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(20)嫉妬という感情
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ムゥダルの部屋に寝台を運び込み、リルカは毎晩そこで眠るようになった。
理由は説明がなくても察しがついたが、ルーシャからしてみれば、同じ部屋で男であるムゥダルと、実は男装している可憐な少女のリルカが毎晩過ごすことに苛立ちを覚える。
しかもムゥダルの部屋に限らず、ギルドの全ての部屋には閑処も浴室も付いている。ここに来てこの便利な設備が邪魔になるとは思いもしなかった。
つまり二人が一度密室に入れば、朝を迎えるまで部屋から出る必要がない。
「イライラするわね」
ルーシャは皆が寝静まった深夜の食堂で、ランプを灯してルシンを呷ると、ボザンの肉をノサックの乳や野菜の出し汁で煮込んだラトゥールを乱暴に掬って掻っ込んだ。
ボザンは帝都アエルから少し離れた北東部の山岳地帯に生息する草食動物で、独特の臭みはあるが程よく脂が乗っていて旨味も強い。
食用と言うほど出回るものではないが、近隣の田畑を荒らすことから、実りの季節である豊穣の月になると駆除されたものが市場に卸されることが多い。
この煮込み料理のラトゥールに入ったボザンの肉も、〈レヴィアタン〉の誰かがクエストで仕留めてきた物だ。
そんなボザンの肉を噛み締めながら、ルーシャは治まらない怒りをどう鎮めようかと、指先に苛立ちを込めて食卓を弾くように叩く。
「ビビった。ルーシャかよ、そんな暗いところでなにしてるんだ」
「グリード。アンタこそなにしてんのよ」
「なにって、眠れないから寝酒を飲みに来たんだよ。うわ、なんだよ、こんな夜中にラトゥールみたいなこってりしたもの食べてるのか」
携帯用のランプを片手にルーシャに近付いたグリードは、食卓の上の大盛りのラトゥールを見て、胸焼けしたような顔をする。
「うるさいわね。アタシだってヤケ食いしたくなることもあるわよ」
「ヤケ食いってお前」
呆れたように呟いて調理場に行くと、ブラーヌ酒の瓶を手に再びルーシャの元に戻ってくるなり、悍ましいものを見るような目でぼそりと呟く。
「見てるだけで胸焼けしそうだな」
ダインを発酵させて蒸留した高価なブラーヌ酒を、セレス石を加工して作った入れ物に注ぎ、その香りを楽しむようにグリードはゆっくりと嚥下する。
一連の人を小馬鹿にしたような大仰な動きに、ルーシャは一層苛立ちを募らせて尖った声を張り上げる。
「放っといてちょうだい。イヤなら見なきゃイイでしょ、座るとこいっぱいあるんだから」
「そんなに叫ぶなよ。みんながお前の声で起こされて迷惑だろ」
「失礼ね、誰の声が警笛なのよ」
「なんだよ、ルカがムゥダルと同室になったのがそんなに気に食わないのか」
「……はい?」
ルーシャは思いもしない問い掛けに、思わず真顔になって首を捻る。
「見てりゃ分かるよ。仕方ないだろ、元々ムゥダルが連れて来たんだから。お前よりあっちに懐くだろうよ」
「だからって、わざわざ同じ部屋で過ごさなくてもイイんじゃないかしら。ムゥダルだって一人がイヤならアタシと寝ればイイのに」
「違うだろ。お前はルカがムゥダルに独占されんのが嫌なんだろ」
「……はい?」
ルーシャは食べ掛けの匙を器に置くと、美味しそうにブラーヌ酒を楽しむグリードを睨み付けてから、これ見よがしに首を捻ってみせる。
「お前、そのナリが好きなだけで、別に男が好きな訳じゃないだろ」
グリードは当たり前のように答えるが、ルーシャは驚いて声も出せない。
「むしろ男に嫌悪感があるから、そんなカッコしてるんだよな。自分が男の姿してるのを受け入れたくない」
何気ないグリードの言葉は、ルーシャが心の奥底に閉じ込めた感情を刺激する。
———自分が男の姿をしてるのを受け入れたくない。
閉ざしていた扉が無遠慮にこじ開けられたように、母を犯した影が逞しく成長した自分自身に重なって、自分もあれと同じ男なのだと、発狂して陰茎を切り落とそうとしたこともあった。
母の記憶はルーシャにとって毒でしかない。目の前であんなにも残虐な殺され方をしたのだ。
一度死にかけた体は、幼い頃から華奢で小柄だったはずなのに、不幸を忘れて成長するにつれて随分と逞しく育ってしまった。
記憶が定かでなかった頃は良かったが、記憶が戻ってからはなにかに自分の姿が映る度に激しく嘔吐き、指を突っ込んで掻き出すように吐くことを繰り返すうちに喉が掻き切れて血を吐いた。
今はもう痛むはずのない喉を押さえると、ルーシャはグリードの手元からブラーヌ酒を奪い取って一気に呷る。
「お前の傷を抉ろうってことじゃないんだ。すまない」
「謝るなら最初から口にしないで欲しいわね」
「でもなルーシャ、お前も前を見る時が来たんだよ。アイツ……女の子なんだろ」
ルーシャはハッとして顔を上げる。あまりに動揺していたので気付かなかったが、まさかあの時、グリードもムゥダルたちの会話を聞いていたのだろうか。
「どうしてよ」
「そうか。本当に女の子なのか、驚きだな」
ハッタリに出し抜かれたのだとルーシャが気付いた時には遅かった。グリードは苦笑いしながら、アイツが女の子だったとはねとブラーヌ酒を呷る。
「事情があってそうしてるのよ、暴かないであげて」
「俺だってルカは好きだ。本人が言わないのを、わざわざ触れ回ったりしない」
「どうして女の子だと思ったの」
「最初に大暴れしてぶっ倒れた後か。貧血起こしたみたいに顔真っ青にして、腹を押さえてる姿がお袋のその時の様子に似てた。予想だにしてなかったから、今思えばって後付けだけどな」
「そうなのね」
無骨で人の良い連中だが、そこまで気が回るメンバーはグリードの他には居ない。そのグリードですら今思えばと言うのだから、他に気付いたり疑ってる者は居ないだろう。
「それで。お前はアイツがムゥダルに懐くのが、面白くないってだけじゃないんじゃないのか」
「分からないわ。でもイライラするのよ」
「そうか。お前にしちゃ上出来じゃないか、感情を掻き乱されるほどのヤツが現れたんだ」
「ヤダわ、その面白がってる顔」
「これが面白くない訳ないだろ。これからどうするんだ」
「別に。どうもしないわよ」
ルーシャの返事にグリードは意外そうな顔を向ける。
「欲しけりゃ力尽くのお前にしては弱気だな」
「これだからむさ苦しい男はイヤなのよ。人の心は力尽くでどうにかなるもんじゃないでしょ」
「それを強引に行くのがお前だと思ってたよ」
グリードが楽しげに肩を揺らすと、釣られたようにルーシャも笑顔を浮かべてルシンを呷り、冷えてしまったラトゥールを頬張る。
「ヤダぁ、冷えちゃって食べられたもんじゃないわコレ。ちょっと温め直してよグリード」
「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
賑やかに談笑し始めた二人の姿を、食堂の入り口から見つめる人影が一つ。
二人の会話が思わぬ方向へ行き、物音すら立てられない状況で、その場から動こうにも動くことが出来ずに、今なお立ち去るタイミングを図っている。
「……どうしてこうなっちゃったの」
リルカは空になった水差しを抱え、片手で顔を覆いながら、今しがた聞いてしまった会話の内容を頭の中で反芻して困惑していた。
理由は説明がなくても察しがついたが、ルーシャからしてみれば、同じ部屋で男であるムゥダルと、実は男装している可憐な少女のリルカが毎晩過ごすことに苛立ちを覚える。
しかもムゥダルの部屋に限らず、ギルドの全ての部屋には閑処も浴室も付いている。ここに来てこの便利な設備が邪魔になるとは思いもしなかった。
つまり二人が一度密室に入れば、朝を迎えるまで部屋から出る必要がない。
「イライラするわね」
ルーシャは皆が寝静まった深夜の食堂で、ランプを灯してルシンを呷ると、ボザンの肉をノサックの乳や野菜の出し汁で煮込んだラトゥールを乱暴に掬って掻っ込んだ。
ボザンは帝都アエルから少し離れた北東部の山岳地帯に生息する草食動物で、独特の臭みはあるが程よく脂が乗っていて旨味も強い。
食用と言うほど出回るものではないが、近隣の田畑を荒らすことから、実りの季節である豊穣の月になると駆除されたものが市場に卸されることが多い。
この煮込み料理のラトゥールに入ったボザンの肉も、〈レヴィアタン〉の誰かがクエストで仕留めてきた物だ。
そんなボザンの肉を噛み締めながら、ルーシャは治まらない怒りをどう鎮めようかと、指先に苛立ちを込めて食卓を弾くように叩く。
「ビビった。ルーシャかよ、そんな暗いところでなにしてるんだ」
「グリード。アンタこそなにしてんのよ」
「なにって、眠れないから寝酒を飲みに来たんだよ。うわ、なんだよ、こんな夜中にラトゥールみたいなこってりしたもの食べてるのか」
携帯用のランプを片手にルーシャに近付いたグリードは、食卓の上の大盛りのラトゥールを見て、胸焼けしたような顔をする。
「うるさいわね。アタシだってヤケ食いしたくなることもあるわよ」
「ヤケ食いってお前」
呆れたように呟いて調理場に行くと、ブラーヌ酒の瓶を手に再びルーシャの元に戻ってくるなり、悍ましいものを見るような目でぼそりと呟く。
「見てるだけで胸焼けしそうだな」
ダインを発酵させて蒸留した高価なブラーヌ酒を、セレス石を加工して作った入れ物に注ぎ、その香りを楽しむようにグリードはゆっくりと嚥下する。
一連の人を小馬鹿にしたような大仰な動きに、ルーシャは一層苛立ちを募らせて尖った声を張り上げる。
「放っといてちょうだい。イヤなら見なきゃイイでしょ、座るとこいっぱいあるんだから」
「そんなに叫ぶなよ。みんながお前の声で起こされて迷惑だろ」
「失礼ね、誰の声が警笛なのよ」
「なんだよ、ルカがムゥダルと同室になったのがそんなに気に食わないのか」
「……はい?」
ルーシャは思いもしない問い掛けに、思わず真顔になって首を捻る。
「見てりゃ分かるよ。仕方ないだろ、元々ムゥダルが連れて来たんだから。お前よりあっちに懐くだろうよ」
「だからって、わざわざ同じ部屋で過ごさなくてもイイんじゃないかしら。ムゥダルだって一人がイヤならアタシと寝ればイイのに」
「違うだろ。お前はルカがムゥダルに独占されんのが嫌なんだろ」
「……はい?」
ルーシャは食べ掛けの匙を器に置くと、美味しそうにブラーヌ酒を楽しむグリードを睨み付けてから、これ見よがしに首を捻ってみせる。
「お前、そのナリが好きなだけで、別に男が好きな訳じゃないだろ」
グリードは当たり前のように答えるが、ルーシャは驚いて声も出せない。
「むしろ男に嫌悪感があるから、そんなカッコしてるんだよな。自分が男の姿してるのを受け入れたくない」
何気ないグリードの言葉は、ルーシャが心の奥底に閉じ込めた感情を刺激する。
———自分が男の姿をしてるのを受け入れたくない。
閉ざしていた扉が無遠慮にこじ開けられたように、母を犯した影が逞しく成長した自分自身に重なって、自分もあれと同じ男なのだと、発狂して陰茎を切り落とそうとしたこともあった。
母の記憶はルーシャにとって毒でしかない。目の前であんなにも残虐な殺され方をしたのだ。
一度死にかけた体は、幼い頃から華奢で小柄だったはずなのに、不幸を忘れて成長するにつれて随分と逞しく育ってしまった。
記憶が定かでなかった頃は良かったが、記憶が戻ってからはなにかに自分の姿が映る度に激しく嘔吐き、指を突っ込んで掻き出すように吐くことを繰り返すうちに喉が掻き切れて血を吐いた。
今はもう痛むはずのない喉を押さえると、ルーシャはグリードの手元からブラーヌ酒を奪い取って一気に呷る。
「お前の傷を抉ろうってことじゃないんだ。すまない」
「謝るなら最初から口にしないで欲しいわね」
「でもなルーシャ、お前も前を見る時が来たんだよ。アイツ……女の子なんだろ」
ルーシャはハッとして顔を上げる。あまりに動揺していたので気付かなかったが、まさかあの時、グリードもムゥダルたちの会話を聞いていたのだろうか。
「どうしてよ」
「そうか。本当に女の子なのか、驚きだな」
ハッタリに出し抜かれたのだとルーシャが気付いた時には遅かった。グリードは苦笑いしながら、アイツが女の子だったとはねとブラーヌ酒を呷る。
「事情があってそうしてるのよ、暴かないであげて」
「俺だってルカは好きだ。本人が言わないのを、わざわざ触れ回ったりしない」
「どうして女の子だと思ったの」
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「そうなのね」
無骨で人の良い連中だが、そこまで気が回るメンバーはグリードの他には居ない。そのグリードですら今思えばと言うのだから、他に気付いたり疑ってる者は居ないだろう。
「それで。お前はアイツがムゥダルに懐くのが、面白くないってだけじゃないんじゃないのか」
「分からないわ。でもイライラするのよ」
「そうか。お前にしちゃ上出来じゃないか、感情を掻き乱されるほどのヤツが現れたんだ」
「ヤダわ、その面白がってる顔」
「これが面白くない訳ないだろ。これからどうするんだ」
「別に。どうもしないわよ」
ルーシャの返事にグリードは意外そうな顔を向ける。
「欲しけりゃ力尽くのお前にしては弱気だな」
「これだからむさ苦しい男はイヤなのよ。人の心は力尽くでどうにかなるもんじゃないでしょ」
「それを強引に行くのがお前だと思ってたよ」
グリードが楽しげに肩を揺らすと、釣られたようにルーシャも笑顔を浮かべてルシンを呷り、冷えてしまったラトゥールを頬張る。
「ヤダぁ、冷えちゃって食べられたもんじゃないわコレ。ちょっと温め直してよグリード」
「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
賑やかに談笑し始めた二人の姿を、食堂の入り口から見つめる人影が一つ。
二人の会話が思わぬ方向へ行き、物音すら立てられない状況で、その場から動こうにも動くことが出来ずに、今なお立ち去るタイミングを図っている。
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