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あれからもう何度も夏が過ぎて、今年も苦手なこの季節がやって来た。
小さな頃から車が大好きで、地元では色んな意味で有名な工業高校を卒業した私は、更に自動車工学の専門分野の知識を身に付けるために大学に進学。
新卒で入社したのは、国内でも三本の指に入る世界的自動車メーカーULLANOこと、ウラノ自動車株式会社。
私、槇村華恵は技術部門、研究改良室に籍を置き、男性に囲まれて働く環境にも慣れた、勤務歴六年目のエンジニアだ。
「マキよ、聞いたか」
「今度はなんの噂話を仕入れたんですか、リンダさん」
十五時のおやつタイムにコーヒーを買うと、先に休憩していた人物に声を掛けられ、またガセネタじゃないのかと苦笑する。
「なんだよ。人をゴシップ好きみたいに」
「大好きじゃないですか、噂話」
私のことを槇村の頭文字を取ってマキと呼ぶ、大先輩に当たるリンダさんこと林田潤三さんは生粋のエンジニアで、出世を蹴って万年平社員で居るとの噂が流れるほどの変わり者だ。
だけど不思議と私とは相性の良い人で、尊敬しているし、一度その懐に入ってしまえば、とんでもなく可愛がってくれることも知っている。
林田さんは強面だけど顔の造形が良く、確かに若い頃は相当なモテ男だったのだろう。
飲むと必ず昔取った杵柄で、武勇伝が止まらなくなるのが玉にキズな、御年五十四歳の大ベテランだ。
「貴公子が凱旋するらしいぞ」
「はあ? 貴公子ですか」
ふざけた呼び名に顔を顰める私を、林田さんが可笑しそうに笑いながら続ける。
「なんだマキ、お前は本当に色気がないなあ。女の子はこの手の話が好きだろうに。ウラノの貴公子と云えば会長の息子だろ」
「いや、それ誰だよって話ですよ。上層部がそもそも結構な血縁密集地帯じゃないですか。会長の息子って言われてもピンとこないですよ」
今でこそ世襲や縁故の色は薄くなったけど、創業者一族はグループ傘下の子会社も含めると、数もそれなりに居て重要なポストについていることも多い。
だから国内だけでも十五万人以上の社員の中になら、事務方だろうが販売や設計、あるいは他の部署にだって砂金のように探せば一族も混ざっては居るだろう。
「そりゃ七光りの方が多いだろうが、貴公子は別格だ。知らんのか」
「残念ながら」
「アイツは凄いぞ。高校を出た後、昼は工場で整備士しながら、夜間大学に通って知識も詰め込んでな」
「へえ」
「本社に異動してからは、数年で南米とヨーロッパに武者修行に出されて、そこで充分に貢献したから凱旋するんだとよ」
どこか自慢気に語る林田さんを冷めた気持ちで見つめると、ブラックコーヒーを胃に流し込んで、いつもより苦く感じるままに顔を歪める。
確かに経歴だけ聞くと創業者一族にしては苦労人のようだが、それでも社歴が浅いのに海外勤務など、それはやはり血の力あってこそなのではなかろうかと、つい色眼鏡で見てしまう。
「……リンダさん、本当に脳が乙女ですよね」
「マキが枯れとるんだろ」
「まあ、否定はできないですね」
「二十八なんて、まだピチピチだろうに」
「リンダさん。その発言、色んな意味でコンプラ一発退場ですよ。それに私、誕生日来てないからまだ二十七です」
たわいない話をしながら林田さんと一緒にオフィスに戻ると、呉林室長が私を見つけた途端に探していたと大慌てで駆け寄って来た。
「槇村、悪いがちょっと良いか。リンダさん、槇村借りますよ」
林田さんに一声掛けると、呉林室長は目線だけで小会議室について来いと顔を振り、先んじて会議ブースの方へ向かってしまった。
呉林室長は温厚で人当たりが良いが、いつもの温和な気配とは喰い違う神経質で尖った空気に緊張が走る。
「マキよ、お前なにやらかしたんだ」
小さな頃から車が大好きで、地元では色んな意味で有名な工業高校を卒業した私は、更に自動車工学の専門分野の知識を身に付けるために大学に進学。
新卒で入社したのは、国内でも三本の指に入る世界的自動車メーカーULLANOこと、ウラノ自動車株式会社。
私、槇村華恵は技術部門、研究改良室に籍を置き、男性に囲まれて働く環境にも慣れた、勤務歴六年目のエンジニアだ。
「マキよ、聞いたか」
「今度はなんの噂話を仕入れたんですか、リンダさん」
十五時のおやつタイムにコーヒーを買うと、先に休憩していた人物に声を掛けられ、またガセネタじゃないのかと苦笑する。
「なんだよ。人をゴシップ好きみたいに」
「大好きじゃないですか、噂話」
私のことを槇村の頭文字を取ってマキと呼ぶ、大先輩に当たるリンダさんこと林田潤三さんは生粋のエンジニアで、出世を蹴って万年平社員で居るとの噂が流れるほどの変わり者だ。
だけど不思議と私とは相性の良い人で、尊敬しているし、一度その懐に入ってしまえば、とんでもなく可愛がってくれることも知っている。
林田さんは強面だけど顔の造形が良く、確かに若い頃は相当なモテ男だったのだろう。
飲むと必ず昔取った杵柄で、武勇伝が止まらなくなるのが玉にキズな、御年五十四歳の大ベテランだ。
「貴公子が凱旋するらしいぞ」
「はあ? 貴公子ですか」
ふざけた呼び名に顔を顰める私を、林田さんが可笑しそうに笑いながら続ける。
「なんだマキ、お前は本当に色気がないなあ。女の子はこの手の話が好きだろうに。ウラノの貴公子と云えば会長の息子だろ」
「いや、それ誰だよって話ですよ。上層部がそもそも結構な血縁密集地帯じゃないですか。会長の息子って言われてもピンとこないですよ」
今でこそ世襲や縁故の色は薄くなったけど、創業者一族はグループ傘下の子会社も含めると、数もそれなりに居て重要なポストについていることも多い。
だから国内だけでも十五万人以上の社員の中になら、事務方だろうが販売や設計、あるいは他の部署にだって砂金のように探せば一族も混ざっては居るだろう。
「そりゃ七光りの方が多いだろうが、貴公子は別格だ。知らんのか」
「残念ながら」
「アイツは凄いぞ。高校を出た後、昼は工場で整備士しながら、夜間大学に通って知識も詰め込んでな」
「へえ」
「本社に異動してからは、数年で南米とヨーロッパに武者修行に出されて、そこで充分に貢献したから凱旋するんだとよ」
どこか自慢気に語る林田さんを冷めた気持ちで見つめると、ブラックコーヒーを胃に流し込んで、いつもより苦く感じるままに顔を歪める。
確かに経歴だけ聞くと創業者一族にしては苦労人のようだが、それでも社歴が浅いのに海外勤務など、それはやはり血の力あってこそなのではなかろうかと、つい色眼鏡で見てしまう。
「……リンダさん、本当に脳が乙女ですよね」
「マキが枯れとるんだろ」
「まあ、否定はできないですね」
「二十八なんて、まだピチピチだろうに」
「リンダさん。その発言、色んな意味でコンプラ一発退場ですよ。それに私、誕生日来てないからまだ二十七です」
たわいない話をしながら林田さんと一緒にオフィスに戻ると、呉林室長が私を見つけた途端に探していたと大慌てで駆け寄って来た。
「槇村、悪いがちょっと良いか。リンダさん、槇村借りますよ」
林田さんに一声掛けると、呉林室長は目線だけで小会議室について来いと顔を振り、先んじて会議ブースの方へ向かってしまった。
呉林室長は温厚で人当たりが良いが、いつもの温和な気配とは喰い違う神経質で尖った空気に緊張が走る。
「マキよ、お前なにやらかしたんだ」
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