貌で優秀な人材が秘書室には揃ってますけど」
「勘弁してくれ」
浦野さんは辟易したように表情を歪め、伝票を掴んで席を立つ。
いちいち会計するのに揉める訳にはいかないので、この場は浦野さんに任せて支払いを終えて店を出ると、曇り空が広がって今にも雨が降り出しそうだ。
万が一すぐに雨が降り始めても、バッグの中に折りたたみ傘は二本入れてあるから、浦野さんを雨に濡らさないで済むだろう。
「ひと雨来そうだな」
「傘ならご用意しております」
「従来型よりも効率よく、低回転域で高出力のパワーを出せる試算を出しました」
「実装は?」
「それは設計部に確認を入れませんと分かりません。必要でしたら解析データを取り寄せますが、いかがしますか」
「いや、今度直接担当者に話を聞きたい。打診しといてくれるか」
「かしこまりました」
淡々とした業務のやり取りをしていると、昨夜のことは夢でも見たんじゃないかと思ってしまう。
今も忙しい業務の隙間を縫って、浦野さんと一緒に本社に程近いカフェでパスタを食べながら、培ってきた知識を活かしてランチミーティングをしている。
(なんなの、本当に)
昨夜は豪華なディナーとお酒を楽しんで、十年も経ったのに別れたつもりはないなんて、あの日の反論を聞かされた後、断りきれずに家まで送ってもらった。
マンションの前に着いてタクシーを降りてからも、浦野さんは私をなかなか帰してくれず、その余韻で妙に浮き足立って眠れない夜を過ごしたのは私だけみたいだ。
今朝になってどんな顔をすれば良いのか分からなくて、緊張で顔の筋肉が凝り固まってた私とは正反対に、浦野さんは何事もなかったように普通に挨拶してきただけだった。
(変に緊張して、私だけバカみたい)
淡々とした様子で、仕事モードの顔をした浦野さんから色々と質問される声に返答しつつ、ようやく肩の力を抜いて小さな息を吐く。
昨夜のことは、お酒が見せた幻覚だったに違いない。
せっかくそう思って気持ちを切り替えるのに、不意に目が合った浦野さんが柔らかく微笑むから、決して私だけが見た幻覚でも夢でもなかったと思い知らされる。
「ジャンク品で直そうとしてたマスタング、どうなったか気にならないか」
私が高三になった年のゴールデンウィークを過ぎた頃、ビビ先輩が古い知り合いから譲り受けた淡い水色のマスタングを、二人で一緒に夢中になって修理したことを思い出す。
目の前にいる浦野さんはまるでイタズラっ子みたいな笑顔で、十年も前のことを、まるで昨日の続きのように切り出した。
「そんなことも、ありましたね」
あの暑い夏の日も、マスタングの調整に行くはずだったから忘れるはずがない。
「見たくないか」
「え?」
「決めた。見せてやるよ、華」
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びください」
周囲に意識を飛ばして、咄嗟に下の名前で呼ばないで欲しいと牽制すると、面白がるように口角を上げた浦野さんは納得も否定もしない。
「仕事が終わったら、少し付き合ってもらう」
「お困りごとであれば、今お伺いします」
「確かに困ってるけど、今、ここで、この口から、言って良いのか?」
「……かしこまりました。お供させていただきます。ですが今日は先約があるので、手短にお願いします」
「週末に先約? 相手は男か」
「違います。前園さんです」
「なんだ前園さんか。まあ、男な訳ないか」
目の前で強気に微笑む顔が気に食わないのに、どうしたってこの人の、イタズラっ子みたいに笑う顔が好きで仕方ない。
浦野さんが、どういう経緯で今の立場になったのか、まだ話を聞いていないから分からないけれど、十年も経っているのだから、それだけあれば人は変わる。
それは決して私も例外じゃないはずなのに、目の前にいる彼を見ていると、何も変わっていない自分が情けなくなる。
(だって、彼が笑うだけでこんなにも苦しい)
私には不釣り合いな白いワンピースが頭をよぎり、膝の上で拳を握った。
「デザートも食べるか」
「いいえ。もう戻りませんと、柳川さんをお待たせしてしまいます」
「それくらい待たせても構わないだろ」
「いい加減になさってください。午後のスケジュールをお忘れでしたら、今からまたご説明しましょうか」
嫌味を込めて切り返すと、私がそう答えるのすら分かってて、楽しんでいるような視線を向けられてげんなりする。
「仕事の出来る秘書がついてくれて良かったよ」
「技術畑から異動させられた私なんかより、美貌で優秀な人材が秘書室には揃ってますけど」
「勘弁してくれ」
浦野さんは辟易したように表情を歪め、伝票を掴んで席を立つ。
いちいち会計するのに揉める訳にはいかないので、この場は浦野さんに任せて支払いを終えて店を出ると、曇り空が広がって今にも雨が降り出しそうだ。
万が一すぐに雨が降り始めても、バッグの中に折りたたみ傘は二本入れてあるから、浦野さんを雨に濡らさないで済むだろう。
「ひと雨来そうだな」
「傘ならご用意しております」
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