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(39)アチューダリアへの帰国

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 二節の航海を経てリルカが再びアチューダリアの地を踏み締めた時、新たな年を迎える準備で港町ヤルケッタは賑わっていた。

「一年経つのは早えな」

「もうそんな時期なんだね」

 福音の月五節と四日の今日を含めて、あと七日で一年が終わる。

 ムゥダルに出会って、この港から全てが始まったのがひどく昔のことのように感じるが、帝国では豊穣と福音のふた月を過ごしただけなのだ。

 そう思うと、短い間に色々なことがありすぎたと、リルカは苦笑いして口元に手を当てる。

「なに笑ってんだ。とりあえず宿屋に行くぞ」
「あ、待ってよムゥダル」

 リルカは腰に届くほどのプラチナホワイトの髪を揺らすと、走ってムゥダルを追い掛ける。

 アチューダリアに来る前にセルゲイやベイルから説明があり、ムゥダルはリルカに同行することを拒みはしなかったが、リルカに話しておくことがあると言った。

 ヤルケッタの街を歩きながら、早速女性に声を掛け始めたムゥダルの耳を掴むと、頼むから仕事を忘れるなと釘を刺して夕食を済ませる。

「流石に今回は娼館に顔出す訳にはいかねえか」

 二十一時を過ぎて宿屋を手配すると、部屋に入るなり寝台に寝転んで絶望した様子のムゥダルにリルカは苦笑する。

「収穫があるまで帰れないもんね。大丈夫なの、我慢出来るのムゥダル」

「お前、随分と寛容になったよな」

「ムゥダルからお姉さん取ったらなにが残るの」

「てめえ、言いたいことはそれだけか」

 笑いながらリルカを捕まえて首を絞めるフリをすると、仕事は真面目にこなすとムゥダルが笑う。

「それより、話しときたいことってなんなの」

 リルカはムゥダルの拘束から逃れると、船では聞けなかったからと隣の寝台に腰掛けて壁にもたれる。

「お前に会った時のことだ」

「会ったって、初めてギレルと一緒に会った時のことかな」

「ああ。そうだ」

「もしかして偶然居合わせた訳じゃなかったの」

「まあお前と会ったのは偶然なんだが、俺はマーベル・レインホルン探してた」

「どういうこと」

 リルカは寝そべるムゥダルのそばに座り直すと、手首に巻いたお守り代わりの組紐をギュッと掴んだ。

「帝国に〈エボノス〉って暗殺部隊があることは知ってるか」

「うん。ルーシャが作った組織で、ウェイロンって人が頭領なんだよね」

「そこまで知ってたか」

 ムゥダルは起き上がると荷物の中からブラーヌ酒を取り出して、枕元に移動して壁にもたれるように座り直し、開封した酒瓶から直接酒を呷る。

「〈エボノス〉ってことは、ルーシャが関係してるの」

「いいや。〈エボノス〉じゃなくてウェイロンについて調べてたんだよ」

「ウェイロンって帝国の人だよね。なんでアチューダリアでウェイロンを調べてたの」

「ウェイロンっていうより、魔術が介在してる事件を調べてたんだよ」

 魔術という単語にリルカは首を捻る。
 ムゥダルがウェイロンを調べるために魔術にまつわる事件を調べていた理由を考えた時、真っ先に浮かぶのはルーシャの母親が殺されて、ルーシャ自身も襲われたあの事件だ。

「ねえムゥダル、ウェイロンは〈レヴィアタン〉に所属してたの」

「いいや、アイツは冒険者じゃない」

「でもベイルさんが小さい頃からよく〈レヴィアタン〉に出入りしてたって。ムゥダルもグリードも、ウェイロンと小さい頃から見知った仲なんだよね」

「一応な」

 ムゥダルはお前も飲めと荷物からルシンを取り出して、リルカに瓶を投げてよこす。

 なにかツマミになる物があったかなと荷物を漁り始めたムゥダルを見つめながら、リルカはルシンの栓を抜いてそのまま瓶に口をつけた。

「ウェイロンに関しては、どうも記憶が曖昧になる時があってな」

 塩漬けした干し肉を差し出しながら、これはルーシャもグリードも承知してることだとムゥダルは続ける。

「出会った頃の記憶がこう、霞んでぼやけてる」

「なにそれ。まさか、それこそ魔術で記憶操作されたとか言い出したりしないよね」

 冗談のつもりでリルカが鼻を鳴らすと、ムゥダルは困った様に眉尻を下げて、お前にしては勘がいいとブラーヌ酒を呷る。

「ある日ふらっと現れたんだ。なにが切っ掛けだったかなんて思い出せないくらいにな」

「それは子どもだったから覚えてないだけじゃないの」

「親父も含めて、みんなの記憶に残ってない。なのに、みんなの記憶のどこかしらにアイツは存在しやがる」

「ちょっと待って。ムゥダルはなんの話をしてるの。ウェイロン本人の話なのか、それともウェイロンが魔術に関わってるって話なのか」

「両方だ。これから話すことを早く理解させるために伝えたまでだ。そう焦るな」

 酒だけだと酔いが回ると、ムゥダルはリルカの口にツマミを放り込み、自分も干し肉をかじって酒を呷る。

「クレア・レインホルンの死を調べてみると、確かに魔術の介在が認められて〈ユティシアル聖教会〉に捜査が入ったことまでは分かった」

「それは俺も聞いたよ」
「ああ。だけどそれがおかしいんだよ」
「どういうこと」

 リルカが首を傾げると、ムゥダルは荷物の中から手帳を取り出してペンを走らせ、なにか図式のような物を書いていく。

「アチューダリアの地中には、ベネンダル鉱石って珍しい石の鉱床が広がってる」

「突然なんでそんな話をするの」

「お前は本当に気が短けえな。まあ結論だけ言えば、ベネンダル鉱石は魔素を吸う石だ」

「魔素を吸うってどういうこと」

 ムゥダルは手帳に新たな図式を書き込むと、魔素の巡りを矢印で書き示して説明しながら話を続ける。

「つまりアチューダリアでは、ベネンダル鉱石の干渉を受けて魔術自体が使えないはずなんだ」

「魔術が使えないって」

「なのにお前のお袋さんは魔術を使って殺されてる。つまりお前が〈オーチャル〉で掴まされた魔石、魔素が高濃度圧縮されたユグシアル鉱石が使われたってことだ」

「まさか、全て同一犯の仕業だって言いたいの」

「ああ。ここに来て一気にその可能性は高くなった」

「それがウェイロンだってこと」

「少なくともなにかしら関わってるはずだが証拠がない。だからお前の親父を探してた。それを探り当てたから姿を消したんだと踏んでな」

 ユグシアル鉱石は帝国でしか採れない稀少な石だとルーシャが言っていた。
 つまりそれを入手するためには国外で手を拱いていれば、簡単に手に入るという代物ではない。ましてや魔術の媒介となる魔素を溜め込んだ天然資源だ。

 魔術を扱える人間が意図的に持ち出した。そう考えるのが妥当だろう。

「わざわざ魔術を使ってそんなことをする理由はなんなの。だって変だよね、アチューダリアだとなんとかって石のせいで魔術は相殺されるんでしょ」

「そうだな」

「魔術なんか使う方が身元が割れる可能性が高い。そんな危険を冒す理由が分からない」

「そこで咎人狩りが出てくるんだよ」

「それって〈ユティシアル聖教会〉の」

「ああ。女神による粛清、つまり聖裁せいさいだ」

 ムゥダルの言葉にリルカはますます首を傾げる。クレアが断罪される理由が分からないからだ。

「どうして母さんが」

「単なる見せしめじゃねえかな。そもそもアチューダリアにおける〈ユティシアル聖教会〉は、在って無いような存在だからな」

「そんなくだらない理由だなんて」

「だからこそ、お前の親父は真犯人を追ってだんだろうな」
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